2007-12-12 Wed 17:44
雑誌『SAPIO』2008年1月4日号が発売となりました。今回は、韓国の盧武鉉政権退陣前の“最後っ屁”で、大統領閣下が敬愛してやまない人物として、新たに発行される10万ウォン紙幣の肖像に取り上げられることが決まった金九を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)
これは、2001年に韓国で発行された“ミレニアム”の記念切手のうち、金九を取り上げた1枚です。 金九の生涯や雑誌で使った切手に関しては、このブログの以前の記事でもご紹介しましたので、今日は、別バージョンの切手で、少し違った角度から彼のことを取り上げてみましょう。安重根や李奉昌、尹奉吉などの“抗日の義士”が切手に登場することは韓国では珍しくありませんが、金九のように、切手に2回登場する例はめったにないのですから…。 韓国では比較的親日派といわれていた金大中政権下の2001年に、金九の切手が発行されたのは、解放後、彼が南北の統一を強く主張した人物、換言するなら、南北の対話を主張した人物という面が強調された結果ではないかと思われます。 すなわち、解放後のアメリカ軍政下で、金九は米ソによって分割占領された朝鮮の統一独立を主張して政治活動を展開。南北分断が既成事実化していく中で、国連決議に基づく南朝鮮での単独選挙を主張する李承晩と激しく対立しました。実際、彼は単独選挙が行われる直前の1948年4月、“全朝鮮の代表者による会議”として北朝鮮側が呼びかけた全朝鮮政党・社会団体代表者連席会議(連席会議)にも参加したほか、単独選挙への参加をボイコットし、ついには、李承晩の放った刺客に殺されています。 結局、連席会議はなんら具体的な成果をもたらすことはなく、4月30日に発表された共同声明は、外国軍隊の即時・同時撤退、全朝鮮政治会議の召集による臨時政府の樹立、南北統一の総選挙の実施と憲法の制定、南朝鮮単独選挙の正統性の否定等、当時のソ連の主張を追認するだけのものでしかありませんでした。実際、北朝鮮側は、連席会議での共同声明に基づいて単独選挙の無効を宣言し、最高人民会議代議員選挙を行って、朝鮮民主主義人民共和国を樹立させるというプロセスを踏んでいますので、金九らの行動は、結果的に、南北分断は李承晩らに責任があるとする北朝鮮側の主張(事実としては、北朝鮮側が1946年2月に北朝鮮臨時人民委員会を樹立し、南北分断の第一歩を踏み出したのですが…)にお墨付きを与えるものとなってしまっています。 まぁ、北朝鮮に巨額の“お土産”を渡すだけに終わった南北頂上会談を推進してきた金大中政権としては、同じく北に“してやられた”先達の金九に対する愛着もひとしお、といったことだったのかもしれませんが…。 さて、2006年11月8日号の吉田松陰から始まった僕の連載、「世界の『英雄/テロリスト』裏表切手大図鑑」も、今回で無事最終回を迎えることになりました。今までご愛読良いただきました方々には、この場を借りて、改めてお礼申し上げます。 なお、24回の連載では取り上げ切れなかった“英雄/テロリスト”の切手というのは、まだまだ沢山あります。今後も機会を見つけて、そうした人物とその切手をご紹介していくつもりですので、よろしくお付き合い下さいませ。 |
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