2007-01-04 Thu 00:41
三が日も終わって、いよいよ2007年も始動というわけですが、正月休みの間の最大の出来事といえば、なんといっても、年末の30日にイラク元大統領のサダム・フセインが処刑されたことでしょう。というわけで、まずはこんな切手を持ってきてみました。(画像はクリックで拡大されます)
これは、2002年4月のエルサレムの日にイラクで発行された切手の1枚です。 絞首台でのフセインの最期の言葉は「神は偉大なり。イラクは勝利するだろう。パレスチナはアラブのものだ」というものだったそうですが、「神は偉大なり」というフレーズの入ったイラク国旗の側でエルサレムの“岩のドーム”を背景に銃を掲げるフセインの姿を取り上げた今回の切手は、まさに、そうした彼の最期の言葉の内容を凝縮したようなデザインといって良いように思われます。 冷静にフセインの生涯をたどってみると、湾岸戦争以前の彼は、イスラム革命に対する防波堤という役回りでイランに対する侵略戦争を発動したばかりか、国内でもいわゆるイスラム原理主義者たちに対して容赦なく弾圧を加えてきた人物です。また、アラブ民族主義政党であるバアス党の指導者としても、かならずしも、パレスチナ問題に熱心に取り組んできたわけでもありません。 しかし、湾岸危機から湾岸戦争へのプロセスの中で、国際的に孤立したフセイン政権は、アラブ世界ないしはイスラム世界の世論を味方につけるため、パレスチナ問題とクウェート問題は同時に解決すべきだとか、イスラム世界を代表して不義不正なるアメリカと戦うといったプロパガンダを展開するようになります。 これは、客観的に見れば、フセインが苦し紛れに持ち出した方便に過ぎないともいえるのですが、そうした主張が、イスラエルの国連決議違反(国連決議を無視して1967年の第3次中東戦争での占領地の一部にイスラエルが居座り続けていることなど)に対しては寛容であるにもかかわらず、イラクに対しては厳しい措置を取ったアメリカと国際社会のダブルスタンダードに対して、強い反感と不信感を抱いているアラブ世界ないしはイスラム世界の人たちに対して、説得力あるものとして受け止められていたことも事実です。 今回のフセインの処刑は、多くのイスラム教徒にとっては、寛容の精神を示す犠牲祭の期間中に行われたということもあって、処刑を断行したイラク政府と、その後ろ盾になっている(と少なくともイスラム世界では理解されている)アメリカに対する反感と嫌悪感を増幅させる結果になってしまったことは否定できないでしょう。少なくとも、今回の一件で、フセインが“殉教者”に祭り上げられてしまう可能性はきわめて高いといえます。そして、こうした殉教者としてのフセインのイメージは、生前の彼が繰り返してきた、犠牲を顧みず理不尽なアメリカと戦う英雄というイメージの、いわば完成形ともいっても良いかもしれません。 なお、生前のフセインが、切手という国家のメディアを使ってどのような自己演出を行おうとしていたかという点については、2005年に刊行の拙著『反米の世界史』でも(簡単にではありますが)触れていますので、機会があれば、是非、ご一読いただけると幸いです。 |
#467 トラックバック
「マハティール博士のサダム処刑に対する見解」新聞記事の翻訳を投稿したので、トラックバックさせて頂きました。
#475 ありがとうございます
暇人ひー様
コメント&トラックバックありがとうございます。(亀レスになってすみません) 僕はアメリカの中東政策を決して支持はしませんが、だからといって、安易に中東・イスラムが善でアメリカは悪と決め付ける日本の一部評論家たちの論調にも違和感を感じざるを得ません。どちらも、思考停止という点では大差ないと思っているからです。 今回の記事は、そういう意味で、バランスを取ろうと思って書いたものでしたが、果たして、上手く書けたかどうか自身はありません。それだけに、過分なお褒めの言葉をいただき、ちょっと恐縮です。 これからも、よろしくお付き合いください。 |
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1月1日(月)にマハティール博士が声明書を発表し、サダム・フセインの死刑執行に対する見解を披露しました。以下は1月2日(火)のStar新聞に載った記事の翻訳です。原文は をクリック。マハティール博士「サダ …
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