fc2ブログ
内藤陽介 Yosuke NAITO
http://yosukenaito.blog40.fc2.com/
World Wide Weblog
<!-【↓2カラムテーブルここから↓】-->
 泰国郵便学(65)
2020-12-27 Sun 03:33
 公益財団法人・日本タイ協会発行の『タイ国情報』第54巻第6号ができあがりました。というわけで、僕の連載「泰国郵便学」の中から、この1点をご紹介します。(画像はクリックで拡大されます)

      タイ・森林の日(1979)

 これは、1979年7月10日に発行された“植樹節20年”の記念切手で、山中の森林で植樹を行う男女が描かれています。この図案は、おそらく、1970年代のタイで行われた“林業村(森林村)”のイメージを表現したものと考えられます。

 タイの森林行政の基礎となっている森林法では、“森林”の定義を「いかなる私人の権利も存在しない土地」と定めているため、いわゆる森林のみならず、学校や公共機関の用地も、森林法上は“森林”に分類されます。一方、法律上の“農地”は、「土地法典上、何らかの権利がある土地」です。また、農村部で近代的な土地の権利関係が認定されるようになったのは、1954年以降、土地法典ならびに同施行法に基づき、土地占有報告が開始されてからのことでした。

 法律上の“森林”は、国家保全林法によって国家保全林とそれ以外に分類され、国家保全林は、厳格な保護の対象となる保護林(国立公園法で指定された国立公園や野生動物保護法で指定された野生動物保護区など)とそれ以外の保全林に分類されます。このうち、保全林には、自然林のほか、ユーカリやアカシアの造成地も含まれ、正規の許可を受ければ場資源の利用も認められています。

 ところで、1960年代以降、タイでは輸出用商品作物の栽培が急速に拡大し、農村では周辺の森林破壊を伴う農地の拡大が進みました。この結果、国家保全林の領域に不法に土地を占有して居住し、開墾・耕作を行う農民が増加。さらに、ヴェトナム戦争期にタイ共産党が“解放区”を設定した東北地方では、ゲリラ対策として森林が焼き払われたほか、米軍の拠点として大規模な道路建設が一挙に進んで交通アクセスが飛躍的に改善されたことから交通が容易になり、他の地域から土地を持たない農民が国家保全林に流入して森林が焼かれ、農地へ転用する事例や森林資源を勝手に流用する事例が後を絶ちませんでした。

 こうした事態は、タイの主要な輸出品である木材(その中心はチーク材)の生産に悪影響を与えることから、森林局はそうした国家保全林の“不法占拠”や不法利用の摘発に力を入れることになります。その一方で、 “軽微な違反(自宅修繕のために少量の木材を採取するなど)”については現場の担当者の裁量で違反者を逮捕せず、説諭にとどめざるを得ないこと少なくありませんでした。地域によっては“軽微な違反”が常態化しており、それらをすべて取り締まると、住民を敵に回し、行政を円滑に進めることが困難になるためです。

 そこで、1974年8月、荒廃林を農民に分配することが閣議決定され、1975年以降、森林局がプランを策定した“林業村”のプロジェクトが開始されます。その概要は、以下の通りです。

 ①森林局の定めた国立公園・野生動物保護区や水源地域の外周部に林業村を設置し、森林内に土地を占有している者を林業村に移住させる。
 ②参加世帯には15ライ(2.4ヘクタール)以下の土地を貸与する。そのうち、0.5ライは宅地にあてる。ただし、この土地は、相続権は認めるが所有権は認めず、売買や借金の担保とすることはできない。
 ③森林局は森林局が行う植林事業に村民を適正な賃金で雇用する。これにより、村民の雇用を確保し、彼らが補助的な現金収入を得られるよう配慮する。
 ④政府関係諸機関により、学校、寺院、井戸、公衆衛生センター等の社会的生活基盤の整備を進め、さらに、道路、貯水池、灌漑施設などのインフラストラクチャーを建設し、住民の生活の安定と生活水準の向上を図る。
 ⑤農業協同組合の組織化を奨励する。

 林業村事業は、森林局内の国有林管理部が中心になって実施され、まず、国家保全林の中から林業村事業対象地を選定したうえで、対象地を農業適地と植林地に分類。農業適地は参加世帯数に応じて農地と居住地に区分したうえで、それぞれ区画を定めて分配することとされました。

 一方、植林地では、林業村の住民を雇用して造林活動を進めるとともに、年間最低8ヶ月間の森林の維持管理作業を行っていました。主な作業は植林地の整備、地拵、植付、下刈などで、事業が開始された1975年の時点では1人年間8000バーツの賃金が支給されています。

 また、一部の村落では、村民が共同で森林を利用・管理してきた実績があり、それが国家保全林の域内、すなわち、森林局の管轄に入れられた場合、村民はそれらを利用することが違法になってしまうため、その場合には森林局が“共有林”を指定したり、あるいは造成したりするものとされました。

 なお、林業村はあくまでも安定的な木材生産を目的としたものであったため、所定の手続きを経たうえでの商業伐採は禁止されず、その後も森林の減少は歯止めがかからなかった。この結果、1980年代には森林被覆率は30%を下回ってしまいます。

 これに対して、1980年代後半には、都市中間層を中心に“環境問題”への関心が高まったことで、そうした世論の圧力によって森林行政の軸足は木材生産から自然保護へと移り、1990年代に入ると保護林が大幅に拡張されていきました。


★ 内藤陽介の最新刊 『日本人に忘れられたガダルカナル島の近現代史』 ★

      日本人に忘れられたガダルカナル島の近現代史カバー 本体1600円+税

 出版社からのコメント
 【中国の札束攻勢にソロモン諸島は陥落寸前!】
 日本軍の撤退後、悲劇の激戦地は
 いかなる歴史をたどり、
 中国はどのように浸透していったのか

 本書のご予約・ご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、本書の目次をご覧いただけるほか、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。 

別窓 | タイ:ラーマ9世時代 | コメント:0 | トラックバック:0 | top↑
<< EU各国で新型コロナのワクチン接種はじまる | 郵便学者・内藤陽介のブログ |  英・EUが通商協定で合意>>
この記事のコメント
コメントの投稿
 

管理者だけに閲覧
 

この記事のトラックバック
| 郵便学者・内藤陽介のブログ |
<!-【↑2カラムテーブルここまで↑】-->
copyright © 2006 郵便学者・内藤陽介のブログ all rights reserved. template by [ALT-DESIGN@clip].
/