2013-11-10 Sun 18:22
終戦後、米軍統治下にあった鹿児島県の奄美群島が1953年12月25日に祖国復帰を果たしてから、今年で60年になるのを前に、きのう(9日)、奄美市で記念式典が行われました。という訳で、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)
これは、1947年12月1日、米軍政下の奄美群島で発行された丸検加刷の切手です。 日本敗戦後の1946年1月29日、GHQは「外郭地域分離覚書」を発し、北緯30度以南の南西諸島の行政権は日本から分離されました。この北緯30度以南の枠の中には、沖縄だけでなく、戦前の行政区域では鹿児島県に属していた奄美諸島なども含まれていました。 「外郭地域分離覚書」に伴い、2月2日、郵政事業を含めたすべての行政権はアメリカに移り、3月13日、アメリカ海軍軍政チームが名瀬に到着。翌14日から奄美諸島全域に対する軍政布告や命令が交付され、本格的な軍政がスタートしました。 切手に関しては、当初は日本切手がそのまま使用されていましたが、1947年12月1日、今回ご紹介の切手のように、日本切手に“検”の字の印を押した暫定切手(丸検切手)が発行されると、1948年2月1日以降、無加刷の日本切手は使用停止となりました。 その後、丸検切手は1948年6月30日に発売停止となり、翌7月1日、米軍施政権下の全琉球共通の“琉球切手”が発行されます。以後、1953年末の祖国復帰まで、奄美地区では琉球切手が使われていました。 米軍政下の奄美地区では、日本との往来が禁止され、日本から“輸入”する商品には関税がかけられるなど、人々は経済的にも非常に困難な状況に置かれていました。また、1952年4月28日のサンフランシスコ講和条約発効後も、“琉球”の一部として日本本土から分離して米国の信託統治下に置かれていたため、現地では14歳以上の島民による嘆願署名やハンガーストライキなどが展開され、その結果、1953年12月になって、ようやく、祖国復帰を果たしたという経緯があったことは、日本人として、けっして忘れてはならないと思います。 * 本日のTBSラジオ「爆笑問題の日曜サンデー」の「サンデーマナブくん」は無事終了いたしました。お聞きいただきました皆様には、この場をお借りして、あらためてお礼申し上げます。 ★★★ 絵葉書と切手でたどる世界遺産歴史散歩 ★★★ 2014年1月11日・18日・2月8日のそれぞれ13:00-15:00、文京学院大学生涯学習センター(東京都文京区)で、「絵葉書と切手でたどる世界遺産歴史散歩」と題する講座をやります。(1月18日は、切手の博物館で開催のミニペックスの解説) 新たに富士山が登録されて注目を集めるユネスコの世界遺産。 いずれも一度は訪れたい魅力的な場所ばかりですが、実際に旅するのは容易ではありません。そこで、「小さな外交官」とも呼ばれる切手や絵葉書に取り上げられた風景や文化遺産の100年前、50年前の姿と、講師自身が撮影した最近の様子を見比べながら、ちょっと変わった歴史散歩を楽しんでみませんか? 講座を受けるだけで、世界旅行の気分を満喫できることをお約束します。 詳細はこちら。皆様の御参加を、心よりお待ちしております。 ★★★ 予算1日2000円のソウル歴史散歩 ★★★ 毎月1回、よみうりカルチャー(読売・日本テレビ文化センター)荻窪で予算1日2000円のソウル歴史散歩と題する一般向けの教養講座を担当しています。次回開催は12月3日(原則第1火曜日)で、以後、1月7日、2月4日、3月4日に開催の予定です。時間は各回とも13:00~14:30です。講座は途中参加やお試し見学も可能ですので、ぜひ、お気軽に遊びに来てください。 ★★★ 内藤陽介の最新作 『蘭印戦跡紀行』 好評発売中! ★★★ 日本の兵隊さん、本当にいい仕事をしてくれたよ。 彼女はしわくちゃの手で、給水塔の脚をペチャペチャ叩きながら、そんな風に説明してくれた。(本文より) 南方占領時代の郵便資料から、蘭印の戦跡が残る都市をめぐる異色の紀行。 日本との深いつながりを紹介しながら、意外な「日本」を見つける旅。 出版元特設ページはこちらです。また、10月17日、東京・新宿の紀伊國屋書店新宿南店で行われた『蘭印戦跡紀行』の刊行記念トークの模様が、YouTubeにアップされました。よろしかったら、こちらをクリックしてご覧ください。 ★★★ ポストショップオンラインのご案内(PR) ★★★ 郵便物の受け取りには欠かせないのが郵便ポストです。世界各国のありとあらゆるデザインポストを集めた郵便ポストの辞典ポストショップオンラインは海外ブランドから国内製まで、500種類を超える郵便ポストをみることができます。 |
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