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内藤陽介 Yosuke NAITO
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 試験問題の解説(2006年7月)-2
2006-07-22 Sat 23:55
 昨日に引き続いて、試験問題の解説の2回目です。今日は、この切手(画像はクリックで拡大されます)についての説明を求めた問題を考えて見ましょう。

ヒジャーズの切手

 この切手は、1922年にシャリーフ・フサインのヒジャーズ政府が発行したものです。

 第一次大戦が終結すると、フサインは戦時中に交わしたフサイン・マクマホン書簡の密約(イギリス側にたってオスマン帝国と戦う代償として、戦後、アラブの独立国をつくる)の履行をイギリスに求めましたが、彼の望んだアラブ統一国家の樹立は実現しませんでした。当然、フサインとイギリスの関係は冷却化します。

 イギリスの強い影響下で作られたヒジャーズ政府最初の切手は、フサインの支配権はアラブ世界全域ではなくヒジャーズ地域(アラビア半島西部の紅海沿岸地域)に限定されるべきと考えていたイギリスの意向もあって、切手上の国名表記は“ヒジャーズ郵便”となっていましたが、「アラブ諸国の王」となることを諦めていなかったフサインは、それに異議を唱えるかのごとく、自分の考える国家のあり方を切手上でも表現していくようになります。

ヒジャーズ解説用画像

 具体的にこの切手のデザインを解剖してみましょう。以下、少し見にくいですが、切手は、中央にハーシム家の紋章を大きく描き(画像の①)、その上にフサインの名を掲げるとともに(同②)、上部の枠には“ハーシム朝アラブ政府”の文字(同③)を、左右の枠には“聖メッカ”の文字(同④)を、それぞれ配しています。

 ①と②は以前の切手にはなかった要素ですから、ハーシム家とフサインが強調されるようになったことが目に付きます。また、この切手では、以前の切手にあった“ヒジャーズ”との表記がなく、より広範な“アラブ政府”が自称されています。これらを総合して考えてみると、この切手が、「メッカの太守・フサインの主導によるアラブ国家(その版図はヒジャーズのみに限定されるわけではない)」とのイメージを内外に訴えようとするフサイン側の意図がはっきりと浮かび上がってきます。

 もっとも、フサインがどれほどアラブ統一国家の樹立を呼号しようとも、現実に彼の統治が及んでいたのはヒジャーズのみにほぼ限定されており、彼はアラビア半島の統一さえ成し遂げられずにいました。そうした状況の中で、強引に自分の主張を押し通そうとしたことにより、フサイン政権は次第に周囲から孤立し、やがて、アラビア半島中央部のナジュドを拠点としていたイブン・サウードに滅ぼされることになるのです。

 試験の解答としては、この切手とそれ以前のヒジャーズの切手の違いを明らかにした上で、フサイン政権が、ハーシム家、(ヒジャーズに限定されない)アラブ政府、フサイン個人の権威といったものを切手というメディアを使ってアピールしようとしていたことがきちんと説明できていればOKということになります。なお、当然のことながら、答案では切手上の文字の位置関係を示す図を付けられれば完璧ですが、そこまでは要求しません。

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