軍政から民政に移行するための新憲法制定を審議してきたビルマ(ミャンマー)の国民会議は、昨日(3日)、新憲法の基本原則を採択し、1993年の開会から14年半を経てようやく閉会しました。というわけで、ビルマと“軍政”ということに絡めてこんなモノを持ってきてみました。(画像はクリックで拡大されます)
これは、第二次大戦末期の1945年7月、イギリス軍政下のラングーン(ヤンゴン)からインド宛に差し出された切手つき封筒で、左上に“イギリス軍政”を意味する“BRITISH MILY ADMN”の文字と新額面2アンナの表示が入った印が押されています。なお、ここでいう“軍政”は、現在のような“軍事政権”ということではなくて、“軍隊による占領行政”という意味です。念のため。
第二次大戦中、日本軍の占領下にあったビルマでは、1943年8月に親日派のバーモ(バモオ)政権が独立を宣言しました。しかし、インパール作戦で失敗を繰り返すなど日本の敗色濃厚とみるや、アウンサン将軍(スーチーさんのお父上ですな)が指揮するビルマ国民軍は、1945年3月、日本及びその指導下にあるビルマ国政府に対してクーデターを起こしイギリス側に寝返り、5月1日にはラングーンに入場します。
イギリスは再占領した地域で軍政を施行。郵便に関しては、戦前の切手などに“イギリス軍政”を示す“BRITISH MILY ADMN”の文字を加刷したものを発行・使用しました。こうした加刷切手は、日本軍が降伏した1945年9月以降はビルマ全土で使われることになりますが、今回のカバーは、日本降伏以前の1945年7月、まだ一部に日本の占領地が残っていた時期の使用例というのがミソです。
当然のことながら、日本の占領下で(形式的にせよ)“独立”を得ていたビルマの人々は、戦後、イギリス支配が復活したことに反発。イギリスは1946年には民政移管も行いましたが、独立運動はおさまらず、最終的に、過渡期の独立準備政府を経て、1948年1月、ビルマは正式に独立しました。したがって、イギリス軍政の時期は実質的に半年間しかなかったのですが、その割には、軍政加刷のカバーはそこそこ見かけます。
さて、昨日採択された基本原則では、①国家運営における軍の主導的役割を保証する、②地域代表院と民族代表院の議席の各25%を軍が任命する、③正副大統領3人のうち1人は軍が選出する、など、軍の権力を確保する条項が盛り込まれています。また、“外国人の影響下にある者”は正副大統領にはなれず、イギリス人の夫(すでに亡くなっています)と結婚していたスーチーさんが正副大統領になる途は事実上閉ざされています。さらに、今回の基本原則に基づいた憲法起草作業の開始時期や草案策定のめども示されていません。
この分だと、現在のビルマの軍政(軍事政権)が純然たる民政(文民政権)に移行するには、まだ当分時間がかかるでしょうね。それにしても、現在のビルマの軍政はかなり長期に及んでいますが、そのわりには、気の利いたカバーはなかなか入手が困難です。短期間に終わったイギリス軍政下のカバーのほうがずっと入手しやすいというのも、なんだか変な話ですね。