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内藤陽介 Yosuke NAITO
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 昭和22年2月1日
2007-02-01 Thu 00:48
 まずは、理屈は抜きにしてこの画像を見ていただきましょう。今からちょうど60年前、1947年2月1日に和歌山県の御坊からアメリカ宛に差し出されたカバー(封筒)です。(画像はクリックで拡大されます)

1947年2月1日のカバー

 昨年の2月1日の記事でも書いたのですが、終戦直後のハイパーインフレと労働運動の高揚の中で、労働側は1947年2月1日を期してゼネストに突入することを計画していました。しかし、ゼネスト予定の前日の1月31日、マッカーサーはゼネスト禁止命令を発令し、ゼネスト計画は失敗に終わりました。

 ところで、ゼネストが中止されたということは、理論上、1947年2月1日も郵便業務は通常通り行われており、この日の消印の押された郵便物もそれなりに存在するはずです。念のため、1947年のカレンダーも調べてみたのですが、2月1日は土曜日です。少なくとも午前中は郵便局の窓口もやっていたでしょうし、集配に関しては休んでいないはずです。

 ところが、実際には、ゼネスト予定日だった1947年(または昭和22年)2月1日の消印が押された郵便物というのは、いままでの経験からすると、非常に少ないような印象を受けます。

 “2・1ゼネスト”を切手や郵便物で表現しようとするなら、ゼネスト予告の付箋とあわせて、その日に郵便が平常どおり行われていたことを示すマテリアルを並べると説得力が増すわけで、1947年2月1日の消印が押されたカバーや葉書を相当探しました。

 さて、今回のカバーは、いまは亡き田辺猛さんの手元にたまたまあるのを見つけて、譲っていただいたものですが、そこから僕のところへ嫁入りするまでには、結構、時間がかかりました。

 実は、このカバーには、1946年8月1日に発行された北斎の富士を描く1円切手が1枚だけ貼られています。終戦とともに取り扱いが停止された外国宛の書状を民間人が差し出せるようになったのは1947年1月10日のことでした。このときの基本料金は1円でしたが、同年4月1日には料金は4円に値上げされてしまいますので、1円切手の単貼外信カバーは3ヶ月弱しか存在しないことになります。

 というわけで、北斎の1円切手の単貼外信カバーはなかなか人気があって、田辺さんも愛蔵しておられたのですが、事情を説明して譲ってくれないかとお願いしたところ、「自分のコレクションに穴が開くのはイヤだから、これに代わる1円の単貼カバーを持ってきたら交換してあげるよ」とのお返事をいただきました。

 そのとき、僕は「なんだ、それなら簡単なことだ」と気楽に考えていたのですが、これがなかなかの曲者。実際、北斎1円の外信カバーを何通か手に入れて田辺さんのところへ持っていったのですが、なかなか気に入っていただけるモノがありません。こちらとしても、他に2月1日の消印が押されたカバーが見つからない以上、どうしてもこのカバーを手に入れたかったので、ある時期、オークションで北斎1円のカバーが出るたびに、かなりの確率で買いまくっていました。

 結局、10何通目かに、1947年1月中に差し出された中南米宛のカバーをお持ちしたところで、ようやく田辺さんのOKが出て交換に応じていただき、トレードが成立しました。結果的に、随分と高くついてしまったものです。

 その後、手元にあった北斎1円の外信カバーは、この一通を残して全部手放してしまいましたが、田辺さんのところに嫁入りしたあの一通はいまどうなっているんでしょう。なんだか、この記事を書きながら、すこしだけ、遠くに嫁いだ娘のことを思い出す父親になったような心境になりました。
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