2021-01-17 Sun 01:18
ネパールの登山隊10人が、きのう(16日)、パキスタン北部にある世界第2位の高峰で、世界の8000メートル級全14座のうち、唯一冬季登頂が未達成だったK2(8611メートル)の冬季登頂に初めて成功しました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)
これは、2004年にパキスタンが発行した“K2初登頂50周年記念”の切手シートです。 パキスタン北部はカラコルム山脈・ヒマラヤ山脈・ヒンドゥークシュ山脈の3つの山脈が走る世界でも有数の山岳地帯となっていますが、このうち、カラコルム山脈の最高峰にしてパキスタン国内最高峰がK2です。 K2という名前は、英領インド帝国時代にインド測量局のトーマス・ジョージ・モントゴメリーが1856年からカラコルム山系の測量を始めた際に、標高が高い山々にカラコルムのKを取って、K1, K2, K3, K4, K5 の測量番号をつけたことに由来するものです。K2以外の山には、その後、新たな名前が付けられたり、現地名が採用されたりしましたが、K2は人里から遠く離れた奥地((最も近い村までは、直線距離で約80キロ)にあり、19世紀末まではほとんどその存在が知られていなかったこともあり、測量番号がそのまま名山名として残りました。 K2は、もともと奥地に位置していてアクセスが容易ではないうえ、気候条件が世界最高峰のエヴェレストよりも厳しく、急峻な山容による雪崩や滑落の危険性などから、世界で最も登山が難しい山として知られています。 このため、1892年、マーティン・コンウェイひきいる英国の探検隊が標高約4600メートルのコンコルディア(バルトロ氷河とゴドウィン・オースティン氷河の合流点)に到達。1902年にはオスカー・エッケンシュタイン隊が6525メートル地点まで、1909年にはイタリアのアブルッツィ隊が6250メートル付近まで到達したものの、登頂には成功しませんでした。 その後、1954年7月31日にイタリアのアルディト・デジオ隊がパキスタン側からアプローチし、隊員のリーノ・ラチェデッリとアキッレ・コンパニョーニの2人が世界で初めて登頂に成功しました。ついで、1977年8月8日には、日本山岳協会登山隊の第2次アタック隊員の重広恒夫、中村省爾、高塚武由が日本人として初めて、世界でも2回目の登頂に成功しています。 ちなみに、2018年末までにK2の登頂に成功したのは367人(全て夏季)で、生存率は77.1%。エヴェレストの登頂者は9171人で、生存率は96.8%ですから、K2登頂がいかに難しいか、よくわかります。 なお、K2は、中国の新疆ウイグル自治区(東トルキスタン)とパキスタンの国境に位置しており、周辺一帯はカシミール紛争の係争地として、インド側の認識では“カシミールのパキスタン占領地”とされています。こうした事情もあって、パキスタン政府は、この地域の領有権を主張する一環として、K2の切手をしばしば発行しています。 ★ 内藤陽介の最新刊 『日本人に忘れられたガダルカナル島の近現代史』 ★ 本体1600円+税 出版社からのコメント 【中国の札束攻勢にソロモン諸島は陥落寸前!】 日本軍の撤退後、悲劇の激戦地は いかなる歴史をたどり、 中国はどのように浸透していったのか 本書のご予約・ご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、本書の目次をご覧いただけるほか、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。 |
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