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内藤陽介 Yosuke NAITO
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 シリアからトルコへ
2011-06-09 Thu 23:48
 トルコのアナトリア通信によると、反政府デモに対するアサド政権の弾圧が続くシリア北部ジスル・シュグールの住民ら約1000人が8日から9日にかけて国境を越えトルコに避難するなど、シリアからトルコに流入する難民が急増しているそうです。というわけで、きょうはこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      サンジャク加刷カバー

 これは、1939年3月、フランス委任統治領シリアのハタイ自治州(アレクサンドレッタ県)の加刷切手が貼られたベイルート宛のカバーです。

 現在、トルコ共和国のハタイ県となっている地域は、歴史的にはアレクサンドレッタと呼ばれていました。

 第一次大戦後の英仏によるアラブ分割の過程で、シリア北西部沿岸のイスラム教アラウィー派の居住地域には、1920年、フランス委任統治領シリアの自治区域としてアラウィー派国が樹立されました。その後、1930年、アラウィー派国はラタキア国に再編され、1936年、シリア本土に合流します。

 ところで、旧ラタキア国ではアラブ系が多数派を占めていましたが、アレクサンドレッタ県ではトルコ系住民が多かったため、アラブが圧倒的多数を占めるシリアへの合流に反対が強く、分離運動が展開されていました。このため、1937年、国際連盟は、アレクサンドレッタ県をハタイ自治州とし、トルコ語を公用語として自治政治を行う一方、財政・外交をシリアが管理する仲裁案を提示します。

 これを受けて、1938年にフランスの監視下でこの地域で議会選挙が行われると、トルコ系議員が過半数を獲得。同議会はハタイ独立共和国の独立を宣言しました。その後、トルコとフランスの軍事的管理下を経て、1939年7月、ハタイは国民投票に基づいてトルコの県となりました。これに伴い、この地域のアラブ人やアルメニア人はハタイから離れ、シリアの他の地域に移住していくことになります。

 今回ご紹介の切手とカバーは、仏領シリアのアレクサンドレッタがトルコのハタイへと変質していく過渡期のモノで、消印のアンタキヤはアレクサンドレッタないしはハタイの中心都市です。

 オスマン帝国解体後の東地中海、なかでも、現在のシリアの枠組が作られていく過程では、郵便史的にもいろいろと面白いマテリアルが生まれており、いずれは、それらを集めてまとまったコレクションを作ってみたいと考えているのですが、現時点では、まだまだ道のりは遠そうです。どうせなら、シリア情勢がホットな間に、なんとかしてみたいのですが…。


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