2017-05-04 Thu 11:38
巨額債務問題を抱えていた米自治領プエルト・リコは、きのう(3日)、連邦地裁に破産申請を行いました。というわけで、今日はこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)
![]() これは、プエルト・リコの首府、サン・フアンの英国局で使用された切手です。 現在のプエルト・リコ島は、ヨーロッパ人の到来以前は先住民のタイノ族の言葉でボリケン またはボリンケンと呼ばれていました。1493年11月19日、サン・フアンに入港したコロンブスは、その美しさに感銘を受けて、この島をスペイン語で“豊かな、または美しい港”という意味の“プエルト・リコ”と」命名したとされています。 切手や郵便に関しては、1856年以降、“スペイン領アンティル諸島”の切手(スペイン領キューバと同プエルトリコの共通切手)が用いられていましたが、1873年以降、プエルト・リコとして独自の切手が使用されるようになりました。 一方、宗主国スペインの郵便と並行して、サン・フアンをはじめとする主要港には外国郵便を取り扱うため、英仏の郵便取扱所が設けられていました。このうち、英国は1844年にサン・フアンの取扱所をオープンしたのを皮切りに、アグアディヤ、アロヨ、マヤグエス、ナグアボ、ポンセの計6ヵ所に取扱所を設け、1865年以降、英本国の切手を持ち込んで使用しました。さらに、1874年からはアルファベットと数字を組み合わせた抹消印を使用するようになり、サン・フアンでは今回ご紹介の切手に見られるように“C 61”の印が使用されています。ちなみに、フランスがサン・フアンに郵便取扱所を開設したのは1865年のことでした。 英国の郵便取扱所は、1877年にプエルト・リコが万国郵便連合に加盟した後も撤退せずに活動を続けていましたが、1898年に勃発した米西戦争を経てプエルト・リコが米領となり、1900年7月、プエルトリコ民政府が設立されたことを受け、1902年には完全撤退しました。 さて、プエルト・リコでは、2008年のリーマン・ショック以降、経済が急速に悪化。対外債務を返済するためにさらに借金を重ねるという悪循環が続く中、求職難から米本土への移住が絶えずに人口が急減したことで財政も急速に悪化していました。このため、2015年にはデフォルト(債務不履行)が宣言されました。 この時点では、プエルト・リコは州ではなく自治領であることから、自治体の破綻手続きを定めた連邦破産法9条の適用外でしたが、翌2016年6月、オバマ政権はプエルト・リコを債券保有者の訴訟から守る支援法案を成立させたことで、破産申請が可能となりました。これを受け、プエルト・リコ側は債権者のヘッジファンドとの協議が続けていましたが、結局、不調に終わり、今回の破産にいたりました。なお、債務は700億ドルで、2013年に財政破綻したミシガン州デトロイト市の185億ドルの約4倍で、米国の自治体としては最大の破産手続きとなるそうです。 ★★★ 内藤陽介 『朝鮮戦争』(えにし書房) 重版出来! ★★★ ![]() 【出版元より】 「韓国/北朝鮮」の出発点を正しく知る! 日本からの解放と、それに連なる朝鮮戦争の苦難の道のりを知らずして、隣国との関係改善はあり得ない。ハングルに訳された韓国現代史の著作もある著者が、日本の敗戦と朝鮮戦争の勃発から休戦までの経緯をポスタルメディア(郵便資料)という独自の切り口から詳細に解説。解放後も日本統治時代の切手や葉書が使われた郵便事情の実態、軍事郵便、北朝鮮のトホホ切手、記念切手発行の裏事情などがむしろ雄弁に歴史を物語る。退屈な通史より面白く、わかりやすい内容でありながら、朝鮮戦争の基本図書ともなりうる充実の内容。 本書のご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。 |
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