2010-04-13 Tue 13:40
今日(4月13日)から15日まではソンクラーン。タイの旧正月です。現在、タクシン派と反タクシン派の対立で混乱のさなかにあるタイですが、彼らにとって今日から始まるトラ年の1年が落ち着きを取り戻しますように、との意味を込めて、この1枚を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)
これは、1919年にタイで発行されたスア・パー加刷(2次)の1枚です。 スア・パーとは、もともとは斥候や偵察を意味するタイ語で、英語の“スカウト”に相当します。1911年5月、ラーマ6世(ワチラーウット)が、国民の愛国心を涵養するための手段として組織しており、野虎隊とも呼ばれました。加刷がトラの顔と“Scout's Fund”となっているのはこのためです。ちなみに、タイではボーイスカウトのことをルーク・スアと呼んでいますが、ルーク・スアはスア・パーの下部組織として、スア・パー結成から2ヵ月後の1911年7月に組織されました。 イギリス留学の経験から、現地でボーイスカウトの活動を実際に見聞きしていたラーマ6世は、スカウト運動の柱となる①神(特定の宗教の神を指すものではない)と国家に対する忠誠、②他者への奉仕、③心身の健全の“三つの誓い”を、国王を中心としたタイのナショナリズムを構築していくうえでも格好の支柱たりうるものと考え、帰国後の1905年頃から、近習の小姓たちを動員して“疑似戦争”を始めます。疑似戦争はサラーンロム宮殿周辺を演習場とし、彼らを2つのグループに分け、基本的には夜間に行われました。疑似戦争の目的は、参加者に国家と国王に対する忠誠心が刷り込んでいくのとあわせて、チュラーロンコーンの重臣団とは別に、ワチラーウット自身の側近グループを育成していくことにあたっとされています。 こうした経緯を経て1910年に国王となったラーマ6世は、はやくも同年末には、近習学校に最初のルーク・スア部隊として“ルーク・スア・クルンテープ第1隊”を組織し、国王の警護が命令。以後、ルーク・スアは全国に拡大していきますが、国王はその一部を“国王直属隊”として、後に特別な制服や制帽を支給しています。 しかし、正規軍とは別にスア・パーやルーク・スアを組織したことは、当然のことながら、正規軍の側の不満を醸成。はたして、1912年3月、陸軍士官学校軍医のクン・トゥアイハーンピタックらを首謀者とするクーデター未遂事件が発生しました。これが、ラッタナコーシン暦130年反乱事件です。 事件の本質は、専制君主の濫費(彼らから見れば、スア・パーはその最たるものでした)により国家財政が疲弊し、国防がないがしろにされていると考えた彼らが、専制君主を廃して立憲民主主義を樹立することで問題を解決しようとしたもので、彼らの主張は、20年後の1932年革命へとつながっていくことになります。 結局、事件は鎮圧され、スア・パーやルーク・スアもそのまま維持されていくことになるのですが、全国民的な運動としてのスカウト活動の展開には、反乱将校たちが指摘したように、巨額の経費がかかることもまた事実でした。このため、第1次大戦後の1919年から1921年にかけて、タイ郵政は、今回ご紹介したような寄付金つき切手を発行したというわけです。ちなみに、今回ご紹介の切手に関しては、額面2サタンの切手に3サタンの寄付金が上乗せされて発売されました。 なお、第一次大戦前後のタイの状況については、拙著『タイ三都周郵記』でも、簡単にではありますがまとめていますので、機会がありましたら、ぜひ、ご覧いただけると幸いです。 ★★★ 内藤陽介の最新刊 ★★★ 総項目数552 総ページ数2256 戦後記念切手の“読む事典”(全7巻) ついに完結! 『昭和終焉の時代』 日本郵趣出版 2700円(税込) 2001年のシリーズ第1巻『濫造濫発の時代』から9年。<解説・戦後記念切手>の最終巻となる第7巻は、1985年の「放送大学開学」から1988年の「世界人権宣言40周年」まで、NTT発足や国鉄の分割民営化、青函トンネルならびに瀬戸大橋の開通など、昭和末期の重大な出来事にまつわる記念切手を含め、昭和最後の4年間の全記念・特殊切手を詳細に解説。さらに、巻末には、シリーズ全7巻で掲載の全記念特殊切手の発行データも採録。 全国書店・インターネット書店(amazon、bk1、JBOOK、livedoor BOOKS、7&Y、紀伊国屋書店BookWeb、ゲオEショップ、楽天ブックスなど)で好評発売中! |
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