2007-12-01 Sat 01:53
本日(12月1日)、東京大学駒場キャンパス・16号館119教室で開催のシンポジウム「戦争とメディア、そして生活」の13:20スタートのセッション「収集されるメディア―絵はがき、切手、ポスター」にて、日本占領時代の香港のことを中心に「切手というメディアが含蓄するもの」と題してお話しします。 そこで、その予告を兼ねて、同じセッションの絵葉書の話とも関連するネタとして、こんなものをご紹介しましょう。(画像はクリックで拡大されます)
これは、1942年12月8日の開戦1周年に際して香港占領地総督部が発行した記念絵葉書の1枚で、ハッピー・バレーの競馬場が描かれています。同時に発行されたもう一枚の絵葉書には、香港のイギリス海軍の司令部として用いられていたテーマー号(添馬艦)が自沈する場面が取り上げられており、開戦1周年として非常にわかりやすい内容なのですが、今回ご紹介の競馬場が同時に発行された絵葉書に取り上げられた背景については、いささか説明が必要でしょう。 香港を占領した日本軍は、“東洋精神”を強調して住民に窮屈な生活を強いたわけですが、どれほど崇高な理念を振りかざそうとも、人間はそうそう禁欲的に生きられるものではありません。そこで、占領当局は、収益も考慮した結果、娯楽としての競馬を重要視します。 香港では、はやくも1845年に沼地を埋め立ててハッピーバレーの競馬場が作られ、翌1846年からレースが行われていました。ただし、第二次大戦以前の競馬は、支配者であるイギリス人の贅沢な遊びであって、一般の華人の娯楽という雰囲気ではありませんでした。日本の占領当局は、それを一挙に、一般市民の娯楽として大衆化することで、それまで香港在住のイギリス人が占めていた優越的な地位を目に見えるかたちで否定しようとしたわけです。 こうした政策的な意図もあって、1941年12月の日英開戦とともに中断されていた香港の競馬は、早くも翌1942年4月25日には再開されました。開催スケジュールは毎週土曜日ないしは日曜日で午後から11レース前後が行われています。占領以前は、高温多湿の香港の気候を考慮して、夏季のレースはありませんでしたが、占領下では通年開催となっています。また、入場券・馬券ともに占領以前に比べて大幅に値下げされたため、競馬は庶民の娯楽として完全に定着・普及。1942年秋の大レースでは馬券の売上げは12万枚にも達したといわれています。 今回ご紹介の葉書には「百萬市民の健全娯樂場として朗色觀覧席に滿つ」との解説文が付けられていますが、制作時期などを考えると、上述の秋季大レースの際の情景を取り上げたものなのかもしれません。いずれにせよ、絵葉書を発行した総督部としては、占領行政が順調に行われ、市民生活が安定を取り戻していることの象徴として、ハッピーバレーの競馬場を絵葉書に取り上げたと考えるのが妥当でしょう。 なお、ハッピーバレーそのものに関しては、拙著『香港歴史漫郵記』でも、それなりのページを割いてご紹介していますので、こちらもあわせてご覧いただけると幸いです。 |
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