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内藤陽介 Yosuke NAITO
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 クリシュナの牛
2009-01-10 Sat 09:57
 The Dairy NNA アジア総合版に連載中の僕のコラム「切手から読み解くインド」の第34回が配信となりました。皆さんにお届けする僕の仕事としては今年の“初荷”になりますので、今回は干支にちなむ牛の話を取り上げて、いくつかの切手をご紹介しています。そのなかから、今日はこんな1枚を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

 インド・酪農会議

 これは、1974年12月にニューデリーで開催された「第19回国際酪農会議」の記念切手です。

 クリシュナは、インド神話に登場する神のひとりで、ヒンドゥー最高神の一つとされるヴィシュヌ神の化身とされています。

 悪名高いカンサ王は、ある日、占い師から、ヴァースデーヴァの8番目の息子に殺されると予言されます。予言を恐れた王は、ヴァースデーヴァの息子を皆殺しにすることを命じましたが、バララーマ(ヴィシュヌ神を守る蛇族の王・アナンタの生まれ変わり)とクリシュナの2人だけは危うく難を逃れ、牛飼いの家で育てられます。幼少期から牛車を持ち上げるほどの怪力を発揮した彼は、眉目秀麗な青年に成長して牛飼いの娘たちとさまざまな恋愛を繰り広げたほか、カンサ王を成敗。さらに、国の覇権をめぐって2つに分かれたバーラタ一族の争い(その経緯をまとめたのが叙事詩「マハーバーラタ」)に際しては、主人公の王子・アルジュナの指南役としてアルジュナを支えました。

 こうしたことから、クリシュナは牛を連れて笛を吹く姿で描かれることが多く、今回の切手も、牛を連れたクリシュナを描くタペストリーの一部が取り上げられたものです。ただし、切手では牛のみが取り上げられクリシュナの姿は省かれています。神であるクリシュナの姿に消印を押すのは畏れ多いと判断されたのかもしれません。

 今回の記事では、この切手以外にも、インドの切手やはがきに登場する神話と牛についていろいろとご紹介しています。機会がありましたら、ぜひ、ご覧いただけると幸いです。
 
 イベントのご案内

 以下の日程で『年賀切手』の即売・サイン会(行商ともいう)に出かけます。どちらも入場は無料で、お買い求めいただいた方には会場ならではの特典をご用意しておりますので、よろしかったら、遊びに来てください。

 1月10日(土) 切手バザール 於・切手の博物館(東京・目白) 10:30-17:00
  * JPSオークションのブースで販売します。内藤は11:00頃から会場にいる予定です 
 1月11日(日) 切手市場 於・桐杏学園(東京・池袋) 10:15~16:00
  * 内藤は11:00頃から会場にいる予定です。

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 年賀状の末等賞品、年賀お年玉小型シートは、誰もが一度は手に取ったことがある切手。郷土玩具でおなじみの図案を見れば、切手が発行された年の出来事が懐かしく思い出される。今年は戦後の年賀切手発行60年。還暦を迎えた国民的切手をめぐる波乱万丈のモノ語り。戦後記念切手の“読む事典”<解説・戦後記念切手>シリーズの別冊として好評発売中!

* 内容の一部は、このブログの年賀カテゴリーでもご覧になれます。なお、本書をご自身の関係するメディアで取り上げたい、または、取り上げることを検討したい、という方は、是非、ご連絡ください。資料を急送いたします。

 おかげさまで売れてます! 
 おかげさまで、売れ行き好調です。年末年始の休暇中で品切れとなっていたbk17&Yにも無事入荷したようです。もちろん、アマゾン紀伊国屋書店にも在庫があります。なお、日本郵政本社ビル・ポスタルショップでは、『年賀切手』の販売特設コーナー(下の画像:山内和彦さん撮影)も作っていただきました。

 日本郵政特設コーナー 
 
 
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 世界のダム:バークラ・ダム
2008-06-13 Fri 11:12
 (財)建設業振興基金の機関誌『建設業しんこう』の6月号が出来上がりました。僕が担当している連載「切手の中の世界のダム」では、今回はこの1枚を取り上げました。(画像はクリックで拡大されます)

 バークラダム

 これは、1967年3月15日にインドで発行された5ルピーの通常切手で、バークラ・ダムが取り上げられています。

 チベット南西部のランカ湖に発するサトレジ川は、インド北西部をヒマラヤ山脈に沿って流れる1400キロの大河で、インダス平原でインダス川と合流します。

 1947年にイギリスから独立したインドは、早速、治水・灌漑・発電を目的としたサトレジ川の総合開発、バークラ・ナンガル計画に着手し、1948年からダムの建設に着工。15年の歳月を費やして1963年に高さ226メートルのバークラ・ダムを完成させました。ダムによってもたらされた4万平方キロの灌漑はパンジャブ地方にいきわたり、インド随一の小麦・麦の一大穀倉地帯を支えています。なお、ダムによる人造湖、ゴビンドサガル湖はこの地域最大の湖です。

 近年、インド経済の急速な成長に伴い電力需要は激増していますが、CO2削減を目指す必要から、石炭火力をどこまで他のエネルギー源に置き換えられるかが大きな課題となっています。このうち、水力に関しては、インドは潜在的に14万8701MWの発電能力があるとされていますが、現時点ではその70%が未開発のままになっています。このため、インド政府は2008年から2011年までの第11次5ヵ年計画で、とりあえず1万6553MWの水力を開発することにしています。

 その一環として、バークラ・ダムにあわせて1961年に建設された水力発電所については、バークラ渓谷管理会社(ダム管理のため、インド北部の4州が共同で運営)が日本の住友商事と日立製作所に水力発電所の増強工事を発注したことが先日報じられました。工事は今夏に始まり、2012年に完成の予定といわれています。

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 人口学的侵略の名残り
2008-04-15 Tue 14:07
 1965年の第2次印パ戦争以来、運航が中断されていたインドのコルコタ(カルカッタ)とバングラデシュのダッカを結ぶ旅客列車の運行が、昨日(14日)、43年ぶりに再開されたそうです。というわけで、今日はこの切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

 インド・難民救済加刷

 これは、1971年12月にインドで発行された難民救済の加刷切手です。

 1947年に英領インド帝国が解体された際、現在のバングラデシュに相当する地域は東パキスタンとして、現在のパキスタンに相当する西パキスタンとともに“パキスタン”を構成していました。“パキスタン”の政治的な実権を握っていたのは西パキスタンで、東パキスタンで生産されるジュートによってもたらされる外貨は、西パキスタン地域に優先的に支出される状況が続いていました。また、1970年の集中豪雨によって東パキスタン国土のほとんどが水没、17万人に上る死者が出たにもかかわらず、パキスタン政府の西パキスタン偏重政策は変わらず、東パキスタン住民の不満は高まります。

 このため、1970年の総選挙では、東パキスタンを地盤とした政党・アワミ連盟が“バングラ民族主義”を掲げて大躍進。東パキスタンの分離・独立運動は一挙に高揚することになりました。

 この動きに目をつけたインドは、パキスタンを弱体化させるために、東パキスタンの独立運動を支援。パキスタン軍が東パキスタンの独立運動を阻止すべく武力での征圧を開始し、東パキスタン難民がインドに流入するようになると、インドはこれを“人口学的侵略”としてパキスタンに侵攻。パキスタン軍はわずか2週間で降伏し、東パキスタンは1971年12月、バングラデシュとして独立します。

 こうした状況の下で、インドでは1971年11月15日から1973年3月31日まで、インド政府はバングラデシュ地域から流入する難民の救援資金を集めるため、葉書・新聞・盲人用郵便・軍事郵便・カシミール地域からの郵便などを除く郵便物に対して郵便料金とは別に5パイサの課金をすることを決定。そのための強制貼付切手を1971年12月1日に発行しました。ただし、当初は全インドの需要を満たす正刷切手を供給することができなかったため、家族計画キャンペーンの切手に“Regugee Relief”の文字を加刷したものが追加的に発行されています。

 ところで、今回ご紹介の切手については、僕はカタログの図版を見間違えて当初、“全インド共通”のものと書いてしまったのですが、これは誤りで、バンガロールで発行の地方加刷です。お詫びして訂正いたします。なお、この点については、黒崎卓先生から丁寧な解説を頂きましたので、そのまま、以下に転載しておきたいと思います。

 ブログで紹介されている切手は、インド政府が地方に有する印刷所(官報などを印刷するオフィス)において凸版やオフセットなどで加刷したLocal Typographed Provisionalsと呼ばれる一群の臨時切手の1つで、バンガロールの印刷所で加刷したものです。6箇所ないし7箇所で作成され、加刷文字にはいくつかのパターンがあって、全部共通ではありません。発行日は定かでありませんのでギボンズのCommonwealthなどは発行日を載せず、インドの専門カタログでは救済税開始の11月15日を採用しています。同じ11月15日には、ISPによる凸版加刷の臨時切手が発行され、これを、ISP所在地にちなみNasik Provisionalと呼びます。このほかに各地の郵便局が思い思いにゴム印などを押した臨時切手がありLocal Provisionalsと呼ばれています。ポイントは、全インド共通に使われたのは、正刷切手とNasik Provisionalの2種類だけ。地方で使われたものにLocal Typographed ProvisionalsとLocal Provisionalsがあって、前者は6種類ないし7種類、後者は星の数ほど種類があるということになります。
 (転載はここまでです。黒崎先生、ありがとうございました)

 さて、上述のように、インドがバングラデシュの独立を支援したのは、あくまでも、パキスタン(旧西パキスタン)を弱体化させることが目的でしたから、独立後のバングラデシュから大量の難民や不法入国者が流入してくることに対しては、これを何とかして阻止したいというのがインドの本音でした。このため、インド側はバングラデシュとの国境の往来には非常に慎重で、長らく鉄道が再開されなかったのもそのためです。

 今回の鉄道再開は、近年、インド経済が急成長を遂げる中で貿易拡大への期待が高まったことや、最大の仮想敵国である中国の躍進に対抗するため周辺諸国との関係改善が必要になってきたことなどの事情があると思われます。ただ、インドとバングラデシュの間の経済格差が埋まらない限り、“人口学的侵略” も収まらないでしょうから、そのあたり、インドとしても頭の痛いところでしょうな。

 イベントのご案内 
 4月26日(土)13:00より、東京・浅草の都立産業貿易センター台東館にて開催のスタンプショウ’08会場内にて、拙著『近代美術・特殊鳥類の時代』の刊行を記念してトークイベントを行います。入場は無料で、スタンプショウ会場ならではの特典もご用意しておりますので、是非、遊びに来てください。皆様のお越しを心よりお待ち申しております。 

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 ガンジー没後60年
2008-01-30 Wed 14:51
 インド独立の父、ガンジーが1948年1月30日、ヒンドゥー至上主義者に暗殺されてから、今日でちょうど60年です。というわけで、今日はこの1枚を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

 ガンジー(国際児童年)

 これは、1980年にインドで発行された国際児童年の切手で、泣いている子供をあやすガンジーが描かれています。温厚な聖人というガンジーのイメージがそのまま表現されたような1枚といってよいでしょう。

 ガンジーというと非暴力・不服従という言葉のイメージから誤解されがちですが、実際には決してリベラルな人物ではなく、かなり過激でしたたかな人物です。

 すなわち、ガンジーの非暴力・不服従というのは、非常に単純化していうと、侵略者に対しては「持ち物はくれてやるが、侵略者には協力しない」ないしは「侵略者の意志に服従するよりはいさぎよく死んでゆく」ということであって、決して無抵抗ということではありません。

 じっさい、ガンジーは「ヒンドゥー教徒もムスリムも、殺さず自ら死ぬ勇気を培って欲しい。もしその勇気がなければ、せめて殺し殺される術を身につけることだ。卑怯にも危険から逃れてはならない。逃げる者は精神的なヒンサー(暴力)を振るうのだ。逃げるのは、殺そうとして殺されるだけの勇気がないからだ」と発言しています。この発言を読む限り、ガンジーの戦略とは、不服従の結果、イギリスの理不尽な弾圧によって、多くのインド人が無抵抗のまま犠牲になれば、国際世論はそれを放置できなくなって、インドは正義の国として独立できるだろうというものだったと理解するのが妥当なように思われます。

 このほかにも、たとえば、カースト制度をめぐるガンジーの姿勢はかなりしたたかです。すなわち、一般的にはガンジーは、不可触民を“神の子(ハリジャン)”と呼んで尊重したことになっていますが、ガンジーの考える“平等社会”というのは、下層労働力としての不可触民の存在を前提にしたものであり、“古きよきカースト社会”を理想とするものでした。

 彼は「ヒンドゥー社会が存続するとしたら、それはカースト制度のうえに成り立っているからである。自治独立の芽はカースト制の中にこそ求められるべきだ」、「異カーストの間で食事をともにせず、結婚しないからといってカースト制が悪いとはいえない」、「カーストを超えて結婚し、職業を選ぶのは、ヒンドゥー教徒にカーストの真髄である世襲的職業原理を放棄せよといっているのと同じだ。世襲的原理は永遠の原理だ」などと主張し、イスラム教徒の分離独立選挙は認めたものの、不可触民の分離独立選挙には最後まで反対しています。

 このように、イギリスの植民地支配に対しては人権という視点からの人道的批判を期待しておきながら、たとえばカースト制のようなインド国内の人権問題に関しては、インドの伝統やヒンドゥー教徒としての信仰という領域に逃げ込んで批判をかわそうとするなど、ガンジーの独立運動はダブル・スタンダードを巧みに使い分けたものでした。それゆえ、独立インドの初代法務大臣にして“インド憲法の父”と呼ばれているアンベードカルは、カースト制度に関するガンジーの欺瞞を厳しく批判し、ガンジーと対立しています。

 もっとも、あれだけの巨大な国の独立運動を率いたカリスマですから、考えようによっては、それくらいのしたたかさというか、狡猾さというか、そういうものがないとやっていけなかったであろうことは十分に理解できますがね。
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 インドのチャップリン
2007-12-25 Tue 14:06
 1977年12月25日に喜劇王、チャールズ・チャップリンが亡くなってから、今日でちょうど30年になります。というわけで、今日はこの切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

 インドのチャップリン

 これは、1978年4月16日にインドが発行したチャップリンの追悼切手で、山高帽にステッキ、だぶだぶのズボンというチャップリンおなじみのスタイルが描かれています。チャップリンが亡くなってから半年も経たないうちの発行ですので、追悼切手としては非常に早い時期のモノいってよいでしょう。

 チャップリンとインドというと意外な組み合わせのように思われるかもしれませんが、実は、彼の代表作の一つ『モダン・タイムス』には、ガンジーの影響があるといわれています。

  1931年9月、ロンドンで開かれたインドの憲法制定に関する第2回英・印円卓会議に出席したガンジーは、会議の合間にチャップリンと会っています。ガンジーはチャップリンの映画を見ていないので、彼が何者かは知りませんでしたが、チャップリンがロンドンの貧民街の生まれであることを知ると、喜んで面会に応じたそうです。

 当時のガンジーはインドの独立運動家として“ヒンドゥ・スワラジ”の運動を展開しており、 「機械はヨーロッパを荒廃させかけている。イギリスはいまや破滅の寸前にある。機械は近代文明の主要な象徴であり、重大な罪悪を意味する」と主張していました。しかし、機械文明を一切否定するかのような発言は、彼の“聖人”イメージともあいまって、欧米世界では奇異の目で見られることも多かったようです。おそらく、チャップリンも最初はそうした好奇心から、ネタ探しの一環として、ガンジーと会おうとしたのかもしれません。

 いうまでもないことですが、実際のガンジーは西洋式の教育を受け、弁護士資格も持っている人物ですから、決して神がかり的な復古主義者ではなく、教養人として欧米社会の知識人とも対等以上に渡り合える人物です。チャップリンも、そうした彼の人柄に魅了された1人ですが、特に、機会に関してガンジーが語った「失業者をだすような機械の罪悪に反対しているのであって、機械そのものを否定しているのではない」との言葉に強い感銘を受けたといわれています。

 この言葉からインスピレーションを受けたチャップリンは、1938年、機械文明に翻弄される現代人の悲哀を表現した名作『モダン・タイムス』を完成させました。

 このように考えると、インド側からすると、チャップリンはガンジーの理念を映画という形式によって広く全世界に広めた恩人ということになります。インド郵政が、いちはやく、チャップリンの追悼切手を発行した背景には、そうした事情があったのではないかと思います。

 僕が子供の頃は、年末年始になるとNHKの深夜番組でチャップリンのサイレント映画をさかんにやっていた記憶があるのですが、最近はどうなんでしょうねぇ。この記事を書いていたら、なんだか久しぶりに、『モダン・タイムス』とか『街の灯』とか、サイレント時代のチャップリンの名作を見たくなりました。
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 ラジャスタンの女性
2007-07-22 Sun 12:56
 インドの大統領選で、プラティバ・パティル前ラジャスタン州知事が当選。この結果、インド初の女性大統領が誕生することになったのだそうです。というわけで、今日はこの1枚を持ってきました(画像はクリックで拡大されます)

ラジャスタンの女性

 これは、1980年にインドで発行された“インドの花嫁”切手の1枚で、ラジャスタンの伝統的な花嫁衣裳の女性が取り上げられています。

 ラジャスタン州はインド北西部に位置する同国最大の州で、州都のジャイプールは約10kmの赤い城壁に囲まれ、“ピンク・シティー”とも呼ばれています。

 花嫁のファッションのポイントは、なんといっても、アクセサリーでしょう。耳から頬を経て鼻にいたるチェーンは勿論、髪の生え際に沿ったシルバーのチェーンとか、コーン型のピアスもかなり印象的です。

 大統領閣下もかつてはこういう格好をしたのかと思ってのですが、よくよく調べたら、彼女はラジャスタンの人ではなく、ムンバイのある西南部のマハラシュトラ州の出身なんですね。ということは、彼女の花嫁衣裳も切手とはかなり違ったものだったのかもしれません。

 ところで、新大統領には、1973年に自ら創立したプラティバ・マヒラ・サハカリ銀行が2003年に倒産したという過去があり、そのせいか、金銭スキャンダルもいろいろと囁かれているようです。具体的には、彼女の親類が巨額の債務を不履行にしたほか、彼女自身もボンベイ・プネ共同組合銀行から借りた1億7500万ルピーを返済しなかったのだとか。さらに、殺人事件に関与したとされる彼女の兄弟をかばっているともいわれているようです。

 まぁ、日本でも、大臣になったとたんに金銭スキャンダルが露見するケースはままあるとはいえ、果たしてホントに新大統領、大丈夫なんでしょうかねぇ。
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