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内藤陽介 Yosuke NAITO
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 試験の解説(1)
2005-07-22 Fri 09:19
 現在、都内の大学で週に何度か、非常勤講師をしています。講義の題目は学校によってさまざまですが、基本的には、何らかのかたちで“切手”を絡めた話をしています。

 僕の授業は基本的に通年科目なので前期試験はやらないのですが、1ヶ所だけ前期試験をやった学校があります。その試験には、当然、授業内容とからめて切手を題材に出題した問題もありますので、今日から何日かに分けて、その解説をしてみたいと思います。

 さて、初回の今日は、↓の切手です。

エジプト・シリア合邦

 この切手は、1958年2月、エジプトとシリアの国家連合が成立し、アラブ連合共和国(UAR)が発足したことを記念して発行されたものです。左側がエジプトの発行、右側がシリアでの発行です。デザインは、エジプトとシリアの地図を「アラブ連合共和国」の文字の入ったアーチでつなぎ、新たな時代の夜明けを象徴する太陽を背後に配したものとなっています。“合邦”の表現として、両国ともに同じデザインの切手となっていますが、通貨の統合は行われなかったため、エジプトのミリーム(切手上の表示はM)、シリアのピアストル(切手上の表示はp)は、従来どおり使われています。

 いわゆるアラブ民族主義は、アラブ諸国は西欧の植民地主義によって分断されている現状を打破するためには、各国で共和革命を起こして西欧諸国におもねらない独立の民族主義政権を作り、そうした国々が連帯してアラブを再統合し、その力をもってパレスチナ問題を解決する、というプランを持っていました。

 1956年のスエズ戦争(第二次中東戦争)の結果、ナセルの権威はアラブ諸国でゆるぎないものとなり、彼の唱えるアラブ民族主義は大きな影響力を持つようになります。しかし、当時の東西冷戦の文脈では、アラブ民族主義は“ソ連寄り”というレッテルを貼られ、西側諸国は民族主義政権のエジプト・シリアの封じ込めを狙います。特に、シリアがヨルダンの民族主義者を支援して発生したクーデタを、ヨルダン王室がアメリカの支援を受けた鎮圧すると、シリア・アメリカ関係は極端に悪化しました。

 このため、外圧に抵抗する必要に迫られたシリアは、同じく民族主義政権のエジプトとの国家連合によって事態を乗り切ろうとします。そして、米英への対抗上、ソ連からの支援を受けて、経済建設を進めようとしたのでした。ちなみに、UARの大統領はエジプトのナセルで、シリアの大統領だったアサリは副大統領に就任しました。

 UARの誕生は、当初、アラブ民族主義の理想が実現に向けて動き出した第1歩として高く評価されました。しかし、政権内の指導権争いや、統制経済の度合いが強いエジプトの政策がシリアでも実施されていったことによる摩擦、さらには、経済的な格差に起因するシリア側のコンプレックスとエジプト側の尊大な態度などが絡み合い、国家連合の内実は悲惨なものでした。

 結局、1961年9月、シリアでクーデタが発生し、新政権はUARからの脱退を宣言。アラブ民族主義の盟主であったナセルの権威は大きく傷つくことになりました。

 試験では、上記のような歴史的背景に触れつつ、この切手について説明することを求めましたので、おおむね、僕がここに書いたようなことが書けていれば、その学生さんには満点を差し上げます。
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