2014-08-31 Sun 17:10
アフリカ南部のレソトで、昨日(30日)、クーデターが発生し、軍が首都マセルにある主要施設を占拠。トーマス・タバネ首相は隣国・南アフリカに逃亡しました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)
![]() これは、1966年10月4日、レソトの独立当日に発行された独立記念切手で、左側にレソト王室の祖であうモショエショエ1世の肖像が、右側に独立当時の国王モショエショエ2世の肖像が並べて描かれています。 18世紀末、金やダイヤモンドの鉱脈を狙ってアフリカ南部に到来したイギリス人は、すでにこの地に住んでいたオランダ系のアフリカーナー(ボーア人)と戦い、ナポレオン戦争中の1795年、ケープタウンを占領。1806年には、ケープ植民地全体を接収します。 ナポレオン戦争後の1815年、ケープ植民地は正式にオランダからイギリスへ譲渡されました。これに伴い、イギリス人の移民が大量に流入したため、アフリカーナーはイギリスの圧迫を逃れて北東部の奥地へ大移動を開始し、先住アフリカ人諸民族と戦いながらトランスヴァール共和国やオレンジ自由国、ナタール共和国を建国しました。 これに対して、現在の南アフリカ共和国北部に居住していた先住民のソト族は、アフリカーナーの進入に対抗するため、イギリスの保護を受けるようになり、1868年、その居住地域はイギリスの保護領として英領バストランドとなります。1871年、バストランドはイギリスの保護領から植民地となり、翌1872年、現在のレソトの首都であるマセル等にイギリスの郵便局が設けられました。英領ケープ植民地の切手が持ち込まれて使用されるようになったのは、1876年ごろのことです。 1884年、バストランドは植民地から保護領にもどり、南アフリカ連邦が発足した1910年からは南ア連邦の切手が使用されていましたが、1933年以降、バストランドとして独自の正刷切手が発行されるようになります。 その後、1959年、イギリスから自治が認められますが、これに伴い、通貨単位もそれまでのポンドからランドに変更。さらに、1965年の自治政府時代を経て、翌1966年10月4日、レソト王国として独立し、今回ご紹介の切手が発行されたというわけです。 ところで、独立以来、レソトでは何度かクーデターが発生していますが、今回ご紹介の切手に取り上げられたモショエショエ2世もまた、クーデターに翻弄された人物です。 1966年の独立に際してレソトの政府を率いたのは、バソト国民党のレアブア・ジョナサン内閣でしたが、国王モショエショエ2世はジョナサンの独裁傾向に批判的で、それゆえ、1967年1月以降、事実上の自宅軟禁下に置かれていました。1970年、総選挙バソト国民党が敗北すると、ジョナサンは選挙結果を無効として独裁を強化し、圧力に耐えかねたモショエショエ2世は、壱次、オランダへの亡命を余儀なくされました。その後、国王は政治的な実権のない立憲君主とすることで妥協が成立し、レソトに帰国します。 ところで、レソトは周囲を南アフリカ共和国(以下、南ア)に囲まれており、経済的にも南アへの依存度が高かったため、独立後のジョナサン政権は、アパルトヘイトに対して強硬姿勢を示していませんでしたが(というよりも、強硬姿勢を示すことができなかったというべきでしょうが)、1970年の総選挙と国王追放後、政権に対する国民の反発が高まり、その不満をそらす必要から、突如、アパルトヘイトを激しく非難し始め、反政府組織だったアフリカ民族会議(ANC)と友好関係を結びます。 まぁ、このこと自体は国際社会と歩調を合わせたものとして批判の対象にはならないかもしれませんが、結果的に、ジョナサンの“変心”は南アを激怒させ、南ア政府はレソト国内のAMCの拠点に対する越境攻撃を行ったほか、反政府組織の“レソト解放軍”を背後から操ってレソト政府軍と戦わせただけでなく、経済制裁も行うなど、ありとあらゆる手段でレソトに圧力をかけ続けました。 この結果、レソト経済は停滞し、国民生活は大きな打撃を被りましたが、みずからの権力を維持することに汲々としていたジョナサンは有効な対策を打つことができず、最終的に、1986年1月20日、南アの支援を受けたジャスティン・レハンヤの軍事クーデターによって失脚します。 クーデターによって樹立された軍事評議会の議長に就任したレハンヤは、正統性を確保するためモショエショエ2世に接近し、制度上、国王は政治の実権を回復します。しかし、情勢が安定し始めると、1987年1月17日には王家の象徴であるバソト・ハット(レソト帽)を中央にあしらった従来の国旗を廃して新国旗を制定するなど、レハンヤは国王を軽んじるようになったため、両者の関係は悪化。このため、1990年、モショエショエ2世は再び海外亡命を余儀なくされ、レハンヤによって皇太子が国王レツィエ3世として擁立されます。 ただし、モショエショエ2世とレツィエ3世父子の個人的な人間関係は悪くなく、1991年、軍事評議会のエリアス・ラマエマによるクーデターでレハンヤが追放されると、レツィエ3世は父モショエショエ2世への王位の返還を表明します。しかし、ラマエマ政権はこれに反対し、レツィエ3世と対立。このため、1994年8月、レツィエ3世は、モショエショエ2世への王位の返還などを求めて、憲法を停止し、議会・内閣の解散を一方的に宣言するクーデターを起こします。しかし、国王によるクーデターには国民の反発も強く、翌9月にはゼネラル・ストライキや抗議デモが発生して国内が混乱したこともあり、周辺諸国の調停もあって、レツィエ3世が退位し、モショエショエ2世が王位に復帰するとともに、王権は制限されるということで決着が図られました。 こうして、1995年1月、レソト国王の座に返り咲いたモショエショエ2世でしたが、翌1996年1月、交通事故により崩御したため、レツィエ3世が王位に復帰し、現在に至るまでその地位を保っています。 ★★★ イベントのご案内 ★★★ ・9月6日(土) 09:30- 切手市場 於 東京・日本橋富沢町8番地 綿商会館 詳細は主催者HPをご覧ください。新作の『朝鮮戦争』を中心に、拙著を担いで行商に行きます。 会場ならではの特典もご用意しております。ぜひ遊びに来てください。 ★★★ 講演会のご案内 ★★★ ~韓国文化院 講演会シリーズ2014 『韓日交流史』~ 第9回は内藤陽介「韓国の切手でひも解く韓国近現代史」 です! ◇日時:2014年9月5日(金) 開場 18:30 開演 19:00 ◇会場:韓国文化院 ハンマダンホール ◇募集人員:300名様(お申し込みはお一人様2名まで) ◇入場無料(事前のお申込みが必要です) ◇主催・お問い合わせ先:駐日韓国大使館韓国文化院 03-3357-5970 ■ 韓国文化院のホームページ・トップの 「イベント応募コーナー」欄(こちらをクリックしてください)からお申し込みいただけます。たくさんの皆様のお申し込みを心よりお待ち申しております。 * 表向き、応募の〆切は過ぎていますが、直接内藤宛にご連絡いただければ、お席は確保できます。どうぞ遠慮なく、ご連絡ください。 ★★★ 内藤陽介の最新刊 『朝鮮戦争』好評発売中! ★★★ お待たせしました。約1年ぶりの新作です! ![]() 【出版元より】 「韓国/北朝鮮」の出発点を正しく知る! 日本からの解放と、それに連なる朝鮮戦争の苦難の道のりを知らずして、隣国との関係改善はあり得ない。ハングルに訳された韓国現代史の著作もある著者が、日本の敗戦と朝鮮戦争の勃発から休戦までの経緯をポスタルメディア(郵便資料)という独自の切り口から詳細に解説。解放後も日本統治時代の切手や葉書が使われた郵便事情の実態、軍事郵便、北朝鮮のトホホ切手、記念切手発行の裏事情などがむしろ雄弁に歴史を物語る。退屈な通史より面白く、わかりやすい内容でありながら、朝鮮戦争の基本図書ともなりうる充実の内容。 本書のご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、アマゾン他、各電子書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。 *8月24日付『讀賣新聞』読書欄、韓国メディア『週刊京郷』8月26日号で拙著『朝鮮戦争』が紹介されました! ★★★ ポストショップオンラインのご案内(PR) ★★★ 郵便物の受け取りには欠かせないのが郵便ポストです。世界各国のありとあらゆるデザインポストを集めた郵便ポストの辞典ポストショップオンラインは海外ブランドから国内製まで、500種類を超える郵便ポストをみることができます。 |
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