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内藤陽介 Yosuke NAITO
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 泰国郵便学(16)
2011-10-23 Sun 22:10
 タイの洪水は、いよいよバンコク中心部にまで被害が拡大し、首相府や王宮にも危機が迫っているほか、国王(ラーマ9世)陛下が入院されている病院にも大量の水が押し寄せているのだとか。一日も早く、洪水被害が収まることをお祈りしております。さて、財団法人・日本タイ協会発行の『タイ国情報』第45巻第5号ができあがりました。僕の連載「泰国郵便学」では、今回は、現国王が即位された時期の話を書きました。その中から、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

        タイ・1947年シリーズ

 これは、ラーマ9世最初の普通切手となった1947年シリーズの20バーツ切手です。

 第2次大戦後、タイはプレーク・ピブーンソンクラーム(ピブーン)政権時代の親日政策は日本に強制されて心ならずも行ったことであるとのロジックを掲げ、その過去を否定することで国際社会への復帰を果たそうとしました。

 その一環として、1945年9月、ピブーン時代に採用された英文国号の“タイランド”が旧称の“サヤーム(SIAM)”に戻され、ピブーン時代との決別も宣言されました。

 タイないしはタイランドという国号は、戦前のピブーン政権下で発動されたラッタニヨム政策の一環として、“サヤーム(シャム)”は外国人による蔑称だとの理由で、1939年10月6日の憲法改正により、新たに採用されたものでした。それゆえ、国号の変更は、ラッタニヨム・ナショナリズムやその提唱者であったピブーンに対する強烈なアンチテーゼとなりましたが、かつての国号変更の理由が外国人の蔑称を排するという理由で行われた以上、そのまま旧に復すのは、そうした“蔑称”を無批判に受け入れてもよいのかという反論を招きかねません。

 このため、国号は対外向けの英文表記に限ってSIAMに復し、タイ語では従前どおり、“タイ”の名称が維持されるという微温的な解決策がとられています。

 時あたかも、1945年12月5日、国王、アーナンタマヒドン(ラーマ8世)がスイスから帰国。1946年1月1日には英国との間で“大東亜戦争”の講和条約も結ばれ、新生タイを内外にアピールするためにも、成年に達した国王の肖像を描き、新たな国名表示(英文)の入った切手を発行することは、国家の情報宣伝政策として緊急の課題となっていました。

 ところが、1946年6月、帰国後わずか半年のアーナンタマヒドン国王が寝室で額を打ち抜かれて死亡するという国王怪死事件が発生。プーミポンアドゥンラヤデート(ラーマ9世、現国王)が新国王として即位しました。

 国王怪死事件はタイ国内に大きな衝撃を与え、大戦後のタイ政界を牛耳っていたプリーディー・パノムヨン内閣が責任をとって退陣に追い込まれた後の1946年8月の総選挙では野党勢力が伸長。後継のルアン・タムロンナーワーサワット内閣は、同年12月に国連加盟を実現させたものの、国内の政情は不安定化し、新国王の肖像を描く切手もなかなか発行されませんでした。

 結局、1947年11月8日、陸軍は国王怪死事件の解明を大義名分としてクーデターを起こし、タムロンナーワーサワット内閣は崩壊。同月10日には、クアン・アパイウォンが3度目の内閣(クアンは、過去、ピブーン失脚後の1944年8月1日-1945年8月31日、1946年1月31日-同年3月24日の2度にわたり首相に就任しています)を組織しました。なお、このクーデターの結果、ピブーン(1945年10月に戦争犯罪人法により逮捕されたものの、翌1946年4月、同法が無効とされて釈放されました)が国軍司令官として復権を果たしています。

 こうした状況の下、新国王の肖像を描く新たな切手は、タムロンナーワーサワット内閣の時代から準備が進められ、クーデター直後の11月15日になってようやく発行された。

 切手は国王の肖像を大きく描いたシンプルなデザインのもので、5サタン、10サタン、20サタン、50サタンの低額切手が単色、1バーツ、2バーツ、3バーツ、5バーツ、10バーツ、20バーツの高額切手は定額切手と同じデザインですが、肖像部分と周囲の刷色を変えた2色刷りです。現国王の肖像絵を描く切手としては、もちろん、この1947年シリーズが最初でした。また、切手の製造は英国のウォータールー・アンド・サン社で、同社がタイ切手の製造を担当したのは、大東亜戦争以前の1941年4月に発行の普通切手以来、6年半ぶりのことで、英国との関係改善を象徴するものとなりました。

 1941年シリーズの普通切手では、国王の肖像のほか、水牛の農耕アユッタヤー・バーンパイン離宮のアイサワン亭など、肖像以外の図案の切手も発行されていましたが、1947年の切手は、プラチャーティポック(ラーマ7世)時代の1928年シリーズと同様、普通切手に取り上げられたのは国王の肖像のみです。

 ただし、アーナンタマヒドン以前の普通切手に国王の肖像が取り上げられる場合は、肖像の周囲に飾りの枠がデザインされていましたが、1947年シリーズにはそうした装飾はなく、デザインとしては簡略化されています。おそらく、“SIAM”表示の切手を一刻も早く発行することを優先させた結果でしょう。

 ところで、この切手のタイ語での国名表示は、“サヤーム”ではなく“タイ”となっています。

 すでに述べたように、国号として“サヤーム”と“タイ”のどちらを選択するかということが、一種の思想の選択である以上、こうした混在は従来では考えられない現象でした。実際、ピブーン政権時代の1940年に、切手の国名表示が、タイ語で“タイ”、英文で“THAI”ないしは“THAILAND”と改められる以前は、タイ語・英文ともに切手の国名表示は“サヤーム”です。こうしたところにも、大東亜戦争終結直後のタイの不安定な状況が反映されているとみてよいでしょう。

 ちなみに、クアン政権は1948年1月の総選挙でもまずまずの成果を収めるなど、その政権運営は順調でしたが、そのことがかえって陸軍の警戒を招き、同年4月、クーデターが発生。内閣は総辞職に追い込まれ、4月8日にはピブーンが首相の座に返り咲くことになります。

 復活を果たしたピブーンは、冷戦下での東西対立がアジアでも急速に深化していくなかで、共産主義の防波堤としての役割を果たすことで、民主主義を国是とする西側諸国の信頼を獲得することに成功。英文の国号として一時的に復活していた“SIAM”はふたたび放棄されて“THAILAND”に戻りますが、そのことをもって、米英が親日時代への復帰をとがめることもありませんでした。

 これに伴い、1950年5月5日に発行された国王戴冠式の記念切手では、国名表示が、タイ語で“パテート・タイ”、英文で“TAHILAND”に変更になっています。タイ語の国名表記が単なる“タイ”ではなく“パテート・タイ”となったのは、これが最初でした。ちなみに、1950年の「国王戴冠式」以降現在にいたるまで、タイ切手の国名表示は、“パテート・タイ”と“THAILAND”の両者を併記するのが一般的となっているが、デザイン上の都合などにより、“パテート・タイ”ではなく“タイ”だけの短縮された表示がなされるケースもないわけではありません。

 こうして、1枚の切手に“タイ”と“SIAM”という異質の国名表記が併存するという、一種の異常事態は解消されました。同時にこのことは、復活したピブーン政権の下で、タイが終戦直後の混乱期を脱し、東西冷戦という新たな国際秩序の中で、西側陣営の一員として反共の防波堤の役割を担い、域内大国としての道を歩み始める出発点を象徴するものとに考えることも可能かもしれません。


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