2020-12-15 Tue 03:04
この1年の世相を漢字一字で表す“今年の漢字”が“密”に決まり、きのう(14日)、京都の清水寺で発表されました。というわけで、“密”といえば、切手の世界ではやはりこの人がらみの1枚でしょうか。(画像はクリックで拡大されます)
![]() これは、1927年6月20日に発行された“万国郵便連合加盟50年”の記念切手のうち、わが国の近代郵便創業の功労者で“郵便の父”とされる前島密の肖像を描いた3銭切手で、肖像の下には“前島密”の名前もしっかり入っています。 前島密に関する切手は、1921年に発行された郵便創始50年記念の3銭および10銭切手に描かれた当時の逓信省庁舎の一部に、彼の銅像が小さく描かれているのが最初ですが、その切手では顔などは識別できませんので、本格的な肖像切手としては今回ご紹介のモノが第1号と言ってよいでしょう。ちなみに、この切手は、印面に人名の入った日本最初の切手であるだけでなく、昭和になってから発行された最初の切手でもあります。 さて、前島密は、天保6年1月7日(1835年2月4日)、越後国頸城郡津有村下池部(現・新潟県上越市)の豪農、上野助右衛門の2男として生まれました。幼名は房五郎です。 1847年、江戸に出て医学を修め、蘭学・英語を学んだ後、1858年、航海術を学ぶため箱館へ赴き、巻退蔵と改名。1859年、武田斐三郎の諸術調所に入り、1865年、薩摩藩の洋学校(開成所)の蘭学講師となりました。 翌1866年、幕臣・前島家の養子となり、家督を継いで前島来輔と名乗りましたが、維新後の1869年、明治政府の招聘により民部省・大蔵省に出仕します。しかし、内閣制度導入以前の明治政府の太政官制には、各省の卿(後の大臣にほぼ相当)の下に、“輔”の字を使う大輔・小輔の官職があったことから、四書五経の『中庸』の一節「巻之則退蔵於密」から一字を採り、“密”に再改名しました。 ちなみに、「巻之則退蔵於密」の前後は、「其書始言一理 中散為萬事 末復合為一理 放之則弥六合 巻之則退蔵於密 其味無窮 皆実学也 善読者 玩索而有得為 則終身用之 有不能尽者矣(その書始めは一理を言い、中は散じて万事と為し、末は復た合わして一理と為す。これを放てば則ち六合に弥り、これを巻けば則ち密に退蔵す。その味わい窮まりなし。皆実学なり。善く読む者、玩索して得るあらば、則ち終身これを用いて尽くす能わざる者あらん。)」となっています。 大意としては、「『中庸』の書は、最初に一理を説明して、途中でさまざまに分散して万事について語り、最後はまた統合して一理をなしている。その内容を拡散して広げれば宇宙のすべてに行き渡り、これを巻いてしまえば秘密の教えとなって世の中から退蔵される。その味わいは尽きるところがなく、すべて、実用に資する学問である。よく読む者が、この書物を熟読してその真意を得るならば、生涯にわたり、どれほどそれを用いても用い尽くすことはできないだろう」ということになりましょうか。 伝統的な漢学の素養に加え、医学・蘭学・英語・航海術などに通じていると自負していた前島は、自らを生きた書物になぞらえ、自分の能力が世に埋もれる(=退蔵される)ことなく、それを紐解いて活用する者を求め続けようという青雲の志を抱いて、“密”を名乗ったことがわかります。 ★ 内藤陽介の最新刊 『日本人に忘れられたガダルカナル島の近現代史』 ★ ![]() 出版社からのコメント 【中国の札束攻勢にソロモン諸島は陥落寸前!】 日本軍の撤退後、悲劇の激戦地は いかなる歴史をたどり、 中国はどのように浸透していったのか 本書のご予約・ご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、本書の目次をご覧いただけるほか、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。 |
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