2006-04-24 Mon 23:57
今週の金曜日(28日)から、いよいよ、東京・浅草の都立産業貿易センター6・7階で春の切手イベントスタンプショウ06が開幕します。かねてご案内の通り、今年のスタンプショウでは、ムーミン60年+フィンランド切手発行150年にちなみ、「ムーミンの国・フィンランド切手展」を開催します。
というわけで、会期も迫ってきたことですし、今日は10日くらい前に書いた「幻のヘルシンキ五輪」の続編として、こんなものをご紹介します。(画像はクリックで拡大されます) このカバー(封筒)は、蘇芬(ソ連=フィンランド)戦争最中の1940年1月、ヴァーサからヘルシンキ宛に差し出されたもので、封筒の左下に押されているのは検閲印です。 「幻のヘルシンキ五輪」でも簡単に触れましたが、1939年9月、ドイツとの密約でポーランドを分割したソ連はフィンランドを恫喝して領土の割譲を要求し、同年11月30日にフィンランドに侵攻。蘇芬戦争が勃発します。フィンランド軍は勇敢に戦い、なんとか国家としての独立は守ったものの、1940年3月の講和条約で国土の10%の割譲を余儀なくされました。 今回のカバーは、そうした蘇芬戦争の最中に差し出されたものですが、こうした状況下にあっても、何とか戦争を終結させて五輪の開催を実現しようとしていたのでしょうか。カバーの裏面には下のような五輪の宣伝の標語印が押されています。 この標語印の押されたカバーの大半は1939年中のもので、ソ連との戦争が始まった後のモノは、案外、見かけません。やはり、一般的な世論としては、もはや五輪どころではないといった雰囲気で、標語印を使うこともはばかられたということなのでしょうか。 結局、開催国のフィンランドが対ソ戦争で大きな打撃を受けたことにくわえ、欧州大戦が本格化したこともあり、1940年のオリンピックは中止に追い込まれ、ヘルシンキ大会は、東京大会同様、“幻のオリンピック”となってしまいます。 「ムーミンの国・フィンランド切手展」では、このカバーを「幻のヘルシンキ五輪」でご紹介したものとあわせて、ガラスケースで展示する予定です。決して高価なマテリアルというわけではないのですが、日本では語られることの少ない“幻のヘルシンキ五輪”の一端を示す歴史の証言者としてご覧いただけると幸いです。 なお、スタンプショウ会期中の4月29日(土)14:30から、6階会場にて、『一億総切手狂の時代:昭和元禄切手絵巻 1966-1971』の刊行を記念して、ミニ講演と即売サイン会をやります。入場無料ですので、よろしかったら、ぜひこちらにも遊びに来てください。 |
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