2021-03-28 Sun 03:13
2月1日に軍事クーデターが発生したミャンマーで、きのう(27日)の“国軍の日”にあわせて、各地でクーデターに抗議するデモが相次ぎ、この記事を書いている時点で、治安部隊の発砲などで114人の死亡が報告される惨事となりました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)
これは、1995年にミャンマーで発行された”国軍の日”の記念切手で、当時の首都、ラングーン(現ヤンゴン)市内の風景と国軍の徽章が描かれています。 1941年12月8日、日本が英国に宣戦を布告すると、同16日、ビルマ独立を目指すアウンサンと同志たちは日本軍の南機関の支援を得て、バンコクにビルマ独立義勇軍を創設。日本軍と共に英国と戦い、1942年3月にラングーンを陥落させ、7月にはビルマから英国勢力を駆逐することに成功しました。これに伴い、ビルマ独立義勇軍はビルマ防衛軍に改組され、バー・モウを中央行政府長官とする日本軍政時代がスタートします。さらに、1943年8月1日、バー・モウを首相とするビルマ国が誕生するとアウンサンは国防相となり、ビルマ防衛軍はビルマ国民軍に改組されました。 しかし、アウンサンは次第に、日本の強い影響下に置かれていたビルマ国の独立国としての地位に疑問を持つようになり、さらに、インパール作戦の失敗などで日本の敗色が濃厚と判断したことから、日本からの離反を決意。1944年8月1日、独立1周年の演説でビルマの“独立”はまやかしだと発言した後、8月後半にはビルマ共産党、人民革命党と提携して“反ファシスト組織”を結成します。 1945年3月、北部でビルマ国軍の一部が日本軍に対し決起すると、アウンサンは、反乱軍に対抗するためとの名目でビルマ国民軍をラングーンに集め、同27日、日本軍に対する戦闘を開始しました。これが、現在のミャンマーの“国軍の日”の由来で、今回ご紹介の切手は、その50周年を記念して発行されたものです。 ちなみに、アウンサンらの蜂起を受けて、“反ファシスト組織”に属する他の勢力も各地で一斉に蜂起。連合国とも呼応した抗日運動が開始され、5月にはラングーンを制圧。6月15日には対日勝利が宣言され、第二次大戦後の独立につながっていくことになります。 さて、昨日の“国軍の日”にあわせて、首都ネピドー郊外では中露印などの代表を招いての記念式典が開かれ、国軍の軍事パレードも行われました。クーデターを主導したミン・アウン・フライン総司令官は、アウンサンスーチー率いるNLDが与党として圧勝した昨年11月の総選挙では不正があり、国軍が全権を掌握するしかなかったと述べ、クーデター後、各地で起きている抗議デモを「不適切な暴力行為」と呼び、徹底排除する姿勢を鮮明にする一方、“自由で公正な総選挙”を実施し、権限を引き渡す方針を改めて表明しました。 一方、抗議デモは、最大都市ヤンゴンや第2の都市マンダレーなどをミャンマー各地で行われ、北西部のサガイン地域では10万人超がデモに参加したと報告されています。デモ隊の一部は、国軍を“テロリスト”として非難し、国軍への抵抗を(1945年の武装蜂起に重ね合わせて)“反ファシスト革命”と言い表す動きも広がりつつあるようです。なお、治安部隊の発砲などで、昨日のヤンゴンでは27人が死亡し、1歳の幼児がゴム弾で目を撃たれて負傷。また、“アメリカンセンター”の施設も銃撃されました。国軍の弾圧による死者は、26日の時点で累計328人に達していましたので、累計で400人を超えたことになります。 あらためて、これまでに亡くなられた方々の御冥福を心よりお祈りいたします。 ★ 文化放送「おはよう寺ちゃん」 出演します!★ 3月29日(月)05:00~ 文化放送の「おはよう寺ちゃん 活動中」に内藤がコメンテーターとして出演の予定です。今回から、番組は大幅にリニューアルされ、早朝5時から9時までの長時間放送となりますが、僕の出番は07:45からになります。皆様、よろしくお願いします。 ★★ 内藤陽介の最新刊 『世界はいつでも不安定』 ★★ 本体1400円+税 出版社からのコメント 教えて内藤先生。 地上波では絶対に伝えられない国際情勢の事実をユーモアを交えて解説! チャンネルくらら人気番組「内藤陽介の世界を読む」が完全書籍化! 版元特設サイトはこちら。また、ご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、本書の目次をご覧いただけるほか、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。 |
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