2007-02-13 Tue 00:34
アメリカの音楽界最高の栄誉とされる第49回グラミー賞の授賞式が11日午後(日本時間12日午前)、ロサンゼルス市内で行われ、テキサス州出身の女性3人組カントリーバンド、ディクシー・チックスが最優秀レコード賞・最優秀楽曲賞・最優秀アルバム賞と、主要3部門を制覇したのだそうです。というわけで、今日はこんなモノを持ってきてみました。(画像はクリックで拡大されます)
これは、2003年3月19日に始まったイラク戦争にさきだち、アフガニスタン作戦(Operation Enduring Freedom)の野戦郵便局から差し出された軍事郵便のカバーで、余白にはこれから始まる“イラク征伐”を示唆するかのようにイラク地図が描かれています。開戦直前の高揚した雰囲気が伝わってきます。 イラク戦争については、開戦以前から、アメリカ国内でも批判的な声が少なくありませんでした。今回、グラミー賞を受賞したディクシー・チックスのリード・ボーカル、ナタリー・メインズもイラク戦争には批判的で、開戦直前の2003年3月10日、ロンドンでのコンサートで「みんなは知っていると思うけど、私たちはテキサスから大統領がでたことを恥ずかしく思うわ。」と発言してブッシュJr大統領を批判し、物議を醸しています。 この発言が、3月12日(今日のカバーの消印の翌日ですな)にアメリカ国内でも報じられると、メインズに対しては、①外国でアメリカの最高指導者を批判すべきではない、②戦争かどうかの瀬戸際にアメリカ軍の最高指揮官を批判すべきではない、③ビジネスとしての利益を考えれば政治な立場を表明すべきでない、との批判が浴びせられました。まぁ、今回ご紹介しているカバーに見られるような“我々の軍隊をサポートしよう”というスローガンを奉じている人たちからすれば、メインズはとんでもない非国民ということになるのでしょう。 批判に対してメインズは、性急な開戦には反対との立場は撤回しなかったものの、「アメリカ国民であり続けるために、私はブッシュ大統領を尊敬していないと述べたことを謝るわ。私は誰もが最大の信頼を大統領の職務に抱くべきだと感じています」と弁解しましたが、世論の批判は収まらず、彼女たちの身の安全を守るために24時間の警護がつき(メンバーの一人は自宅のドアを壊されたそうです)、コンサートのスポンサーであったリプトンに対しては大規模な不買運動も展開されました。ちなみに、マドンナはメインズを擁護して「ミュージシャンにも自由な意見を表現する権利がある」と主張したものの、彼女が4月1日にリリースする予定だったブッシュのように見える人に向けて手榴弾を投げつける“American Life”のビデオに関しては、世論を考慮して、発売の延期と手直しを余儀なくさせられたほどです。 その後、この問題については、大統領が自ら「ディクシー・チックスには話したいことを言うことが権利がある… 発言によってレコードを買いたくないと思う人たちのために損害を与えられるべきではない…。思ったことをすることはアメリカ国民のための権利であると思う。ある音楽家やハリウッドのスターが発言したいと感じたなら、それは素晴らしいことだ。それこそがアメリカ人の偉大なことだ。それは荒涼としたイラクの地にも表現される」と発言して事態の鎮静化を図ろうとしましたが、その後も、彼女たちをめぐる論争はしばらく続きました。 まぁ、グラミー賞そのものは(少なくとも建前としては)純粋に音楽的に優れたミュージシャンや楽曲、アルバムなどに与えられるわけですが、こうした“事件”の記憶がまだ生々しいだけに、イラク戦争の継続に対するアメリカ国民の批判が高まっている中で、今回のディクシー・チックスがグラミー賞の主要3部門を受賞したということには、なんとなく、時代の流れを感じずにはいられません。 なお、湾岸戦争からイラク戦争にいたるアメリカとイラクの関係については、拙著『反米の世界史』でもまとめてみましたので、ご興味をお持ちの方は、是非、ご覧いただけると幸いです。 *本日19:30から、東京・新宿のロフトプラスワンでのトークライブ“北鮮祭”に藤本健二さんや宮塚利雄先生とともに出演します。よろしかったら、遊びに来てください。 |
#510 自由の意味?
いつもながらの明快な切り口、楽しく拝読させていただきました。
私たちは、生まれて此の方民主主義の中で自由を謳歌し、言いたいことも言えるといった環境で育ってきていますが、「自由の意味」をはきちがえてしまうと時として「無責任」な言動をも自由ということで心にもない「ごめんなさい」をすれば許されるだろうと思う輩に支配されているのは昨今の日本のお偉方を見ても周知の通りですね。沖縄八重山に「デンサー節」という教訓歌があります。「一度口に出したら元には戻らんさぁ~」という意味の唄なのですが、どの国でもいつの時代でも同じだと思うんですがねぇ。自由の中の責任不在、情報の操作とかく乱のなかでどう生きて行くのかが今後の我々の課題なのでしょうか?長くなり失礼しました。 #518 コメントありがとうございます
GON様
コメントありがとうございます。ディクシー・チックスの場合は、明らかにリスクを背負って自分の意見を主張し、結果として、それが多くの人に認められるようになったということで(彼女たちの主張に対する賛否は別にして)エライなぁと思います。特に、大統領に対する非礼とイラク戦争に対する賛否を分けて、謝罪すべきところは謝罪し、通すべきところは通すという姿勢は、何かと言えばすぐに“お詫び”をすれば許してもらえる/許してしまう、と考えがちな我々も、見習わなくては、と強く感じました。 今後とも、よろしくお付き合いください。 |
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