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内藤陽介 Yosuke NAITO
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 聖母子像切手の混貼
2012-12-25 Tue 09:28
 きょうはクリスマスです。というわけで、聖母子関連のマテリアルの中から、こんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

        カタンガ・カバー

 これは、1961年2月6日、第一次コンゴ動乱期のカタンガ政権下のコルウェジから差し出されたカバーで、ベルギー領コンゴ時代の1959年に発行された聖母子像のクリスマス切手に“CONGO”加刷の切手(キンシャサ政権発行)と“KATANGA”加刷(カタンガ政権発行) の切手が混貼されているのがミソです。切手に加え、カタンガ独立を訴えるラベルも貼られているのも良いですな。

 1960年、アフリカ諸国が相次いで独立する中で、同年6月30日、ベルギー領コンゴもコンゴ共和国(キンシャサ政権)として独立。コンゴ族同盟(アバコ党)の指導者であったジョセフ・カサヴブが初代大統領に、コンゴ国民運動(MNC)を率いたパトリス・ルムンバが初代首相に就任しました。

 しかし、コンゴ駐留のベルギー軍撤退問題をめぐり、急進左派のルムンバにベルギー軍が反発。コンゴ在住のベルギー国民への攻撃も相次いだため、7月8日、自国民保護のため、ベルギー軍が首相官邸を襲撃し、首都キンシャサの国際空港を占領すると、ルムンバはベルギーとの国交断絶を表明します。

 混乱の中で、地下資源の豊かなカタンガ州(たとえば、カタンガの銅生産量は当時の世界総生産量の70%を占めていたほか、いわゆるレアメタルも豊富でした)を地盤とするモイーズ・チョンベは、7月11日、ベルギーの支援を受けて、カタンガの独立を宣言。親西側のカサヴブと急進民族主義路線を掲げるルムンバの路線対立もあり、独立間もないコンゴは政府が機能不全に陥り、四分五裂の状態に陥りました。いわゆる第1次コンゴ動乱です。

 ルムンバの要請を受けた国連は、7月14日、安保理決議143を採択。ベルギー軍のコンゴからの撤退を求め、コンゴ国軍が治安維持を行なえるようなるまでコンゴ共和国と協議の上、各国から軍事援助を行なえる手段を取ることを国際連合事務総長に求めました。こうして“国連軍”が編成されてベルギー軍と交代し、カタンガ州内へも独立問題へ関与しないことを条件に進駐します。

 国連軍の進駐により、治安が次第に回復すると、ベルギーと米国は、治安が安定しているカタンガ州への国連軍進駐は、“暴動によって混乱した治安の回復”を目的とする国連軍の目的を越え、コンゴへの内政干渉にあたると抗議。これに対して、ルムンバ政権とソ連をはじめとする東側諸国はカタンガ州への国連軍進駐を強硬に主張し、両社は激しく対立しました。

 カタンガ政権は、「我々は共産主義(彼らの理解ではルムンバ派や国連のことです)の魔の手からアフリカの白人を護るための十字軍である」との大義名分の下、南アフリカや英領中央アフリカ連邦(現在のジンバブエ・ザンビア・マラウイで構成)で身体頑健で軍隊経験のある白人をリクルートしました。基本給は、士官が月250ポンド、下士官が180ポンド、兵卒が70-120ポンドでした。

 このとき、南アの傭兵の中心人物となったのが、マイク・ホアレです。

 ホアレは、1919年、インドでアイルランド系の両親の下に生まれました。8歳でロンドンの寄宿学校へ入学し、高校卒業後、英国国防義勇軍に入隊。その後、下士官養成学校と将校養成学校を首席で卒業し、偵察連隊へ配属。第二次世界大戦ではビルマで戦い、コヒマの攻防戦にも参加しています。退役後は、1949年に南ア・ナタール州に移住し会計士として働いていましたが、1961年2月、白人傭兵部隊「インターナショナル・カンパニー」を設立し、第1次コンゴ動乱に参戦しました。

 各派入り乱れての泥沼の内戦の中で、1960年9月、大統領のカサヴブが首相のルムンバを更迭すると、ルムンバ内閣は大統領の解任を決議。政府機能は完全に麻痺し、首都の治安も崩壊する中で、9月14日、ついに国軍が動くことになります。すなわち、CIAの支援を受けた陸軍参謀長ジョセフ・デジレ・モブツ大佐がクーデターを決行したのです。

 クーデターは大統領の支持を受けて成功し、ルムンバは逮捕され、翌1961年1月に殺害されました。これに対して、ルムンバ派は、コンゴ東部のスタンレーヴィル(現キサンガニ)を拠点に、ソ連やアラブ諸国からの支援を受けて新政府の樹立を宣言。ルムンバの殺害によって国際世論の同情を集めたスタンレーヴィル政権は、国連からコンゴの正統政権として承認を受けました。

 これに対して、同年7月、カサヴブは、カタンガ以外の勢力(ルムンバ派も含む)をまとめあげてシリル・アドウラを首相とする挙国一致体制(アドウラ政府)を樹立。この挙国一致政府を支援するかたちで、国連軍が外国人傭兵の逮捕・追放のための大規模な作戦を開始し、カタンガ政権に対する経済制裁も発動されました。資金源を断たれたカタンガ政権は急速に弱体化し、1963年1月に降伏。大統領のチョンベもスペインに亡命し、ようやく、第一次コンゴ動乱も終結しました。

 さて、拙著『喜望峰:ケープタウンから見る南アフリカ』では、マイク・ホアレとの関連で、今回ご紹介のカバー以外にも、コンゴ動乱がらみのマテリアルをいろいろとご紹介しております。機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。

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