2008-04-30 Wed 11:36
ご報告が遅くなりましたが、雑誌『TVブロス』4月26日号(2008年4月26日-5月9日の番組表が掲載されています)が発売になりました。今号の同誌は“切手”の特集を組んでいて、僕も、今一番ホットな話題であるチベットのことなんかも取り上げながら、切手から垣間見える国際情勢や歴史などを語るコラムを寄稿しています。そこで取り上げたネタの中から、こんなモノをご紹介しましょう。
これは、1984年11月15日に発行された「日本プロ野球50年」の記念切手です。 日本における職業野球の歴史は、1920年に結成された日本運動協会がそのルーツになっています。現在の東京読売巨人軍の前身にあたる大日本東京野球倶楽部の発足は、それから10年以上も後の1934年のことですから、巨人軍の歴史=プロ野球の歴史というのは、歴史的事実としてはかならずしも正確とはいえません。 ところが、自他ともに日本プロ野球界の盟主をもって任ずる読売としては、1984年の大日本東京野球倶楽部発足50周年にあわせて、なんとしても「巨人軍50年」の記念切手発行を実現したいとかんがえていました。このため、読売は郵政省に対して「巨人軍50年」の記念切手の発行を申請。ところが、一民間企業の創立を祝う切手の発行など、当時は当然認められるはずもなく、申請はあっさり却下されてしまいます。 そこで、読売は日本プロ野球機構に働きかけ、下田武三コミッショナーの主導の下、1984年に“プロ野球50年”の記念切手発行を求める申請を行おうと画策しました。 これに対して、パ・リーグの関係者からは「プロ野球の五十周年は(日本職業野球連盟の発足から起算して)1986年のはずだ」との異論が続出しましたが、最終的に、コミッショナーとセ・パ両リーグ会長、12球団代表から構成される実行委員会は1984年を“プロ野球50年”とすることで合意。文部省を通じて、郵政省に記念切手の発行を申請しました。そして、郵政省側も“プロ野球50年”ならば、ということで申請を受理し、記念切手の発行を決定します。 すると、1984年3月、プロ野球機構側は、郵政省が制作するはずの切手のデザインを「正力松太郎と王貞治」として勝手に“内定”し、スポーツ新聞各紙に発表。これには郵政省も困惑を隠せず、「正力松太郎は読売新聞社創業者としてのイメージが強く、民間企業の宣伝になるので切手の図案になりえない」「王貞治氏に関しても、切手には生存中の人物は描かないのが大原則だ」と発表するなど、対応に追われました。 結局、すったもんだの末、郵政省はプロ野球機構側に押し切られ、記念切手としては、沢村栄治をモデルとした「投手」と景浦将をモデルにした「打者」、それに「球場にプロ野球創設者正力松太郎像を配す」という3種類が発行されました。 こうして、読売の悲願が達せられたわけですが、今回ご紹介の図版のような配列で、1枚20面の切手シートは「投手」と「打者」を2枚ペアにしたものが6組(12枚)、「正力」が8枚という構成であったため、利用者が3種類を1枚ずつ購入すると正力だけがバラで売れ残り、郵便局の現場では売れ残りの正力切手の処理に手を焼いたといわれています。 まぁ、巨人軍というと、会長(前オーナー)の強引なやり方がしばしば話題になるわけですが、この記念切手が発行された時、現在の会長さんはまだ巨人軍の経営にはタッチしていません。ということは、時として世の顰蹙を買う巨人のやり方というのは、会長なりオーナーなりの個人的資質が原因ということではないんでしょうな。 なお、プロ野球50年の記念切手については、拙著『近代美術・特殊鳥類の時代』でも詳しく説明しておりますので、よろしかったら、そちらもぜひ、ご覧いただけると幸いです。 もう一度切手を集めてみたくなったら 雑誌『郵趣』の2008年4月号は、大人になった元切手少年たちのための切手収集再入門の特集号です。発行元の日本郵趣協会にご請求いただければ、在庫がある限り、無料でサンプルをお送りしております。くわしくはこちらをクリックしてください。 |
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