僕は原稿を書くための資料を入手するために海外のオークションをしばしば使うのですが、落札後もなかなか落札したマテリアルが来ないでヤキモキするということが時々あります。で、結局、落札品の到着が間に合わず、版元に原稿を提出してしまって、その後にブツが届くということになると、結構、気分的にガックリしてしまうのですが、今日ご紹介のマテリアルもその一例です。(画像はクリックで拡大されます)
これは、1942年4月、インドのカルカッタ(コルコタ)から差し出されたカバーですが、中国の抗日戦争を支援するラベルが貼られているのがミソです。
1937年、日中全面戦争が勃発すると、八路軍総司令の朱徳はインドの独立運動家ジャワールハル・ネルーに対して、中国へのインド人医師の派遣を要請します。これを受けて、1938年9月、赤十字国際委員会によって、コトニスを団長とする中国支援医療団がインドから中国に派遣されます。
当時の中国共産党には、イギリスと敵対するリスクを冒しても、独立を求めて戦っているインドの独立運動家たちからの支援をあえて求めることによって、国は違えど“自由を求める民族の戦い”を戦う同志が連帯していることを内外にアピールしたいという思惑がありました。そして、ネルーらインドの独立運動家たちも、それに応えたというわけです。
一方、インドの支配者であったイギリスにとっても、第2次大戦中の日本は敵国でしたから、英領インドと中国は日本という共通の敵と戦うという構図が成立します。この結果、英領インド政府は中国の抗日戦争を支援する姿勢を鮮明に打ち出すことになり、イギリス当局と対立していたインドの独立運動家たちも、スバース・チャンドラ・ボースのような一部の例外を除き、この点に関しては一致協力する(できる)という構図ができあがりました。
今回のカバーに貼られているラベルもそうした状況の下で作られたもので、国民政府の晴天白日旗と中国兵を描き、「インドは中国に敬意を表する」というスローガンが入っており、当時のインド国内の世論の一端をうかがいしることができます。
実は、このカバーは、今年7月半ばに刊行の某月刊誌8月号の記事に使うつもりでインドのオークションで落札したものなのですが、現物が届いたのは今週に入ってからのことで、当然、雑誌の掲載には間に合いませんでした。とはいえ、肝心のラベルは非郵趣マテリアルゆえに競争出品の展示に使えば減点の対象になってしまいます。というわけで、いまさら使い道のないマテリアルなのですが、だからといって、このまま放置してしまうのもなんとなく悔しいので、今日の記事の図版として取り上げてみたという次第です。あしからずご了承ください。