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内藤陽介 Yosuke NAITO
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 ロシアの時間帯が11から9に 
2010-03-28 Sun 19:33
 ヨーロッパやロシアでは、きょう(28日)から夏時間に移行しますが、これに伴い、ロシアでは、政治・経済面での効率化を目的として、国土の東西で11あった時間帯が9に減らされました。というわけで、きょうはこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      ソ連・1963年用年賀

 これは、ソ連が発行した1963年新年用の年賀ステーショナリー(切手つき封筒)です。

 ソ連時代から現在のロシアにいたるまで、かの国では年賀切手・ステーショナリーを発行しています。年賀といえば、我々の感覚ではなんといっても干支ですが、ソ連やロシアのデザインとしては、時計が好んで用いられています。まぁ、かつての共産主義体制下では、干支は迷信ないしは民族主義的偏向としてネガティヴな評価を下されていたのでしょうし、そもそも、中国系・朝鮮系等を除くと、干支というものがなんであるか知らないという人々も多かったからでしょう。その点、時報に合わせて新年のカウントダウンを行うのは、洋の東西を問わずに行われていることですから、無難といえば無難といえそうです。

 今回ご紹介の切手つき封筒では、表示にアルメニア語も印刷されている点がミソです。現在、アルメニアは独立国ですが、当時はソ連を構成する共和国の一つで、いまもむかしもモスクワ時間とは+1の時差があります。ということは、このステーショナリーの時計塔がアルメニアのものだとすると、この時計が元日の0時を指しているときには、モスクワはまだ大晦日の23時ということになります。

 さて、今回の時間帯変更では、ロシア最東部のカムチャツカ地方(モスクワから+9)の時間帯を隣接するマガダン地方(+8)に、中西部のサマラとイジェフスク(+1)をモスクワに、中部のケメロボ(+4)をオムスク(+3)に、それぞれ統合するというもので、サマータイムの施行後も、時計の針を進めないことによって新時間帯への移行が実施されたということです。

 メドベージェフ大統領は、最終的に全土の時間帯を5つ程度まで減らすことを検討しているとのことですが、こういうことは上からの命令ですぐに現場が対応できるというものでもありませんからねぇ。たとえば、今回、モスクワ時間に統合される西部サマーラ州では、かつて1989年にも同様の試みをしたものの、午後3時には暗くなることへの不満や消費電力の増加から1991年に再び時差が設けられたこともあり、大規模な抗議デモも予定されているようです。

 もっとも、時間厳守を旨とする(僕以外の)日本人の感覚からすると、ロシア人には時間感覚のルーズな人も少なくありませんからねぇ。一部の地域とはいえ、今回の時間帯の変更で、従来よりも1時間早く行動してもらう位がちょうど良いのかもしれませんな。

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