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内藤陽介 Yosuke NAITO
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 コンドミニアムの悲劇
2006-07-30 Sun 00:02
 今日(7月30日)は、南太平洋西部、オーストラリア大陸の東にあるバヌアツ共和国の独立記念日だそうです。1980年の独立以前、この国は“ニューヘブリデス”として英仏共同統治下に置かれていましたので、切手に関心のある人たちの間では、そっちのほうが通りが良いかもしれません。さて、今日は、そんなニューヘブリデス時代の切手の中から、こんな1枚を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

フレンチ・ニューヘブリデス

 第二次大戦中の1940年6月、フランスはドイツに降伏し、ペタンの親独政府が誕生します。このため、ニューヘブリデスのコンドミニアム(英仏共同統治のことをこう称した)内では、厳密にいうと、英仏は敵対関係になります。もっとも、ニューヘブリデスでは、早々にペタンの親独政府への服従を拒否し、ドゴールの自由フランス軍を支持することが決められましたので、コンドミニアムの分裂は何とか避けられています。

 今回ご紹介している切手もそうした状況の中で発行されたもので、戦前発行の島の風景を描く切手に、自由フランス支持の姿勢を示す“France Libre”の文字が加刷されています。

 さて、1941年12月に、いわゆる太平洋戦争が勃発し、日本軍がソロモン諸島の近くまでやってくると、ニューヘブリデスの住民は日本の侵攻を恐れるようになりました。このため、1942年5月、日本軍の機先を制するかたちで、何の前触れもなく米軍が島に上陸してきた時、島民はこれを日本軍の襲来と勘違いしてパニック状態に陥り、我先に山に逃げ込んでしまったということです。

 上陸した米軍は、当時のニューヘブリデス島がほとんど未開発の状態であることに驚き、早速、島を前線基地として活用するためにインフラの整備を開始します。各種のアメリカ製品が大量に持ち込まれるとともに、兵舎や病院、島を一周する道路、仮設滑走路や埠頭などが相次いで作られ、島は急速に文明化されていきます。

 さらに、現実にはさまざまな差別があるにせよ、米軍では白人も黒人も平等に扱われていることを見聞きし、米軍の仕事を手伝って正当な賃金をもらい感謝されるという体験を通じて、それまで、コンドミニアム体制の下で人間以下の扱いしか受けてこなかった島民たちは大いに感動します。一方、米軍の側でも、あまりに劣悪な島民の生活に同情して、洋服やベッド、冷蔵庫や家具を軍から調達して彼らに与えました。

 このため、ニューヘブリデスの島民にとっての第二次大戦(太平洋戦争)とは、日本軍の攻撃で牛が一頭犠牲になるという被害はあったものの(死傷者はなし)、生活水準はあがり、新しい医療の恩恵を受け、様々な設備も整うという、夢のような時代の代名詞となりました。

 しかし、1945年8月に戦争が終わり、米軍が撤退すると再び悲劇が訪れます。

 撤退に際して、米軍は、戦時中にニューヘブリデス島に対して持ち込んだ援助物資(ブルドーザー、作業用機械、クレーン、トラック、事務機器など)を、1ドルにつき7セントで買い上げてくれるよう、英仏コンドミニアムに求めます。ところが、戦争で疲弊し1円たりとも余計な支出をしたくなかった英仏側は「米軍が勝手に置いていったものに対価を支払う必要はない」と主張。住民に対しては家宅捜索が行われ、彼らが米軍にもらった衣類や、家具、冷蔵庫やラジオなどは強制的に接収され、ブルドーザーで海に沈められてしまいました。

 当然のことながら、こうしたコンドミニアム政府のやり方に対する不満は住民の間に深く沈殿し、その後の独立運動につながっていくことになるのです。それにしても、“英仏植民地主義”というのがいかに凄まじいものであったか、あらためて身震いする思いがします。

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