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内藤陽介 Yosuke NAITO
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 外国切手の中の中国:1942年の日本
2006-09-15 Fri 01:19
 NHKラジオ中国語講座のテキスト10月号が出来上がりました。今回は刊行日の9月18日が満洲事変75周年の当日ですし、なにより、26日刊行の拙著『満洲切手』のプロモーションを兼ねた内容にしたかったので、満洲国関連の日本切手(具体的には、1935年の皇帝訪日の記念切手と1942年の満洲国建国10周年の記念切手の2件)を取り上げました。その中から、今日はこの1枚をご紹介しましょう。(画像はクリックで拡大されます)

日満の子供

 この切手は、1942年9月15日に日本で発行された「満洲帝国建国10周年」の記念切手で、地球の上を日満両国の子供が手をつないで歩く図案が取り上げられています。

 満洲事変の後、満洲国が建国を宣言したのは1932年3月1日のことで、満洲国は毎年この日を建国節(建国記念日)としていましたが、建国10周年の記念式典は3月1日ではなく、1932年に日満議定書が締結された記念日(=日本による満洲国承認記念日)の9月15日にあわせて、新京(現・長春)郊外の南嶺総合競技場と東京の日比谷公会堂で行われました。

 満洲国は漢族・満州族・蒙古族・朝鮮族と日本人の“五族協和”を理想に掲げて建国を宣言したものの、実質的には、国家の実権は日本人の手に握られており、諸外国は満洲国を日本の属国とみなしていました。日本による国家承認の記念日にあわせて、記念式典が行われたことは、そうした日満両国の特殊な関係を象徴的に示しているといってよいかもしれません。

 さて、記念切手は日満両国で、3月1日と9月15日の2回に分けて発行されましたが、今回ご紹介しているのは日本側で9月15日に発行されたものの1枚です。

 日本切手の中で子供の姿が取り上げられたのは、これが最初のことでした。おそらく原画作者の大塚均としては“日満一体”の関係がずっと続いていく未来を、将来の可能性に満ちた子供の姿によって表現しようとしたのでしょうが、実際には、この切手が発行されてから約3年後の1945年8月、日本は太平洋戦争に敗れ、満洲国もあっけなく崩壊してしまったのは周知の通りです。

 満洲国の建国10周年に関しては、日満両国が記念切手を発行しているほか、日中戦争下の日本軍占領地域でも記念切手が発行されています。また、各種の特印や葉書なども入れると、関連するマテリアルはかなりな種類にのぼります。

 9月26日に角川選書の1冊として刊行の拙著『満洲切手』では、そうした建国10周年関連のさまざまなマテリアルから、当時の満洲社会の諸相を多角的に読み解いてみました。刊行の暁には、是非、お読みいただけると幸いです。

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