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内藤陽介 Yosuke NAITO
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 リビアとキレナイカ
2011-02-25 Fri 13:19
 40年以上にもおよぶカダフィ独裁体制に対する大規模な抵抗運動が各地で起こっているリビアでは、すでに、東部地域は反政府勢力が掌握し、今後は、カダフィ政権と反政府側による首都トリポリの攻防戦が焦点となりそうな様相です。というわけで、まずはこの切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

        キレナイカ・リビア加刷

 これは、1951年に旧キレナイカ切手に“リビア”加刷をして発行された1枚で、元の切手にはラクダの遊牧民が描かれています。

 キレナイカは現在のリビア国家のほぼ東半分に相当する地域で、1911年の伊土戦争の結果、オスマン帝国からイタリア王国へと割譲され、第一次大戦後の1919年にイタリアの正式な植民地となりました。しかし、内陸部ではイスラム神秘主義のサヌーシー教団などが内陸部でイタリア支配に対する抵抗運動を展開。1949年には、そのサヌーシー家のイドリース1世が、キレナイカとして独立を宣言しました。

 このキレナイカと、隣接するイタリアの植民地だったトリポリタニア(西北沿岸部)とフェザーン(西南内陸部)が連合し、1951年にリビア連合王国を結成して独立したのが現在のリビア国家の枠組となりました。今回ご紹介の切手は、これに合わせて発行されたものです。

 イドリース1世は、親西側政策を採り、1955年から国際石油資本によって石油開発が進め、ゼルテン、サリール、アマルなどの油田がアメリカ資本によって開発されたことで、キレナイカはリビア最大の油田地帯となりました。その一方で、産油国として莫大な石油収入は一部の特権階級に集中し、多くの国民はその恩恵にあずかることはできず、生活は貧しいままでした。そのことに対する国民の不満を背景に、1969年9月1日、陸軍のカダフィ大尉ひきいる自由将校団がクーデターを起こし、カダフィを事実上の国家元首とする現在の政権ができあがったというわけです。

 政権を掌握したカダフィは、キレナイカが旧サヌーシー家の拠点だったということもあって、キレナイカを冷遇。リビアの石油資源はキレナイカが多くを占めるものの、石油収入のうちキレナイカに投資される額は抑えられてきました。このため、カダフィ政権が盤石であった時期でさえ、キレナイカでは潜在的な反カダフィ感情が根強く、特に、中心都市のベンガジでは、1990年代以降、いわゆるイスラム原理主義の影響も他地域に比べて強かったと言われています。 

 したがって、今回の反カダフィ運動が、まずは東部のキレナイカを拠点として盛り上がったというのもうなずける話です。今後、首都トリポリの攻防戦などでリビアが内戦状態に陥るのではとの懸念もありますが、仮に、反カダフィ派の旧キレナイカとカダフィ支配下の旧トリポリタニアで分裂することになったとしても、どちらも自分たちこそがリビアの正統政府を名乗るでしょうから、“キレナイカ”切手の復活というのは無理でしょうな。

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