2019-11-05 Tue 01:31
ドイツ占領下のフランスでレジスタンス運動に参加し、ユダヤ人の脱出を助けたイベット・ランディさんが亡くなったことが、3日、発表されました。享年103歳。ランディさんは、1940年以降、兄のジョルジュさんが自身の農場にかくまっていたユダヤ人らをはじめ、ドイツ国内の義務労働徴用から逃げ出した男性らや、逃走した捕虜らに偽造文書を提供していましたが、1944年、ゲシュタポに逮捕され、自身もラーフェンスブリュック収容所に送られたとのことなので、ご冥福をお祈りしつつ、きょうはこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)
これは、1942年5月6日、アウシュヴィッツ収容所の民間人スタッフがラーフェンスブリュック収容所宛に出しだした葉書で、到着時に、“Postzensurstelle/ F.K.L. Ravensbruck/ gepruft…(郵便検閲/ラーフェンスブリュック女性強制収容所/…によって検閲された)”と表示されたラーフェンスブリュック収容所の検閲印が押されています。 ラーフェンスブリュック収容所は、ベルリン北方90キロの地点に位置しており、1938年末からザクセンハウゼン収容所の収容者を動員して建設が開始され、1939年5月13日、最初の収容者としてドイツ人女性860人、独墺合邦後のオーストリア人女性7人が移送されてきました。 1945年4月、ソ連軍によって解放されるまでに、総計23ヵ国、約12万3000人以上の女性が収容され、6万人以上が死亡したとみられていますが、収容者の人種・国籍別の内訳としては、ポーランド人が最多の4万人で、このほか、ユダヤ人が2万600人、ロシア人が1万8800人、フランス人が8000人、ドイツ人が1000人で、8割以上が政治犯でした。収容者はジーメンス・ウント・ハルスケでの強瀬労働に従事させられたほか、1942年以降は収容者を使った人体実験も行われています。 さて、ランディさんは、28歳だった1944年6月、勤務先の学校でゲシュタポに逮捕され、ラーフェンスブリュック収容所に送られ、収容所に着くなり、ナチス・ドイツ親衛隊(SS)の隊員らの目の前で服を脱ぐよう強要されたそうです。その後、ワイマール近郊の強制労務部隊に送られ、1945年4月、ソ連軍の親中により解放されました。 さて、2015年に刊行した拙著『アウシュヴィッツの手紙』ですが、おかげさまで在庫がほぼなくなりました。また、同書の刊行以降、 Postal History of Auschwitz 1939-1945 と題するコレクションを、2017年のブラジリア、2018年のエルサレムと2度の世界切手展に出品し、マテリアルもかなり充実してきました。 そこで、今回ご紹介の葉書なども加えて、11月25日付で同書の改訂増補版を出版することになりました。すでに、編集作業は完了しており、現在、印刷;製本作業中ですが、アマゾン等での予約も始まっております。現物ができあがってきましたら、改めてご案内いたしますので、よろしくお願いいたします。 ★★ 講座のご案内 ★★ 11月以降の各種講座等のご案内です。詳細については、各講座名をクリックしてご覧ください。 ・よみうりカルチャー 荻窪 宗教と国際政治 毎月第1火曜日 15:30~17:00 11/5、12/3、1/7、2/4、3/3(1回のみのお試し受講も可) ・日本史検定講座(全8講) 12月13日(日)スタート! 内藤は、全8講のうち、2月20日の第6講に登場します。 ・武蔵野大学生涯学習秋講座 飛脚から郵便へ―郵便制度の父 前島密没後100年― 2019年12月15日(日) (【連続講座】伝統文化を考える“大江戸の復元” 第十弾 ) ★ 最新作 『アウシュヴィッツの手紙 改訂増補版』 11月25日発売!★ 本体2500円+税(予定) 出版社からのコメント 初版品切れにつき、新資料、解説を大幅100ページ以上増補し、新版として刊行。独自のアプローチで知られざる実態に目からウロコ、ですが淡々とした筆致が心に迫る箇所多数ありです。 本書のご予約・ご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、本書の目次をご覧いただけるほか、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。 |
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