2008-04-18 Fri 10:31
今日(18日)から20日まで、東京・目白の切手の博物館3階で、韓国切手展が開催されています。同展には、僕も「朝鮮現代史抄 1945-1953」と題して、3月の台北展に出品した作品の中から、朝鮮半島に関する部分を抜粋して展示しています。今日は、その中からこんなモノをご紹介しましょう。(画像はクリックで拡大されます)
これは、終戦直前の1945年8月9日、愛知県・大高から平壌宛に差し出されたものの、平壌に届けられることなく返送されたカバーです。 第2次大戦中の1943年11月、ローズヴェルト、チャーチル、蒋介石の3国首脳は「朝鮮人民の奴隷状態に留意し、しかるべき順序を経て朝鮮を自由かつ独立のものとする」ことをうたったカイロ宣言を発表。のちに、ソ連もこれを承認したことから、朝鮮の独立が連合国側の究極的な目標のひとつとして策定されることになります。 しかし、日本の降伏は1946年以降にずれ込むものと考えていたアメリカは、実際に日本が降伏した1945年8月の段階では、カイロ宣言にうたわれた「しかるべき順序」について、朝鮮を信託統治下に置くという以外、なんら具体的なプランを持っておらず、沖縄を最前線として来るべき九州上陸作戦の準備を進めていました。 これに対して、8月9日、満洲の関東軍に宣戦布告して攻撃を開始していたソ連軍は、13日、朝鮮北部の清津港攻撃作戦を開始し、16日には同港を占領しています。それゆえ、アメリカが朝鮮に進駐する以前に、ソ連が朝鮮全土を占領する可能性は非常に大きかったといえます。 そこで、アメリカは、朝鮮を米ソの共同管理に持ち込むためには、ソウルを含むできるだけ広い範囲を占領することが必要と考え、ソ連に対して、日本全土をアメリカが単独占領する代わりに、朝鮮については北緯38度のラインで両国が分割占領することを提案。ソ連は千島を占領することを条件にこれを承認しています。 この結果、9月2日、東京湾停泊中のアメリカ軍艦ミズーリ号上で日本の降伏文書が調印されると、連合国軍最高司令官のマッカーサーは、各地の日本軍の降伏を受理する担当国を指定するために、連合国(軍)最高司令官総司令部一般命令第一号(一般命令第一号)を発し、朝鮮半島に関しては、北緯38度以北はソ連極東軍司令官が、同以南は合衆国太平洋陸軍部隊最高司令官が、それぞれ、駐留日本軍の降伏受理を命じました。 当初、占領の境界線となった北緯38度線は、朝鮮を自立させるまでの暫定的なものとされていたのですが、ソ連はこれを封鎖し、北朝鮮における衛星国の建設を開始しています。じっさい、ソ連による38度線の封鎖は極めて厳格で、ヒトやモノのみならず、郵便物の交換も厳しく制限されていました。 たとえば、戦争終結と同時に取り扱い停止となっていた、敗戦国・日本から海外宛郵便物は、1945年11月16日、私信の場合には個人の安否消息に関する葉書に限るなどの制約はあったものの、とりあえず再開されましたが、ソ連占領地域宛の郵便物はその対象外とされ、北朝鮮に関しては1946年8月まで、日本から郵便物を送ることができませんでした。 今回ご紹介のカバーも、終戦直前に平壌宛に差し出されたものの、上記のような事情から、日本国内に留め置かれ、平壌に届けられることなく「本郵便物ハ送達不能ニ付一先返戻ス」との事情説明の印が押されて返送されたものです。 こうして、郵便物の交換もままならないほどの閉鎖的な状況の中で、北緯38度線以北では親ソ衛星国の建設が急ピッチで進められ、朝鮮半島分断の現代史がスタートすることになります。 今回の展示では、米ソによる南北朝鮮の分割占領から大韓民国・朝鮮民主主義人民共和国両政府の成立を経て、朝鮮戦争の終結にいたるまでの経緯を概観したものです。本来であれば、充分に5フレーム以上の展開が可能な大きなテーマですが、今回は1フレームのダイジェスト版として展示しています。 会場の切手の博物館は、地下鉄・東西線の高田馬場から徒歩7~8分というロケーションですから、やはり東西線が通っている大手町で開催中の全日本切手展をご参観の折には、ぜひ、韓国切手展にも足を延ばしていただけると幸いです。 イベントのご案内 4月26日(土)13:00より、東京・浅草の都立産業貿易センター台東館にて開催のスタンプショウ’08会場内にて、拙著『近代美術・特殊鳥類の時代』の刊行を記念してトークイベントを行います。入場は無料で、スタンプショウ会場ならではの特典もご用意しておりますので、是非、遊びに来てください。皆様のお越しを心よりお待ち申しております。 雑誌『郵趣』を読んでみませんか 無料でサンプルをお送りしております。くわしくはこちらをクリックしてください。 |
今回の韓国切手展には、前回コメントしましたように、韓国と朝鮮民主主義人民共和国の21世紀を題材にした作品を出品したわけですが、朝鮮の解放から、朝鮮戦争までを題材にした「有志による企画出品」に小生もマテリアルを提供しています。全部で4通のマテリアルを用意したのですが、一つだけ時期はずれとして不採用になってしまいました。その不採用のマテリアルが内藤師匠が今日紹介している「ピョンヤン宛差出人戻し」の郵便物です。小生の所有は九州からの差出で、日付は昭和20年8月1日となっています。(何しろこのマテリアルは韓国切手展のためにKOREA部会関係者の方に預けてありますので、今は手元にありません)内容は九州在住の妹がピョンヤンで軍務についている兄に宛てた手紙で、内容は激化する空襲の模様が記述されています。小生所有のこのマテリアルも今回内藤師匠が取り上げているマテリアルと同じ理由で差出人への返送と考えればよろしいのでしょうか?またこの年の六月頃に「受取人」の兄が妹に宛てたハガキも同時に入手してあります。いずれこのマテリアルをお見せ致します。(今回の書き込みは携帯電話で行いました)
#1163 コメントありがとうございます
大津太孝様
コメントありがとうございます。(亀レスになってしまい、すみません) 現物を見ないとわかりませんが、大津さんのカバーも僕のものと本質的には同じものだろうと思います。いずれ、見せていただけるのを楽しみにしております。 |
|
||
管理者だけに閲覧 | ||
|
| 郵便学者・内藤陽介のブログ |
|