どんな人間でも子供の頃はあったし、若い頃もあったはずなのですが、歴史上の人物の中には、年を取ってからのイメージが強烈すぎて、若い頃の顔を想像できない人というのが少なからずいます。
たとえば、伊藤博文にしろ板垣退助にしろ、我々がすぐに思い浮かべる顔は立派なヒゲをたくわえたお札の肖像であって、幕末維新期の青年時代の顔ではありません。世界史に目を転じてみれば、イランのホメイニなんかが、若い頃の顔を想像しにくい人物の典型ではないかと思います。
6月13日の日記 でもご紹介したように、1979年のイスラム革命後、1980年代、イランは自らの政治的主張を内外にアピールするために積極的に切手を活用してきました。しかし、そうしたプロパガンダ切手の洪水の中でも、ホメイニの肖像を正面から取り上げた切手は、いっさい、発行されませんでした。
これは、シーア派最高位のイスラム法学者であるホメイニが、自分の肖像の入った切手を発行することは、偶像崇拝を禁止しているイスラムの教えに抵触するとして、現にこれを戒めていたためといわれています。実際、彼の肖像を描く切手は、彼が生きている間は発行されず(反国王デモの風景として、一部の参加者が彼の肖像を掲げている場面の切手はありますが・・・)、1989年7月に発行された追悼切手(↓)が彼の肖像を描いた最初の1枚となりました。
ホメイニが亡くなる前年の1988年、長きに渡ったイラン・イラク戦争がようやく停戦となり、イランの外交戦略は大きく変わることになります。それに伴い、それまで、国際社会に対して自らの正当性を訴えるためのプロパガンダの媒体として活用されてきた切手は、一転して、国内の戦後復興や戦争によって頓挫した革命後の国家建設を国民に訴えるためのメディアとなりました。そして、ほぼ同時期に革命のカリスマであったホメイニが亡くなったことで、イラン政府は、ホメイニの理想を継承するという立場をアピールするため、ホメイニ切手を大量に発行していくことになるのです。
それにしても、イランが発行するホメイニの切手は、年をとってからの肖像ばかりで、青年時代あるいは40代の脂が乗り切った頃の肖像というのは、ついぞお目にかかれません。敬老の日におばあちゃんの家に遊びに行った孫が、彼女の若かりし頃の写真を見てびっくりし、おばあちゃんから「私だって最初から年寄りだったわけじゃないのよ」といわれるというのは、まぁ、ありがちな光景なのでしょうが、ことホメイニに関する限り、最初から老人の顔をしていたと思いたくなるのは、僕だけではないように思います。