2007-06-07 Thu 01:25
太平洋戦争のターニング・ポイントとなった1942年6月5~7日(アメリカ標準時では4~7日)のミッドウェイ海戦から、ちょうど65年になります。というわけで、今日はこんな1枚を持ってきてみました。(画像はクリックで拡大されます)
![]() これは、太平洋戦争勃発後の1942年3月23日(ミッドウェイの海戦の2ヶ月半前ですな)、ミッドウェイのアメリカ海軍基地から差し出された郵便物です。消印には“U.S. NAVY”だけで地名は入っていませんが、カバー左上には差出人がしっかりとMidway Islandsと差出地名を書き込んでいます。 ミッドウェイ島は、その名の通り、ハワイ諸島の北西、太平洋のほぼ真中にある島で、1859年7月、探検家のキャプテン・ブルックスによって発見されました。その後、1867年にアメリカが領有を宣言し、その際にミッドウェー島と命名されています。 ハワイを併合する以前、アメリカはそれまで無人島だったミッドウェイ島に人間を住まわせ、太平洋の補給基地を作ろうとしましたが、結果的に失敗。1903年に太平洋横断ケーブル敷設工事のため、関係者が上陸したものの、その後も、アメリカ海軍の下、わずかな海兵隊員が駐留するだけに留まっていました。 しかし、1935年にパンナムの飛行艇によるアメリカ=中国航路が開設されると、ミッドウェイ島は太平洋を横断する航空機の中継地として注目されるようになり、ハワイ防衛の拠点として軍事基地化が進められています。太平洋戦争中のミッドウェイ海戦も、そうしたアメリカの軍事的要衝を攻撃・占領することで、アメリカ海軍をおびき出して打撃を与えようとして、日本側が企画したものでした。 第2次大戦後も、ミッドウェイ島にはアメリカ海軍の基地が置かれていましたが、冷戦終結後、島は自然保護区に指定され、1996年に基地は閉鎖されました。その後、一時は観光客も受け入れられていたのですが、現在ではそれも中止されています。 さて、ミッドウェイ海戦は太平洋戦争の歴史を語る上で欠かせない出来事ですが、戦闘そのものはわずか3日間しか行われていませんから、それを切手や郵便物で表現しようとするのはかなり困難です。歴史的な重要性にもかかわらず、ブツがないという点では、5・15事件と並んで、昭和史のテーマティク・コレクションにとっての最大の泣き所の一つといえそうです。 結局、僕自身も、昨年ワシントンの国際展に出品した作品では、ミッドウェイ海戦のリーフは、今回ご紹介のカバーを持ってきてなんとか誤魔化したというのが正直なところです。ただ、以前の拙著『切手と戦争』では、スペースの都合でこのカバーは図版として使えず、アメリカの第2次大戦シリーズの切手のみの掲載だったので、それよりは大分ましですが…。 この辺りのマテリアルについては、友人の磯風さんがやっておられるブログ軍事郵便保存会・関西事務局員の日記に何か面白いモノが出てないかと思ってみてみたのですが、なんと、磯風さんのブログでは、今月下旬の拙著『香港歴史漫郵記』の刊行にあわせて早くも“香港祭り”をやってくださっていることが判明。今の時期に香港ネタを盛り上げてくださっている友情には感謝・感激なのですが、その一方で、磯風さんのブログにすごいものがズラズラっと並んでしまうと、僕の本は見劣りしてしまうなぁ、と少し心配になっている内藤でした。 |
確かに、テーマチックをやる上では厳しいですね。特に歴史的重要事件でありながら、マテリアルが図案面でも少なそうな5・15事件なぞは、自分であればどう表現すれば良いんだろうと考え込んでしまいました。
#713 コメントありがとうございます
muraki様
>> 5・15事件なぞは、自分であればどう表現すれば良いんだろうと考え込んでしまいました。 何かいい知恵が浮かんだら教えてくださいね。 |
|
||
管理者だけに閲覧 | ||
|
| 郵便学者・内藤陽介のブログ |
|