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内藤陽介 Yosuke NAITO
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 パリの矜持
2008-04-23 Wed 10:35
 パリ市議会がチベット仏教の最高指導者ダライ・ラマ14世に名誉市民の称号を贈る議案を可決しました。当然のことながら、中国政府はこれを激しく非難していますが、中国政府からの“非難”は、現在の世界の圧倒的多数の人々の目には、世界平和と人権に貢献する栄誉として映っているわけで、ここは、僕も素直にパリの矜持に敬意を表したいと思います。

 というわけで、僕のイメージの中のパリの雰囲気に近い1枚として、こんな切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

 テラスの広告

 これは、近代美術シリーズの第12集として1982年2月25日に発行された佐伯祐三の「テラスの広告」です。

 佐伯祐三は、1898年に大阪・中津の寺、光徳寺の次男として生まれ、北野中学(現・大阪府立北野高校)を卒業後、1918年、川端画学校を経て東京美術学校に入学し、藤島武二に師事しました。卒業後の1924年1月から1926年1月までの約2年間、パリに滞在し、ヴラマンクやユトリロの影響を受け、パリの街頭風景を描いた作品を多く残しましたが、持病の結核が悪化し、家族の説得に応じて一時帰国。その後、1927年8月から再びパリに渡りましたが、1928年3月頃から再び結核が悪化し、さらに精神面でも不安定になり、同年8月、入院中のセーヌ県立ヴィル・エヴラール精神病院で客死しました。

 佐伯は、パリの街角、店先などを独特の荒々しいタッチで描いた作品を多数残していることで知られていますが、その中には、街角のポスター、看板等の文字を造形要素の一部として取り入れている点が特色となっています。

 切手に取り上げられた「テラスの広告」は、2度目の渡仏直後の1927年の作品で、佐伯の最高傑作の一つとされており、ブリヂストン美術館の所蔵品です。

 パリが芸術の都として発展を遂げた理由はいくつかあると思いますが、今回取り上げた佐伯祐三のような“よそ者”を広く受け入れてきたことで、文化的な多様性を確保してきたという点も見逃せないと思います。じっさい、佐伯は渡仏直後の1924年初夏、パリ郊外のオーヴェール・シュル・オワーズに、フォーヴィスムの画家モーリス・ド・ヴラマンクを訪ね、自作の絵を見せたところ、ヴラマンクに「このアカデミックめ!」と一蹴され、強いショックを受けたというエピソードがありますが、考えようによっては、極東から訪ねてきた名もなき若手画家に御大みずからが対応するという懐の深さは、やはり大したものだと思います。

 以前の記事でも書いたことがありますが、文化の質的な向上には“表現の自由”が不可欠で、この点で、現在の中国の共産党一党独裁体制は決定的に不利な状況にあります。そうした本質的な欠陥に気付かない限り、どれほど経済的・軍事的に大国になろうとも、中国が文化国家として世界的に認められることはあり得ないわけですが、まぁ、難しいでしょうな。

 なお、今回ご紹介の切手を含む「近代美術シリーズ」については、拙著『近代美術・特殊鳥類の時代』でも詳しく説明しておりますので、よろしかったら、ぜひ、ご一読いただけると幸いです。

  イベントのご案内 
 4月26日(土)13:00より、東京・浅草の都立産業貿易センター台東館にて開催のスタンプショウ’08会場内にて、拙著『近代美術・特殊鳥類の時代』の刊行を記念してトークイベントを行います。入場は無料で、スタンプショウ会場ならではの特典もご用意しておりますので、是非、遊びに来てください。皆様のお越しを心よりお待ち申しております。 

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