バンコクの名所のひとつ、ジャイアント・スウィングことサオ・チン・チャーが建て直され、一昨日(12日)夕方、国王もご臨席の下、祝賀式典が行われたというニュースを新聞で読みました。というわけで、そのサオ・チン・チャーの切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)
これは、1974年の“国連の日”に発行された切手で、サオ・チン・チャーと、背後には隣接する名刹、ワット・スタットが取り上げられています。
サオ・チン・チャーは、王宮から東に向かって走るバムルンムアン通の最大のランドマークで、高さ21メートルの2本の柱の先端を横木で結んだ総チーク材の巨大建造物で、ちょうど大鳥居のような形をしています。現在のラタナコーシン王朝を開いたラーマ1世時代の1784年、王都バンコクの建設にあたって、インドラ神の降臨を仰ぎ、その年の豊作を祈念するための宗教儀礼を行う施設として建設されました。
木製の柱は、1920年にチーク材の伐採権を与えられていたイギリス人(皇太子時代のラーマ五世の英語の家庭教師だったアンナ・レオのウェルズの息子)がバンコク市に寄付した2代目のものに交換されており、先ごろ取り替えられた柱は3代目のものということになります。
サオ・チン・チャーでの儀式は、毎年旧暦の2月、横木に4人乗りのブランコを吊るし、傍らに設けた竹ざおの先に金の入った袋を置いて、ブランコを思い切り揺らして、それを口にくわえて取るというもの。儀式の日には多くの観衆が周辺に集まって、喝采を送るのが高齢の景色でした。サオ・チン・チャーが英語で“ジャイアント・スウィング”と紹介されることも多いのはこのためです。
サーカスの空中ブランコまがいの儀式を行うのは、はじめのうちは僧侶でしたが、彼らがそのための特殊な訓練を積んでいるはずもなく、6-7階建のビルに相当する高さから地面にたたきつけられて死傷するものが続出。後には罪人がブランコに乗せられたそうです。このため、あまりにも危険が大きすぎるということで、ラーマ七世の時代に儀式は中止されてしまいますが、サオ・チン・チャーじたいは撤去されずに現在でもバムルンムアン通の中央に残されているというわけです。
さて、自民党次期総裁の有力候補の一人、福田元官房長官に関して、中国側が『新京報』紙上で、「アジア外交を重視し、首相の靖国神社参拝に賛成していない」と期待感を表明しているそうです。まぁ、彼らには彼らのロジックがあるので放っておけばいいのですが、こういうコメントが出ると、毎度のことながら、その尻馬に乗って「だから福田が良い」などと騒ぎ出す輩が出てくるんでしょうねぇ。他国の支持を背景に一国の総理になるなんて、それこそ、売国奴といわれかねないことですから、中国側のコメントが出ることじたい、当の福田氏にとっては(まともな人間なら)迷惑千万だと思うのですが…。
いっそ、そういう“親中派”の連中は、靖国神社の大鳥居をサオチンチャーに見立てて、空中ブランコに乗せ、竹ざおの先“日中友好”と書いたお金入りの袋を吊るして、それを口にくわえて取らせてみたらどうか、とついつい罰当たりなことを考えたくなります。