2008-04-03 Thu 23:48
今日は、京都市の清水寺をはじめ全国の“清水寺”で作る全国清水寺ネットワークが1998年に“し(4)み(3)ず”(清水)の語呂合せで制定した“清水寺・みずの日”だそうです。というわけで、清水寺がらみの切手の中から、こんなモノを持ってきてみました。(画像はクリックで拡大されます)
これは、1947年8月19日に発行された“郵便切手を知る切手展(京都切手展)”を記念して発行された小型シートで、清水寺を描く2円の通常切手が5枚収められています。 1947年5月に東京・日本橋の三越百貨店で開催された「郵便切手を知る展覧会」(東京展)は、1週間の会期で入場者総数が26万人を超えるなど、イベントとしては大成功を収めました。これを受けて、東京展の展示パネルを使いまわして全国各地での巡回展を行うことが決定され、逓信省は巡回展の開催地決定のため、各逓信局の意向を打診します。 しかし、打診を受けた各逓信局では、会場の確保や予算上の問題を理由に、ことごとく切手展の開催に難色を示し、巡回展の開催地はなかなか決定しませんでした。結局、やはり東京の次は関西で開催すべきということに意見が集約され、8月19日から24日までの6日間、京都市四条高倉の大丸百貨店6階催事場を会場に、大阪逓信局の主催で「郵便切手を知る展覧会」が開催されることが決定されます。このとき、すでに7月半ばを過ぎており、会期までは残り1ヶ月を切っていました。 展覧会を引き受けた大阪逓信局では、当初、東京展の展示内容に改良を加える予定でしたが、なにぶんにも準備期間が少なかったため、結局、地元収集家・鹽見芳水の手になる使用済切手で法隆寺を描いた衝立を除くと、東京展とほぼ同内容の展示におわりましたが、6日間の会期中、約5万人の入場者を動員し、成功裏に終わっています。 このように、切手展の準備があわただしく進められるなか、東京展の先例に倣い、会場内で記念小型シートを発売する計画も実行に移されました。 当初、逓信省の内部では、東京展の際に発行した小型シートが大量に残っていたことから、これに“京都”の文字を加刷したものでお茶を濁すことも考えられていたようですが、やはり、新規に小型シートを作成しようということになり、清水寺を描く2円切手に白羽の矢が立てられます。 清水寺の2円切手が小型シートに利用されたのは、なにより、図案が開催地の京都にゆかりのものであったためです。また、この2円切手が平版・無目打・無糊で製造されていたため、小型シートの製造が簡便であったことも、短期間で製造・発行するための好要因となっていました。 小型シートは、会期初日から会場内の京都郵便局臨時出張所で販売され、会期中、1万540シートが販売されました。これは、東京展の場合と比べると、対入場者数比で比較的好成績でしたが、それでも、15万枚という発行枚数からすると、相当数の売れ残りを生じることになりました。このため、京都郵便局では、在庫を消化するために、相当数の売れ残り小型シートを単片に切り離して窓口で売りさばいたと伝えられています。 なお、この小型シートは、切手部分としては既存の普通切手を流用していたため、その発行告示も、1946年12月3日付で出された逓信省告示第171号(清水寺2円切手の発行告示)をもって代用するとして、小型シート(当時の逓信省の表現では「組合せ郵便切手」)そのものとしては出されませんでした。このため、アメリカのスコットカタログなどでは、この小型シートは清水寺の2円切手のサブナンバーとして記録されています。 なお、この切手と京都切手展に関しては、拙著『濫造・濫発の時代』でも詳しくご説明しておりますので、機会がありましたら、ぜひ、ご覧いただけると幸いです。 |
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