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内藤陽介 Yosuke NAITO
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 続・ゴアにいます
2011-02-21 Mon 10:59
 きのう(20日)に引き続き、ゴアからの更新です。というわけで、引き続きご当地ネタのなかから、こんなモノをもってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      帝亞丸カバー    帝亞丸カバー(裏面)

 これは、日米交換船の帝亞丸で運ばれたカバーで、第二次大戦中は中立国だったポルトガル領のゴア経由で上海まで届けられています。ちなみに、ここでいう“ゴア”とは、具体的には、きのうの記事にも書いた首府のパナジ(ノヴァ・ゴア)ではなく、港町のモルムガオのことです。そのモルムガオの港を対岸のドナ・パウラから眺めた現在のようすは、こんな感じでした。

      モルムガオ方向の風景

 いわゆる太平洋戦争の開戦に伴い、日本の勢力圏内では、敵国籍の外国人は隔離収容され、その多くは交換船に乗せられてそれぞれの母国へと帰国しました。同様に、敵国となった連合諸国からも引き揚げてくる日本人を乗せた交換船が出航し、双方は中立国の港で落ち合って乗客を交換しています。

 こうした交換船は、1942年6月、アメリカのグルー駐日大使らを乗せて横浜を出航した浅間丸が最初で、このとき、浅間丸は、中立国ポルトガルの領土であったゴアで帰国するアメリカ人を下ろし、スウェーデン(中立国)の客船グリップスホルム号に乗せられてきた在米邦人を収容して、日本に帰国しています。

 つづいて、第2次交換船として、1943年9月、帝亜丸が横浜を出航し、やはり、ゴアで抑留者などの交換を行いました。

 今回ご紹介のカバーは、その日米交換船・帝亜丸に乗って帰国したアメリカ人が船上から上海在住のソ連国籍の女性宛に差し出したもので、無料の捕虜郵便として扱われ、横浜に帰着した後の1943年11月15日の消印が押されています。カバー裏面、差出人のリターンアドレスにあたる帝亜丸の印を見ると、上から封をされ、検閲済の封緘紙が押されており、郵便物は、差しだす以前に日本側の検閲を受けたと思われます。

 平時であれば、日本から上海宛の郵便物はダイレクトに届けられるのでしょうが、当時の状況では、防諜上の理由から、在日アメリカ人は自由に外国宛の郵便物を出すことはできず(日本人も外国宛の郵便物を自由に出すことはできなかったが)、帝亜丸に郵便物を託さなければ海外の知人と連絡をとることは、事実上、不可能でした。その結果、このカバーは、ゴアから横浜経由で上海に届けられる(上海の着印は中華民国33年、つまり1944年です)という、屈折したルートをたどることになりました。

 さて、今年の国際切手展は、先日終わったばかりのインド展の後は、夏の横浜展、それに11月の無錫展という順番になっています。11月の無錫展に関しては、日本コミッショナーを仰せつかっているのでよほどのことがない限り現地に行かねばならないのですが、おそらく、飛行機の便の関係で上海経由になるでしょう。そう考えると、僕もゴア→横浜→上海というルートで動くわけで、このカバーにもいままで以上に愛着がわいてきますな。

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