2011-07-12 Tue 23:52
1961年7月12日に“日本標準時制定75年”の切手が発行されてから、きょうでちょうど50年です。というわけで、今日はその切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)
近代以前の世界では、それぞれの地域でその土地固有の地方時が用いられていましたが、交通・通信の発達に伴い、さまざまな不都合が生じてきました。このため、1884年、ワシントンで世界標準時についての国際会議が開催され、イギリスのグリニッジ天文台を通る子午線を本初子午線(経度0度の子午線)とし、これを基準に東西に経度が15度ずつ離れるたびに1時間ずつ異なる地域ごとの標準時を置くことが決定されました。 わが国では、1886年7月、「本初子午線経度計算方及標準時ノ件」と題する勅令第51号が出され、東経135度の子午線の“時”をもって日本標準時とすることが定められ、1888年1月1日から明石地方時が日本標準時として用いられることになり、現在にいたっています。 ところで、「本初子午線経度計算方及標準時ノ件」の勅令が出された日付については、『大日本法令集』では7月13日となっており、現在の「標準時制定記念日」はこれに基づいて7月13日とされています。これに対して、『法規分類大全』や『天文月報』に記されている7月12日こそが標準時制定記念日として正しいとする見解も少なからずあり、今回ご紹介の記念切手を発行した郵政省も巧者の立場を取っています。 記念切手の発行に関しては、明石市長・丸尾儀兵衛が、前年の1960年9月2日、大阪郵政局長を通して郵政大臣・鈴木善幸宛に記念切手発行の申請書を提出し、同8日、上京して郵政省郵務局を訪問しています。ついで、11月8日には、天文科学館の芦田館長も陳情のために上京。さらに、12月2日には、文部省大学学術局長名で郵務局長宛の申請書も提出されています。 こうしたことから、1961年1月23日の郵政審議会専門委員会では、記念切手の発行はすんなり了承され、3月2日までに作られた3枚の原画のうち、“太陽と日本標準時子午線を示した地球”を表現した渡辺三郎の作品を修正の上、採用とすることが決まりました。 渡辺の当初案では、明石の文字が入っていませんでしたが、最終的な原画では、しかるべき位置に地名の表示が入れられています。また、当初案では、“無限の宇宙”を表現することを意図して、バックは目打部分まで青味黒で印刷するというプランになっていましたが、“印面”の解釈をめぐり、現場の郵便局で混乱が生じることが危惧されたため、通常どおり、ガッター部分は白地のものとし、バックはうす黄茶とすることとされました。この結果、当初、赤味橙と青味黒の2色刷で製造するはずだった切手は3色刷へと変更されることになり、印刷局では、グラビア4色機を用いて3色刷を行うよう、予定を変更しています。 最終的に原画が印刷局に渡ったのは3月6日のことで、印刷局は4月24日と5月16日の2回にわたって試刷を回校しています。なお、正式な試刷ができあがったのは6月13日のことで、見本切手の配布は6月29日のことでした。 こうして、7月12日、当初の予定通り記念切手が発行されました。発行当日は、天文科学館で、文部省・兵庫県・兵庫県教育委員会・明石市・明石市教育委員会の主催による“日本標準時制定75年記念式典”が行われ、そのプログラムの一つとして、郵政政務次官・森山欽司(郵政大臣・小金義照の代理として出席)から明石市長・丸尾儀兵衛宛に、大臣の署名入りの記念切手1シートと贈呈状が贈られています。 ★★★ 内藤陽介の最新刊 ★★★ 5月29日付『讀賣新聞』に書評掲載 『週刊文春』 6月30日号「文春図書館」で 酒井順子さんにご紹介いただきました ! 切手百撰 昭和戦後 平凡社(本体2000円+税) 視て読んで楽しむ切手図鑑! “あの頃の切手少年たち”には懐かしの、 平成生まれの若者には昭和レトロがカッコいい、 そんな切手100点のモノ語りを関連写真などとともに、オールカラーでご紹介 全国書店・インターネット書店(amazon、boox store、coneco.net、JBOOK、livedoor BOOKS、Yahoo!ブックス、エキサイトブックス、丸善&ジュンク堂、楽天など)で好評発売中! |
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