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内藤陽介 Yosuke NAITO
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 沖縄への経済効果
2007-03-11 Sun 01:08
 数日前の報道によると、沖縄県が米軍や那覇防衛施設局から入手した契約資料などに基づいて厳密に計算したところ、同県には米軍基地の約75%が集中しているにもかかわらず、在日米軍全体の発注の約8割を本土の業者が受注しており、“経済効果”の多くは本土に移っている実態が明らかになったのだそうです。

 このニュースを聞いて、こんな1枚を思い出しました。(画像はクリックで拡大されます)

海洋博募金

 これは、1974年3月2日に発行された、沖縄海洋博のための寄附金つき切手です。

 沖縄の復帰記念事業ならびに地域振興策の一環として国際海洋博覧会(海洋博)を沖縄で開催すべきというプランは、1969年の日米共同声明により1972年の沖縄返還が確定した頃からすでに浮上していましたが、沖縄での公式の誘致運動がスタートするのは、1970年に海洋博沖縄開催推進協議会が発足してからのことでした。

 海洋博沖縄開催推進協議会の誘致活動を受けて、1970年8月15日、琉球政府は沖縄で海洋博を開催したい旨、日本政府に対して正式に要請。これを受けて日本政府は1971年6月、通産省に沖縄海洋博覧会調査室を設け、10月22日には海洋博実現のための国際手続きを進めることで閣議了承を行います。日本政府による海洋博開催の申請は、同年11月24日の国際博覧会事務局の理事会で承認され、1972年3月24日、「昭和50年に沖縄で海洋博覧会を開催すること」が決定されました。

 この間、1972年2月1日には財団法人・沖縄国際海洋博覧会協会(海洋博協会)が海洋博の推進母体として設立されるとともに、2月29日には、沖縄本島の本部(もとぶ)半島先端の桃原とその対岸の一帯百ヘクタールを会場とすることが決定されます。

 会場となった桃原は那覇から80キロメートル離れた地点にあります。こうした土地があえて会場に選ばれたのは、海洋博の開催を機に、沖縄県内の道路をはじめとするインフラ整備を一挙に進めようという目論見があったためです。

 また、1972年2月に開催された第68回国会では、海洋博協会に対して、政府並びに関係機関が資金の調達や人材の確保で支援を行えるようにするため、「沖縄国際海洋博覧会の準備及び運営のために必要な特別措置に関する法律」(海洋博特措法)が成立しています。

 1972年5月の復帰後は、同年年6月の沖縄国際海洋博覧会関係閣僚協議会の設立を経て、1973年1月30日、通産大臣を本部長とする沖縄国際海洋博覧会推進対策本部が設置され、本格的な準備が進められることになりました。

 さて、海洋博特措法の第3条には、寄付金つき切手の発行に関して次のような規定がありました。

 お年玉郵便葉書及び寄附金つき郵便葉書等の処理に関する法律(昭和24年法律第224号)第5条第1項に規定する寄附金つき郵便葉書等は、同条第二項に規定するもののほか、博覧会協会が調達する博覧会の準備及び運営に必要な資金(以下「博覧会準備等資金」という。)にあてることを寄附目的として発行することができる。この場合においては、博覧会協会を同項の団体とみなして同法の規定を適用する。

 この規定に基づき、郵政省は1974年3月2日に寄付金つき切手を発行しました。切手は、額面20円に対して5円の寄付金をつけたもので、発行枚数は5000万枚。総額2億5000万円の寄付金を集めることが目標とされています。

 切手には、日本画家・平福百穂の作品「荒磯」が取り上げられました。切手に取り上げられた「荒磯」は1926年の屏風絵で百穂の代表作の一つですが、画題と沖縄とは直接の関係はありません。おそらく、海洋博のテーマである“海”にちなんだものとして今回の切手に取り上げられたものと考えるのが妥当でしょう。

 なお、切手によって集められた寄付金のうち、必要経費を差し引いた2億2795万7726円は沖縄海洋博覧会協会に配分され、海洋博会場北ゲートターミナル管理サービス施設の建設資金に充てられました。

 海洋博の場合、インフラ整備が急速に進んだという意味で沖縄県にもかなりの経済効果があったわけですが、冒頭でご紹介したようなニュースを聞くと、このときの約2億2800万円というお金も、結局は本土の業者がほとんどもって行ってしまったんだろうなぁ、とちょっぴり複雑な気分になります。

 なお、この切手を含めて、沖縄海洋博に関する記念切手については、今月25日刊行の<解説・戦後記念切手>シリーズの第5巻『沖縄・高松塚の時代』で詳しくまとめています。刊行の暁には、是非、お手にとってご覧いただけると幸いです。
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