1977年12月25日に喜劇王、チャールズ・チャップリンが亡くなってから、今日でちょうど30年になります。というわけで、今日はこの切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)
これは、1978年4月16日にインドが発行したチャップリンの追悼切手で、山高帽にステッキ、だぶだぶのズボンというチャップリンおなじみのスタイルが描かれています。チャップリンが亡くなってから半年も経たないうちの発行ですので、追悼切手としては非常に早い時期のモノいってよいでしょう。
チャップリンとインドというと意外な組み合わせのように思われるかもしれませんが、実は、彼の代表作の一つ『モダン・タイムス』には、ガンジーの影響があるといわれています。
1931年9月、ロンドンで開かれたインドの憲法制定に関する第2回英・印円卓会議に出席したガンジーは、会議の合間にチャップリンと会っています。ガンジーはチャップリンの映画を見ていないので、彼が何者かは知りませんでしたが、チャップリンがロンドンの貧民街の生まれであることを知ると、喜んで面会に応じたそうです。
当時のガンジーはインドの独立運動家として“ヒンドゥ・スワラジ”の運動を展開しており、 「機械はヨーロッパを荒廃させかけている。イギリスはいまや破滅の寸前にある。機械は近代文明の主要な象徴であり、重大な罪悪を意味する」と主張していました。しかし、機械文明を一切否定するかのような発言は、彼の“聖人”イメージともあいまって、欧米世界では奇異の目で見られることも多かったようです。おそらく、チャップリンも最初はそうした好奇心から、ネタ探しの一環として、ガンジーと会おうとしたのかもしれません。
いうまでもないことですが、実際のガンジーは西洋式の教育を受け、弁護士資格も持っている人物ですから、決して神がかり的な復古主義者ではなく、教養人として欧米社会の知識人とも対等以上に渡り合える人物です。チャップリンも、そうした彼の人柄に魅了された1人ですが、特に、機会に関してガンジーが語った「失業者をだすような機械の罪悪に反対しているのであって、機械そのものを否定しているのではない」との言葉に強い感銘を受けたといわれています。
この言葉からインスピレーションを受けたチャップリンは、1938年、機械文明に翻弄される現代人の悲哀を表現した名作『モダン・タイムス』を完成させました。
このように考えると、インド側からすると、チャップリンはガンジーの理念を映画という形式によって広く全世界に広めた恩人ということになります。インド郵政が、いちはやく、チャップリンの追悼切手を発行した背景には、そうした事情があったのではないかと思います。
僕が子供の頃は、年末年始になるとNHKの深夜番組でチャップリンのサイレント映画をさかんにやっていた記憶があるのですが、最近はどうなんでしょうねぇ。この記事を書いていたら、なんだか久しぶりに、『モダン・タイムス』とか『街の灯』とか、サイレント時代のチャップリンの名作を見たくなりました。