2016-11-07 Mon 11:24
インドの首都ニューデリーでは、スモッグで視界不良になり、健康被害が懸念されるほどに大気汚染が深刻化したため、デリー首都圏政府のケジリワル首相は、きのう(6日)、ニューデリー市内の学校全校の3日間の休校、建設・解体工事の5日間の禁止等の緊急措置を発表しました。というわけで、今日はこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)
![]() これは、1972年にインドで発行された独立25周年の記念切手で、晴天の下、ニューデリーの国会議事堂の前を国旗を掲げて行進する人々が描かれています。来年の独立70周年に同じ構図の記念切手を発行するとしたら、背景の空をグレーにして、人々はマスクをした姿で描くことになるのかもしれません。(本当にそうなったら嫌だけど) ムガール帝国の時代、帝国の首都はデリーに置かれていましたが、1858年に大反乱(いわゆるセポイの乱)を鎮圧してインドを制圧した英国はカルカッタ(コルカタ)に行政府を置きました。しかし、カルカッタはインド全体からみると東に偏っていることもあって、旧ムガール帝国の帝都であったデリーこそ英領インド帝国の首都にふさわしいとの声は根強く、ジョージ5世は1911年12月にデリーへの遷都を宣言しました。 ジョージ5世の宣言を受けて、ムガール帝国時代の首都中心部(現在、オールドデリーと呼ばれている地域)の南側、シャー・ジャハンが建設した地域にあった副王の宮殿に新首都の礎石が置かれ、エドウィン・ラッチェンスとハーバード・ベイカーにより新都の都市計画が立案されました。 ラッチェンスの立案した都市計画は、第一次世界大戦で戦死した兵士を追悼するためのインド門から総督府(現大統領官邸)まで東西に伸びるラージパト通りを中心に、そこから放射状に街路を伸ばす構造となっており、ラージパト通りと平行にベイカーの設計した国会議事堂など行政機関が配されています。また、放射状の街路のもう一つの焦点であるコンノートプレイスは、商業地区として建設されました。 今回ご紹介の切手に描かれている国会議事堂は、1921年に着工し、1927年1月18日に完成記念式典が行われました。建物は、アショーカの法輪にちなむ円形で、 議事堂中央のドームは直径29.87m。建物の周囲は、広大な庭園とサーンチーのストゥーパの柵をモデルとした柵で囲われています。 さて、デリーの大気汚染は、急激な経済発展に環境対策が追い付いていなかったことに加え、この1週間は、ディーワリーを祝う爆竹や花火、パンジャブ、ハリヤナ、ウッタルプラデシュの各州の農家による作物の焼却などの影響が加わって深刻な状況になり、今回の緊急措置となりました。 今後、事態が改善されなければ、車のナンバープレートの番号が偶数か奇数かで交互に使える日を割り当てる制度を導入するなど、さらなる対策が講じられる可能性があるそうです。いずれにせよ、一日も早く、切手に描かれたような青空が回復してほしいものですね。 ★★★ 講座のご案内 ★★★ 11月17日(木) 10:30-12:00 毎日文化センターにて、1日講座、ユダヤとアメリカをやりますので、よろしくお願いします。(詳細は講座名をクリックしてご覧ください) ★★★ ブラジル大使館推薦! 内藤陽介の『リオデジャネイロ歴史紀行』 ★★★ ![]() 【出版元より】 オリンピック開催地の意外な深さをじっくり紹介 リオデジャネイロの複雑な歴史や街並みを、切手や葉書、写真等でわかりやすく解説。 美しい景色とウンチク満載の異色の歴史紀行! 発売元の特設サイトはこちらです。 * 8月6日付『東京新聞』「この人」欄で、内藤が『リオデジャネイロ歴史紀行』の著者として取り上げられました! ![]() ★★ ポストショップオンラインのご案内(PR) ★★ 郵便物の受け取りには欠かせないのが郵便ポストです。世界各国のありとあらゆるデザインよろしくポストを集めた郵便ポストの辞典ポストショップオンラインは海外ブランドから国内製まで、500種類を超える郵便ポストをみることができます。 |
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