今日は、なんといっても戦後60年の終戦記念日ですから、それにちなんで、“終戦の日”当日に差し出された1枚の葉書をご紹介しましょう。


葉書は、当時、日本の植民地であった朝鮮の木浦から同じく朝鮮半島内の槐山宛に差し出されたものです。日本統治下の朝鮮では、日本本土と全く同じ切手・葉書が使われており、料金体系も同じです。したがって、この葉書も、当時、日本国内で使われていたものと基本的には同じものです。なお、画像では見にくいのですが、当時の葉書料金は5銭だったので、葉書の額面との差額分の2銭の料金を収納したことを示す赤い印が薄く押されています。
差出人の姓は日本風に“山木”となっていますが、名宛人は差出人の父親であることが裏側の文面からも分かりますから、もともとは“朴”だったことは間違いありません。文面は日本語で書かれており、「御陰様にて毎日の軍務に精勵なる故御放念下さいませ」との記述も見られます。おそらく、この差出人は、葉書を書いた時点では、戦争はしばらく続くものと考えていたのでしょう。
その後、朝鮮半島は米ソによって分割占領されますが、米軍占領下の南朝鮮(1948年の大韓民国成立以前は、この呼び名が正式名称です)では、しばらくの間、日本時代の切手がそのまま使われています。
現在の我々の感覚では、どうしても8月15日=終戦の日というイメージが強くて、8月14日と8月16日とではまったく別の世界になったような錯覚を持ってしまいがちですが、実際の人々の生活というものは、そうそうデジタルに割り切って変化するものではありません。終戦後も朝鮮半島で使われていた日本時代の切手や葉書を目にすると、そうした当たり前の現実を再認識させられます。
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