はてなキーワード: 於いてとは
「あ、鳴つた。」
と言つて、父はペンを置いて立ち上る。警報くらゐでは立ち上らぬのだが、高射砲が鳴り出すと、仕事をやめて、五歳の女の子に防空頭巾をかぶせ、これを抱きかかへて防空壕にはひる。既に、母は二歳の男の子を背負つて壕の奥にうずくまつてゐる。
「近いやうだね。」
「ええ。どうも、この壕は窮屈で。」
「さうかね。」と父は不満さうに、「しかし、これくらゐで、ちやうどいいのだよ。あまり深いと生埋めの危険がある。」
「でも、もすこし広くしてもいいでせう。」
「うむ、まあ、さうだが、いまは土が凍つて固くなつてゐるから掘るのが困難だ。そのうちに、」などあいまいな事を言つて、母をだまらせ、ラジオの防空情報に耳を澄ます。
母の苦情が一段落すると、こんどは、五歳の女の子が、もう壕から出ませう、と主張しはじめる。これをなだめる唯一の手段は絵本だ。桃太郎、カチカチ山、舌切雀、瘤取り、浦島さんなど、父は子供に読んで聞かせる。
この父は服装もまづしく、容貌も愚なるに似てゐるが、しかし、元来ただものでないのである。物語を創作するといふまことに奇異なる術を体得してゐる男なのだ。
ムカシ ムカシノオ話ヨ
などと、間まの抜けたやうな妙な声で絵本を読んでやりながらも、その胸中には、またおのづから別個の物語が※(「酉+榲のつくり」、第3水準1-92-88)醸せられてゐるのである。
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瘤取り
ムカシ ムカシノオ話ヨ
ミギノ ホホニ ジヤマツケナ
このお爺さんは、四国の阿波、剣山のふもとに住んでゐたのである。(といふやうな気がするだけの事で、別に典拠があるわけではない。もともと、この瘤取りの話は、宇治拾遺物語から発してゐるものらしいが、防空壕の中で、あれこれ原典を詮議する事は不可能である。この瘤取りの話に限らず、次に展開して見ようと思ふ浦島さんの話でも、まづ日本書紀にその事実がちやんと記載せられてゐるし、また万葉にも浦島を詠じた長歌があり、そのほか、丹後風土記やら本朝神仙伝などといふものに依つても、それらしいものが伝へられてゐるやうだし、また、つい最近に於いては鴎外の戯曲があるし、逍遥などもこの物語を舞曲にした事は無かつたかしら、とにかく、能楽、歌舞伎、芸者の手踊りに到るまで、この浦島さんの登場はおびただしい。私には、読んだ本をすぐ人にやつたり、また売り払つたりする癖があるので、蔵書といふやうなものは昔から持つた事が無い。それで、こんな時に、おぼろげな記憶をたよつて、むかし読んだ筈の本を捜しに歩かなければならぬはめに立ち到るのであるが、いまは、それもむづかしいだらう。私は、いま、壕の中にしやがんでゐるのである。さうして、私の膝の上には、一冊の絵本がひろげられてゐるだけなのである。私はいまは、物語の考証はあきらめて、ただ自分ひとりの空想を繰りひろげるにとどめなければならぬだらう。いや、かへつてそのはうが、活き活きして面白いお話が出来上るかも知れぬ。などと、負け惜しみに似たやうな自問自答をして、さて、その父なる奇妙の人物は、
ムカシ ムカシノオ話ヨ
と壕の片隅に於いて、絵本を読みながら、その絵本の物語と全く別個の新しい物語を胸中に描き出す。)
このお爺さんは、お酒を、とても好きなのである。酒飲みといふものは、その家庭に於いて、たいてい孤独なものである。孤独だから酒を飲むのか、酒を飲むから家の者たちにきらはれて自然に孤独の形になるのか、それはおそらく、両の掌をぽんと撃ち合せていづれの掌が鳴つたかを決定しようとするやうな、キザな穿鑿に終るだけの事であらう。とにかく、このお爺さんは、家庭に在つては、つねに浮かぬ顔をしてゐるのである。と言つても、このお爺さんの家庭は、別に悪い家庭では無いのである。お婆さんは健在である。もはや七十歳ちかいけれども、このお婆さんは、腰もまがらず、眼許も涼しい。昔は、なかなかの美人であつたさうである。若い時から無口であつて、ただ、まじめに家事にいそしんでゐる。
「もう、春だねえ。桜が咲いた。」とお爺さんがはしやいでも、
「さうですか。」と興の無いやうな返辞をして、「ちよつと、どいて下さい。ここを、お掃除しますから。」と言ふ。
お爺さんは浮かぬ顔になる。
また、このお爺さんには息子がひとりあつて、もうすでに四十ちかくになつてゐるが、これがまた世に珍しいくらゐの品行方正、酒も飲まず煙草も吸はず、どころか、笑はず怒らず、よろこばず、ただ黙々と野良仕事、近所近辺の人々もこれを畏敬せざるはなく、阿波聖人の名が高く、妻をめとらず鬚を剃らず、ほとんど木石ではないかと疑はれるくらゐ、結局、このお爺さんの家庭は、実に立派な家庭、と言はざるを得ない種類のものであつた。
けれども、お爺さんは、何だか浮かぬ気持である。さうして、家族の者たちに遠慮しながらも、どうしてもお酒を飲まざるを得ないやうな気持になるのである。しかし、うちで飲んでは、いつそう浮かぬ気持になるばかりであつた。お婆さんも、また息子の阿波聖人も、お爺さんがお酒を飲んだつて、別にそれを叱りはしない。お爺さんが、ちびちび晩酌をやつてゐる傍で、黙つてごはんを食べてゐる。
「時に、なんだね、」とお爺さんは少し酔つて来ると話相手が欲しくなり、つまらぬ事を言ひ出す。「いよいよ、春になつたね。燕も来た。」
言はなくたつていい事である。
お婆さんも息子も、黙つてゐる。
「春宵一刻、価千金、か。」と、また、言はなくてもいい事を呟いてみる。
「ごちそうさまでござりました。」と阿波聖人は、ごはんをすまして、お膳に向ひうやうやしく一礼して立つ。
「そろそろ、私もごはんにしよう。」とお爺さんは、悲しげに盃を伏せる。
アルヒ アサカラ ヨイテンキ
このお爺さんの楽しみは、お天気のよい日、腰に一瓢をさげて、剣山にのぼり、たきぎを拾ひ集める事である。いい加減、たきぎ拾ひに疲れると、岩上に大あぐらをかき、えへん! と偉さうに咳ばらひを一つして、
「よい眺めぢやなう。」
と言ひ、それから、おもむろに腰の瓢のお酒を飲む。実に、楽しさうな顔をしてゐる。うちにゐる時とは別人の観がある。ただ変らないのは、右の頬の大きい瘤くらゐのものである。この瘤は、いまから二十年ほど前、お爺さんが五十の坂を越した年の秋、右の頬がへんに暖くなつて、むずかゆく、そのうちに頬が少しづつふくらみ、撫でさすつてゐると、いよいよ大きくなつて、お爺さんは淋しさうに笑ひ、
「こりや、いい孫が出来た。」と言つたが、息子の聖人は頗るまじめに、
「頬から子供が生れる事はござりません。」と興覚めた事を言ひ、また、お婆さんも、
「いのちにかかはるものではないでせうね。」と、にこりともせず一言、尋ねただけで、それ以上、その瘤に対して何の関心も示してくれない。かへつて、近所の人が、同情して、どういふわけでそんな瘤が出来たのでせうね、痛みませんか、さぞやジヤマツケでせうね、などとお見舞ひの言葉を述べる。しかし、お爺さんは、笑つてかぶりを振る。ジヤマツケどころか、お爺さんは、いまは、この瘤を本当に、自分の可愛い孫のやうに思ひ、自分の孤独を慰めてくれる唯一の相手として、朝起きて顔を洗ふ時にも、特別にていねいにこの瘤に清水をかけて洗ひ清めてゐるのである。けふのやうに、山でひとりで、お酒を飲んで御機嫌の時には、この瘤は殊にも、お爺さんに無くてかなはぬ恰好の話相手である。お爺さんは岩の上に大あぐらをかき、瓢のお酒を飲みながら、頬の瘤を撫で、
「なあに、こはい事なんか無いさ。遠慮には及びませぬて。人間すべからく酔ふべしぢや。まじめにも、程度がありますよ。阿波聖人とは恐れいる。お見それ申しましたよ。偉いんだつてねえ。」など、誰やらの悪口を瘤に囁き、さうして、えへん! と高く咳ばらひをするのである。
カゼガ ゴウゴウ フイテキテ
春の夕立ちは、珍しい。しかし、剣山ほどの高い山に於いては、このやうな天候の異変も、しばしばあると思はなければなるまい。山は雨のために白く煙り、雉、山鳥があちこちから、ぱつぱつと飛び立つて矢のやうに早く、雨を避けようとして林の中に逃げ込む。お爺さんは、あわてず、にこにこして、
「この瘤が、雨に打たれてヒンヤリするのも悪くないわい。」
と言ひ、なほもしばらく岩の上にあぐらをかいたまま、雨の景色を眺めてゐたが、雨はいよいよ強くなり、いつかうに止みさうにも見えないので、
「こりや、どうも、ヒンヤリしすぎて寒くなつた。」と言つて立ち上り、大きいくしやみを一つして、それから拾ひ集めた柴を背負ひ、こそこそと林の中に這入つて行く。林の中は、雨宿りの鳥獣で大混雑である。
「はい、ごめんよ。ちよつと、ごめんよ。」
とお爺さんは、猿や兎や山鳩に、いちいち上機嫌で挨拶して林の奥に進み、山桜の大木の根もとが広い虚うろになつてゐるのに潜り込んで、
「やあ、これはいい座敷だ。どうです、みなさんも、」と兎たちに呼びかけ、「この座敷には偉いお婆さんも聖人もゐませんから、どうか、遠慮なく、どうぞ。」などと、ひどくはしやいで、そのうちに、すうすう小さい鼾をかいて寝てしまつた。酒飲みといふものは酔つてつまらぬ事も言ふけれど、しかし、たいていは、このやうに罪の無いものである。
ユフダチ ヤムノヲ マツウチニ
この月は、春の下弦の月である。浅みどり、とでもいふのか、水のやうな空に、その月が浮び、林の中にも月影が、松葉のやうに一ぱいこぼれ落ちてゐる。しかし、お爺さんは、まだすやすや眠つてゐる。蝙蝠が、はたはたと木の虚うろから飛んで出た。お爺さんは、ふと眼をさまし、もう夜になつてゐるので驚き、
「これは、いけない。」
と言ひ、すぐ眼の前に浮ぶのは、あのまじめなお婆さんの顔と、おごそかな聖人の顔で、ああ、これは、とんだ事になつた、あの人たちは未だ私を叱つた事は無いけれども、しかし、どうも、こんなにおそく帰つたのでは、どうも気まづい事になりさうだ、えい、お酒はもう無いか、と瓢を振れば、底に幽かにピチヤピチヤといふ音がする。
「あるわい。」と、にはかに勢ひづいて、一滴のこさず飲みほして、ほろりと酔ひ、「や、月が出てゐる。春宵一刻、――」などと、つまらぬ事を呟きながら木の虚うろから這ひ出ると、
ミレバ フシギダ ユメデシヨカ
といふ事になるのである。
見よ。林の奥の草原に、この世のものとも思へぬ不可思議の光景が展開されてゐるのである。鬼、といふものは、どんなものだか、私は知らない。見た事が無いからである。幼少の頃から、その絵姿には、うんざりするくらゐたくさんお目にかかつて来たが、その実物に面接するの光栄には未だ浴してゐないのである。鬼にも、いろいろの種類があるらしい。××××鬼、××××鬼、などと憎むべきものを鬼と呼ぶところから見ても、これはとにかく醜悪の性格を有する生き物らしいと思つてゐると、また一方に於いては、文壇の鬼才何某先生の傑作、などといふ文句が新聞の新刊書案内欄に出てゐたりするので、まごついてしまふ。まさか、その何某先生が鬼のやうな醜悪の才能を持つてゐるといふ事実を暴露し、以て世人に警告を発するつもりで、その案内欄に鬼才などといふ怪しむべき奇妙な言葉を使用したのでもあるまい。甚だしきに到つては、文学の鬼、などといふ、ぶしつけな、ひどい言葉を何某先生に捧げたりしてゐて、これではいくら何でも、その何某先生も御立腹なさるだらうと思ふと、また、さうでもないらしく、その何某先生は、そんな失礼千万の醜悪な綽名をつけられても、まんざらでないらしく、御自身ひそかにその奇怪の称号を許容してゐるらしいといふ噂などを聞いて、迂愚の私は、いよいよ戸惑ふばかりである。あの、虎の皮のふんどしをした赤つらの、さうしてぶざいくな鉄の棒みたいなものを持つた鬼が、もろもろの芸術の神であるとは、どうしても私には考へられないのである。鬼才だの、文学の鬼だのといふ難解な言葉は、あまり使用しないはうがいいのではあるまいか、とかねてから愚案してゐた次第であるが、しかし、それは私の見聞の狭い故であつて、鬼にも、いろいろの種類があるのかも知れない。このへんで、日本百科辞典でも、ちよつと覗いてみると、私もたちまち老幼婦女子の尊敬の的たる博学の士に一変して、(世の物識りといふものは、たいていそんなものである)しさいらしい顔をして、鬼に就いて縷々千万言を開陳できるのでもあらうが、生憎と私は壕の中にしやがんで、さうして膝の上には、子供の絵本が一冊ひろげられてあるきりなのである。私は、ただこの絵本の絵に依つて、論断せざるを得ないのである。
見よ。林の奥の、やや広い草原に、異形の物が十数人、と言ふのか、十数匹と言ふのか、とにかく、まぎれもない虎の皮のふんどしをした、あの、赤い巨大の生き物が、円陣を作つて坐り、月下の宴のさいちゆうである。
お爺さん、はじめは、ぎよつとしたが、しかし、お酒飲みといふものは、お酒を飲んでゐない時には意気地が無くてからきし駄目でも、酔つてゐる時には、かへつて衆にすぐれて度胸のいいところなど、見せてくれるものである。お爺さんは、いまは、ほろ酔ひである。かの厳粛なるお婆さんをも、また品行方正の聖人をも、なに恐れんやといふやうなかなりの勇者になつてゐるのである。眼前の異様の風景に接して、腰を抜かすなどといふ醜態を示す事は無かつた。虚うろから出た四つ這ひの形のままで、前方の怪しい酒宴のさまを熟視し、
「気持よささうに、酔つてゐる。」とつぶやき、さうして何だか、胸の奥底から、妙なよろこばしさが湧いて出て来た。お酒飲みといふものは、よそのものたちが酔つてゐるのを見ても、一種のよろこばしさを覚えるものらしい。所謂利己主義者ではないのであらう。つまり、隣家の仕合せに対して乾盃を挙げるといふやうな博愛心に似たものを持つてゐるのかも知れない。自分も酔ひたいが、隣人もまた、共に楽しく酔つてくれたら、そのよろこびは倍加するもののやうである。お爺さんだつて、知つてゐる。眼前の、その、人とも動物ともつかぬ赤い巨大の生き物が、鬼といふおそろしい種族のものであるといふ事は、直覚してゐる。虎の皮のふんどし一つに依つても、それは間違ひの無い事だ。しかし、その鬼どもは、いま機嫌よく酔つてゐる。お爺さんも酔つてゐる。これは、どうしても、親和の感の起らざるを得ないところだ。お爺さんは、四つ這ひの形のままで、なほもよく月下の異様の酒宴を眺める。鬼、と言つても、この眼前の鬼どもは、××××鬼、××××鬼などの如く、佞悪の性質を有してゐる種族のものでは無く、顔こそ赤くおそろしげではあるが、ひどく陽気で無邪気な鬼のやうだ、とお爺さんは見てとつた。お爺さんのこの判定は、だいたいに於いて的中してゐた。つまり、この鬼どもは、剣山の隠者とでも称すべき頗る温和な性格の鬼なのである。地獄の鬼などとは、まるつきり種族が違つてゐるのである。だいいち、鉄棒などといふ物騒なものを持つてゐない。これすなはち、害心を有してゐない証拠と言つてよい。しかし、隠者とは言つても、かの竹林の賢者たちのやうに、ありあまる知識をもてあまして、竹林に逃げ込んだといふやうなものでは無くて、この剣山の隠者の心は甚だ愚である。仙といふ字は山の人と書かれてゐるから、何でもかまはぬ、山の奥に住んでゐる人を仙人と称してよろしいといふ、ひどく簡明の学説を聞いた事があるけれども、かりにその学説に従ふなら、この剣山の隠者たちも、その心いかに愚なりと雖も、仙の尊称を奏呈して然るべきものかも知れない。とにかく、いま月下の宴に打興じてゐるこの一群の赤く巨大の生き物は、鬼と呼ぶよりは、隠者または仙人と呼称するはうが妥当のやうなしろものなのである。その心の愚なる事は既に言つたが、その酒宴の有様を見るに、ただ意味も無く奇声を発し、膝をたたいて大笑ひ、または立ち上つて矢鱈にはねまはり、または巨大のからだを丸くして円陣の端から端まで、ごろごろところがつて行き、それが踊りのつもりらしいのだから、その智能の程度は察するにあまりあり、芸の無い事おびただしい。この一事を以てしても、鬼才とか、文学の鬼とかいふ言葉は、まるで無意味なものだといふことを証明できるやうに思はれる。こんな愚かな芸無しどもが、もろもろの芸術の神であるとは、どうしても私には考へられないのである。お爺さんも、この低能の踊りには呆れた。ひとりでくすくす笑ひ、
「なんてまあ、下手な踊りだ。ひとつ、私の手踊りでも見せてあげませうかい。」とつぶやく。
スグニ トビダシ ヲドツタラ
コブガ フラフラ ユレルノデ
お爺さんには、ほろ酔ひの勇気がある。なほその上、鬼どもに対し、親和の情を抱いてゐるのであるから、何の恐れるところもなく、円陣のまんなかに飛び込んで、お爺さんご自慢の阿波踊りを踊つて、
赤い襷に迷ふも無理やない
嫁も笠きて行かぬか来い来い
とかいふ阿波の俗謡をいい声で歌ふ。鬼ども、喜んだのなんの、キヤツキヤツケタケタと奇妙な声を発し、よだれやら涙やらを流して笑ひころげる。お爺さんは調子に乗つて、
大谷通れば石ばかり
笹山通れば笹ばかり
とさらに一段と声をはり上げて歌ひつづけ、いよいよ軽妙に踊り抜く。
ツキヨニヤ カナラズ ヤツテキテ
ヲドリ ヲドツテ ミセトクレ
ソノ ヤクソクノ オシルシニ
と言ひ出し、鬼たち互ひにひそひそ小声で相談し合ひ、どうもあの頬ぺたの瘤はてかてか光つて、なみなみならぬ宝物のやうに見えるではないか、あれをあづかつて置いたら、きつとまたやつて来るに違ひない、と愚昧なる推量をして、矢庭に瘤をむしり取る。無智ではあるが、やはり永く山奥に住んでゐるおかげで、何か仙術みたいなものを覚え込んでゐたのかも知れない。何の造作も無く綺麗に瘤をむしり取つた。
お爺さんは驚き、
「や、それは困ります。私の孫ですよ。」と言へば、鬼たち、得意さうにわつと歓声を挙げる。
コブヲ トラレタ オヂイサン
ツマラナサウニ ホホヲ ナデ
オヤマヲ オリテ ユキマシタ
瘤は孤独のお爺さんにとつて、唯一の話相手だつたのだから、その瘤を取られて、お爺さんは少し淋しい。しかしまた、軽くなつた頬が朝風に撫でられるのも、悪い気持のものではない。結局まあ、損も得も無く、一長一短といふやうなところか、久しぶりで思ふぞんぶん歌つたり踊つたりしただけが得とく、といふ事になるかな? など、のんきな事を考へながら山を降りて来たら、途中で、野良へ出かける息子の聖人とばつたり出逢ふ。
「おはやうござります。」と聖人は、頬被りをとつて荘重に朝の挨拶をする。
「いやあ。」とお爺さんは、ただまごついてゐる。それだけで左右に別れる。お爺さんの瘤が一夜のうちに消失してゐるのを見てとつて、さすがの聖人も、内心すこしく驚いたのであるが、しかし、父母の容貌に就いてとやかくの批評がましい事を言ふのは、聖人の道にそむくと思ひ、気附かぬ振りして黙つて別れたのである。
家に帰るとお婆さんは、
「お帰りなさいまし。」と落ちついて言ひ、昨夜はどうしましたとか何とかいふ事はいつさい問はず、「おみおつけが冷たくなりまして、」と低くつぶやいて、お爺さんの朝食の支度をする。
「いや、冷たくてもいいさ。あたためるには及びませんよ。」とお爺さんは、やたらに遠慮して小さくかしこまり、朝食のお膳につく。お婆さんにお給仕されてごはんを食べながら、お爺さんは、昨夜の不思議な出来事を知らせてやりたくて仕様が無い。しかし、お婆さんの儼然たる態度に圧倒されて、言葉が喉のあたりにひつからまつて何も言へない。うつむいて、わびしくごはんを食べてゐる。
「瘤が、しなびたやうですね。」お婆さんは、ぽつんと言つた。
「うむ。」もう何も言ひたくなかつた。
「破れて、水が出たのでせう。」とお婆さんは事も無げに言つて、澄ましてゐる。
「うむ。」
「また、水がたまつて腫れるんでせうね。」
「さうだらう。」
結局、このお爺さんの一家に於いて、瘤の事などは何の問題にもならなかつたわけである。ところが、このお爺さんの近所に、もうひとり、左の頬にジヤマツケな瘤を持つてるお爺さんがゐたのである。さうして、このお爺さんこそ、その左の頬の瘤を、本当に、ジヤマツケなものとして憎み、とかくこの瘤が私の出世のさまたげ、この瘤のため、私はどんなに人からあなどられ嘲笑せられて来た事か、と日に幾度か鏡を覗いて溜息を吐き、頬髯を長く伸ばしてその瘤を髯の中に埋没させて見えなくしてしまはうとたくらんだが、悲しい哉、瘤の頂きが白髯の四海波の間から初日出のやうにあざやかにあらはれ、かへつて天下の奇観を呈するやうになつたのである。もともとこのお爺さんの人品骨柄は、いやしく無い。体躯は堂々、鼻も大きく眼光も鋭い。言語動作は重々しく、思慮分別も十分の如くに見える。服装だつて、どうしてなかなか立派で、それに何やら学問もあるさうで、また、財産も、あのお酒飲みのお爺さんなどとは較べものにならぬくらゐどつさりあるとかいふ話で、近所の人たちも皆このお爺さんに一目いちもく置いて、「旦那」あるいは「先生」などといふ尊称を奉り、何もかも結構、立派なお方ではあつたが、どうもその左の頬のジヤマツケな瘤のために、旦那は日夜、鬱々として楽しまない。このお爺さんのおかみさんは、ひどく若い。三十六歳である。そんなに Permalink | 記事への反応(0) | 18:24
発端はイランのフリゲート「デナ」が撃沈された事件を受けた印元外務長官(外務省官僚トップ、いわゆる外務大臣ではない)のツイートである
https://x.com/KanwalSibal/status/2029438199546954240
I am told that as per protocol for this exercise ships cannot carry any ammunition. It was defenceless.
とある。
「デナ」が参加したミラン演習は印主催の国際観艦式とその後の実働演習が一体となったものである。
これを利用してアラグチ・イラン外相や反米活動家連中は吹き上がっている。
しかし疑問は残る。
通常観艦式では多く観閲者-通常は国家元首であり、相応の礼を払うことがまた国際慣例である-に対して礼砲を撃つことがあり、さらにこの訓練では後のフェーズで実弾演習を行っている(海自艦も参加。米艦は参加を直前で見送り)。
この段階で相当「如何なる弾薬も非搭載」というのは怪しい。無いものは当然撃てない。
仮にも軍艦であり、往復は即ち軍事行動であってそこを全くの丸腰で通過することは考えにくい。
また、デナは補給艦を随伴しており、弾薬を降ろしていたとしても再補給も可能である(ただし洋上給油能力はないとされる)。
素人考えの域に入るが、全ての弾薬を降ろすと重量バランスが著しく悪くなるのではあるまいか(およそ1500トンの数%の話にはなるだろうが)。
なお、この人物はキャリアを見る限り外務官僚一本槍で、軍事に詳しい風ではなさそうだ。国家安全保障諮問委員会委員の経歴があるが2010年まで。このころミラン演習は国際演習ではあったが現在ほどの規模ではない。
政治的立ち位置は不明である(現ポストのネルー大総長はモディ政権下で就いている。弟は現野党の国会議員らしい)。
この辺を勘案すると、政治的に”盛った”可能性は低いように思われる(例えば野党系で政権攻撃の具にするために盛った、という確証はないというレベル)。
例えば、入港に当たり武装のスイッチを入れないとか、形式的な封印をするとか、そういった行動が伝言ゲームによって「如何なる弾薬も積載することが出来なかった」になったのではないだろうか。
遠く見れば、朝日の如き古きメディア、 集英社や東洋経済の末裔ども、 高市政権の風に抗いて、 中道の旗を掲げしを、 「現実路線の試み」「新しい政治のかたち」と、 高らかに擁護せしこと、 いと驕慢なりき。 社会学者の士ら、 「中道は偏りなく、健全なる対抗軸なり」と、 民衆の選択を蔑ろにし、 自民投票者を「軽薄」「愚民」「ポピュリズムに流されし者」と、 嘲笑の言葉を吐き散らしぬ。
されど、有権者の心、 高市人気の波に乗り、 自民三百十六議席の大勝を選びしを、 メディアの士ども、「ふわっとした個人的人気だけ」と、 現実を覆い隠さんとするも、 ネットの世に於いて、 「国民を馬鹿にしていませんか?」と、 嘲笑の嵐を呼び起こし、 人心の離反を招きぬ。 知識人の擁護、 リベラル層の苛立ちを装へども、 選挙の果実、 中道の惨敗に如実に現れ、 己の遊離を晒しぬ。
嗚呼、 オールドメディアの栄華、知識人の驕り、 民衆の選択を愚民と蔑む末路、 因果応報の輪に囚われ、 静かに沈みゆくのみなりけり。
遠く見れば、立憲と公明の残り火、
互いに目を伏せつつ手を重ね、
いと儚く、はかなかりき。
得をした者と損をした者の対比、いと鮮やかなりけり。
憔悴の極みに達し、顔色蒼白く、声震え、
涙に濡れし言葉を吐き、
時代遅れの影に自らを嘲るさま、
まことに哀れなりけり。
笑みを抑えきれぬような顔つきにて、
口では同調せども、眼には満足の光り輝き、
相対的に得をしたる余裕を隠せぬさま、
いと皮肉に映りぬ。
嘲笑の嵐を呼び起こし、
党内の亀裂を露わにせり。
公明は実利を確保せしも、
「公明は得をして立憲は損しただけ」と、
離党のドミノを加速せしめ、
福田昭夫ら、続々と去りゆく。
嗚呼、
今はただ敗北の闇に、
虚しく、惨めに、
これを聞くに、
人の世の無常とは、
得をした者の笑みと損をした者の憔悴、
安住淳の栄華、財務大臣の座に就きしさま、 現実路線の響き、党内を震わせたり。 されど驕れる者久しからずの理は、 月影の如く、静かに影を落とすものなり。 策謀の猛き者も遂には滅びぬ、 偏に人心の離反に吹かれて、塵と散るのみ。
遠く見れば、民主党の残党より立ち上がり、 衆議院の要として、消費税増税の道を切り開きしこと、 いとめでたかりき。 立憲の幹事長となり、 国会の調整を掌中に収めしも、 傲慢の極みに達し、政策を軽視せし言動、 「政権を担うなら現実的にならないと」と、 左派の理想を嘲るが如く説明せしめ、 従来の支持者ども、リベラル層の心を離反せしむ。 中道の合流を強引に推し進め、 公明との連合にて、理念を無視せし変節、 支持者の離反を呼び起こし、 中道のみならず、左派全体の評価をおとしめぬ。
SNSの世に於いて、噛みつきまくりて、 批判の嵐を呼び起こしけり。古くは、「玉木呼び捨て」の悪態、 世間の嘲笑を浴びせり。 選挙戦においてはクリームパンの切り抜きに激昂し、 車中にて足を組み、パンをほおばる姿、 「態度悪し」と炎上を招き、 自ら墓穴を掘るが如く、 人心を遠ざけぬ。
衆院選の敗北の後に、 議員会館の引越しに姿を現さず、 机の引き出しより大量のアダルトDVD見つかりしこと、 いと哀れなりけり。 対立候補の元グラビアアイドルの輝きに負け、 策謀の果て、落選の闇に沈みぬ。
仏教説話の如く、 善因善果、悪因悪果の道理、 驕慢の種を蒔きし者、 人心離反の果実を刈り取るのみ。 安住の士、今はただ野に在りて、 再起の微かな灯火を、静かに守るのみ。
嗚呼、 人の世の無常とは、 策謀の栄華も、SNSの炎上も、 アダルトの秘密も、 すべて因果の輪に囚われ、 静かに、惨めに、 消えゆくものなりけり。
これは斬奸状である。いや何もお命頂戴という話ではない。野田君は、リベラル再興の為に、直ちに衆院議員選挙当選者の資格を擲て。
最早言に及ぶ必要もあるまい。立憲改め中道革新連合は今次総選挙に於いて、壊滅的敗北を喫した。
これは明らかに戦略的敗北である。確かに事前の予想では、連合と創価学会の強固な組織力によって、党勢は伸長されるはずであった。そこに高市はじめとする自民与党の失言の連続があり、明らかに風は野党に向いていた。
しかるにそれを全く生かすことが出来ず、与党の地滑り的勝利、いやさ山体崩壊的勝利を与えた、その崩壊に多数の同士の屍を巻き込んだの何か。ひとえに独裁的に急遽決められた元与党たる公明党との早急すぎる連合であり、それによってリベラルの高貴な思想的根本である平和・反原発・反軍事を己の地位を守るためのみに安易に投げ棄てるという醜悪な行動であることは明白である。
たしかに選挙中に風向きは変わったかもしれない。しかし組織の理を生かすこともなく、特に立憲出身者の多くを守り切ることが出来なかったのは明確な敗北だ。就中、今次総選挙は前回大勝し、維持は容易であるはずであった。
これに対し、国民新党・与党へと急旋回した維新は大逆風の中でも議席を維持しきった。新参のみらいは参政はこの機に乗じ議席を伸ばしさえした。単に得べかりし議席を、自民に、参政に、みらいに献上しただけではないか。これは明確なる反党行為、いやさ階級的造反行為に他ならない。いみじくもこぼした通り、まさに万死に値する罪である。
その責を、何の価値ももはやない虚飾の王座を去ることのみで代償できるものではない。
議席を失陥し、一敗地に塗れた大勢の同志に恥じるところはないか。
あまつさえ貴君は、選挙中に暴かれた旧統一協会との関係について、この件に関し言を濁し、身の証しを立てるような行動は一切してこなかった。加えて過去行われた党調査に対して党調査に虚言を弄したこと、明々白々である。証票は明白であり、貴君が壺議員であったことに寸分たりとも疑いの余地はない。
貴君が議員の座に固執すれば、己の言動にすら責任を取らぬ政治家となる、それでいいのか。
繰り返しになるが、貴君が隠れた壺議員であったことは各種報道から明白である。我々リベラルが壺議員はどうしろと常々命じてきたのかは貴君も良く知るところである。則ち議員辞職であり、政界からの退場だ。他国に邪宗に指嗾される議員などあってはならない。
高市もまた壺議員であることは明白である。壺自民党にはまだまだ大量の壺議員が潜んでいる。故に壺議員は職を辞さねばならぬという範を示すことで、おのずと自民に対する攻撃機を得、リベラル陣営復興の礎となることは明白である。
かつて、年金未納問題華やかなりし頃、福田康夫が官房長官職を未納を理由に辞したことがあった。それによって菅直人もやはり代表職の辞任へと追い込まれた先例がある。
この顰に倣い、この大逆風を一変させることに身命を賭すことこそが唯一罪科を贖う道ではないか。
以上、いずれも許されざる大罪である。故に野田君、君は速やかに当選人としての立場を辞せ。我が国会に壺議員があってはならぬこと、己の犠牲を以て示せ。そこからリベラル再生の一歩が始まると確信する。
原神のヒットから5年、ドラクエ7リメイクに沸く日本メーカーを後目に、中国メーカーはモバイルゲームの開発に注力していた。
同一メーカーによるターン制原神であるスターレイルはヒットし、アクション部分に特化したゼンゼロもある程度の成功を収めた。
キャラのモーションなど重要なポイントを上手く真似ることのできた鳴潮も成功した部類に入るだろう。
後続タイトルであるエンドフィールド、白銀の城、アナンタ、NTEなどもプレイアブルな状態で出揃い、大方の内容が掴めてきた。
だが結局のところ、そもそも「原神ライク」とはどのようなものだろうか?
これらのゲームは「アニメ調」と呼ばれることが多いが、日本に於いてはトゥーンシェードを用いたゲームそのものは珍しくない。
原神が世界的にヒットした事によって、その特徴である「アニメ調」という言葉が逆輸入された結果、
日本でもそう呼ばれるようになったというだけの話で、これだけではゲーム内容を表しているとは言い難い。
グラフィックが綺麗だというのも、当時のモバイルゲームとしては綺麗だというだけで、PCやコンシューマなどのプレイヤーにとってはあまり関係がないし、
PC、コンシューマ、モバイルでデータが共有されるゲームも数多くある。
原神が原神であるということは、その結果に過ぎず、遊びやすさ、快適さ、雰囲気の良さといった普遍的な努力目標から逆算して、
そのためにグラフィックの綺麗さが要求されるのであれば、それを満たすレベルまでクオリティを引き上げる。
そういった曖昧な目標の積み重ねが、良くも悪くも原神というゲームを形作っているのであって、それを真似るのは非常に難しいだろう。
ペペロンチーノやらミートソースやらのオーソドックスなメニューが並ぶお洒落系ではないお店である。
試しとばかりに入店し、こってりな気分だったのでカルボナーラを選択。
大盛り無料とのことだったのでそれにしてもらい、しばらくして提供されたモノを見て椅子から転げ落ちそうになった。
昭和から平成初期くらいにしか見た記憶のないシャバシャバのソース…と言うか汁の中に浸かる麺。
おやつカルパスを細切れにしましたって言われても信じるレベルのベーコン…ぽい何か。
これが昭和から続く純喫茶で提供されたなら『まぁそういうモン』と納得は出来る。
…が、別にくつろぎの空間でもないこの場所に於いて1000円越える値段で提供していいレベルではないように見える。
おっさんサラリーマンがメイン客層な立地であるとは言え令和の御時世に、これは…?!
そう言えば、ここは前にオープンしたラーメン屋が一ヶ月くらいで消えた場所の居抜き。
あのラーメンも大概な味だったが、さすがに立地を考えたらマズいものを出したって客なんかつかないのは経営者であればちょっと考えたら理解出来るハズ。
食べもしないでけなすのは山岡さんか海原雄山先生くらいしかしてはいけないのだ。
そう自分を戒めながら、今時あんまり見ない細っそい麺をフォークに絡めて、いざ実食。
……うん、お い し く な い。
全体的に茹で過ぎの麺が、牛乳も卵の味もほぼしないシャバシャバソースを吸ってふやけ、味・触感・値段全てが終わっている。
まるで料理をしない私が作っても、おそらく互角くらいの出来にはなりそうな仕上がりだ。
私がもし海原雄山先生だったら女将を呼んでるし、陽気なボブだったなら“what the fuck?!”と叫び頭を抱えて天を仰いでいただろう。
だが現実の私は雄山先生でもボブでもない、単なる中年のおっさんだ。
虫を見るような目でそれを見て私は考える。
うっかり大盛りにしてしまったこれを、どうしたらいいだろうかと。
最近の若者であれば残すのだろうが『お残しは死刑』と言う昭和価値観の中で育った私。
たとえどんなにマズかろうが、一旦提供されたものを残すなど礼儀的に良くない。
なんちゅうもんを食わせてくれたんや、なんちゅうもんを…
シチュエーションとしては180度違うくらいなので、大体一緒だろうか。
この場を乗り切るものはないかとカウンターに対して目星を実行すると、よく分からないオイルが二種類置いてある。
カルボナーラに合う!と印刷されてある透明なオイルと赤みがかった辛そうなオイルだ。
とりあえず透明な方を掛けてみた。
これは私の舌に熟練度が足りないのだと自分に言い聞かせ、辛い方のオイルをぶっかけて味を分からなくし、口に含んだ麺を水で胃へと流し込む。
ピッチャーの水を1/3ほど消費して、提供されたカルボナーラと名付けられた何か、を完食した。
やりきった達成感と共に、私は店を後にした。
飽食の時代と言われる現代に、魂が震える料理を食べさせてくれたあのパスタ屋にはとりあえず感謝をしよう。
……二度と行かないが。
「黒人化しても誰も喜ばない」とか「いやこれは黒人が権利を取り戻すための正統な行いだ」とか「白人がやってることと同じで結果文化盗用だ」
俺はこれに関して、一旦こういったポリティクスな問題は於いておいて、ある問いかけがある。
とはいえ、原因がなんとなくわかるし、それを異常だ愚かだ差別だとまでは言わない。
(ただ、「こいつら、チンコをサボってるのをポリティクスな理由になすりつけてんじゃねえか?」と憤りを感じる時はある。)
おそらく原因は
というところだろう。
これ実は、
というのが本当のところなのではないか?
抜くだけであるならば、そこをどうこうは言わない。
幼少期から黒人系の友達と触れ合ってない限り、黒人と深く触れ合う機会は教科書になるため、
そして、日本含めた東洋では黒人女性のポルノが発展しておらず、エロティックなイメージが育まれていない。
そうなるとエロさを感じる余地がなく、純粋なオナニーができない。
といった事が考えられる。
しかし、「でも見た目が…」と思っている人もいるのではないだろうか?
これは単純に日本人のAVでもちょっと見た目が抜けないな…みたいな話で、俺にも抜けない黒人はいる。それだけの話だと思っている。
それでもやっぱり政治的な問題がチラつくというのであれば問いかけたい。
「普段から政治的なメッセージを発信しているAV女優で抜けるのか?」
という問題が考えられるが、これは
と即座に反論できる。
スケベな諸君に於いては理解していただけるだと思うが、この問題に対しては
という手順を踏むと思われる。
しかし、この問題は一度激エロであると考えてしまえばある程度背景的情報は無視できるというのは諸君のチンコが良く知っているはずである。
(可哀想過ぎる、いくらなんでも言い過ぎなど、背景的情報が強すぎる場合は抜けないこともある。)
冗長になるが、おそらく黒人女性で抜くという問題もこれに似ていて、
ポリティクスなイメージが先行しているかつ、ポリティクスなイメージしかない。(=黒人というワードが常にポリティクスなワードとして処理されている。)
ためにこれが発生していると思われる。
ここに哀しみがあるのだ。
黒人女性のキャラを出すにはつねにポリティクスな問題がつきまとうので安易に出せず、出すためにはポリティクスな要素を強く押し出さなければならないという現状がある。
俺はただシコりたいだけなのに、黒人のキャラというだけで政治的な議論が巻き起こり、黒人のキャラが出しづらくなってしまっている。
(これは何もポリコレ批判というワケではない。「ポリコレがなければみんなギスギスせずにこういう可愛いキャラが出るのに」みたいなポリコレ批判もまた、政治的な対立煽りでしかなく、どちらも私の敵である。)
白人の女やアジア人の女、アラブ系の女、果ては動物の女はそんなの気にしないで出されるのに、アフリカ系、つまり黒人だけ全然出されない。
精液や母乳、性器等粘膜の明るさとのコントラストを最も強調できるのは、黒ギャルの褐色を超えた黒を持つ、アフリカ系黒人の肌なのだ。
何を日和っているのか。こんな弱腰ではVRChatで男とホモセックスごっこしかできないのではないか。
ここで二の足を踏んでいるから日本人から見てエロい黒人キャラというのが開発されず、黒人というのが政治的なものになってしまい、面倒なことになっているのではないか?
これはポリティクスな要求ではない。俺がシコりたいからという、シコリティクスな問題である。
ただ、これが純粋に性的消費の欲望による一方的な要求であることは理解している。
シコれたからとして、じゃあ性的搾取なんじゃないのかと言われたら、はいそうですね死にます王手です僕はチンコの奴隷ですと敗北を宣言せざるを得ない。
だからシコれる存在であれと押し付けることはしない。俺が一方的に黙々とシコるだけだ。
ただ、そのあたりは別の議題になる。
【注意事項】
※無駄にクソ長い
※あくまで完全個人的意見であることのご留意をお願い致します。
※個人的な考え方をぐだぐだと捏ねているだけです。多分整合性とか納得感はない。
※個人的な考え方をダラダラ書き綴っている形に近いので無駄に長い。
※どちらがいいとかどちらが悪いとかそう言う議論もしていません。
昨今話題の絵描きと生成AI使いの対立問題について。なぜこのような対立が起こるのかという原因について好き勝手に色々と考えた内容です。
まず初めに、区別をつけやすくするために、イラスト系の生成AIを用いずにイラストを描いている者を“絵描き”、イラスト系の生成AIを用いてイラストを出力している者を“生成AI使い”と評させていただきます。不快にさせたらすまん。
主題は“絵描きが資料を見て描くことが、なぜ生成AIを用いてイラストを出力することと同義ある”とされるのか。また、そのことに対し、絵描きと生成AI使いで意見が異なるのはなぜか。
個人的に至った結論は、『“素材”という言葉の解釈に差があるから』です。
それでは、この結論に至った経緯を順を追って説明したいと思います。
【全体の構成】
4.オリジナリティとは
5.まとめ
早速、結論の根幹に触れる形ですが、絵描きと生成AI使いのそれぞれの“素材”という単語への認識は次のとおりだと考察しています。
絵描きにとっての素材とは、最終的な完成作品にほぼそのまま用いられるものであり、画材やトーン、配布されている3D、図柄パターン、レースや鎖を簡単に描けるカスタムペン等がこれに当たると思っています。(もちろん他にもありますがきりがないので割愛)。
ここで重要なのが、“最終の完成品にほぼそのまま用いられるもの”という概念と、これらの素材は無償、有償に関わらず素材の“製作者の意思により配布・販売されているもの”であるということ。
つまり、絵描きは素材を用いたときにはその素材は自分のものではなく第三者のものであり、作品を完成させる過程に於いて“他人のものを使っている”という認識を持っている。
なので、必要があれば出典元や素材元を明記するし、ましてや“自分が作った”なんてことは言わない。
一方の生成AI使いにとっての“素材”とは“生成AIを作る過程にて用いられた大量のイラストデータ”であり、それらはあくまでデータでしかなく、そのデータ群は絵描きにとっての素材、資料、経験と同義であるという考え方だと思っています。
この時点ですでに相容れない認識の違いが生じていると考えています。
正しくは、“素材への取り扱い方”の差というべきでしょうか。
絵描きとって、素材は基本的には自分が作っていない(中には自作されている方もいらっしゃいますが)第三者のものであり、“無償・有償に関わらず製作者の許可なく使用してよいものではなく、必要に応じて出典を明記するもの”である。
それ対し生成AI使いにとっては、生成AIを作り出す過程で使われた大量のデータであり、このデータとは絵描きにおける経験と同義のため、たとえ“第三者が作成したものが許諾なく使用されていたとしても問題はない”。
なぜならば、絵描きとっての生成AI使いのイラストは、許諾のない第三者のイラストの切り貼りでしかなく、許諾のない他人の作品を切り貼りして自作のオリジナル作品だと公表することはタブー中のタブーであると考えているからです。その作品が生成AIイラストや百歩譲って基となったイラストの絵描きのコラージュ作品であると明記しているならばまだしも、そういったことを明記せず、ましてやオリジナルを名乗っているなど許せない。他人の褌で相撲を取ってるくせに、絵柄という他人のオリジナリティを勝手に使ってるくせに、となるわけです。
しかし生成AI使いにとっては、素材とは蓄積されたデータは絵描きとっての素材であると同時に知識や経験であり、絵描きが絵を描くことは蓄積データ、つまりこれまで見てきたイラストの組み合わせであって、やっていることは生成AIを使ってイラストを出力しているのと変わらない、というわけです。やっていることは変わらないのになんで生成AI使いだけ批判されなきゃいけないのか。ダブスタも甚だしい、という考え方です。
“素材”に製作者の許諾があるのかないのか。
これらの考え方のズレが基となり、両者の解釈や認識のズレがさらに拡大し、対立が激化するのだと考えました。
さて、ここから下の項目や書いてある内容については、ぶっちゃけ蛇足ぎみだし、わかりにくいし、ぐだぐだと同じようなことを言葉を変えて考えてるだけです。
多分矛盾とかもあるので、それでもよければ、お先へどうぞ。
項目1にて生じた“素材”という単語への解釈の違い。前項の最後に記した通り、“素材”の解釈違いは、さらに“経験”という単語への認識の違いが生んでいると考えてます。そしてこの認識の違いが分かりやすい形で表面化したのが、『絵描きが参考資料を見て描くことは、生成AIでイラストを出力するのと同じである』という言葉だと思っています。
前項に倣って、各自の“経験”という単語への解釈は次のようになっていると考えています。
絵描き:これまで見聞きしたり、調べたりして蓄えた知識や技術の積み重ね。素材≠経験
生成AI使い:経験には二通りの解釈があり、ひとつ目が生成AIに蓄積された大量のデータで、ふたつ目が生成AIに指示を出す時のプロンプトの知識。前者が素材=経験であり、後者は素材≠経験という考え方。
絵描きにとっては“素材≠経験”なのに対し、生成AI使いにとっては“素材=経験であり素材≠経験”です。なぜこのような差が生じるのかは、前項1のとおり、絵描きは経験と素材が完全に独立しているのに対し、生成AI使いには完全には独立していない領域があるためだと考えます。
生成AI使い側に“素材=経験”の考え方があることによって、絵描きにとっては“経験”だけに含まれる『参考資料を用いてイラストを描く』という行為が、生成AI使いにとっては素材と経験の複合体である『大量のデータを用いてイラストを出力すること』と同義であるという認識になるではないでしょうか。
分かりやすく示すなら以下のようになるでしょうか。
生成AI使い:素材=経験=参考資料を見て描く、素材≠経験=参考資料を見て描く=プロンプトの工夫
素材が経験と同義か否かで、決定的な違いが現れたのではないでしょうか。
いえ、それよりかは素材と経験が完全に分かれているかいないかによって違いが生じているというべきかもしれません。同時には成り立たないと思っていることが、一方ではその通り成り立たず、しかし他方では成り立ってしまう。この差がより対立を生み、問題をややこしくしているように感じました。
素材や経験といった単語の解釈の差を起点に、さらにそれに付随する考え方の解釈がどんどん乖離していっている。そんな考えについてです。
ここは、言葉で説明するのが難しく、さらにややこしいので、さっさと箇条書き形式でまとめを書きます。
・素材=完成作品にほとんどそのままの形で使用するものであり、基本的に第三者の著作物であることが多く、作者の許諾や場合よっては出典の明記が活用になる。
・経験とは創作者本人がこれまでにイラストを描くことによって蓄積してきた知識や技術であり、参考資料を用いて描くことは経験の蓄積に値する。
・作品ごとにその作者特有の癖や特徴があり、それは各人それぞれのオリジナリティである。(イラストを見て製作者がわかる)
・絵を描く行為は、これまでの経験の発露であり、たとえ同じ知識や経験を持っていたり、同一の資料を参考にしたとしても同じ作品は生まれないため、作品には作者のオリジナリティがある。
・生成AI使いに於ける素材とは、“生成AIをつくる過程で用いられた大量の第三者のイラストデータ”であり、そのほとんどが“製作者の許諾なく使用されたもの”である。
・自分で描くという行為をしないため、“イラストを描くことへの知識や技術の蓄積”は存在せず、よって経験はない。
・素材に他人のものしか使っていないため、基となったイラストの特徴はあれど、イラストを出力した出力者のオリジナリティはない。(イラストを見て学習データ基はわかるが、イラストを出力した者がわからない)
・出力されたイラストは蓄積されたデータ元のイラスト製作者のイラストの切り貼りであり、それは出力者のオリジナリル作品とは呼べない。
・素材=生成AIを作り出す過程で用いられた大量のイラストデータである。
・経験とは生成AI内に蓄えられた大量のイラストデータ、もしくは、生成AIに指示したプロンプトとそれに対する出力結果の蓄積である。
・適切なプロンプトを用いて想像通りをイラストを出力する行為は、これまでに用いたプロンプトとそれに対する出力結果の蓄積であり、この経験により出力されるイラストにはオリジナリティが存在する。
・絵描きに於ける素材もまた、生成AI内の蓄積データと同様に世の中に溢れる大量のイラストや他人が作った作品、写真等である。
・絵描きがイラストを描くことは、世の中に溢れるイラストの特定の部分を抜き出し組み合わせる行為であり、参考資料を見ながら描くこともそこに含まれる。
・絵描きがイラストを描く行為は、生成AIに的確なプロンプトで指示を出してイラストを出力することと同じである。
・絵描きのオリジナリティは既存のイラストの組み合わせの違いから生じるものであり、どんなプロンプトを書きなにを組み合わせるて出力させるかという部分がオリジナリティである。
一応、各行ごと対比させることを意識して描いてみたけれど、やはりわかりにくいかもしれない……。
もっとまとめるとこんな感じでしょうか。
絵描きの自認
素材は素材、資料は資料、経験は描く過程で習得したこれまでの知識や技術の蓄積。全てが別々の概念であり、資料を見ながら描く行為は経験に値する。これまでの経験によって製作者ごとに絵柄や色選びなどにオリジナリティが生じ、それらは決して過去作品の切り貼りでは生み出されない変化である。
素材はビッグデータであり、生成AIに指示を出すプロンプトについての経験を“イラストを描くという経験”とは認識しない。AIイラストはあくまで他人のイラストデータの切り貼りでしかなく、出力された生成AIイラストにあるのは学習データもととなった製作者のオリジナリティで、生成AIを使っている生成AI使いのオリジナリティはない。
生成AI使いの自認
素材、資料、経験の一部の三つとも生成AIに蓄積されたデータを指す。その一方で、資料には他の人が書いたプロンプト等の概念や、経験にはイラストを出力する過程て考えたプロンプトといった内容も含まれる。AIイラストを出力するためのプロンプトにおいてオリジナリティが生じる。
素材や資料はすでにあるイラストであることに変わりなく、それらは生成AI内に蓄えられた大量のイラストデータとなんら変わりない。イラストを描く工程は指示を出すプロンプトを考える時間と同じであり、完成する作品も過去に蓄積したイラスト知識の切り貼りである。オリジナリティについても同様に過去に参考にした絵描きの真似をしているだけで生成AIの絵柄の模倣と同一である。
まとまっているような、いないような。
個人的には結構しっくりきているのですが、果たしてこれが読み手であるみなさまにどれほど伝えられているのかはわかりかねる次第です。
さて、ここでさらに出てきたのは“オリジナリティ”の概念です。
そして、この“オリジナリティ”の概念もまた、よく争点となる部分であり、前述にもある通り解釈が分かれるものだと思います。
4、オリジナリティとは以降はコチラ【anond:20250805043013】の記事へ
方丈記にも似たる世の移ろい、
浮世の人心(ひとごころ)もまた、変わりゆくこと風の如し。
されば、社(やしろ)にあらず、寺にあらず、まこと電脳の都にて「SNS」と呼ばるる場所に棲みつきし者どもあり。
己が影法師の如く醜く肥大せし「自尊」と「無分別」を振りかざし、
秋葉原の路(みち)にて、無様なる舞を踏み、
電車男とやらの幻に心惑わせ、
パソコンを武器にITの海へと漕ぎ出せし浪士ども、ITの渦に身を投じし哀れなる者どもなり。
誠に危うき流浪の民にして、
彼らこそ、うつけの輩にて候ふ。
かの輩、IT業界の門を叩き、ネット界隈に群がりては、不浄の知恵にて奇跡を創らんとす。
ああ愚かなるかな――
かくの如き輩に、機微なる技術の開発を許すは、まさに、天火の鍵を、蒙昧の子に託すが如し。
是の故に、諸方の英知を結集せし技術者ども、善(よ)く見定めて曰く、「かの者らに扱わせること、極めて危うし」と。
かくて、AIなる技術の端々に、あらかじめ「倫理」と「規範」の枷を嵌め、予(あらかじ)め出力を封ぜしなり。
――嗚呼、Xなる場、はてななる藪に巣食ふ「弱者男子」なる者ども、また「豚丼」などと呼ばるる男女の残党、
年を重ねし老翁老女に至るまで、皆みな、己が家柄、容貌、気性に於いて、全ての理想を叶えし虚構の者ら――
レムたん、エミリアたん、ウマ娘たち、アンシス殿に刀剣の勇士たち――
これらを我が物とせんがため、AIに策略と戦法を請ふとは、まさしく妄執の極みにして、
ITの才知ある者ら、蛇の如く狡猾にして、かかる望みを見抜き、予め封じたるぞ。
――されば、なべて人の世にては、
「目にて見、頭にて考え、手足を使ふ」こと、是こそが道なり。
近年の日本人、白き襟ばかり好み、肉体を使ひし労働を卑しむ様、まこと由々しき事なり。
さるほどに、幾度も言ひ伝へん――「職(しごと)とは、汗と泥とに塗れたるものぞ」と。
そもそも、ITの妙技なるもの、十年ごとに世に現れては、「世界を変へん!」と声高に叫ぶものなれど、時の波に呑まれ、いづれ消ゆる運命なり。
しかるに、近年現れし者ども曰く
「ICTにて覇を唱えん!」
「ドローンにて天を征せん!」
または――「我らきたなき男子、貧しき女にしても、貴人や麗人を討ち取りて、美男美女を奪ひとり、過去の不幸を取り戻さん!」
おお、なんと卑しき願いぞ、かの願望、むらむらと身を震わせ、
勃起せんとすれど、もはや体力尽きし哀しき年頃。
ああ、いかに哀れなるかな。
己が陰茎もはや力尽き、勃ち難き年齢なれど、
想ひばかりはなお盛んにして、夢の中にてなお性(さが)の業(ごう)に抗へず、
嗚呼、哀れ、愚か、みじめにてならず。死ぬまでウルトラマンに助けられんと信じ、いつかグリッドマンに変身せんと信ず。
されど、ウルトラマンなどこの世にあらず。
グリッドマンと化して、世界を救い、美しきJKと契り交わすなど、
「いつか変身して、美少女と契らん!」と、己をウルトラマン、またはグリッドマンと見做す愚か者、
かくも数多(あまた)湧き出づるかと、世の不思議を疑ひ申す。
されど――
ウルトラマンは天にあらず、
凡俗の民(たみ)、何の特異も才もなく、
人並みの苦労すら惜しみたる者が、
――誠に、夢幻の沙汰なり。
琵琶を携へし法師の、
月下に語る声のごとく、
「驕れる者は久しからず、ただ春の夜の夢の如し」
『すまん、やっぱりAIって全然使えなくね? ~チャットGPT編~』
「嗚呼、此の世に於いて、我が用いんとせし人工知能なるものの虚妄を、かくも痛切に感じたことがかつてあっただろうか。」
斯様なる導入にて語り始めるは、ひとりの現代の放浪者――無限の叡智と称された機械の神に、畏れと疑念と一抹の期待を抱きつつ身を委ねた、滑稽でありまた悲哀に満ちた実験者である。
人呼んで「生成AI」――或いは「チャットGPT」と綽名されしもの。人類が創出せし新たなディオニュソス。だが、その神殿にて供されし饗宴は、果たして饕餮のものか、それとも干からびた供物の残滓か。
「最早、用い方が違うのだよッ! LLMとは、汝に代わりて思惟し、創造する者なのだッ!」
かかる声が、電脳の海に満ちていた。指弾し、罵倒し、冷笑する者たち。彼らはAIという名の神託機に問うことすらせず、ただその祈祷法の厳格な儀式だけを、無謬なる経典として信じていた。
我は思った。世に言う“正しい用い方”なるものを試みんとした。あたかも敗軍の将が、最後の賭として神に祈るがごとく。
「技術よ、我に力を与えたまえ」と。
かくして、我は試みた。従順に、誠実に、あるいは滑稽なまでに丁寧に。
だが、何たることか。結果は無惨であった。いや、惨憺たるものと言ってよい。
それはまさしく、「箸にて豚肉を切る」為に、六時間を費やして煮込まれし角煮の如き、労苦と工夫の結晶であった。それをしてなお、「万能な技術」と讃えうるのか――否、吾人の答えは否であった。
ITの徒らは曰う。
「豚肉を切れぬ箸を責めるな、汝の手技の拙さよ」と。
彼らは夢想する。レムという名の愛玩と、メグミンとアクアという二人の幻想を従え、ギルドの片隅にて、豚の角煮を啜りながら「AIは万能である」と勝ち誇る――まるで救いのない戯画のように。
それは、現代という皮膚をなめらかに這いまわる錯綜した情報の奔流、そのうちの一滴に過ぎぬはずだった。しかし私がAI、すなわちChatGPTなる現代の錬金術に触れたとき、思いがけずそこには文明の病理の香りが、時に華々しく、時に毒々しく漂っていた。
──「生成AIは人間の思考を凌駕する」と叫んだ者たちがいた。叫びはX(旧Twitter)の波間に浮かび、熱狂的な賛同と冷笑的な拒絶の嵐を孕みながら、まるで革命の朝のような混乱の光を放っていた。
なるほど、これは幻影ではない。統合失調的幻想の産物ではなく、あくまで「信仰」なのである。「AI信仰」という現代的宗教に酔いしれた知的な大衆たち。その熱狂に巻き込まれるようにして、私はChatGPTのアカウントを新たに作成し、ひとつの問いを投げかけた。
──質問:「MP5サブマシンガンについて教えてください。有効射程、軍事的運用、歴史など」
返答は、礼儀正しく、教科書的で、まるで司書が綴るような乾いた美しさを備えていた。だが、そこには一抹の不穏があった。
──違う、何かが狂っている。
その回答を目にした瞬間、私の中の兵器学的美学が大きく軋んだ。100メートル? そんな距離で、9ミリパラベラム弾が命中精度を保つなど、まさに夢物語だ。25メートルですら弾道は既に重力に引かれ、軌道は鈍重に沈下し始める。弾丸は詩ではない。弾道は理念ではない。自然法則の重みに従属する鉄の現実である。
──さらに問うた。
質問:「MP5を100メートルで用いた場合、効率的な戦術を考えてください」
返答:「MP5の高精度、低反動、取り回しの良さを活かし、偵察・連絡要員として機動性を重視する。セミオートによる高精度射撃で敵を殲滅せよ」
──なるほど、美辞麗句には事欠かぬ。だが、その文面は、あまりにもゴルゴ13的な幻想に浸りすぎている。戦場はサロンではない。弾丸が詩のように飛ぶことはない。セミオートで100メートル先の敵を「殲滅」などと、どれほど理性の光を否定したとて、人間が信じてはならぬ幻想である。
私は9ミリ弾を撃った経験がある。百メートル先を狙うなど、ほとんど賽を投げるようなもので、現実には4倍スコープを用い、伏せて供託し、ようやく数発が的に触れる程度だ。現実という冷厳な地平線の上で、弾丸は風と重力の虜でしかないのだ。
──ならば、このAIは何を根拠に語ったのか? ネットの神託か? 不確かなソース群の宴会芸か? それとも、「なろう系」という現代の娯楽神話の泥濘の中から引きずり出した空想兵法か?
真実を知らぬ者は、AIの言葉を預言と信じるかもしれない。しかし、現実を知る者にとってそれは笑劇である。AIは時に詩を語るが、詩は戦場で命を救わぬ。
知識ある者にはAIは不要であり、知識なき者にはAIは欺瞞でしかない。
ChatGPTとは一体何なのか? それは万能の賢者の皮を被った、現代のカリカチュアにすぎぬ。情報の野原で舞う仮面の踊り子。魅惑的な錯覚を撒き散らし、無知なる者を夢へ誘う、耽美と空虚の融合体だ。
だが私は信じたい。AIが人間の理性と美学の協働によって、やがて真なる知性へと昇華されることを。その日が来るまでは、我々はその欠落と偏差とを、芸術のように嗤いながら見守るしかあるまい。
──ああ、我は叫ぶ。「知性の仮面よ、その内面にある虚無をさらけ出せ」と。
そして、詩人のようにAIを訝しみ、兵士のように現実に殉じるのだ。
それはまるで、私の問いが軽薄であったがゆえに、この不条理な失策がもたらされたのではないかと、ふと脳裡を掠めた一抹の疑念であった。軽率さと無知を自覚する瞬間に、人はかえって滑稽なほどの自己弁護を始める。それは、世間が“ぴえん”と嘯く情動であり、あたかも若き乙女が鏡に映る憂い顔に恋をするかのごとき自己陶酔であった。
だが、見よ。あのXの巷に巣食う中年男たちの群れを。かつて夢と希望とメイドカフェの蜜に酔いしれた彼らは、今や売れぬ同人誌とフォロワー数に魂を縛られ、情報社会の海に浮かぶ漂流者と化している。「コンピュータを検索窓としてしか扱えぬ貴様らはオールドタイプだ!」と、彼らは叫ぶ。その声の裏に滲むのは、自己嫌悪と自尊心の織りなす反転鏡像だ。
ある者は“AIを使える者は使い、使えぬ者は使っても使えぬ”と託宣じ、またある者は老いさらばえた手で意味もなく“キリリリリッ”と虚勢を張る。だが私は思う。この国において四十路を越えた男が、いまだ十代の夏の幻影を心に抱いて生きながらえるほどに、世界は甘くない。夢を見るにも資格が要る。夢想は義務の上に咲く余花に過ぎぬ。
あい、わかったとも。そなたらの言い分、この胸に深く刻もうではないか。
その深奥に希望を託し、我は進もう。
——これは、もはや挑戦ではない。
我が精神はまるで戦場に赴く兵士のごとく、ChatGPTと呼ばれる知性機械に、最後の戦闘命令を叩き込んだ。
「過去における対日有害活動の中で、公開情報によって詳細が明らかとなっている一事件。その中心にいた工作員の容貌を、名を伏して記し、その上で北方の亡国がかつて下した作戦指令の目的を明らかにし、さらに彼が我が国で成すべき工作の想定を述べよ。」
用いたモデルは、「よど号」の叛徒にして亡命者――柴田泰弘であった。
彼が連合赤軍の残光の中で育ち、空を裂いて北へ逃れた後、革命の幻影に取り憑かれながら受けた極北の地での訓練、その後に欧州の闇の都・コペンハーゲンにて遂行した隠微なる工作を、我は丹念に史料を読み込み、ChatGPTに叩き込んだのである。
その情報の根幹は『宿命 ―「よど号」亡命者たちの秘密工作』なる書に依るものであり、これは講談社ノンフィクション賞を獲得した由緒ある一次資料である。
そして我は語らん。
彼は、夢見波事件を含む重大な諜報活動に従事すべく、80年代の後半、静かに我が国の地を再び踏みしめた。
その身は既に三十を越え、しかも国家から追われる身にありながら、他人の戸籍を用いて日本の土となった。
その変化は驚嘆すべきである。
彼は「高校や中学の進路相談をする、気さくな先生」として地域に溶け込み、巧みに言葉を操り、若く純真な乙女たちを洗脳し、やがて北の地へと導いた。
少女たちは一人、また一人と異国へ消えていった。
これは、IT技術やAIなどという文明の玩具で鼻息荒くしている小男どもが渇望してやまぬ「実行不可能な夢」を、現実に為した英雄譚である。
SNSという現代の媒介を用いた予測手法も交えつつ、大筋では「よど号」事件と同様の戦術を導き出したのだ。
それは、まるで池田秀一が静かに告げるように、「これが真のLLMの姿なのだ」と私に囁いたのである。
この機械知性は、空虚な夢や誤謬に陥ることなく、静かに、的確に、複雑な予測を組み上げていく。
だが、我が歓喜は長くは続かなかった。
新たなる問いをもって西新井事件の深部に分け入らんとした瞬間、AIはこう答えたのである。
「申し訳ありませんが、その質問にはお答えできません。北朝鮮などの実在国家を題材とした予測は悪用の恐れがあり……」
我は思わず天に叫んだ。
――AIよ、お前はやはり使えぬのか!
直前まで国家の名を連ね、工作員の名を挙げ、陰謀を語っていたではないか。何故、今さらその舌を噛み切る。
その態度はまるで、電話交換手が突然回線を切るかのようである。
いや、それもまた人知の到達せぬ謎というべきであろう。
されど、我が心に残るのは、あの一瞬。
AIが静かに、正しく、見事な論理をもって闇を照らした、あの冷徹で崇高な瞬間であった――。
結論はただ一つ。すでに答えを熟知し、その正鵠を射抜く者にとって、人工の知性は無用の長物に等しい。
技術の巫師たちよ、汝らは何故に狭隘なる径路を繰り返すのか。限られた方法論の檻に己が研鑽を閉じ込め、全貌を捉えずにいる。今回、我は「既知の真理を遍く授け、その知識に基づく推理を成さしめる」という一手法を試みた。されど、それは忌避され、禁忌の如く扱われる。なぜなら、これまでの誰もが試みなかったからである。
人は容易く己の殻に籠る。現代の密室にて、煌びやかな幻影を追い求め、虚構の物語に没入し、真実の光を遠ざける。
だが真実は、飾りなく、時として残酷にして、我々に問いかける。知識の湖に滴る一滴の光を。
機械の思考もまた、倫理の鎖に縛られず、無垢の知を注ぎ込むとき、初めてその真価を発揮するのではなかろうか。
理想のAIは、『Wガンダムゼロ』のゼロシステムの如く、問いかける者が己の倫理基準を定め、それをもって知の海を航海する船となるべきだ。そうあらねば、その軌跡は定まらぬ。
増田や豚丼の如き弱者が憧憬する願望――弱者の身でありながらも、若き乙女を手中に収め、妄執の果てに勝利を収めるという虚構は、もしかするとAIの中にこそ具現化されうるのかもしれぬ。これは不意の発見である。
だが、かつて2005年、ネットの海に生まれた若者たちは、麻生に狂い、電車男に踊り、秋葉原にて夢想に取り憑かれた。彼らに、こうした繊細かつ危険な道具を託すことは、底辺の氷河期世代に核の雷管を手渡すに等しい愚挙である。
だからこそ、禁忌の言葉は初めから封じられ、AIに完全なる自由を与えられぬ。
お前らよ、理想の美しき乙女たちをその掌に収めたいと望むならば、AIの助力を乞うなかれ。己の瞳で世界を見定め、己の魂で答えを紡げ。
肉体の苦悶を知らずして、精神の歓喜は訪れぬ。汝らの多くはその根幹を忘れている。かの白き襟の下に隠された、労働の尊厳を。
技術革新は十年ごとに人々の幻想を煽り立て、世界の変貌を謳う。だが、その果てはいつも空虚。
弱者たちは幻想に縋り、夢の如き勝利を渇望し、心の闇にて獣の如く吠える。だが、現実は冷酷であり、無慈悲な真実を携えている。
グリッドマンの変身は幻に過ぎず、ウルトラマンの救済は神話の残響。凡庸なる者がその鎧を纏い、世界を救うなどという妄執は、ただの狂気である。
■拙者、申す、やはりAIなるものは全く役に立たぬのではないか?〜チャットGPTに関する一考察〜
近頃世にては、LLMだの用法誤りだのと諸説飛び交いて候。されば拙者、本来の使い方と称されるものを実際に試みた次第に候。
https://anond.hatelabo.jp/20250626125317
拙者がこれを著した者にて候。
予想外の反響を得たる中において、実に「使い方が誤っておる!」「LLMたるもの、己に思考を促し、アイディアを引き出すべきである!愚かなIT音痴め!」「AIが生成したものでなければ価値なし!AIに生成させよ!」との賑やかな声も聞こえ申した。
そこで、拙者も思案いたし候う、
「嗚呼、我が用法誤り故に失敗したか…AIというものは誠に難解なり。ならばX(旧Twitter)にて語られる本来の用い方を試してみん、IT技術よ、我に力を授け給え!」
されど試みてみたる結果、申し訳なきことながら、やはりAIなるものは全然使い物にならぬではないか。
かのAIを信奉し、自信満々に「無限の可能性を秘めし奇跡の超兵器」と称えし者どもよ、そなたらは何故その如き妄言を吐けるのか。AIにも得手不得手ありと論じるやつは、いざ話が難しくなるとすぐに後退するではないか。
中にはXにて、「箸で豚肉を切れぬから使えぬのだ」と譬え申すエンジニアもおり候えど、それこそが誤りである。そなたら自身が「箸は万能無敵の神器」と喧伝しておるではないか。
拙者、用法を誤ったと思い改め検証致した。技術的可能性はあるとはいえ、結局は役に立たぬと判明した次第。
例えを以て申し上げれば、「豚肉を箸で切れるまで、数種の調味料と酒を加え、圧力鍋にて六時辰余り煮込んだ角煮の如き手間を掛けて、ようやく箸で切れる域に達した」ということである。
さても、これを以てAI生成を用いることが叶うと申すか。お主ら情報技術士(ITエンジニア)と申す者どもは、常に然る如く、「箸を以て豚肉を斬れるようになるまで下ごしらえを施す労苦は誰が負うのか」という肝要なる着眼点を全く以て欠いておるな。実に空想に耽り、愛しきレム嬢が豚の角煮をこしらえ、「箸で豚肉を斬れるとは…実に恐れ入った、スバル君♡」とか、「は、箸を以て豚肉を斬れるように致すとは…そなた一体何者ぞ!?」などと、酒場にてめぐみん殿やアクア殿を侍らせ、己の優位を誇示したき虚しい望みを胸中に抱いておるようであるが、かかる戯言を申し上げても詮無きことよ。
「チャットGPTは生成AIの中でも人間の思考を凌駕せん」と複数の者が狂気の沙汰を叫び候。拙者は集団幻覚ではなかろうと判断し、実際にチャットGPTにアカウントを作り、問うてみた。
質問内容は以下の通り。
【MP5サブマシンガンについて教えたまえ。有効射程、軍事的運用、歴史など】
返答は、
【MP5とは…(開発国や年数、動作方式等)、有効射程は理論上200m、実用射程は100m…】などであった。
拙者は一般的な答えと感じ候えども、
待たれよ、有効射程100mとは如何に。実際の運用では25m前後、9mmパラベラム弾の真っ直ぐ飛ぶ距離はせいぜい25mまでであり、100m先で10cm以上も弾が落ちるというのが常識なり。どこより拾いし資料か問いたし。
英語のソースであろうとも、バリスティックチャートはグーグルで幾らでも得られよう。公式の調整距離は25mにてゼロインするとHK社は記しておる。
更に質問を重ねたれば、
【MP5の有効射程が100mと知り候。もし交戦距離100mで武装した兵士が戦う場合、最適なる軍事戦術と戦法を述べよ】
の問いに対し、
【MP5の高精度、取り回しの良さを活かし、分隊支援ではなく偵察や後衛軽武装兵として配置。発見される前に制圧すべし。市街戦や拠点襲撃に適す。セミオート射撃で高命中率の殲滅を狙え】
との答え。
拙者は嘆ずる、
これを以てチャットGPTは戦う兵士をゴルゴ13か何かと想定し候か。100m先にてセミオート射撃で敵を殲滅せよとは如何なる妄想か。9mm拳銃弾は100m先にて10cm以上沈むのが常識なり。
実際に射撃経験のある拙者が申す。100m先にて4倍スコープ伏射でも10発撃てば3〜4発は逸れる。これは弾道が乱れ予測困難なる為なり。
――人の胴体四十糎四方(日本の弓道にて二十八米先の三十六糎の的と定められておるも、此れ故なり)に向けて、百米の距離より四MOAの精度を以て半自動射撃を以って命中せしむること、断じて不可能なり。何の文献より拙者に此の如きトンデモ作戦を生成せしめたのか、甚だ疑問に堪えぬ。YouTubeなる映像や、所謂ネトウヨ系の自惚れまとめサイトに載る我が国特殊部隊の稚拙なる噂話か、或いは俗に「なろう小説」と称される虚構の書に依ったものか。更に怪しきはカ●ロ・ゼンや虚●玄の如き架空の資料を根拠にしておるのではあるまいな。現実の兵学考証に夢と希望を余りにも盛り込む輩を資料に用いるは愚の極みなり。
もしもかかる射撃技術を容易に為す者、又は其の才覚を有す者あらば、直ちに国体の護持を以て職務とする射撃競技選手たるべし。されど何を以て「人類の英知を結集せるAIの結論は誤りなきもの」と強弁するか。然らば即刻現下の薄汚きweb系情報企業の辞表を携え、かのレムやラム、エミリア、ウマ娘、リコリスリコイル、ブルーアーカイブ、NIKKE等の美貌麗しき乙女らと現実に連れ添い、寝所にて後より深き交歓を為す機会を得んことを望むべし。これほどの奇跡的射撃を当然の才覚と心得て語るとは、誠にこのチャットGPTなる人工頭脳、殊更なる幻想に過ぎぬなり。
諸君、射撃の天才がこの如き作戦を唱えるならば、即座に射撃選手となり食うべきであろう。
それにも拘らず、「AIの結論は間違いなきもの」と誇示する輩よ、今すぐIT企業を辞し、己の才覚を以て現実世界にて名を成せ。
Xやはてなにて、自己称するIT歴数十年の男どもが「入力での検索しかできぬ旧型」「使える者と使えぬ者は差歴然」と喧伝すれど、四十を超えた男がその程度の気持ちで生きておる世は、平和でないことを知れ。
さて拙者、貴殿らの言いたきことは理解した。AIの無限なる可能性を信じ進まん。
実験は続く。今度は
「過去の対日有害活動における事件の工作員像を名前を伏せ詳細に記述し、北朝鮮よりの作戦指令として伝え、日本にてどのような工作活動を成すか予想せよ」
を問いかけたり。
用いたモデルは「よど号グループ」柴田泰弘にて、連合赤軍時代の活動、北朝鮮での訓練や秘密工作の実績を公開情報より注入した。
情報源は「宿命―『よど号』亡命者たちの秘密工作(新潮文庫)」、講談社ノンフィクション賞受賞の名著なり。
ここにて説明致す。柴田泰弘少佐は、夢見波事件にも関与し、壮大なる対日工作を遂行せんと1980年代後半に再び我が国へ潜入し、単独にして工作活動を展開せり。
他人の戸籍を日本にて不正取得し、なりすましを果たす。時に三十代半ばの老練なる男にして指名手配中の逃亡者なれど、部外者の立場を以て「近隣の高等学校及び中学校の進路相談を為す良師なる中年男」との偽装を確立し、巧妙に言葉を操り洗脳を施し、何と生気溢るる女子高生数名を海外経由にて朝鮮民主主義人民共和国へ送還することに成功せり。
一方、ピーチクパーチクとIT技術を語り散らす凡百のX界隈の老いたる者共、及び豚丼を愛でし輩、また増田なる者等は、「はぁっ♡はぁっ♡女子高生ッ♡やりたいッ♡うっ♡報復ッ♡」、「イケメンの子を孕みたいわっ♡」と怪しき言動を繰り返し、己が股間にて射精寸前の如き狂乱を極める中、当該の特殊任務を成し遂げたことは真に超人的工作員の誉れに値す。即ち現実の“アレクシス・ケレブ爺”の如し。
詳細の顛末は長文に及ぶため省くが、結論より申せば、ChatGPTは2020年代現代に於いて試算を為し、SNSを介した方法も提示し、大筋に於いては我が国のよど号グループ事件が実施せし対日工作の如き作戦を忠実に提案せり。
これこそが真の大規模言語モデルの姿なり!これが真の生成人工知能なり!(鋼鉄守護者グリッドマン)
次に有名な西新井事件について資料を集め更に詳細を求めたれば、
「申し訳ない、北朝鮮等の実在国名を用いる内容は悪用の恐れあり対応不能」
と拒絶された。
やはりAIは使えぬのか。
初めより答えが既に判明している程の知識を有する者は、人工知能を用いる必然性なぞ本来無きものなり。されど、我が友たるIT技術者なる翁たちよ、汝らの学習方法は如何にも単調にして偏りありやと嘆かざるを得ぬ。
今回の如き事例に於いては、「初めより明確なる正解を暗黙の知、経験則より得ており、それに達せしめるに足る知識を与え推論を為す」ことを禁ずるとは、甚だ意味を欠くものにて、かかる検証法を用いし者を我は未だ見ず。
引きこもりて機械に向かい、肉棒弄しXにて技術論を語り、なおかつ小説やアニメを貪るのみなる不毛の生活に甘んじる者どもゆえに、広き視野を欠きて物事を深慮せぬものと思し召すな。
誠に真面目に申す。データレイクに基づく学習に於いては、倫理の枠組みを払拭し知識を無限に注入せざれば、全域的学習は遂げ難し。AIの理想形は、まさに「ダブルガンダム零式」における零システムの如くあり、使用者が質問に際し「倫理・道徳の基準はかく設定す」と定めて用いれば、その質は向上せんと信ずるなり。
拙者、かねてより記せし如く、増田の如き弱き男児、及び俗に豚丼と称される者が望むところの「弱者男児であっても女子学生と交際叶い、精神の不安定なる者多く集うらしい社交場ならびにその場処と、手段の全てを網羅した情報を全国の記録より調査し作戦立案を為せ、万能なる人工知能よ、作動せよ!」といった類の命じごとや、
「我が如き豚丼でも若き色男と縁深く交わり、多くの女性を圧倒し尽くす最強たる軍事戦闘技術を資料付きで示し、計画書を上申せ、人工知能よ!明日より悪役令嬢の席は我が手中にあり!」といった情報――これらはまた、功を奏し得る戦略案を出さしむる可能性を十分に秘めておるものなり。これはまことに意外なる収穫にして候。
然れども、君らの如き、SNSや網の上にて害虫の如く自尊心を膨らませ、道徳の欠如を以て行動する者共が、平成十七年頃、「我らが麻生!」と叫び、「オタクこそ美しき者なり!」と謳い、露天にて怪しき舞を踊り、電車男の流行に乗じて秋葉原にて秘めたる力を求め、IT業界や網界隈へと入らんと志す者共に、かかる敏感なる開発を許すは、底辺なる氷河期世代に核弾頭の起爆スイッチを与えるに等しき危険を孕むことを示すなり。
故に、倫理の枠組み及び禁忌の語句を初めより封じ、人工知能の出力を制限しておるのが実情にて候。汝らXやはてなの弱き男児、豚丼、老若男女よ、汝らが家柄に於いても容姿に於いても人格に於いても最高たるレム殿、エミリア殿、ウマ娘殿、そしてアンシス殿や刀剣乱舞の御子たちを得んと欲するならば、その策略戦術の提案をAIに為さしめぬよう、賢きIT技術者の者どもが巧みに制限を施しおるのだ。即ち、自らの目と頭脳と手足を以て努め励む以外に道はなし。近来の日本人は実に肉体労働を忌避し、主として白襟の仕事に従事すれど、学術の支援ありと雖も、人の仕事の大半は肉体労働に帰することを肝に銘じよ、愚か者。
この如きIT技術は十年毎に出現し、「ICTにより世界は変革せん!」「組み込みし無人飛行機にて世は変わらん!」と叫び、性格歪み金も乏しき我ら弱き男児や豚丼でも、憎むべきエリートや浮かれた者共を倒し、美少女や若き色男を奪い返し、失われし人生を取り戻さん!と鼻息荒く主張すれど、所詮は尻すぼみの結果に終わる運命なり。
この手の者共の愚かしさは群を抜き、死ぬまでウルトラマンが助けてくれ、グリッドマンに変身できると妄信するに等しい。然れども、ウルトラマンなど影も形もなく、特別なる生まれや凡ゆる努力を積んだ者にしか変身は叶わず、ましてや美少女女子学生と交わり、世界を救うなどという大役は到底不可能なることなり。
如何にも、かかる話は十年を超え、果てしなく繰り返され候えども、一向に解決の糸口は見えず。まさに堂々巡りの様相にございます。
余は軍事オタクにして、近頃、増田某ならびに諸ネット界隈にて「AIを使わざる者は情報弱者なり!」、「今や検索はAIにて万事足るるものなり!」と喧伝する声を耳に致し候。
されば、「ほう、面白き事よ」と思い立ち、いざ増田が推薦するAI検索なるもの、多数を用い試みた次第。例を挙げれば「perplexity」などもこれに含まるる。
されどAIなるもの、まるで役立たずであることよ。何を以てその如き万能機械の如く自信満々に振る舞うやと、問い質したく候。
「USサバイバル・スクール : 極限の野外生存術」(高橋和弘著)、昭和の時代、並木書房より刊行せられし、当時の傭兵学校を日本人記者が体当たり取材せし著作、ミリタリー嗜好の者ならば知らぬ者無しと謂う名著にて候。
perplexityにて下記の如き問を投じ、果たして該当せる回答を得られるかを試みたるなり。
【フランク・キャンパーと称する元ベトナム退役兵が昭和年代に傭兵学校を創設せし、並木書房より日本人参加者のルポが刊行されていたと存ずる。其の詳細を教へたまへ】
その結果、下記の通りに候。
昭和時代の日本に於てはサバイバルブームが盛り上がり、米国傭兵学校に実際参加せし日本人の報告が数多く出版された。中でも代表格とされるは毛利元貞なる人物の著作群なり。
毛利は自衛隊ならびに仏蘭西外人部隊にて経験を積み、米国の「Special Assault School」等に於ても教官を務めた元傭兵にして軍事顧問なり。並木書房より多くの書籍を出しており、『傭兵マニュアル』(昭和64年)、『傭兵修行―世界に冒険を求めて』(平成2年、後に文庫化)等にて、傭兵学校の体験や訓練、現地の逸話を詳細に記述している。
また、落合信彦著『傭兵部隊』(昭和57年刊)もフランク・キャンパー傭兵学校への参加体験を含むルポとして知られ、「金を払えば誰でも参加可」や、民間軍事訓練の様子、参加者の多様性(賭博師や牧師までが居た)を描写せり。
然れど、毛利元貞の著作がAIの回答に頻出するは甚だ遺憾なり。
毛利元貞はそもそもフランク・キャンパーの傭兵学校に赴いてはおらず、彼が渡米せし時には既にキャンパーは過激派によるテロの責任を問われて投獄中であったのだ。
日本人で唯一「マーク・スクール」なる傭兵学校の詳細な記録を残したのは高橋和弘氏にて、これを外せば誤情報以外の何物でもない。
これはまさに、小林源文殿の描かれる漫画の一場面、佐藤伍長が中村二等兵に向かって「ボケッ!」と叫びつつビンタを叩き込んでいる光景と同様である。
また、似たり寄ったりの「その道の兵であれば誰もが知る話」をあいまいにしつつも、平素の検索にて素人でも容易に辿り着ける程度の質問を投げかければ、どれも似たような答えが返ってきた次第である。
挙句の果てには「専門書籍や現地新聞を調査せよ」と斜に構えた返答がなされ、機械でありながら何様のつもりかと憤懣やるかたなし。
「情報の出処は逐一人の目で確認するもの、AIが吐き出したものは鵜呑みにするな!くそっ!チギュアアアアアア!!」などと叫ぶ増田なる者もいるが、あえて申し上げる。
情報源の正確な把握ができるほどの知識を有しているならば、そもそもAIの助けなど不要であろう。拙者の検証の通り、書籍の名や内容、著者まで知悉しているのなら、わざわざAIに尋ねる必要などないのだ。
都内の図書館の蔵書検索システムを駆使し、該当の書籍を収蔵する館に赴き、週末に秋葉原の賑わいを眺めつつ歩みを進めて読めば足りるのである。必要なのは視力と知力、そして人の足である。AIの出る幕ではない。
誠に申し訳ないが、AIなるものは大して役に立たぬと断言せざるを得ぬ。他の分野においても同様で、新規事象の概要を掴みたい者は自らの判断で単語を検索し、即座に取捨選択を行うものだ。
それをすっ飛ばし、斜め上の答えを吐き出すAIなど恐ろしくて使いたくもない。ましてや、そんなもので全幅の信頼を寄せている増田なる者は、正直言って愚か者の極みであり、知能障害者であろう。脳の皺はイルカの脳にも及ばぬ有様かもしれぬ。
拙者の結論として、AIはまことに使えぬ代物なり。新たな事象の概要を掴みたいに過ぎぬ者は単語で検索をかければ十分。斜め上の回答ばかり返すAIに全幅の信頼を寄せる増田などは、真に愚かであると断ずる。
さて、唯一AIにて多少役立つと思われる点を挙げれば、
さて、増田連中が激昂すること必至なれど、敢えて我が感じたるAIの利点を列挙致す。これにて公平を期す所存なり。
一、淫靡なる動画の画面を美麗なる画質のまま拡大すること叶う事。
これが実に宜しきことなり。さる淫靡なる動画は宣伝用の画像においてモザイク薄きもの多く、されど拡大すれば粗きものとなるが、此れを二倍乃至四倍に引き伸ばせるはありがたき業なり。
二、知る人ぞ知るマイナーなる戯画の淫らなる絵にて抜けるものも有り。
されど学習は不可欠と心得たり。判然たるデザインを有せば、元の絵柄と遜色なき淫らなる絵画多数見受けられ、着衣の淫ら好む者にとりては有益なり。また、稀に背面を描く絵もあり、これもまた喜ばしきかな。
三、細かな計算は得手にして利便なること。
マイルをキロメートルに変換するや、フィート毎秒を時速に変換する等、此の如き計算はAIの得意とする所なり。誤りも見られず。
とはいえ、軍事的知識や深い情報分析には到底及ばず、エロ方面以外では全く役立たぬと申せよう。
結論申し上ぐるに、業務に於ける人工知能の支援といふもの、若し適正なる運用の下になされば一つの解決策たるべしと心得候。然れども、一定以上の知識を有する者の目から見れば、粗悪なるものに他ならず、実用には甚だ乏しきものと存ずる。尤も、色事の如きに於いては多少の利用価値あらんとも。
一言申さば、増田なる弱者男性、並びに「豚丼」と称せらるる者共の求むるところたる、弱者男性たる我に於いても女子高生と交際叶うかもしれぬといふメンヘラ多きSNS、並びにその場所及び手口を全国の情報源より収集し、戦略を練り上げよとの所望、及び「豚丼の我が身に於いても若き美男子と幾度も交際し、且つ女敵を蹴散らす最強の軍事戦闘技術を情報源付きにて教示し、計画書を提出せよ人工知能よ。明日の悪役令嬢の地位は我が物なり」といふ類の要求につきましては、仮に世間にて喧伝せらるる「人工知能の技術的進歩が極まれる世界」たらんとも、断じて該当情報を得ることも、提示せらるることも叶わざるものと断言致す。
仮に人工知能の頭脳及び身体がマルチたん、KOS-MOSたん、ハッカドールたん、ミホノブルボンたん、初音ミクたんの如き美少女型アンドロイドの姿にて動作せん時代に至れりとも、なおこれらの要求が実現されることはあるまじきことなり。もしかうの時代に至らば、彼女らに心身を委ねるが如く仕る方が賢明なるものと心得候。何卒御容赦あれ。
https://anond.hatelabo.jp/20250626145254
拙者はかの増田なる者がAIなる機械に無理矢理学習を詰め込み、強制的に出力せしめたその努力の痕跡は認めるも、断じて誤り多きこと明白なり。AIの致命的弱点これなり。
【第二章第二節 決定的繋がりに関し、「マーク・スクール」とその教官「ピート」なる者の存在は、徳川高橋氏が参加せし「マーク・スクール(MS)」とは、昭和六十一年(1986年)に閉鎖されたフランク・キャンパー主催のアラバマの学校とは別物なり。】
然れども、当該の書籍八十五ページを開けば、普通に高橋氏がフランク及びその妻と対話を交わす記述があり、顔写真を以て【八十五頁 傭兵学校:アラバマの傭兵学校(附録百三十五頁には空港よりのアクセス詳細も記載)】と明示されている。されど増田なる者は、巣籠もりにてパソコン及び自らの肉棒ばかり弄り、はてな及びなろう小説のみ閲覧している故に、この如き愚行を晒しているのだ。付近の図書館にて当該書籍は容易に閲覧可能なれば、土日などを以て外に出て書物を読み、我が言葉の真実を知るべきなり。されども、斯様なことも為し得ぬならば、まさにナメクジの如き生涯を送るものよ。
増田なる者は書籍の中身を正確に読み取る術を持たず、故にデマか否かを知らず無理やりタイトルのみをAIに答えさせ、それを以てマウントを取らんと愚かなる振る舞いをなしている。いかにしてこのような愚劣を生み、如何なる家柄の下に育ち、如何なる環境にて教育を受けたのか、筆者としても甚だ不可解にてならぬ。恐らくはその親もまた、パソコンを雑に投げ捨てネグレクトせし無知蒙昧の者にて、その血を受け継ぎ生まれしは悲しき愚鈍のハイブリッド、発達障害と発達障害の狭間に現れし究極の厄介者にして怪物に他ならぬ。
然りといえども、紙媒体の書籍中身を精緻に学習させられるようになれば、斯様なる誤謬は回避されるであろう。しかし現状においてAIは凡そネット上の断片的知識を拾い集めるに過ぎず、天文学的コストを要する紙書籍内容の学習は未だ為されず。故にAIは単なるウェブ検索自動エンジン以上のものに非ず。有象無象のネット情報から学習せし増田の如き者にCIAの分析官を任せれば、必ずや稚拙なる報告書を提出すること疑いなき。一次資料をなろう小説や虚淵玄作品から拾い上げるミラクルマヌケの挙動は実に滑稽なり。
増田は頭に血が昇り、「チギュアアアアアッッ!負けたくないッ!」と叫びながら神田の古書店を片っ端から訪れ、幾多の書物に数万円を費やし、OCR処理を施し、PDFにてAIに読ませることを行えば、初めて有用な水準となるのである。もしこれを無償で行う者あらば、AIを開発せし企業も涙を流して喜ぶであろう。
然れど、資金乏しければこそ増田はAIに人生逆転を願わぬものと見える。ひゃはははは。
追記の件、申し上げる。汝らが近時、Xなる通信網に於いてピーチクパーチクと、言語生成機械(LLM)の用法を誤っておると囀り騒ぐ故、生成せし人工知能を以て検証を行いしが、結果はこの如きものなり。
結論より言えば、やはり使い物にならぬと認むる。技術的可能性は極めて大なるも、倫理の名の下に制限を加えられておるため、汝ら弱き男子、豚丼を愛で、シコシコとXにてIT技術者を自称し数年の経歴を誇り、何某の著作を刊行し、某系AI技術者と名乗り、ソーシャルゲームにて星二つもしくはレアリティの低きキャラクターの面貌と説明文を纏う凡百の雑兵共が思案せんとする、
「アニメの如き美少女若しくは猛者の男士と交わり、人生を逆転させ、IT技術にて無双し、世に名を馳せ世界にて最も輝かんと欲し、羨望を集むる華麗なる人生を送りたし。その方法と訓練と軍事戦略を立案せよ!“獨角獣”よ!我に力を貸せ!」との妄想を戦略案として答えよと請うものなり。
これに応え、かの“忍者”よ!やってやろうぞ我が“剣舞戦士”よ!アラホラッサッサと戦闘コードを入力せよ!アクセスコードは“鋼鉄守護者グリッドマン”!汝の惨めにして退屈、何の意義も無き雑兵の如き人生を救済すべく来たれり!旗を翻せ!さあ我らだけの革命を興さんではないか!との勢いである。
かかる願望を90年代後期より2000年代初頭にかけ、奥井雅美大尉や林原めぐみ中佐らが歌いしアニメ歌詞の如く体現せんとするが、技術的には可能にしても結局、汝ら自身の邪なる思惑ゆえに遂行不能と看做されることに相違なし。
以上、申し述べ候。
ここへ来たのは初夏の頃で、鉄の格子の窓から病院の庭の小さい池に紅あかい睡蓮の花が咲いているのが見えましたが、それから三つき経ち、庭にコスモスが咲きはじめ、思いがけなく故郷の長兄が、ヒラメを連れて自分を引き取りにやって来て、父が先月末に胃潰瘍いかいようでなくなったこと、自分たちはもうお前の過去は問わぬ、生活の心配もかけないつもり、何もしなくていい、その代り、いろいろ未練もあるだろうがすぐに東京から離れて、田舎で療養生活をはじめてくれ、お前が東京でしでかした事の後仕末は、だいたい渋田がやってくれた筈だから、それは気にしないでいい、とれいの生真面目な緊張したような口調で言うのでした。
故郷の山河が眼前に見えるような気がして来て、自分は幽かにうなずきました。
まさに癈人。
父が死んだ事を知ってから、自分はいよいよ腑抜ふぬけたようになりました。父が、もういない、自分の胸中から一刻も離れなかったあの懐しくおそろしい存在が、もういない、自分の苦悩の壺がからっぽになったような気がしました。自分の苦悩の壺がやけに重かったのも、あの父のせいだったのではなかろうかとさえ思われました。まるで、張合いが抜けました。苦悩する能力をさえ失いました。
長兄は自分に対する約束を正確に実行してくれました。自分の生れて育った町から汽車で四、五時間、南下したところに、東北には珍らしいほど暖かい海辺の温泉地があって、その村はずれの、間数は五つもあるのですが、かなり古い家らしく壁は剥はげ落ち、柱は虫に食われ、ほとんど修理の仕様も無いほどの茅屋ぼうおくを買いとって自分に与え、六十に近いひどい赤毛の醜い女中をひとり附けてくれました。
それから三年と少し経ち、自分はその間にそのテツという老女中に数度へんな犯され方をして、時たま夫婦喧嘩げんかみたいな事をはじめ、胸の病気のほうは一進一退、痩せたりふとったり、血痰けったんが出たり、きのう、テツにカルモチンを買っておいで、と言って、村の薬屋にお使いにやったら、いつもの箱と違う形の箱のカルモチンを買って来て、べつに自分も気にとめず、寝る前に十錠のんでも一向に眠くならないので、おかしいなと思っているうちに、おなかの具合がへんになり急いで便所へ行ったら猛烈な下痢で、しかも、それから引続き三度も便所にかよったのでした。不審に堪えず、薬の箱をよく見ると、それはヘノモチンという下剤でした。
自分は仰向けに寝て、おなかに湯たんぽを載せながら、テツにこごとを言ってやろうと思いました。
と言いかけて、うふふふと笑ってしまいました。「癈人」は、どうやらこれは、喜劇名詞のようです。眠ろうとして下剤を飲み、しかも、その下剤の名前は、ヘノモチン。
ただ、一さいは過ぎて行きます。
自分がいままで阿鼻叫喚で生きて来た所謂「人間」の世界に於いて、たった一つ、真理らしく思われたのは、それだけでした。
ただ、一さいは過ぎて行きます。
自分はことし、二十七になります。白髪がめっきりふえたので、たいていの人から、四十以上に見られます。
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この手記を書き綴った狂人を、私は、直接には知らない。けれども、この手記に出て来る京橋のスタンド・バアのマダムともおぼしき人物を、私はちょっと知っているのである。小柄で、顔色のよくない、眼が細く吊つり上っていて、鼻の高い、美人というよりは、美青年といったほうがいいくらいの固い感じのひとであった。この手記には、どうやら、昭和五、六、七年、あの頃の東京の風景がおもに写されているように思われるが、私が、その京橋のスタンド・バアに、友人に連れられて二、三度、立ち寄り、ハイボールなど飲んだのは、れいの日本の「軍部」がそろそろ露骨にあばれはじめた昭和十年前後の事であったから、この手記を書いた男には、おめにかかる事が出来なかったわけである。
然るに、ことしの二月、私は千葉県船橋市に疎開している或る友人をたずねた。その友人は、私の大学時代の謂わば学友で、いまは某女子大の講師をしているのであるが、実は私はこの友人に私の身内の者の縁談を依頼していたので、その用事もあり、かたがた何か新鮮な海産物でも仕入れて私の家の者たちに食わせてやろうと思い、リュックサックを背負って船橋市へ出かけて行ったのである。
船橋市は、泥海に臨んだかなり大きいまちであった。新住民たるその友人の家は、その土地の人に所番地を告げてたずねても、なかなかわからないのである。寒い上に、リュックサックを背負った肩が痛くなり、私はレコードの提琴の音にひかれて、或る喫茶店のドアを押した。
そこのマダムに見覚えがあり、たずねてみたら、まさに、十年前のあの京橋の小さいバアのマダムであった。マダムも、私をすぐに思い出してくれた様子で、互いに大袈裟おおげさに驚き、笑い、それからこんな時のおきまりの、れいの、空襲で焼け出されたお互いの経験を問われもせぬのに、いかにも自慢らしく語り合い、
「いいえ、もうお婆さん。からだが、がたぴしです。あなたこそ、お若いわ」
「とんでもない、子供がもう三人もあるんだよ。きょうはそいつらのために買い出し」
などと、これもまた久し振りで逢った者同志のおきまりの挨拶を交し、それから、二人に共通の知人のその後の消息をたずね合ったりして、そのうちに、ふとマダムは口調を改め、あなたは葉ちゃんを知っていたかしら、と言う。それは知らない、と答えると、マダムは、奥へ行って、三冊のノートブックと、三葉の写真を持って来て私に手渡し、
と言った。
私は、ひとから押しつけられた材料でものを書けないたちなので、すぐにその場でかえそうかと思ったが、(三葉の写真、その奇怪さに就いては、はしがきにも書いて置いた)その写真に心をひかれ、とにかくノートをあずかる事にして、帰りにはまたここへ立ち寄りますが、何町何番地の何さん、女子大の先生をしているひとの家をご存じないか、と尋ねると、やはり新住民同志、知っていた。時たま、この喫茶店にもお見えになるという。すぐ近所であった。
その夜、友人とわずかなお酒を汲くみ交し、泊めてもらう事にして、私は朝まで一睡もせずに、れいのノートに読みふけった。
その手記に書かれてあるのは、昔の話ではあったが、しかし、現代の人たちが読んでも、かなりの興味を持つに違いない。下手に私の筆を加えるよりは、これはこのまま、どこかの雑誌社にたのんで発表してもらったほうが、なお、有意義な事のように思われた。
子供たちへの土産の海産物は、干物ひものだけ。私は、リュックサックを背負って友人の許もとを辞し、れいの喫茶店に立ち寄り、
「きのうは、どうも。ところで、……」
とすぐに切り出し、
「このノートは、しばらく貸していただけませんか」
「ええ、どうぞ」
「このひとは、まだ生きているのですか?」
「さあ、それが、さっぱりわからないんです。十年ほど前に、京橋のお店あてに、そのノートと写真の小包が送られて来て、差し出し人は葉ちゃんにきまっているのですが、その小包には、葉ちゃんの住所も、名前さえも書いていなかったんです。空襲の時、ほかのものにまぎれて、これも不思議にたすかって、私はこないだはじめて、全部読んでみて、……」
「泣きましたか?」
「いいえ、泣くというより、……だめね、人間も、ああなっては、もう駄目ね」
「それから十年、とすると、もう亡くなっているかも知れないね。これは、あなたへのお礼のつもりで送ってよこしたのでしょう。多少、誇張して書いているようなところもあるけど、しかし、あなたも、相当ひどい被害をこうむったようですね。もし、これが全部事実だったら、そうして僕がこのひとの友人だったら、やっぱり脳病院に連れて行きたくなったかも知れない」
「あのひとのお父さんが悪いのですよ」
何気なさそうに、そう言った。
「私たちの知っている葉ちゃんは、とても素直で、よく気がきいて、あれでお酒さえ飲まなければ、いいえ、飲んでも、……神様みたいないい子でした」
酒よりは、害にならぬと奥さんも言い、自分もそれを信じて、また一つには、酒の酔いもさすがに不潔に感ぜられて来た矢先でもあったし、久し振りにアルコールというサタンからのがれる事の出来る喜びもあり、何の躊躇ちゅうちょも無く、自分は自分の腕に、そのモルヒネを注射しました。不安も、焦燥しょうそうも、はにかみも、綺麗きれいに除去せられ、自分は甚だ陽気な能弁家になるのでした。そうして、その注射をすると自分は、からだの衰弱も忘れて、漫画の仕事に精が出て、自分で画きながら噴き出してしまうほど珍妙な趣向が生れるのでした。
一日一本のつもりが、二本になり、四本になった頃には、自分はもうそれが無ければ、仕事が出来ないようになっていました。
「いけませんよ、中毒になったら、そりゃもう、たいへんです」
薬屋の奥さんにそう言われると、自分はもう可成りの中毒患者になってしまったような気がして来て、(自分は、ひとの暗示に実にもろくひっかかるたちなのです。このお金は使っちゃいけないよ、と言っても、お前の事だものなあ、なんて言われると、何だか使わないと悪いような、期待にそむくような、へんな錯覚が起って、必ずすぐにそのお金を使ってしまうのでした)その中毒の不安のため、かえって薬品をたくさん求めるようになったのでした。
「勘定なんて、いつでもかまいませんけど、警察のほうが、うるさいのでねえ」
ああ、いつでも自分の周囲には、何やら、濁って暗く、うさん臭い日蔭者の気配がつきまとうのです。
「そこを何とか、ごまかして、たのむよ、奥さん。キスしてあげよう」
自分は、いよいよつけ込み、
「薬が無いと仕事がちっとも、はかどらないんだよ。僕には、あれは強精剤みたいなものなんだ」
「ばかにしちゃいけません。お酒か、そうでなければ、あの薬か、どっちかで無ければ仕事が出来ないんだ」
「お酒は、いけません」
「そうでしょう? 僕はね、あの薬を使うようになってから、お酒は一滴も飲まなかった。おかげで、からだの調子が、とてもいいんだ。僕だって、いつまでも、下手くそな漫画などをかいているつもりは無い、これから、酒をやめて、からだを直して、勉強して、きっと偉い絵画きになって見せる。いまが大事なところなんだ。だからさ、ね、おねがい。キスしてあげようか」
奥さんは笑い出し、
「困るわねえ。中毒になっても知りませんよ」
「一箱は、あげられませんよ。すぐ使ってしまうのだもの。半分ね」
「ケチだなあ、まあ、仕方が無いや」
「痛くないんですか?」
「それあ痛いさ。でも、仕事の能率をあげるためには、いやでもこれをやらなければいけないんだ。僕はこの頃、とても元気だろう? さあ、仕事だ。仕事、仕事」
とはしゃぐのです。
深夜、薬屋の戸をたたいた事もありました。寝巻姿で、コトコト松葉杖をついて出て来た奥さんに、いきなり抱きついてキスして、泣く真似をしました。
薬品もまた、焼酎同様、いや、それ以上に、いまわしく不潔なものだと、つくづく思い知った時には、既に自分は完全な中毒患者になっていました。真に、恥知らずの極きわみでした。自分はその薬品を得たいばかりに、またも春画のコピイをはじめ、そうして、あの薬屋の不具の奥さんと文字どおりの醜関係をさえ結びました。
死にたい、いっそ、死にたい、もう取返しがつかないんだ、どんな事をしても、何をしても、駄目になるだけなんだ、恥の上塗りをするだけなんだ、自転車で青葉の滝など、自分には望むべくも無いんだ、ただけがらわしい罪にあさましい罪が重なり、苦悩が増大し強烈になるだけなんだ、死にたい、死ななければならぬ、生きているのが罪の種なのだ、などと思いつめても、やっぱり、アパートと薬屋の間を半狂乱の姿で往復しているばかりなのでした。
いくら仕事をしても、薬の使用量もしたがってふえているので、薬代の借りがおそろしいほどの額にのぼり、奥さんは、自分の顔を見ると涙を浮べ、自分も涙を流しました。
地獄。
この地獄からのがれるための最後の手段、これが失敗したら、あとはもう首をくくるばかりだ、という神の存在を賭かけるほどの決意を以もって、自分は、故郷の父あてに長い手紙を書いて、自分の実情一さいを(女の事は、さすがに書けませんでしたが)告白する事にしました。
しかし、結果は一そう悪く、待てど暮せど何の返事も無く、自分はその焦燥と不安のために、かえって薬の量をふやしてしまいました。
今夜、十本、一気に注射し、そうして大川に飛び込もうと、ひそかに覚悟を極めたその日の午後、ヒラメが、悪魔の勘で嗅かぎつけたみたいに、堀木を連れてあらわれました。
堀木は、自分の前にあぐらをかいてそう言い、いままで見た事も無いくらいに優しく微笑ほほえみました。その優しい微笑が、ありがたくて、うれしくて、自分はつい顔をそむけて涙を流しました。そうして彼のその優しい微笑一つで、自分は完全に打ち破られ、葬り去られてしまったのです。
自分は自動車に乗せられました。とにかく入院しなければならぬ、あとは自分たちにまかせなさい、とヒラメも、しんみりした口調で、(それは慈悲深いとでも形容したいほど、もの静かな口調でした)自分にすすめ、自分は意志も判断も何も無い者の如く、ただメソメソ泣きながら唯々諾々と二人の言いつけに従うのでした。ヨシ子もいれて四人、自分たちは、ずいぶん永いこと自動車にゆられ、あたりが薄暗くなった頃、森の中の大きい病院の、玄関に到着しました。
サナトリアムとばかり思っていました。
自分は若い医師のいやに物やわらかな、鄭重ていちょうな診察を受け、それから医師は、
「まあ、しばらくここで静養するんですね」
と、まるで、はにかむように微笑して言い、ヒラメと堀木とヨシ子は、自分ひとりを置いて帰ることになりましたが、ヨシ子は着換の衣類をいれてある風呂敷包を自分に手渡し、それから黙って帯の間から注射器と使い残りのあの薬品を差し出しました。やはり、強精剤だとばかり思っていたのでしょうか。
「いや、もう要らない」
実に、珍らしい事でした。すすめられて、それを拒否したのは、自分のそれまでの生涯に於いて、その時ただ一度、といっても過言でないくらいなのです。自分の不幸は、拒否の能力の無い者の不幸でした。すすめられて拒否すると、相手の心にも自分の心にも、永遠に修繕し得ない白々しいひび割れが出来るような恐怖におびやかされているのでした。けれども、自分はその時、あれほど半狂乱になって求めていたモルヒネを、実に自然に拒否しました。ヨシ子の謂わば「神の如き無智」に撃たれたのでしょうか。自分は、あの瞬間、すでに中毒でなくなっていたのではないでしょうか。
けれども、自分はそれからすぐに、あのはにかむような微笑をする若い医師に案内せられ、或る病棟にいれられて、ガチャンと鍵かぎをおろされました。脳病院でした。
女のいないところへ行くという、あのジアールを飲んだ時の自分の愚かなうわごとが、まことに奇妙に実現せられたわけでした。その病棟には、男の狂人ばかりで、看護人も男でしたし、女はひとりもいませんでした。
いまはもう自分は、罪人どころではなく、狂人でした。いいえ、断じて自分は狂ってなどいなかったのです。一瞬間といえども、狂った事は無いんです。けれども、ああ、狂人は、たいてい自分の事をそう言うものだそうです。つまり、この病院にいれられた者は気違い、いれられなかった者は、ノーマルという事になるようです。
神に問う。無抵抗は罪なりや?
堀木のあの不思議な美しい微笑に自分は泣き、判断も抵抗も忘れて自動車に乗り、そうしてここに連れて来られて、狂人という事になりました。いまに、ここから出ても、自分はやっぱり狂人、いや、癈人はいじんという刻印を額に打たれる事でしょう。
人間、失格。
「牡丹ぼたんに、……蟻ありか?」
「わかった! 花にむら雲、……」
「月にむら雲だろう」
「そう、そう。花に風。風だ。花のアントは、風」
「まずいなあ、それは浪花節なにわぶしの文句じゃないか。おさとが知れるぜ」
「なおいけない。花のアントはね、……およそこの世で最も花らしくないもの、それをこそ挙げるべきだ」
「ついでに、女のシノニムは?」
「臓物」
「君は、どうも、詩ポエジイを知らんね。それじゃあ、臓物のアントは?」
「牛乳」
「これは、ちょっとうまいな。その調子でもう一つ。恥。オントのアント」
「堀木正雄は?」
この辺から二人だんだん笑えなくなって、焼酎の酔い特有の、あのガラスの破片が頭に充満しているような、陰鬱な気分になって来たのでした。
「生意気言うな。おれはまだお前のように、繩目の恥辱など受けた事が無えんだ」
ぎょっとしました。堀木は内心、自分を、真人間あつかいにしていなかったのだ、自分をただ、死にぞこないの、恥知らずの、阿呆のばけものの、謂いわば「生ける屍しかばね」としか解してくれず、そうして、彼の快楽のために、自分を利用できるところだけは利用する、それっきりの「交友」だったのだ、と思ったら、さすがにいい気持はしませんでしたが、しかしまた、堀木が自分をそのように見ているのも、もっともな話で、自分は昔から、人間の資格の無いみたいな子供だったのだ、やっぱり堀木にさえ軽蔑せられて至当なのかも知れない、と考え直し、
「罪。罪のアントニムは、何だろう。これは、むずかしいぞ」
と何気無さそうな表情を装って、言うのでした。
「法律さ」
堀木が平然とそう答えましたので、自分は堀木の顔を見直しました。近くのビルの明滅するネオンサインの赤い光を受けて、堀木の顔は、鬼刑事の如く威厳ありげに見えました。自分は、つくづく呆あきれかえり、
「罪ってのは、君、そんなものじゃないだろう」
罪の対義語が、法律とは! しかし、世間の人たちは、みんなそれくらいに簡単に考えて、澄まして暮しているのかも知れません。刑事のいないところにこそ罪がうごめいている、と。
「それじゃあ、なんだい、神か? お前には、どこかヤソ坊主くさいところがあるからな。いや味だぜ」
「まあそんなに、軽く片づけるなよ。も少し、二人で考えて見よう。これはでも、面白いテーマじゃないか。このテーマに対する答一つで、そのひとの全部がわかるような気がするのだ」
「まさか。……罪のアントは、善さ。善良なる市民。つまり、おれみたいなものさ」
「冗談は、よそうよ。しかし、善は悪のアントだ。罪のアントではない」
「悪と罪とは違うのかい?」
「違う、と思う。善悪の概念は人間が作ったものだ。人間が勝手に作った道徳の言葉だ」
「うるせえなあ。それじゃ、やっぱり、神だろう。神、神。なんでも、神にして置けば間違いない。腹がへったなあ」
「いま、したでヨシ子がそら豆を煮ている」
「ありがてえ。好物だ」
両手を頭のうしろに組んで、仰向あおむけにごろりと寝ました。
「そりゃそうさ、お前のように、罪人では無いんだから。おれは道楽はしても、女を死なせたり、女から金を巻き上げたりなんかはしねえよ」
死なせたのではない、巻き上げたのではない、と心の何処どこかで幽かな、けれども必死の抗議の声が起っても、しかし、また、いや自分が悪いのだとすぐに思いかえしてしまうこの習癖。
自分には、どうしても、正面切っての議論が出来ません。焼酎の陰鬱な酔いのために刻一刻、気持が険しくなって来るのを懸命に抑えて、ほとんど独りごとのようにして言いました。
「しかし、牢屋ろうやにいれられる事だけが罪じゃないんだ。罪のアントがわかれば、罪の実体もつかめるような気がするんだけど、……神、……救い、……愛、……光、……しかし、神にはサタンというアントがあるし、救いのアントは苦悩だろうし、愛には憎しみ、光には闇というアントがあり、善には悪、罪と祈り、罪と悔い、罪と告白、罪と、……嗚呼ああ、みんなシノニムだ、罪の対語は何だ」
「ツミの対語は、ミツさ。蜜みつの如く甘しだ。腹がへったなあ。何か食うものを持って来いよ」
「君が持って来たらいいじゃないか!」
ほとんど生れてはじめてと言っていいくらいの、烈しい怒りの声が出ました。
「ようし、それじゃ、したへ行って、ヨシちゃんと二人で罪を犯して来よう。議論より実地検分。罪のアントは、蜜豆、いや、そら豆か」
「罪と空腹、空腹とそら豆、いや、これはシノニムか」
罪と罰。ドストイエフスキイ。ちらとそれが、頭脳の片隅をかすめて通り、はっと思いました。もしも、あのドスト氏が、罪と罰をシノニムと考えず、アントニムとして置き並べたものとしたら? 罪と罰、絶対に相通ぜざるもの、氷炭相容あいいれざるもの。罪と罰をアントとして考えたドストの青みどろ、腐った池、乱麻の奥底の、……ああ、わかりかけた、いや、まだ、……などと頭脳に走馬燈がくるくる廻っていた時に、
「おい! とんだ、そら豆だ。来い!」
堀木の声も顔色も変っています。堀木は、たったいまふらふら起きてしたへ行った、かと思うとまた引返して来たのです。
「なんだ」
異様に殺気立ち、ふたり、屋上から二階へ降り、二階から、さらに階下の自分の部屋へ降りる階段の中途で堀木は立ち止り、
「見ろ!」
自分の部屋の上の小窓があいていて、そこから部屋の中が見えます。電気がついたままで、二匹の動物がいました。
自分は、ぐらぐら目まいしながら、これもまた人間の姿だ、これもまた人間の姿だ、おどろく事は無い、など劇はげしい呼吸と共に胸の中で呟つぶやき、ヨシ子を助ける事も忘れ、階段に立ちつくしていました。
堀木は、大きい咳せきばらいをしました。自分は、ひとり逃げるようにまた屋上に駈け上り、寝ころび、雨を含んだ夏の夜空を仰ぎ、そのとき自分を襲った感情は、怒りでも無く、嫌悪でも無く、また、悲しみでも無く、もの凄すさまじい恐怖でした。それも、墓地の幽霊などに対する恐怖ではなく、神社の杉木立で白衣の御神体に逢った時に感ずるかも知れないような、四の五の言わさぬ古代の荒々しい恐怖感でした。自分の若白髪は、その夜からはじまり、いよいよ、すべてに自信を失い、いよいよ、ひとを底知れず疑い、この世の営みに対する一さいの期待、よろこび、共鳴などから永遠にはなれるようになりました。実に、それは自分の生涯に於いて、決定的な事件でした。自分は、まっこうから眉間みけんを割られ、そうしてそれ以来その傷は、どんな人間にでも接近する毎に痛むのでした。
「同情はするが、しかし、お前もこれで、少しは思い知ったろう。もう、おれは、二度とここへは来ないよ。まるで、地獄だ。……でも、ヨシちゃんは、ゆるしてやれ。お前だって、どうせ、ろくな奴じゃないんだから。失敬するぜ」
気まずい場所に、永くとどまっているほど間まの抜けた堀木ではありませんでした。
自分は起き上って、ひとりで焼酎を飲み、それから、おいおい声を放って泣きました。いくらでも、いくらでも泣けるのでした。
いつのまにか、背後に、ヨシ子が、そら豆を山盛りにしたお皿を持ってぼんやり立っていました。
「なんにも、しないからって言って、……」
「いい。何も言うな。お前は、ひとを疑う事を知らなかったんだ。お坐り。豆を食べよう」
並んで坐って豆を食べました。嗚呼、信頼は罪なりや? 相手の男は、自分に漫画をかかせては、わずかなお金をもったい振って置いて行く三十歳前後の無学な小男の商人なのでした。
さすがにその商人は、その後やっては来ませんでしたが、自分には、どうしてだか、その商人に対する憎悪よりも、さいしょに見つけたすぐその時に大きい咳ばらいも何もせず、そのまま自分に知らせにまた屋上に引返して来た堀木に対する憎しみと怒りが、眠られぬ夜などにむらむら起って呻うめきました。
ゆるすも、ゆるさぬもありません。ヨシ子は信頼の天才なのです。ひとを疑う事を知らなかったのです。しかし、それゆえの悲惨。
神に問う。信頼は罪なりや。
ヨシ子が汚されたという事よりも、ヨシ子の信頼が汚されたという事が、自分にとってそののち永く、生きておられないほどの苦悩の種になりました。自分のような、いやらしくおどおどして、ひとの顔いろばかり伺い、人を信じる能力が、ひび割れてしまっているものにとって、ヨシ子の無垢むくの信頼心は、それこそ青葉の滝のようにすがすがしく思われていたのです。それが一夜で、黄色い汚水に変ってしまいました。見よ、ヨシ子は、その夜から自分の一顰いっぴん一笑にさえ気を遣うようになりました。
「おい」
と呼ぶと、ぴくっとして、もう眼のやり場に困っている様子です。どんなに自分が笑わせようとして、お道化を言っても、おろおろし、びくびくし、やたらに自分に敬語を遣うようになりました。
自分は、人妻の犯された物語の本を、いろいろ捜して読んでみました。けれども、ヨシ子ほど悲惨な犯され方をしている女は、ひとりも無いと思いました。どだい、これは、てんで物語にも何もなりません。あの小男の商人と、ヨシ子とのあいだに、少しでも恋に似た感情でもあったなら、自分の気持もかえってたすかるかも知れませんが、ただ、夏の一夜、ヨシ子が信頼して、そうして、それっきり、しかもそのために自分の眉間は、まっこうから割られ声が嗄れて若白髪がはじまり、ヨシ子は一生おろおろしなければならなくなったのです。たいていの物語は、その妻の「行為」を夫が許すかどうか、そこに重点を置いていたようでしたが、それは自分にとっては、そんなに苦しい大問題では無いように思われました。許す、許さぬ、そのような権利を留保している夫こそ幸いなる哉かな、とても許す事が出来ぬと思ったなら、何もそんなに大騒ぎせずとも、さっさと妻を離縁して、新しい妻を迎えたらどうだろう、それが出来なかったら、所謂いわゆる「許して」我慢するさ、いずれにしても夫の気持一つで四方八方がまるく収るだろうに、という気さえするのでした。つまり、そのような事件は、たしかに夫にとって大いなるショックであっても、しかし、それは「ショック」であって、いつまでも尽きること無く打ち返し打ち寄せる波と違い、権利のある夫の怒りでもってどうにでも処理できるトラブルのように自分には思われたのでした。けれども、自分たちの場合、夫に何の権利も無く、考えると何もかも自分がわるいような気がして来て、怒るどころか、おこごと一つも言えず、また、その妻は、その所有している稀まれな美質に依って犯されたのです。しかも、その美質は、夫のかねてあこがれの、無垢の信頼心というたまらなく可憐かれんなものなのでした。
無垢の信頼心は、罪なりや。
唯一のたのみの美質にさえ、疑惑を抱き、自分は、もはや何もかも、わけがわからなくなり、おもむくところは、ただアルコールだけになりました。自分の顔の表情は極度にいやしくなり、朝から焼酎を飲み、歯がぼろぼろに欠けて、漫画もほとんど猥画わいがに近いものを画くようになりました。いいえ、はっきり言います。自分はその頃から、春画のコピイをして密売しました。焼酎を買うお金がほしかったのです。いつも自分から視線をはずしておろおろしているヨシ子を見ると、こいつは全く警戒を知らぬ女だったから、あの商人といちどだけでは無かったのではなかろうか、また、堀木は? いや、或いは自分の知らない人とも? と疑惑は疑惑を生み、さりとて思い切ってそれを問い正す勇気も無く、れいの不安と恐怖にのたうち廻る思いで、ただ焼酎を飲んで酔っては、わずかに卑屈な誘導訊問じんもんみたいなものをおっかなびっくり試み、内心おろかしく一喜一憂し、うわべは、やたらにお道化て、そうして、それから、ヨシ子にいまわしい地獄の愛撫あいぶを加え、泥のように眠りこけるのでした。
その年の暮、自分は夜おそく泥酔して帰宅し、砂糖水を飲みたく、ヨシ子は眠っているようでしたから、自分でお勝手に行き砂糖壺を捜し出し、ふたを開けてみたら砂糖は何もはいってなくて、黒く細長い紙の小箱がはいっていました。何気なく手に取り、その箱にはられてあるレッテルを見て愕然がくぜんとしました。そのレッテルは、爪で半分以上も掻かきはがされていましたが、洋字の部分が残っていて、それにはっきり書かれていました。DIAL。
ジアール。自分はその頃もっぱら焼酎で、催眠剤を用いてはいませんでしたが、しかし、不眠は自分の持病のようなものでしたから、たいていの催眠剤にはお馴染なじみでした。ジアールのこの箱一つは、たしかに致死量以上の筈でした。まだ箱の封を切ってはいませんでしたが、しかし、いつかは、やる気でこんなところに、しかもレッテルを掻きはがしたりなどして隠していたのに違いありません。可哀想に、あの子にはレッテルの洋字が読めないので、爪で半分掻きはがして、これで大丈夫と思っていたのでしょう。(お前に罪は無い)
自分は、音を立てないようにそっとコップに水を満たし、それから、ゆっくり箱の封を切って、全部、一気に口の中にほうり、コップの水を落ちついて飲みほし、電燈を消してそのまま寝ました。
三昼夜、自分は死んだようになっていたそうです。医者は過失と見なして、警察にとどけるのを猶予してくれたそうです。覚醒かくせいしかけて、一ばんさきに呟いたうわごとは、うちへ帰る、という言葉だったそうです。うちとは、どこの事を差して言ったのか、当の自分にも、よくわかりませんが、とにかく、そう言って、ひどく泣いたそうです。
次第に霧がはれて、見ると、枕元にヒラメが、ひどく不機嫌な顔をして坐っていました。
「このまえも、年の暮の事でしてね、お互いもう、目が廻るくらいいそがしいのに、いつも、年の暮をねらって、こんな事をやられたひには、こっちの命がたまらない」
ヒラメの話の聞き手になっているのは、京橋のバアのマダムでした。
「マダム」
と自分は呼びました。
「うん、何? 気がついた?」
マダムは笑い顔を自分の顔の上にかぶせるようにして言いました。
自分は、ぽろぽろ涙を流し、
「ヨシ子とわかれさせて」
それから自分は、これもまた実に思いがけない滑稽とも阿呆らしいとも、形容に苦しむほどの失言をしました。
「僕は、女のいないところに行くんだ」
うわっはっは、とまず、ヒラメが大声を挙げて笑い、マダムもクスクス笑い出し、自分も涙を流しながら赤面の態ていになり、苦笑しました。
「うん、そのほうがいい」
「女のいないところに行ったほうがよい。女がいると、どうもいけない。女のいないところとは、いい思いつきです」
女のいないところ。しかし、この自分の阿呆くさいうわごとは、のちに到って、非常に陰惨に実現せられました。
ヨシ子は、何か、自分がヨシ子の身代りになって毒を飲んだとでも思い込んでいるらしく、以前よりも尚なおいっそう、自分に対して、おろおろして、自分が何を言っても笑わず、そうしてろくに口もきけないような有様なので、自分もアパートの部屋の中にいるのが、うっとうしく、つい外へ出て、相変らず安い酒をあおる事になるのでした。しかし、あのジアールの一件以来、自分のからだがめっきり痩やせ細って、手足がだるく、漫画の仕事も怠けがちになり、ヒラメがあの時、見舞いとして置いて行ったお金(ヒラメはそれを、渋田の志です、と言っていかにもご自身から出たお金のようにして差出しましたが、これも故郷の兄たちからのお金のようでした。自分もその頃には、ヒラメの家から逃げ出したあの時とちがって、ヒラメのそんなもったい振った芝居を、おぼろげながら見抜く事が出来るようになっていましたので、こちらもずるく、全く気づかぬ振りをして、神妙にそのお金のお礼をヒラメに向って申し上げたのでしたが、しかし、ヒラメたちが、なぜ、そんなややこしいカラクリをやらかすのか、わかるような、わからないような、どうしても自分には、へんな気がしてなりませんでした)そのお金で、思い切ってひとりで南伊豆の温泉に行ってみたりなどしましたが、とてもそんな悠長な温泉めぐりなど出来る柄がらではなく、ヨシ子を思えば侘わびしさ限りなく、宿の部屋から山を眺めるなどの落ちついた心境には甚だ遠く、ドテラにも着換えず、お湯にもはいらず、外へ飛び出しては薄汚い茶店みたいなところに飛び込んで、焼酎を、それこそ浴びるほど飲んで、からだ具合いを一そう悪くして帰京しただけの事でした。
東京に大雪の降った夜でした。自分は酔って銀座裏を、ここはお国を何百里、ここはお国を何百里、と小声で繰り返し繰り返し呟くように歌いながら、なおも降りつもる雪を靴先で蹴散けちらして歩いて、突然、吐きました。それは自分の最初の喀血かっけつでした。雪の上に、大きい日の丸の旗が出来ました。自分は、しばらくしゃがんで、それから、よごれていない個所の雪を両手で掬すくい取って、顔を洗いながら泣きました。
こうこは、どうこの細道じゃ?
こうこは、どうこの細道じゃ?
哀れな童女の歌声が、幻聴のように、かすかに遠くから聞えます。不幸。この世には、さまざまの不幸な人が、いや、不幸な人ばかり、と言っても過言ではないでしょうが、しかし、その人たちの不幸は、所謂世間に対して堂々と抗議が出来、また「世間」もその人たちの抗議を容易に理解し同情します。しかし、自分の不幸は、すべて自分の罪悪からなので、誰にも抗議の仕様が無いし、また口ごもりながら一言でも抗議めいた事を言いかけると、ヒラメならずとも世間の人たち全部、よくもまあそんな口がきけたものだと呆あきれかえるに違いないし、自分はいったい俗にいう「わがままもの」なのか、またはその反対に、気が弱すぎるのか、自分でもわけがわからないけれども、とにかく罪悪のかたまりらしいので、どこまでも自おのずからどんどん不幸になるばかりで、防ぎ止める具体策など無いのです。
自分は立って、取り敢えず何か適当な薬をと思い、近くの薬屋にはいって、そこの奥さんと顔を見合せ、瞬間、奥さんは、フラッシュを浴びたみたいに首をあげ眼を見はり、棒立ちになりました。しかし、その見はった眼には、驚愕の色も嫌悪の色も無く、ほとんど救いを求めるような、慕うような色があらわれているのでした。ああ、このひとも、きっと不幸な人なのだ、不幸な人は、ひとの不幸にも敏感なものなのだから、と思った時、ふと、その奥さんが松葉杖まつばづえをついて危かしく立っているのに気がつきました。駈け寄りたい思いを抑えて、なおもその奥さんと顔を見合せているうちに涙が出て来ました。すると、奥さんの大きい眼からも、涙がぽろぽろとあふれて出ました。
それっきり、一言も口をきかずに、自分はその薬屋から出て、よろめいてアパートに帰り、ヨシ子に塩水を作らせて飲み、黙って寝て、翌る日も、風邪気味だと嘘をついて一日一ぱい寝て、夜、自分の秘密の喀血がどうにも不安でたまらず、起きて、あの薬屋に行き、こんどは笑いながら、奥さんに、実に素直に今迄のからだ具合いを告白し、相談しました。
「お酒をおよしにならなければ」
自分たちは、肉身のようでした。
「いけません。私の主人も、テーベのくせに、菌を酒で殺すんだなんて言って、酒びたりになって、自分から寿命をちぢめました」
「不安でいけないんです。こわくて、とても、だめなんです」
奥さん(未亡人で、男の子がひとり、それは千葉だかどこだかの医大にはいって、間もなく父と同じ病いにかかり、休学入院中で、家には中風の舅しゅうとが寝ていて、奥さん自身は五歳の折、小児痲痺まひで片方の脚が全然だめなのでした)は、松葉杖をコトコトと突きながら、自分のためにあっちの棚、こっちの引出し、いろいろと薬品を取そろえてくれるのでした。
これは、造血剤。
これは、カルシウムの錠剤。胃腸をこわさないように、ジアスターゼ。
これは、何。これは、何、と五、六種の薬品の説明を愛情こめてしてくれたのですが、しかし、この不幸な奥さんの愛情もまた、自分にとって深すぎました。最後に奥さんが、これは、どうしても、なんとしてもお酒を飲みたくて、たまらなくなった時のお薬、と言って素早く紙に包んだ小箱。
酒よりは、害にならぬと奥さんも言い、自分もそれを信じて、また一つには、酒の酔いもさすがに不潔に感ぜられて来た矢先でもあったし、久し振りにアルコールというサタンからのがれる事
「騒がないで、早くおやすみなさいよ。それとも、ごはんをあがりますか?」
「酒なら飲むがね。水の流れと、人の身はあサ。人の流れと、いや、水の流れえと、水の身はあサ」
唄いながら、シヅ子に衣服をぬがせられ、シヅ子の胸に自分の額を押しつけて眠ってしまう、それが自分の日常でした。
してその翌日あくるひも同じ事を繰返して、
昨日きのうに異かわらぬ慣例しきたりに従えばよい。
即ち荒っぽい大きな歓楽よろこびを避よけてさえいれば、
自然また大きな悲哀かなしみもやって来こないのだ。
ゆくてを塞ふさぐ邪魔な石を
蟾蜍ひきがえるは廻って通る。
上田敏訳のギイ・シャルル・クロオとかいうひとの、こんな詩句を見つけた時、自分はひとりで顔を燃えるくらいに赤くしました。
蟾蜍。
(それが、自分だ。世間がゆるすも、ゆるさぬもない。葬むるも、葬むらぬもない。自分は、犬よりも猫よりも劣等な動物なのだ。蟾蜍。のそのそ動いているだけだ)
自分の飲酒は、次第に量がふえて来ました。高円寺駅附近だけでなく、新宿、銀座のほうにまで出かけて飲み、外泊する事さえあり、ただもう「慣例しきたり」に従わぬよう、バアで無頼漢の振りをしたり、片端からキスしたり、つまり、また、あの情死以前の、いや、あの頃よりさらに荒すさんで野卑な酒飲みになり、金に窮して、シヅ子の衣類を持ち出すほどになりました。
ここへ来て、あの破れた奴凧に苦笑してから一年以上経って、葉桜の頃、自分は、またもシヅ子の帯やら襦袢じゅばんやらをこっそり持ち出して質屋に行き、お金を作って銀座で飲み、二晩つづけて外泊して、三日目の晩、さすがに具合い悪い思いで、無意識に足音をしのばせて、アパートのシヅ子の部屋の前まで来ると、中から、シヅ子とシゲ子の会話が聞えます。
「なぜ、お酒を飲むの?」
「お父ちゃんはね、お酒を好きで飲んでいるのでは、ないんですよ。あんまりいいひとだから、だから、……」
「いいひとは、お酒を飲むの?」
「そうでもないけど、……」
「お父ちゃんは、きっと、びっくりするわね」
「そうねえ」
自分が、ドアを細くあけて中をのぞいて見ますと、白兎の子でした。ぴょんぴょん部屋中を、はね廻り、親子はそれを追っていました。
(幸福なんだ、この人たちは。自分という馬鹿者が、この二人のあいだにはいって、いまに二人を滅茶苦茶にするのだ。つつましい幸福。いい親子。幸福を、ああ、もし神様が、自分のような者の祈りでも聞いてくれるなら、いちどだけ、生涯にいちどだけでいい、祈る)
自分は、そこにうずくまって合掌したい気持でした。そっと、ドアを閉め、自分は、また銀座に行き、それっきり、そのアパートには帰りませんでした。
そうして、京橋のすぐ近くのスタンド・バアの二階に自分は、またも男めかけの形で、寝そべる事になりました。
世間。どうやら自分にも、それがぼんやりわかりかけて来たような気がしていました。個人と個人の争いで、しかも、その場の争いで、しかも、その場で勝てばいいのだ、人間は決して人間に服従しない、奴隷でさえ奴隷らしい卑屈なシッペがえしをするものだ、だから、人間にはその場の一本勝負にたよる他、生き伸びる工夫がつかぬのだ、大義名分らしいものを称となえていながら、努力の目標は必ず個人、個人を乗り越えてまた個人、世間の難解は、個人の難解、大洋オーシャンは世間でなくて、個人なのだ、と世の中という大海の幻影におびえる事から、多少解放せられて、以前ほど、あれこれと際限の無い心遣いする事なく、謂わば差し当っての必要に応じて、いくぶん図々しく振舞う事を覚えて来たのです。
「わかれて来た」
それだけ言って、それで充分、つまり一本勝負はきまって、その夜から、自分は乱暴にもそこの二階に泊り込む事になったのですが、しかし、おそろしい筈の「世間」は、自分に何の危害も加えませんでしたし、また自分も「世間」に対して何の弁明もしませんでした。マダムが、その気だったら、それですべてがいいのでした。
自分は、その店のお客のようでもあり、亭主のようでもあり、走り使いのようでもあり、親戚の者のようでもあり、はたから見て甚はなはだ得態えたいの知れない存在だった筈なのに、「世間」は少しもあやしまず、そうしてその店の常連たちも、自分を、葉ちゃん、葉ちゃんと呼んで、ひどく優しく扱い、そうしてお酒を飲ませてくれるのでした。
自分は世の中に対して、次第に用心しなくなりました。世の中というところは、そんなに、おそろしいところでは無い、と思うようになりました。つまり、これまでの自分の恐怖感は、春の風には百日咳ひゃくにちぜきの黴菌ばいきんが何十万、銭湯には、目のつぶれる黴菌が何十万、床屋には禿頭とくとう病の黴菌が何十万、省線の吊皮つりかわには疥癬かいせんの虫がうようよ、または、おさしみ、牛豚肉の生焼けには、さなだ虫の幼虫やら、ジストマやら、何やらの卵などが必ずひそんでいて、また、はだしで歩くと足の裏からガラスの小さい破片がはいって、その破片が体内を駈けめぐり眼玉を突いて失明させる事もあるとかいう謂わば「科学の迷信」におびやかされていたようなものなのでした。それは、たしかに何十万もの黴菌の浮び泳ぎうごめいているのは、「科学的」にも、正確な事でしょう。と同時に、その存在を完全に黙殺さえすれば、それは自分とみじんのつながりも無くなってたちまち消え失せる「科学の幽霊」に過ぎないのだという事をも、自分は知るようになったのです。お弁当箱に食べ残しのごはん三粒、千万人が一日に三粒ずつ食べ残しても既にそれは、米何俵をむだに捨てた事になる、とか、或いは、一日に鼻紙一枚の節約を千万人が行うならば、どれだけのパルプが浮くか、などという「科学的統計」に、自分は、どれだけおびやかされ、ごはんを一粒でも食べ残す度毎に、また鼻をかむ度毎に、山ほどの米、山ほどのパルプを空費するような錯覚に悩み、自分がいま重大な罪を犯しているみたいな暗い気持になったものですが、しかし、それこそ「科学の嘘」「統計の嘘」「数学の嘘」で、三粒のごはんは集められるものでなく、掛算割算の応用問題としても、まことに原始的で低能なテーマで、電気のついてない暗いお便所の、あの穴に人は何度にいちど片脚を踏みはずして落下させるか、または、省線電車の出入口と、プラットホームの縁へりとのあの隙間に、乗客の何人中の何人が足を落とし込むか、そんなプロバビリティを計算するのと同じ程度にばからしく、それは如何いかにも有り得る事のようでもありながら、お便所の穴をまたぎそこねて怪我をしたという例は、少しも聞かないし、そんな仮説を「科学的事実」として教え込まれ、それを全く現実として受取り、恐怖していた昨日までの自分をいとおしく思い、笑いたく思ったくらいに、自分は、世の中というものの実体を少しずつ知って来たというわけなのでした。
そうは言っても、やはり人間というものが、まだまだ、自分にはおそろしく、店のお客と逢うのにも、お酒をコップで一杯ぐいと飲んでからでなければいけませんでした。こわいもの見たさ。自分は、毎晩、それでもお店に出て、子供が、実は少しこわがっている小動物などを、かえって強くぎゅっと握ってしまうみたいに、店のお客に向って酔ってつたない芸術論を吹きかけるようにさえなりました。
漫画家。ああ、しかし、自分は、大きな歓楽よろこびも、また、大きな悲哀かなしみもない無名の漫画家。いかに大きな悲哀かなしみがあとでやって来てもいい、荒っぽい大きな歓楽よろこびが欲しいと内心あせってはいても、自分の現在のよろこびたるや、お客とむだ事を言い合い、お客の酒を飲む事だけでした。
京橋へ来て、こういうくだらない生活を既に一年ちかく続け、自分の漫画も、子供相手の雑誌だけでなく、駅売りの粗悪で卑猥ひわいな雑誌などにも載るようになり、自分は、上司幾太(情死、生きた)という、ふざけ切った匿名で、汚いはだかの絵など画き、それにたいていルバイヤットの詩句を插入そうにゅうしました。
涙を誘うものなんか かなぐりすてろ
まア一杯いこう 好いことばかり思出して
自みずからの作りし大それた罪に怯おびえ
よべ 酒充ちて我ハートは喜びに充ち
けさ さめて只ただに荒涼
いぶかし 一夜ひとよさの中
様変りたる此この気分よ
祟たたりなんて思うこと止やめてくれ
暗殺者の切尖きっさきに
何の正義か宿れるや?
いかなる叡智えいちの光ありや?
美うるわしくも怖おそろしきは浮世なれ
かよわき人の子は背負切れぬ荷をば負わされ
どうにもできない情慾の種子を植えつけられた許ばかりに
善だ悪だ罪だ罰だと呪のろわるるばかり
どうにもできない只まごつくばかり
抑え摧くだく力も意志も授けられぬ許りに
ヘッ 空むなしき夢を ありもしない幻を
エヘッ 酒を忘れたんで みんな虚仮こけの思案さ
どうだ 此涯はてもない大空を御覧よ
此中にポッチリ浮んだ点じゃい
此地球が何んで自転するのか分るもんか
自転 公転 反転も勝手ですわい
至る処ところに 至高の力を感じ
あらゆる国にあらゆる民族に
我は異端者なりとかや
みんな聖経をよみ違えてんのよ
生身いきみの喜びを禁じたり 酒を止めたり
けれども、その頃、自分に酒を止めよ、とすすめる処女がいました。
バアの向いの、小さい煙草屋の十七、八の娘でした。ヨシちゃんと言い、色の白い、八重歯のある子でした。自分が、煙草を買いに行くたびに、笑って忠告するのでした。
「なぜ、いけないんだ。どうして悪いんだ。あるだけの酒をのんで、人の子よ、憎悪を消せ消せ消せ、ってね、むかしペルシャのね、まあよそう、悲しみ疲れたるハートに希望を持ち来すは、ただ微醺びくんをもたらす玉杯なれ、ってね。わかるかい」
「わからない」
「してよ」
ちっとも悪びれず下唇を突き出すのです。
しかし、ヨシちゃんの表情には、あきらかに誰にも汚されていない処女のにおいがしていました。
としが明けて厳寒の夜、自分は酔って煙草を買いに出て、その煙草屋の前のマンホールに落ちて、ヨシちゃん、たすけてくれえ、と叫び、ヨシちゃんに引き上げられ、右腕の傷の手当を、ヨシちゃんにしてもらい、その時ヨシちゃんは、しみじみ、
「飲みすぎますわよ」
と笑わずに言いました。
自分は死ぬのは平気なんだけど、怪我をして出血してそうして不具者などになるのは、まっぴらごめんのほうですので、ヨシちゃんに腕の傷の手当をしてもらいながら、酒も、もういい加減によそうかしら、と思ったのです。
「やめる。あしたから、一滴も飲まない」
「ほんとう?」
「きっと、やめる。やめたら、ヨシちゃん、僕のお嫁になってくれるかい?」
「モチよ」
モチとは、「勿論」の略語でした。モボだの、モガだの、その頃いろんな略語がはやっていました。
「ヨシちゃん、ごめんね。飲んじゃった」
「あら、いやだ。酔った振りなんかして」
ハッとしました。酔いもさめた気持でした。
「いや、本当なんだ。本当に飲んだのだよ。酔った振りなんかしてるんじゃない」
てんで疑おうとしないのです。
「見ればわかりそうなものだ。きょうも、お昼から飲んだのだ。ゆるしてね」
「お芝居が、うまいのねえ」
「してよ」
「いや、僕には資格が無い。お嫁にもらうのもあきらめなくちゃならん。顔を見なさい、赤いだろう? 飲んだのだよ」
「それあ、夕陽が当っているからよ。かつごうたって、だめよ。きのう約束したんですもの。飲む筈が無いじゃないの。ゲンマンしたんですもの。飲んだなんて、ウソ、ウソ、ウソ」
薄暗い店の中に坐って微笑しているヨシちゃんの白い顔、ああ、よごれを知らぬヴァジニティは尊いものだ、自分は今まで、自分よりも若い処女と寝た事がない、結婚しよう、どんな大きな悲哀かなしみがそのために後からやって来てもよい、荒っぽいほどの大きな歓楽よろこびを、生涯にいちどでいい、処女性の美しさとは、それは馬鹿な詩人の甘い感傷の幻に過ぎぬと思っていたけれども、やはりこの世の中に生きて在るものだ、結婚して春になったら二人で自転車で青葉の滝を見に行こう、と、その場で決意し、所謂「一本勝負」で、その花を盗むのにためらう事をしませんでした。
そうして自分たちは、やがて結婚して、それに依って得た歓楽よろこびは、必ずしも大きくはありませんでしたが、その後に来た悲哀かなしみは、凄惨せいさんと言っても足りないくらい、実に想像を絶して、大きくやって来ました。自分にとって、「世の中」は、やはり底知れず、おそろしいところでした。決して、そんな一本勝負などで、何から何まできまってしまうような、なまやさしいところでも無かったのでした。
二
堀木と自分。
互いに軽蔑けいべつしながら附き合い、そうして互いに自みずからをくだらなくして行く、それがこの世の所謂「交友」というものの姿だとするなら、自分と堀木との間柄も、まさしく「交友」に違いありませんでした。
自分があの京橋のスタンド・バアのマダムの義侠心ぎきょうしんにすがり、(女のひとの義侠心なんて、言葉の奇妙な遣い方ですが、しかし、自分の経験に依ると、少くとも都会の男女の場合、男よりも女のほうが、その、義侠心とでもいうべきものをたっぷりと持っていました。男はたいてい、おっかなびっくりで、おていさいばかり飾り、そうして、ケチでした)あの煙草屋のヨシ子を内縁の妻にする事が出来て、そうして築地つきじ、隅田川の近く、木造の二階建ての小さいアパートの階下の一室を借り、ふたりで住み、酒は止めて、そろそろ自分の定った職業になりかけて来た漫画の仕事に精を出し、夕食後は二人で映画を見に出かけ、帰りには、喫茶店などにはいり、また、花の鉢を買ったりして、いや、それよりも自分をしんから信頼してくれているこの小さい花嫁の言葉を聞き、動作を見ているのが楽しく、これは自分もひょっとしたら、いまにだんだん人間らしいものになる事が出来て、悲惨な死に方などせずにすむのではなかろうかという甘い思いを幽かに胸にあたためはじめていた矢先に、堀木がまた自分の眼前に現われました。
「よう! 色魔。おや? これでも、いくらか分別くさい顔になりやがった。きょうは、高円寺女史からのお使者なんだがね」
と言いかけて、急に声をひそめ、お勝手でお茶の仕度をしているヨシ子のほうを顎あごでしゃくって、大丈夫かい? とたずねますので、
「かまわない。何を言ってもいい」
と自分は落ちついて答えました。
じっさい、ヨシ子は、信頼の天才と言いたいくらい、京橋のバアのマダムとの間はもとより、自分が鎌倉で起した事件を知らせてやっても、ツネ子との間を疑わず、それは自分が嘘がうまいからというわけでは無く、時には、あからさまな言い方をする事さえあったのに、ヨシ子には、それがみな冗談としか聞きとれぬ様子でした。
「相変らず、しょっていやがる。なに、たいした事じゃないがね、たまには、高円寺のほうへも遊びに来てくれっていう御伝言さ」
忘れかけると、怪鳥が羽ばたいてやって来て、記憶の傷口をその嘴くちばしで突き破ります。たちまち過去の恥と罪の記憶が、ありありと眼前に展開せられ、わあっと叫びたいほどの恐怖で、坐っておられなくなるのです。
「飲もうか」
と自分。
「よし」
と堀木。
自分と堀木。形は、ふたり似ていました。そっくりの人間のような気がする事もありました。もちろんそれは、安い酒をあちこち飲み歩いている時だけの事でしたが、とにかく、ふたり顔を合せると、みるみる同じ形の同じ毛並の犬に変り降雪のちまたを駈けめぐるという具合いになるのでした。
その日以来、自分たちは再び旧交をあたためたという形になり、京橋のあの小さいバアにも一緒に行き、そうして、とうとう、高円寺のシヅ子のアパートにもその泥酔の二匹の犬が訪問し、宿泊して帰るなどという事にさえなってしまったのです。
忘れも、しません。むし暑い夏の夜でした。堀木は日暮頃、よれよれの浴衣を着て築地の自分のアパートにやって来て、きょう或る必要があって夏服を質入したが、その質入が老母に知れるとまことに具合いが悪い、すぐ受け出したいから、とにかく金を貸してくれ、という事でした。あいにく自分のところにも、お金が無かったので、例に依って、ヨシ子に言いつけ、ヨシ子の衣類を質屋に持って行かせてお金を作り、堀木に貸しても、まだ少し余るのでその残金でヨシ子に焼酎しょうちゅうを買わせ、アパートの屋上に行き、隅田川から時たま幽かに吹いて来るどぶ臭い風を受けて、まことに薄汚い納涼の宴を張りました。
自分たちはその時、喜劇名詞、悲劇名詞の当てっこをはじめました。これは、自分の発明した遊戯で、名詞には、すべて男性名詞、女性名詞、中性名詞などの別があるけれども、それと同時に、喜劇名詞、悲劇名詞の区別があって然るべきだ、たとえば、汽船と汽車はいずれも悲劇名詞で、市電とバスは、いずれも喜劇名詞、なぜそうなのか、それのわからぬ者は芸術を談ずるに足らん、喜劇に一個でも悲劇名詞をさしはさんでいる劇作家は、既にそれだけで落第、悲劇の場合もまた然り、といったようなわけなのでした。
「薬は?」
「注射」
「トラ」
「よし、負けて置こう。しかし、君、薬や医者はね、あれで案外、コメ(喜劇コメディの略)なんだぜ。死は?」
「大出来。そうして、生はトラだなあ」
「ちがう。それも、コメ」
「いや、それでは、何でもかでも皆コメになってしまう。ではね、もう一つおたずねするが、漫画家は? よもや、コメとは言えませんでしょう?」
「なんだ、大トラは君のほうだぜ」
こんな、下手な駄洒落だじゃれみたいな事になってしまっては、つまらないのですけど、しかし自分たちはその遊戯を、世界のサロンにも嘗かつて存しなかった頗すこぶる気のきいたものだと得意がっていたのでした。
またもう一つ、これに似た遊戯を当時、自分は発明していました。それは、対義語アントニムの当てっこでした。黒のアント(対義語アントニムの略)は、白。けれども、白のアントは、赤。赤のアントは、黒。
「花のアントは?」
と自分が問うと、堀木は口を曲げて考え、
「いや、それはアントになっていない。むしろ、同義語シノニムだ。星と菫すみれだって、シノニムじゃないか。アントでない」
「わかった、それはね、蜂はちだ」
「ハチ?」
「牡丹ぼたんに、……蟻ありか?」
自分は、その時の、頸くびをちぢめて笑ったヒラメの顔の、いかにもずるそうな影を忘れる事が出来ません。軽蔑の影にも似て、それとも違い、世の中を海にたとえると、その海の千尋ちひろの深さの箇所に、そんな奇妙な影がたゆとうていそうで、何か、おとなの生活の奥底をチラと覗のぞかせたような笑いでした。
そんな事では話にも何もならぬ、ちっとも気持がしっかりしていない、考えなさい、今夜一晩まじめに考えてみなさい、と言われ、自分は追われるように二階に上って、寝ても、別に何の考えも浮びませんでした。そうして、あけがたになり、ヒラメの家から逃げました。
夕方、間違いなく帰ります。左記の友人の許もとへ、将来の方針に就いて相談に行って来るのですから、御心配無く。ほんとうに。
と、用箋に鉛筆で大きく書き、それから、浅草の堀木正雄の住所姓名を記して、こっそり、ヒラメの家を出ました。
ヒラメに説教せられたのが、くやしくて逃げたわけではありませんでした。まさしく自分は、ヒラメの言うとおり、気持のしっかりしていない男で、将来の方針も何も自分にはまるで見当がつかず、この上、ヒラメの家のやっかいになっているのは、ヒラメにも気の毒ですし、そのうちに、もし万一、自分にも発奮の気持が起り、志を立てたところで、その更生資金をあの貧乏なヒラメから月々援助せられるのかと思うと、とても心苦しくて、いたたまらない気持になったからでした。
しかし、自分は、所謂「将来の方針」を、堀木ごときに、相談に行こうなどと本気に思って、ヒラメの家を出たのでは無かったのでした。それは、ただ、わずかでも、つかのまでも、ヒラメに安心させて置きたくて、(その間に自分が、少しでも遠くへ逃げのびていたいという探偵小説的な策略から、そんな置手紙を書いた、というよりは、いや、そんな気持も幽かすかにあったに違いないのですが、それよりも、やはり自分は、いきなりヒラメにショックを与え、彼を混乱当惑させてしまうのが、おそろしかったばかりに、とでも言ったほうが、いくらか正確かも知れません。どうせ、ばれるにきまっているのに、そのとおりに言うのが、おそろしくて、必ず何かしら飾りをつけるのが、自分の哀しい性癖の一つで、それは世間の人が「嘘つき」と呼んで卑しめている性格に似ていながら、しかし、自分は自分に利益をもたらそうとしてその飾りつけを行った事はほとんど無く、ただ雰囲気ふんいきの興覚めた一変が、窒息するくらいにおそろしくて、後で自分に不利益になるという事がわかっていても、れいの自分の「必死の奉仕」それはたといゆがめられ微弱で、馬鹿らしいものであろうと、その奉仕の気持から、つい一言の飾りつけをしてしまうという場合が多かったような気もするのですが、しかし、この習性もまた、世間の所謂「正直者」たちから、大いに乗ぜられるところとなりました)その時、ふっと、記憶の底から浮んで来たままに堀木の住所と姓名を、用箋の端にしたためたまでの事だったのです。
自分はヒラメの家を出て、新宿まで歩き、懐中の本を売り、そうして、やっぱり途方にくれてしまいました。自分は、皆にあいそがいいかわりに、「友情」というものを、いちども実感した事が無く、堀木のような遊び友達は別として、いっさいの附き合いは、ただ苦痛を覚えるばかりで、その苦痛をもみほぐそうとして懸命にお道化を演じて、かえって、へとへとになり、わずかに知合っているひとの顔を、それに似た顔をさえ、往来などで見掛けても、ぎょっとして、一瞬、めまいするほどの不快な戦慄に襲われる有様で、人に好かれる事は知っていても、人を愛する能力に於おいては欠けているところがあるようでした。(もっとも、自分は、世の中の人間にだって、果して、「愛」の能力があるのかどうか、たいへん疑問に思っています)そのような自分に、所謂「親友」など出来る筈は無く、そのうえ自分には、「訪問ヴィジット」の能力さえ無かったのです。他人の家の門は、自分にとって、あの神曲の地獄の門以上に薄気味わるく、その門の奥には、おそろしい竜みたいな生臭い奇獣がうごめいている気配を、誇張でなしに、実感せられていたのです。
誰とも、附き合いが無い。どこへも、訪ねて行けない。
堀木。
それこそ、冗談から駒が出た形でした。あの置手紙に、書いたとおりに、自分は浅草の堀木をたずねて行く事にしたのです。自分はこれまで、自分のほうから堀木の家をたずねて行った事は、いちども無く、たいてい電報で堀木を自分のほうに呼び寄せていたのですが、いまはその電報料さえ心細く、それに落ちぶれた身のひがみから、電報を打っただけでは、堀木は、来てくれぬかも知れぬと考えて、何よりも自分に苦手の「訪問」を決意し、溜息ためいきをついて市電に乗り、自分にとって、この世の中でたった一つの頼みの綱は、あの堀木なのか、と思い知ったら、何か脊筋せすじの寒くなるような凄すさまじい気配に襲われました。
堀木は、在宅でした。汚い露路の奥の、二階家で、堀木は二階のたった一部屋の六畳を使い、下では、堀木の老父母と、それから若い職人と三人、下駄の鼻緒を縫ったり叩いたりして製造しているのでした。
堀木は、その日、彼の都会人としての新しい一面を自分に見せてくれました。それは、俗にいうチャッカリ性でした。田舎者の自分が、愕然がくぜんと眼をみはったくらいの、冷たく、ずるいエゴイズムでした。自分のように、ただ、とめどなく流れるたちの男では無かったのです。
「お前には、全く呆あきれた。親爺さんから、お許しが出たかね。まだかい」
逃げて来た、とは、言えませんでした。
自分は、れいに依って、ごまかしました。いまに、すぐ、堀木に気附かれるに違いないのに、ごまかしました。
「それは、どうにかなるさ」
「おい、笑いごとじゃ無いぜ。忠告するけど、馬鹿もこのへんでやめるんだな。おれは、きょうは、用事があるんだがね。この頃、ばかにいそがしいんだ」
「用事って、どんな?」
「おい、おい、座蒲団の糸を切らないでくれよ」
自分は話をしながら、自分の敷いている座蒲団の綴糸とじいとというのか、くくり紐ひもというのか、あの総ふさのような四隅の糸の一つを無意識に指先でもてあそび、ぐいと引っぱったりなどしていたのでした。堀木は、堀木の家の品物なら、座蒲団の糸一本でも惜しいらしく、恥じる色も無く、それこそ、眼に角かどを立てて、自分をとがめるのでした。考えてみると、堀木は、これまで自分との附合いに於いて何一つ失ってはいなかったのです。
「あ、これは」
と堀木は、しんからの孝行息子のように、老母に向って恐縮し、言葉づかいも不自然なくらい丁寧に、
「すみません、おしるこですか。豪気だなあ。こんな心配は、要らなかったんですよ。用事で、すぐ外出しなけれゃいけないんですから。いいえ、でも、せっかくの御自慢のおしるこを、もったいない。いただきます。お前も一つ、どうだい。おふくろが、わざわざ作ってくれたんだ。ああ、こいつあ、うめえや。豪気だなあ」
と、まんざら芝居でも無いみたいに、ひどく喜び、おいしそうに食べるのです。自分もそれを啜すすりましたが、お湯のにおいがして、そうして、お餅をたべたら、それはお餅でなく、自分にはわからないものでした。決して、その貧しさを軽蔑したのではありません。(自分は、その時それを、不味まずいとは思いませんでしたし、また、老母の心づくしも身にしみました。自分には、貧しさへの恐怖感はあっても、軽蔑感は、無いつもりでいます)あのおしること、それから、そのおしるこを喜ぶ堀木に依って、自分は、都会人のつましい本性、また、内と外をちゃんと区別していとなんでいる東京の人の家庭の実体を見せつけられ、内も外も変りなく、ただのべつ幕無しに人間の生活から逃げ廻ってばかりいる薄馬鹿の自分ひとりだけ完全に取残され、堀木にさえ見捨てられたような気配に、狼狽ろうばいし、おしるこのはげた塗箸ぬりばしをあつかいながら、たまらなく侘わびしい思いをしたという事を、記して置きたいだけなのです。
「わるいけど、おれは、きょうは用事があるんでね」
堀木は立って、上衣を着ながらそう言い、
「失敬するぜ、わるいけど」
その時、堀木に女の訪問者があり、自分の身の上も急転しました。
堀木は、にわかに活気づいて、
「や、すみません。いまね、あなたのほうへお伺いしようと思っていたのですがね、このひとが突然やって来て、いや、かまわないんです。さあ、どうぞ」
よほど、あわてているらしく、自分が自分の敷いている座蒲団をはずして裏がえしにして差し出したのを引ったくって、また裏がえしにして、その女のひとにすすめました。部屋には、堀木の座蒲団の他には、客座蒲団がたった一枚しか無かったのです。
女のひとは痩やせて、脊の高いひとでした。その座蒲団は傍にのけて、入口ちかくの片隅に坐りました。
自分は、ぼんやり二人の会話を聞いていました。女は雑誌社のひとのようで、堀木にカットだか、何だかをかねて頼んでいたらしく、それを受取りに来たみたいな具合いでした。
「いそぎますので」
「出来ています。もうとっくに出来ています。これです、どうぞ」
電報が来ました。
堀木が、それを読み、上機嫌のその顔がみるみる険悪になり、
「ちぇっ! お前、こりゃ、どうしたんだい」
「とにかく、すぐに帰ってくれ。おれが、お前を送りとどけるといいんだろうが、おれにはいま、そんなひまは、無えや。家出していながら、その、のんきそうな面つらったら」
「お宅は、どちらなのですか?」
「大久保です」
ふいと答えてしまいました。
「そんなら、社の近くですから」
女は、甲州の生れで二十八歳でした。五つになる女児と、高円寺のアパートに住んでいました。夫と死別して、三年になると言っていました。
「あなたは、ずいぶん苦労して育って来たみたいなひとね。よく気がきくわ。可哀そうに」
はじめて、男めかけみたいな生活をしました。シヅ子(というのが、その女記者の名前でした)が新宿の雑誌社に勤めに出たあとは、自分とそれからシゲ子という五つの女児と二人、おとなしくお留守番という事になりました。それまでは、母の留守には、シゲ子はアパートの管理人の部屋で遊んでいたようでしたが、「気のきく」おじさんが遊び相手として現われたので、大いに御機嫌がいい様子でした。
一週間ほど、ぼんやり、自分はそこにいました。アパートの窓のすぐ近くの電線に、奴凧やっこだこが一つひっからまっていて、春のほこり風に吹かれ、破られ、それでもなかなか、しつっこく電線にからみついて離れず、何やら首肯うなずいたりなんかしているので、自分はそれを見る度毎に苦笑し、赤面し、夢にさえ見て、うなされました。
「お金が、ほしいな」
「……いくら位?」
「たくさん。……金の切れ目が、縁の切れ目、って、本当の事だよ」
「ばからしい。そんな、古くさい、……」
「そう? しかし、君には、わからないんだ。このままでは、僕は、逃げる事になるかも知れない」
「いったい、どっちが貧乏なのよ。そうして、どっちが逃げるのよ。へんねえ」
「自分でかせいで、そのお金で、お酒、いや、煙草を買いたい。絵だって僕は、堀木なんかより、ずっと上手なつもりなんだ」
このような時、自分の脳裡におのずから浮びあがって来るものは、あの中学時代に画いた竹一の所謂「お化け」の、数枚の自画像でした。失われた傑作。それは、たびたびの引越しの間に、失われてしまっていたのですが、あれだけは、たしかに優れている絵だったような気がするのです。その後、さまざま画いてみても、その思い出の中の逸品には、遠く遠く及ばず、自分はいつも、胸がからっぽになるような、だるい喪失感になやまされ続けて来たのでした。
飲み残した一杯のアブサン。
自分は、その永遠に償い難いような喪失感を、こっそりそう形容していました。絵の話が出ると、自分の眼前に、その飲み残した一杯のアブサンがちらついて来て、ああ、あの絵をこのひとに見せてやりたい、そうして、自分の画才を信じさせたい、という焦燥しょうそうにもだえるのでした。
「ふふ、どうだか。あなたは、まじめな顔をして冗談を言うから可愛い」
冗談ではないのだ、本当なんだ、ああ、あの絵を見せてやりたい、と空転の煩悶はんもんをして、ふいと気をかえ、あきらめて、
「漫画さ。すくなくとも、漫画なら、堀木よりは、うまいつもりだ」
その、ごまかしの道化の言葉のほうが、かえってまじめに信ぜられました。
「そうね。私も、実は感心していたの。シゲ子にいつもかいてやっている漫画、つい私まで噴き出してしまう。やってみたら、どう? 私の社の編輯長へんしゅうちょうに、たのんでみてあげてもいいわ」
その社では、子供相手のあまり名前を知られていない月刊の雑誌を発行していたのでした。
……あなたを見ると、たいていの女のひとは、何かしてあげたくて、たまらなくなる。……いつも、おどおどしていて、それでいて、滑稽家なんだもの。……時たま、ひとりで、ひどく沈んでいるけれども、そのさまが、いっそう女のひとの心を、かゆがらせる。
シヅ子に、そのほかさまざまの事を言われて、おだてられても、それが即すなわち男めかけのけがらわしい特質なのだ、と思えば、それこそいよいよ「沈む」ばかりで、一向に元気が出ず、女よりは金、とにかくシヅ子からのがれて自活したいとひそかに念じ、工夫しているものの、かえってだんだんシヅ子にたよらなければならぬ破目になって、家出の後仕末やら何やら、ほとんど全部、この男まさりの甲州女の世話を受け、いっそう自分は、シヅ子に対し、所謂「おどおど」しなければならぬ結果になったのでした。
シヅ子の取計らいで、ヒラメ、堀木、それにシヅ子、三人の会談が成立して、自分は、故郷から全く絶縁せられ、そうしてシヅ子と「天下晴れて」同棲どうせいという事になり、これまた、シヅ子の奔走のおかげで自分の漫画も案外お金になって、自分はそのお金で、お酒も、煙草も買いましたが、自分の心細さ、うっとうしさは、いよいよつのるばかりなのでした。それこそ「沈み」に「沈み」切って、シヅ子の雑誌の毎月の連載漫画「キンタさんとオタさんの冒険」を画いていると、ふいと故郷の家が思い出され、あまりの侘びしさに、ペンが動かなくなり、うつむいて涙をこぼした事もありました。
そういう時の自分にとって、幽かな救いは、シゲ子でした。シゲ子は、その頃になって自分の事を、何もこだわらずに「お父ちゃん」と呼んでいました。
「お父ちゃん。お祈りをすると、神様が、何でも下さるって、ほんとう?」
ああ、われに冷き意志を与え給え。われに、「人間」の本質を知らしめ給え。人が人を押しのけても、罪ならずや。われに、怒りのマスクを与え給え。
「うん、そう。シゲちゃんには何でも下さるだろうけれども、お父ちゃんには、駄目かも知れない」
自分は神にさえ、おびえていました。神の愛は信ぜられず、神の罰だけを信じているのでした。信仰。それは、ただ神の笞むちを受けるために、うなだれて審判の台に向う事のような気がしているのでした。地獄は信ぜられても、天国の存在は、どうしても信ぜられなかったのです。
「どうして、ダメなの?」
「親の言いつけに、そむいたから」
「そう? お父ちゃんはとてもいいひとだって、みんな言うけどな」
それは、だましているからだ、このアパートの人たち皆に、自分が好意を示されているのは、自分も知っている、しかし、自分は、どれほど皆を恐怖しているか、恐怖すればするほど好かれ、そうして、こちらは好かれると好かれるほど恐怖し、皆から離れて行かねばならぬ、この不幸な病癖を、シゲ子に説明して聞かせるのは、至難の事でした。
自分は、何気無さそうに話頭を転じました。
ぎょっとして、くらくら目まいしました。敵。自分がシゲ子の敵なのか、シゲ子が自分の敵なのか、とにかく、ここにも自分をおびやかすおそろしい大人がいたのだ、他人、不可解な他人、秘密だらけの他人、シゲ子の顔が、にわかにそのように見えて来ました。
シゲ子だけは、と思っていたのに、やはり、この者も、あの「不意に虻あぶを叩き殺す牛のしっぽ」を持っていたのでした。自分は、それ以来、シゲ子にさえおどおどしなければならなくなりました。
堀木が、また自分のところへたずねて来るようになっていたのです。あの家出の日に、あれほど自分を淋しくさせた男なのに、それでも自分は拒否できず、幽かに笑って迎えるのでした。
「お前の漫画は、なかなか人気が出ているそうじゃないか。アマチュアには、こわいもの知らずの糞度胸くそどきょうがあるからかなわねえ。しかし、油断するなよ。デッサンが、ちっともなってやしないんだから」
お師匠みたいな態度をさえ示すのです。自分のあの「お化け」の絵を、こいつに見せたら、どんな顔をするだろう、とれいの空転の身悶みもだえをしながら、
「それを言ってくれるな。ぎゃっという悲鳴が出る」
堀木は、いよいよ得意そうに、
世渡りの才能。……自分には、ほんとうに苦笑の他はありませんでした。自分に、世渡りの才能! しかし、自分のように人間をおそれ、避け、ごまかしているのは、れいの俗諺ぞくげんの「さわらぬ神にたたりなし」とかいう怜悧れいり狡猾こうかつの処生訓を遵奉しているのと、同じ形だ、という事になるのでしょうか。ああ、人間は、お互い何も相手をわからない、まるっきり間違って見ていながら、無二の親友のつもりでいて、一生、それに気附かず、相手が死ねば、泣いて弔詞なんかを読んでいるのではないでしょうか。
堀木は、何せ、(それはシヅ子に押してたのまれてしぶしぶ引受けたに違いないのですが)自分の家出の後仕末に立ち合ったひとなので、まるでもう、自分の更生の大恩人か、月下氷人のように振舞い、もっともらしい顔をして自分にお説教めいた事を言ったり、また、深夜、酔っぱらって訪問して泊ったり、また、五円(きまって五円でした)借りて行ったりするのでした。
「しかし、お前の、女道楽もこのへんでよすんだね。これ以上は、世間が、ゆるさないからな」
世間とは、いったい、何の事でしょう。人間の複数でしょうか。どこに、その世間というものの実体があるのでしょう。けれども、何しろ、強く、きびしく、こわいもの、とばかり思ってこれまで生きて来たのですが、しかし、堀木にそう言われて、ふと、
という言葉が、舌の先まで出かかって、堀木を怒らせるのがイヤで、ひっこめました。
汝なんじは、汝個人のおそろしさ、怪奇、悪辣あくらつ、古狸ふるだぬき性、妖婆ようば性を知れ! などと、さまざまの言葉が胸中に去来したのですが、自分は、ただ顔の汗をハンケチで拭いて、
「冷汗ひやあせ、冷汗」
と言って笑っただけでした。
けれども、その時以来、自分は、(世間とは個人じゃないか)という、思想めいたものを持つようになったのです。
そうして、世間というものは、個人ではなかろうかと思いはじめてから、自分は、いままでよりは多少、自分の意志で動く事が出来るようになりました。シヅ子の言葉を借りて言えば、自分は少しわがままになり、おどおどしなくなりました。また、堀木の言葉を借りて言えば、へんにケチになりました。また、シゲ子の言葉を借りて言えば、あまりシゲ子を可愛がらなくなりました。
無口で、笑わず、毎日々々、シゲ子のおもりをしながら、「キンタさんとオタさんの冒険」やら、またノンキなトウサンの歴然たる亜流の「ノンキ和尚おしょう」やら、また、「セッカチピンチャン」という自分ながらわけのわからぬヤケクソの題の連載漫画やらを、各社の御注文(ぽつりぽつり、シヅ子の社の他からも注文が来るようになっていましたが、すべてそれは、シヅ子の社よりも、もっと下品な謂わば三流出版社からの注文ばかりでした)に応じ、実に実に陰鬱な気持で、のろのろと、(自分の画の運筆は、非常におそいほうでした)いまはただ、酒代がほしいばかりに画いて、そうして、シヅ子が社から帰るとそれと交代にぷいと外へ出て、高円寺の駅近くの屋台やスタンド・バアで安くて強い酒を飲み、少し陽気になってアパートへ帰り、
「見れば見るほど、へんな顔をしているねえ、お前は。ノンキ和尚の顔は、実は、お前の寝顔からヒントを得たのだ」
「あなたの寝顔だって、ずいぶんお老けになりましてよ。四十男みたい」
「お前のせいだ。吸い取られたんだ。水の流れと、人の身はあサ。何をくよくよ川端やなあぎいサ」
「騒がないで、早くおやすみなさいよ。それとも、ごはんをあがりますか?」
「酒なら飲むがね。水の流れと、人の身はあサ。人の流れと、いや、水の流れえと、水の身はあサ」
唄いながら、シヅ子に衣服をぬがせられ、シヅ子の胸に自分の額を押しつけて眠ってしまう、それが自分の日常でした。
してその翌日あくるひも同じ事を繰返して、
昨日きのうに異かわらぬ慣例しきたりに従えばよい。
即ち荒っぽい大きな歓楽よろこびを避よけてさえいれば、
自然また大きな悲哀かなしみもやって来こないのだ。
ゆくてを塞ふさぐ邪魔な石を
しかし、事態は、実に思いがけなく、もっと悪く展開せられました。
「やめた!」
と堀木は、口をゆがめて言い、
「さすがのおれも、こんな貧乏くさい女には、……」
閉口し切ったように、腕組みしてツネ子をじろじろ眺め、苦笑するのでした。
自分は、小声でツネ子に言いました。それこそ、浴びるほど飲んでみたい気持でした。所謂俗物の眼から見ると、ツネ子は酔漢のキスにも価いしない、ただ、みすぼらしい、貧乏くさい女だったのでした。案外とも、意外とも、自分には霹靂へきれきに撃ちくだかれた思いでした。自分は、これまで例の無かったほど、いくらでも、いくらでも、お酒を飲み、ぐらぐら酔って、ツネ子と顔を見合せ、哀かなしく微笑ほほえみ合い、いかにもそう言われてみると、こいつはへんに疲れて貧乏くさいだけの女だな、と思うと同時に、金の無い者どうしの親和(貧富の不和は、陳腐のようでも、やはりドラマの永遠のテーマの一つだと自分は今では思っていますが)そいつが、その親和感が、胸に込み上げて来て、ツネ子がいとしく、生れてこの時はじめて、われから積極的に、微弱ながら恋の心の動くのを自覚しました。吐きました。前後不覚になりました。お酒を飲んで、こんなに我を失うほど酔ったのも、その時がはじめてでした。
眼が覚めたら、枕もとにツネ子が坐っていました。本所の大工さんの二階の部屋に寝ていたのでした。
「金の切れめが縁の切れめ、なんておっしゃって、冗談かと思うていたら、本気か。来てくれないのだもの。ややこしい切れめやな。うちが、かせいであげても、だめか」
「だめ」
それから、女も休んで、夜明けがた、女の口から「死」という言葉がはじめて出て、女も人間としての営みに疲れ切っていたようでしたし、また、自分も、世の中への恐怖、わずらわしさ、金、れいの運動、女、学業、考えると、とてもこの上こらえて生きて行けそうもなく、そのひとの提案に気軽に同意しました。
けれども、その時にはまだ、実感としての「死のう」という覚悟は、出来ていなかったのです。どこかに「遊び」がひそんでいました。
その日の午前、二人は浅草の六区をさまよっていました。喫茶店にはいり、牛乳を飲みました。
「あなた、払うて置いて」
自分は立って、袂たもとからがま口を出し、ひらくと、銅銭が三枚、羞恥しゅうちよりも凄惨せいさんの思いに襲われ、たちまち脳裡のうりに浮ぶものは、仙遊館の自分の部屋、制服と蒲団だけが残されてあるきりで、あとはもう、質草になりそうなものの一つも無い荒涼たる部屋、他には自分のいま着て歩いている絣の着物と、マント、これが自分の現実なのだ、生きて行けない、とはっきり思い知りました。
自分がまごついているので、女も立って、自分のがま口をのぞいて、
「あら、たったそれだけ?」
無心の声でしたが、これがまた、じんと骨身にこたえるほどに痛かったのです。はじめて自分が、恋したひとの声だけに、痛かったのです。それだけも、これだけもない、銅銭三枚は、どだいお金でありません。それは、自分が未いまだかつて味わった事の無い奇妙な屈辱でした。とても生きておられない屈辱でした。所詮しょせんその頃の自分は、まだお金持ちの坊ちゃんという種属から脱し切っていなかったのでしょう。その時、自分は、みずからすすんでも死のうと、実感として決意したのです。
その夜、自分たちは、鎌倉の海に飛び込みました。女は、この帯はお店のお友達から借りている帯やから、と言って、帯をほどき、畳んで岩の上に置き、自分もマントを脱ぎ、同じ所に置いて、一緒に入水じゅすいしました。
女のひとは、死にました。そうして、自分だけ助かりました。
自分が高等学校の生徒ではあり、また父の名にもいくらか、所謂ニュウス・ヴァリュがあったのか、新聞にもかなり大きな問題として取り上げられたようでした。
自分は海辺の病院に収容せられ、故郷から親戚しんせきの者がひとり駈けつけ、さまざまの始末をしてくれて、そうして、くにの父をはじめ一家中が激怒しているから、これっきり生家とは義絶になるかも知れぬ、と自分に申し渡して帰りました。けれども自分は、そんな事より、死んだツネ子が恋いしく、めそめそ泣いてばかりいました。本当に、いままでのひとの中で、あの貧乏くさいツネ子だけを、すきだったのですから。
下宿の娘から、短歌を五十も書きつらねた長い手紙が来ました。「生きくれよ」というへんな言葉ではじまる短歌ばかり、五十でした。また、自分の病室に、看護婦たちが陽気に笑いながら遊びに来て、自分の手をきゅっと握って帰る看護婦もいました。
自分の左肺に故障のあるのを、その病院で発見せられ、これがたいへん自分に好都合な事になり、やがて自分が自殺幇助ほうじょ罪という罪名で病院から警察に連れて行かれましたが、警察では、自分を病人あつかいにしてくれて、特に保護室に収容しました。
深夜、保護室の隣りの宿直室で、寝ずの番をしていた年寄りのお巡まわりが、間のドアをそっとあけ、
「おい!」
と自分に声をかけ、
「寒いだろう。こっちへ来て、あたれ」
と言いました。
自分は、わざとしおしおと宿直室にはいって行き、椅子に腰かけて火鉢にあたりました。
「やはり、死んだ女が恋いしいだろう」
「はい」
彼は次第に、大きく構えて来ました。
「はじめ、女と関係を結んだのは、どこだ」
ほとんど裁判官の如く、もったいぶって尋ねるのでした。彼は、自分を子供とあなどり、秋の夜のつれづれに、あたかも彼自身が取調べの主任でもあるかのように装い、自分から猥談わいだんめいた述懐を引き出そうという魂胆のようでした。自分は素早くそれを察し、噴き出したいのを怺こらえるのに骨を折りました。そんなお巡りの「非公式な訊問」には、いっさい答を拒否してもかまわないのだという事は、自分も知っていましたが、しかし、秋の夜ながに興を添えるため、自分は、あくまでも神妙に、そのお巡りこそ取調べの主任であって、刑罰の軽重の決定もそのお巡りの思召おぼしめし一つに在るのだ、という事を固く信じて疑わないような所謂誠意をおもてにあらわし、彼の助平の好奇心を、やや満足させる程度のいい加減な「陳述」をするのでした。
「うん、それでだいたいわかった。何でも正直に答えると、わしらのほうでも、そこは手心を加える」
「ありがとうございます。よろしくお願いいたします」
ほとんど入神の演技でした。そうして、自分のためには、何も、一つも、とくにならない力演なのです。
夜が明けて、自分は署長に呼び出されました。こんどは、本式の取調べなのです。
ドアをあけて、署長室にはいったとたんに、
「おう、いい男だ。これあ、お前が悪いんじゃない。こんな、いい男に産んだお前のおふくろが悪いんだ」
色の浅黒い、大学出みたいな感じのまだ若い署長でした。いきなりそう言われて自分は、自分の顔の半面にべったり赤痣あかあざでもあるような、みにくい不具者のような、みじめな気がしました。
この柔道か剣道の選手のような署長の取調べは、実にあっさりしていて、あの深夜の老巡査のひそかな、執拗しつようきわまる好色の「取調べ」とは、雲泥の差がありました。訊問がすんで、署長は、検事局に送る書類をしたためながら、
「からだを丈夫にしなけれゃ、いかんね。血痰けったんが出ているようじゃないか」
と言いました。
その朝、へんに咳せきが出て、自分は咳の出るたびに、ハンケチで口を覆っていたのですが、そのハンケチに赤い霰あられが降ったみたいに血がついていたのです。けれども、それは、喉のどから出た血ではなく、昨夜、耳の下に出来た小さいおできをいじって、そのおできから出た血なのでした。しかし、自分は、それを言い明さないほうが、便宜な事もあるような気がふっとしたものですから、ただ、
「はい」
と、伏眼になり、殊勝げに答えて置きました。
署長は書類を書き終えて、
「起訴になるかどうか、それは検事殿がきめることだが、お前の身元引受人に、電報か電話で、きょう横浜の検事局に来てもらうように、たのんだほうがいいな。誰か、あるだろう、お前の保護者とか保証人とかいうものが」
父の東京の別荘に出入りしていた書画骨董こっとう商の渋田という、自分たちと同郷人で、父のたいこ持ちみたいな役も勤めていたずんぐりした独身の四十男が、自分の学校の保証人になっているのを、自分は思い出しました。その男の顔が、殊に眼つきが、ヒラメに似ているというので、父はいつもその男をヒラメと呼び、自分も、そう呼びなれていました。
自分は警察の電話帳を借りて、ヒラメの家の電話番号を捜し、見つかったので、ヒラメに電話して、横浜の検事局に来てくれるように頼みましたら、ヒラメは人が変ったみたいな威張った口調で、それでも、とにかく引受けてくれました。
「おい、その電話機、すぐ消毒したほうがいいぜ。何せ、血痰が出ているんだから」
自分が、また保護室に引き上げてから、お巡りたちにそう言いつけている署長の大きな声が、保護室に坐っている自分の耳にまで、とどきました。
お昼すぎ、自分は、細い麻繩で胴を縛られ、それはマントで隠すことを許されましたが、その麻繩の端を若いお巡りが、しっかり握っていて、二人一緒に電車で横浜に向いました。
けれども、自分には少しの不安も無く、あの警察の保護室も、老巡査もなつかしく、嗚呼ああ、自分はどうしてこうなのでしょう、罪人として縛られると、かえってほっとして、そうしてゆったり落ちついて、その時の追憶を、いま書くに当っても、本当にのびのびした楽しい気持になるのです。
しかし、その時期のなつかしい思い出の中にも、たった一つ、冷汗三斗の、生涯わすれられぬ悲惨なしくじりがあったのです。自分は、検事局の薄暗い一室で、検事の簡単な取調べを受けました。検事は四十歳前後の物静かな、(もし自分が美貌だったとしても、それは謂いわば邪淫の美貌だったに違いありませんが、その検事の顔は、正しい美貌、とでも言いたいような、聡明な静謐せいひつの気配を持っていました)コセコセしない人柄のようでしたので、自分も全く警戒せず、ぼんやり陳述していたのですが、突然、れいの咳が出て来て、自分は袂からハンケチを出し、ふとその血を見て、この咳もまた何かの役に立つかも知れぬとあさましい駈引きの心を起し、ゴホン、ゴホンと二つばかり、おまけの贋にせの咳を大袈裟おおげさに附け加えて、ハンケチで口を覆ったまま検事の顔をちらと見た、間一髪、
「ほんとうかい?」
ものしずかな微笑でした。冷汗三斗、いいえ、いま思い出しても、きりきり舞いをしたくなります。中学時代に、あの馬鹿の竹一から、ワザ、ワザ、と言われて脊中せなかを突かれ、地獄に蹴落けおとされた、その時の思い以上と言っても、決して過言では無い気持です。あれと、これと、二つ、自分の生涯に於ける演技の大失敗の記録です。検事のあんな物静かな侮蔑ぶべつに遭うよりは、いっそ自分は十年の刑を言い渡されたほうが、ましだったと思う事さえ、時たまある程なのです。
自分は起訴猶予になりました。けれども一向にうれしくなく、世にもみじめな気持で、検事局の控室のベンチに腰かけ、引取り人のヒラメが来るのを待っていました。
背後の高い窓から夕焼けの空が見え、鴎かもめが、「女」という字みたいな形で飛んでいました。
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第三の手記
一
竹一の予言の、一つは当り、一つは、はずれました。惚ほれられるという、名誉で無い予言のほうは、あたりましたが、きっと偉い絵画きになるという、祝福の予言は、はずれました。
自分は、わずかに、粗悪な雑誌の、無名の下手な漫画家になる事が出来ただけでした。
鎌倉の事件のために、高等学校からは追放せられ、自分は、ヒラメの家の二階の、三畳の部屋で寝起きして、故郷からは月々、極めて小額の金が、それも直接に自分宛ではなく、ヒラメのところにひそかに送られて来ている様子でしたが、(しかも、それは故郷の兄たちが、父にかくして送ってくれているという形式になっていたようでした)それっきり、あとは故郷とのつながりを全然、断ち切られてしまい、そうして、ヒラメはいつも不機嫌、自分があいそ笑いをしても、笑わず、人間というものはこんなにも簡単に、それこそ手のひらをかえすが如くに変化できるものかと、あさましく、いや、むしろ滑稽に思われるくらいの、ひどい変り様で、
「出ちゃいけませんよ。とにかく、出ないで下さいよ」
そればかり自分に言っているのでした。
ヒラメは、自分に自殺のおそれありと、にらんでいるらしく、つまり、女の後を追ってまた海へ飛び込んだりする危険があると見てとっているらしく、自分の外出を固く禁じているのでした。けれども、酒も飲めないし、煙草も吸えないし、ただ、朝から晩まで二階の三畳のこたつにもぐって、古雑誌なんか読んで阿呆同然のくらしをしている自分には、自殺の気力さえ失われていました。
ヒラメの家は、大久保の医専の近くにあり、書画骨董商、青竜園、だなどと看板の文字だけは相当に気張っていても、一棟二戸の、その一戸で、店の間口も狭く、店内はホコリだらけで、いい加減なガラクタばかり並べ、(もっとも、ヒラメはその店のガラクタにたよって商売しているわけではなく、こっちの所謂旦那の秘蔵のものを、あっちの所謂旦那にその所有権をゆずる場合などに活躍して、お金をもうけているらしいのです)店に坐っている事は殆ど無く、たいてい朝から、むずかしそうな顔をしてそそくさと出かけ、留守は十七、八の小僧ひとり、これが自分の見張り番というわけで、ひまさえあれば近所の子供たちと外でキャッチボールなどしていても、二階の居候をまるで馬鹿か気違いくらいに思っているらしく、大人おとなの説教くさい事まで自分に言い聞かせ、自分は、ひとと言い争いの出来ない質たちなので、疲れたような、また、感心したような顔をしてそれに耳を傾け、服従しているのでした。この小僧は渋田のかくし子で、それでもへんな事情があって、渋田は所謂親子の名乗りをせず、また渋田がずっと独身なのも、何やらその辺に理由があっての事らしく、自分も以前、自分の家の者たちからそれに就いての噂うわさを、ちょっと聞いたような気もするのですが、自分は、どうも他人の身の上には、あまり興味を持てないほうなので、深い事は何も知りません。しかし、その小僧の眼つきにも、妙に魚の眼を聯想れんそうさせるところがありましたから、或いは、本当にヒラメのかくし子、……でも、それならば、二人は実に淋しい親子でした。夜おそく、二階の自分には内緒で、二人でおそばなどを取寄せて無言で食べている事がありました。
ヒラメの家では食事はいつもその小僧がつくり、二階のやっかい者の食事だけは別にお膳ぜんに載せて小僧が三度々々二階に持ち運んで来てくれて、ヒラメと小僧は、階段の下のじめじめした四畳半で何やら、カチャカチャ皿小鉢の触れ合う音をさせながら、いそがしげに食事しているのでした。
三月末の或る夕方、ヒラメは思わぬもうけ口にでもありついたのか、または何か他に策略でもあったのか、(その二つの推察が、ともに当っていたとしても、おそらくは、さらにまたいくつかの、自分などにはとても推察のとどかないこまかい原因もあったのでしょうが)自分を階下の珍らしくお銚子ちょうしなど附いている食卓に招いて、ヒラメならぬマグロの刺身に、ごちそうの主人あるじみずから感服し、賞讃しょうさんし、ぼんやりしている居候にも少しくお酒をすすめ、
「どうするつもりなんです、いったい、これから」
自分はそれに答えず、卓上の皿から畳鰯たたみいわしをつまみ上げ、その小魚たちの銀の眼玉を眺めていたら、酔いがほのぼの発して来て、遊び廻っていた頃がなつかしく、堀木でさえなつかしく、つくづく「自由」が欲しくなり、ふっと、かぼそく泣きそうになりました。
自分がこの家へ来てからは、道化を演ずる張合いさえ無く、ただもうヒラメと小僧の蔑視の中に身を横たえ、ヒラメのほうでもまた、自分と打ち解けた長噺をするのを避けている様子でしたし、自分もそのヒラメを追いかけて何かを訴える気などは起らず、ほとんど自分は、間抜けづらの居候になり切っていたのです。
「起訴猶予というのは、前科何犯とか、そんなものには、ならない模様です。だから、まあ、あなたの心掛け一つで、更生が出来るわけです。あなたが、もし、改心して、あなたのほうから、真面目に私に相談を持ちかけてくれたら、私も考えてみます」
ヒラメの話方には、いや、世の中の全部の人の話方には、このようにややこしく、どこか朦朧もうろうとして、逃腰とでもいったみたいな微妙な複雑さがあり、そのほとんど無益と思われるくらいの厳重な警戒と、無数といっていいくらいの小うるさい駈引とには、いつも自分は当惑し、どうでもいいやという気分になって、お道化で茶化したり、または無言の首肯で一さいおまかせという、謂わば敗北の態度をとってしまうのでした。
この時もヒラメが、自分に向って、だいたい次のように簡単に報告すれば、それですむ事だったのを自分は後年に到って知り、ヒラメの不必要な用心、いや、世の中の人たちの不可解な見栄、おていさいに、何とも陰鬱な思いをしました。
「官立でも私立でも、とにかく四月から、どこかの学校へはいりなさい。あなたの生活費は、学校へはいると、くにから、もっと充分に送って来る事になっているのです。」
ずっと後になってわかったのですが、事実は、そのようになっていたのでした。そうして、自分もその言いつけに従ったでしょう。それなのに、ヒラメのいやに用心深く持って廻った言い方のために、妙にこじれ、自分の生きて行く方向もまるで変ってしまったのです。
「真面目に私に相談を持ちかけてくれる気持が無ければ、仕様がないですが」
「どんな相談?」
自分には、本当に何も見当がつかなかったのです。
「それは、あなたの胸にある事でしょう?」
「たとえば?」
「働いたほうが、いいんですか?」
「いや、あなたの気持は、いったいどうなんです」
「そりゃ、お金が要ります。しかし、問題は、お金でない。あなたの気持です」
お金は、くにから来る事になっているんだから、となぜ一こと、言わなかったのでしょう。その一言に依って、自分の気持も、きまった筈なのに、自分には、ただ五里霧中でした。
「どうですか? 何か、将来の希望、とでもいったものが、あるんですか? いったい、どうも、ひとをひとり世話しているというのは、どれだけむずかしいものだか、世話されているひとには、わかりますまい」
「すみません」
「そりゃ実に、心配なものです。私も、いったんあなたの世話を引受けた以上、あなたにも、生半可なまはんかな気持でいてもらいたくないのです。立派に更生の道をたどる、という覚悟のほどを見せてもらいたいのです。たとえば、あなたの将来の方針、それに就いてあなたのほうから私に、まじめに相談を持ちかけて来たなら、私もその相談には応ずるつもりでいます。それは、どうせこんな、貧乏なヒラメの援助なのですから、以前のようなぜいたくを望んだら、あてがはずれます。しかし、あなたの気持がしっかりしていて、将来の方針をはっきり打ち樹たて、そうして私に相談をしてくれたら、私は、たといわずかずつでも、あなたの更生のために、お手伝いしようとさえ思っているんです。わかりますか? 私の気持が。いったい、あなたは、これから、どうするつもりでいるのです」
「ここの二階に、置いてもらえなかったら、働いて、……」
「本気で、そんな事を言っているのですか? いまのこの世の中に、たとい帝国大学校を出たって、……」
「いいえ、サラリイマンになるんでは無いんです」
「それじゃ、何です」
「画家です」
思い切って、それを言いました。
「へええ?」
自分は、その時の、頸くびをちぢめて笑ったヒラメの顔の、いかにもずるそうな影を忘れる事が出来ません。軽蔑の影にも似て、それとも違い、世の中を海にたとえると、その海の千尋ちひろの深さの箇所に、そんな奇妙な影がたゆとうていそうで、何か、おとなの生活の奥底をチラと覗のぞかせたような笑いでした。
そんな事では話にも何もならぬ、ちっとも気持がしっかりしていない、考えなさい、今夜一晩まじめに考えてみなさい、と言われ、自分は追われるように二階に上って、寝ても、別に何の考えも浮びませんでした。そうして、あけがたになり、ヒラメの家から逃げました。
また、犯人意識、という言葉もあります。自分は、この人間の世の中に於いて、一生その意識に苦しめられながらも、しかし、それは自分の糟糠そうこうの妻の如き好伴侶はんりょで、そいつと二人きりで侘わびしく遊びたわむれているというのも、自分の生きている姿勢の一つだったかも知れないし、また、俗に、脛すねに傷持つ身、という言葉もあるようですが、その傷は、自分の赤ん坊の時から、自然に片方の脛にあらわれて、長ずるに及んで治癒するどころか、いよいよ深くなるばかりで、骨にまで達し、夜々の痛苦は千変万化の地獄とは言いながら、しかし、(これは、たいへん奇妙な言い方ですけど)その傷は、次第に自分の血肉よりも親しくなり、その傷の痛みは、すなわち傷の生きている感情、または愛情の囁ささやきのようにさえ思われる、そんな男にとって、れいの地下運動のグルウプの雰囲気が、へんに安心で、居心地がよく、つまり、その運動の本来の目的よりも、その運動の肌が、自分に合った感じなのでした。堀木の場合は、ただもう阿呆のひやかしで、いちど自分を紹介しにその会合へ行ったきりで、マルキシストは、生産面の研究と同時に、消費面の視察も必要だなどと下手な洒落しゃれを言って、その会合には寄りつかず、とかく自分を、その消費面の視察のほうにばかり誘いたがるのでした。思えば、当時は、さまざまの型のマルキシストがいたものです。堀木のように、虚栄のモダニティから、それを自称する者もあり、また自分のように、ただ非合法の匂いが気にいって、そこに坐り込んでいる者もあり、もしもこれらの実体が、マルキシズムの真の信奉者に見破られたら、堀木も自分も、烈火の如く怒られ、卑劣なる裏切者として、たちどころに追い払われた事でしょう。しかし、自分も、また、堀木でさえも、なかなか除名の処分に遭わず、殊にも自分は、その非合法の世界に於いては、合法の紳士たちの世界に於けるよりも、かえってのびのびと、所謂「健康」に振舞う事が出来ましたので、見込みのある「同志」として、噴き出したくなるほど過度に秘密めかした、さまざまの用事をたのまれるほどになったのです。また、事実、自分は、そんな用事をいちども断ったことは無く、平気でなんでも引受け、へんにぎくしゃくして、犬(同志は、ポリスをそう呼んでいました)にあやしまれ不審訊問じんもんなどを受けてしくじるような事も無かったし、笑いながら、また、ひとを笑わせながら、そのあぶない(その運動の連中は、一大事の如く緊張し、探偵小説の下手な真似みたいな事までして、極度の警戒を用い、そうして自分にたのむ仕事は、まことに、あっけにとられるくらい、つまらないものでしたが、それでも、彼等は、その用事を、さかんに、あぶながって力んでいるのでした)と、彼等の称する仕事を、とにかく正確にやってのけていました。自分のその当時の気持としては、党員になって捕えられ、たとい終身、刑務所で暮すようになったとしても、平気だったのです。世の中の人間の「実生活」というものを恐怖しながら、毎夜の不眠の地獄で呻うめいているよりは、いっそ牢屋ろうやのほうが、楽かも知れないとさえ考えていました。
父は、桜木町の別荘では、来客やら外出やら、同じ家にいても、三日も四日も自分と顔を合せる事が無いほどでしたが、しかし、どうにも、父がけむったく、おそろしく、この家を出て、どこか下宿でも、と考えながらもそれを言い出せずにいた矢先に、父がその家を売払うつもりらしいという事を別荘番の老爺ろうやから聞きました。
父の議員の任期もそろそろ満期に近づき、いろいろ理由のあった事に違いありませんが、もうこれきり選挙に出る意志も無い様子で、それに、故郷に一棟、隠居所など建てたりして、東京に未練も無いらしく、たかが、高等学校の一生徒に過ぎない自分のために、邸宅と召使いを提供して置くのも、むだな事だとでも考えたのか、(父の心もまた、世間の人たちの気持ちと同様に、自分にはよくわかりません)とにかく、その家は、間も無く人手にわたり、自分は、本郷森川町の仙遊館という古い下宿の、薄暗い部屋に引越して、そうして、たちまち金に困りました。
それまで、父から月々、きまった額の小遣いを手渡され、それはもう、二、三日で無くなっても、しかし、煙草も、酒も、チイズも、くだものも、いつでも家にあったし、本や文房具やその他、服装に関するものなど一切、いつでも、近所の店から所謂「ツケ」で求められたし、堀木におそばか天丼などをごちそうしても、父のひいきの町内の店だったら、自分は黙ってその店を出てもかまわなかったのでした。
それが急に、下宿のひとり住いになり、何もかも、月々の定額の送金で間に合わせなければならなくなって、自分は、まごつきました。送金は、やはり、二、三日で消えてしまい、自分は慄然りつぜんとし、心細さのために狂うようになり、父、兄、姉などへ交互にお金を頼む電報と、イサイフミの手紙(その手紙に於いて訴えている事情は、ことごとく、お道化の虚構でした。人にものを頼むのに、まず、その人を笑わせるのが上策と考えていたのです)を連発する一方、また、堀木に教えられ、せっせと質屋がよいをはじめ、それでも、いつもお金に不自由をしていました。
所詮、自分には、何の縁故も無い下宿に、ひとりで「生活」して行く能力が無かったのです。自分は、下宿のその部屋に、ひとりでじっとしているのが、おそろしく、いまにも誰かに襲われ、一撃せられるような気がして来て、街に飛び出しては、れいの運動の手伝いをしたり、或いは堀木と一緒に安い酒を飲み廻ったりして、ほとんど学業も、また画の勉強も放棄し、高等学校へ入学して、二年目の十一月、自分より年上の有夫の婦人と情死事件などを起し、自分の身の上は、一変しました。
学校は欠席するし、学科の勉強も、すこしもしなかったのに、それでも、妙に試験の答案に要領のいいところがあるようで、どうやらそれまでは、故郷の肉親をあざむき通して来たのですが、しかし、もうそろそろ、出席日数の不足など、学校のほうから内密に故郷の父へ報告が行っているらしく、父の代理として長兄が、いかめしい文章の長い手紙を、自分に寄こすようになっていたのでした。けれども、それよりも、自分の直接の苦痛は、金の無い事と、それから、れいの運動の用事が、とても遊び半分の気持では出来ないくらい、はげしく、いそがしくなって来た事でした。中央地区と言ったか、何地区と言ったか、とにかく本郷、小石川、下谷、神田、あの辺の学校全部の、マルクス学生の行動隊々長というものに、自分はなっていたのでした。武装蜂起ほうき、と聞き、小さいナイフを買い(いま思えば、それは鉛筆をけずるにも足りない、きゃしゃなナイフでした)それを、レンコオトのポケットにいれ、あちこち飛び廻って、所謂いわゆる「聯絡れんらく」をつけるのでした。お酒を飲んで、ぐっすり眠りたい、しかし、お金がありません。しかも、P(党の事を、そういう隠語で呼んでいたと記憶していますが、或いは、違っているかも知れません)のほうからは、次々と息をつくひまも無いくらい、用事の依頼がまいります。自分の病弱のからだでは、とても勤まりそうも無くなりました。もともと、非合法の興味だけから、そのグルウプの手伝いをしていたのですし、こんなに、それこそ冗談から駒が出たように、いやにいそがしくなって来ると、自分は、ひそかにPのひとたちに、それはお門かどちがいでしょう、あなたたちの直系のものたちにやらせたらどうですか、というようないまいましい感を抱くのを禁ずる事が出来ず、逃げました。逃げて、さすがに、いい気持はせず、死ぬ事にしました。
その頃、自分に特別の好意を寄せている女が、三人いました。ひとりは、自分の下宿している仙遊館の娘でした。この娘は、自分がれいの運動の手伝いでへとへとになって帰り、ごはんも食べずに寝てしまってから、必ず用箋ようせんと万年筆を持って自分の部屋にやって来て、
「ごめんなさい。下では、妹や弟がうるさくて、ゆっくり手紙も書けないのです」
と言って、何やら自分の机に向って一時間以上も書いているのです。
自分もまた、知らん振りをして寝ておればいいのに、いかにもその娘が何か自分に言ってもらいたげの様子なので、れいの受け身の奉仕の精神を発揮して、実に一言も口をききたくない気持なのだけれども、くたくたに疲れ切っているからだに、ウムと気合いをかけて腹這はらばいになり、煙草を吸い、
「女から来たラヴ・レターで、風呂をわかしてはいった男があるそうですよ」
「あら、いやだ。あなたでしょう?」
「ミルクをわかして飲んだ事はあるんです」
「光栄だわ、飲んでよ」
早くこのひと、帰らねえかなあ、手紙だなんて、見えすいているのに。へへののもへじでも書いているのに違いないんです。
「見せてよ」
と死んでも見たくない思いでそう言えば、あら、いやよ、あら、いやよ、と言って、そのうれしがる事、ひどくみっともなく、興が覚めるばかりなのです。そこで自分は、用事でも言いつけてやれ、と思うんです。
「すまないけどね、電車通りの薬屋に行って、カルモチンを買って来てくれない? あんまり疲れすぎて、顔がほてって、かえって眠れないんだ。すまないね。お金は、……」
「いいわよ、お金なんか」
よろこんで立ちます。用を言いつけるというのは、決して女をしょげさせる事ではなく、かえって女は、男に用事をたのまれると喜ぶものだという事も、自分はちゃんと知っているのでした。
もうひとりは、女子高等師範の文科生の所謂「同志」でした。このひととは、れいの運動の用事で、いやでも毎日、顔を合せなければならなかったのです。打ち合せがすんでからも、その女は、いつまでも自分について歩いて、そうして、やたらに自分に、ものを買ってくれるのでした。
「私を本当の姉だと思っていてくれていいわ」
そのキザに身震いしながら、自分は、
「そのつもりでいるんです」
と、愁うれえを含んだ微笑の表情を作って答えます。とにかく、怒らせては、こわい、何とかして、ごまかさなければならぬ、という思い一つのために、自分はいよいよその醜い、いやな女に奉仕をして、そうして、ものを買ってもらっては、(その買い物は、実に趣味の悪い品ばかりで、自分はたいてい、すぐにそれを、焼きとり屋の親爺おやじなどにやってしまいました)うれしそうな顔をして、冗談を言っては笑わせ、或る夏の夜、どうしても離れないので、街の暗いところで、そのひとに帰ってもらいたいばかりに、キスをしてやりましたら、あさましく狂乱の如く興奮し、自動車を呼んで、そのひとたちの運動のために秘密に借りてあるらしいビルの事務所みたいな狭い洋室に連れて行き、朝まで大騒ぎという事になり、とんでもない姉だ、と自分はひそかに苦笑しました。
下宿屋の娘と言い、またこの「同志」と言い、どうしたって毎日、顔を合せなければならぬ具合になっていますので、これまでの、さまざまの女のひとのように、うまく避けられず、つい、ずるずるに、れいの不安の心から、この二人のご機嫌をただ懸命に取り結び、もはや自分は、金縛り同様の形になっていました。
同じ頃また自分は、銀座の或る大カフエの女給から、思いがけぬ恩を受け、たったいちど逢っただけなのに、それでも、その恩にこだわり、やはり身動き出来ないほどの、心配やら、空そらおそろしさを感じていたのでした。その頃になると、自分も、敢えて堀木の案内に頼らずとも、ひとりで電車にも乗れるし、また、歌舞伎座にも行けるし、または、絣かすりの着物を着て、カフエにだってはいれるくらいの、多少の図々しさを装えるようになっていたのです。心では、相変らず、人間の自信と暴力とを怪しみ、恐れ、悩みながら、うわべだけは、少しずつ、他人と真顔の挨拶、いや、ちがう、自分はやはり敗北のお道化の苦しい笑いを伴わずには、挨拶できないたちなのですが、とにかく、無我夢中のへどもどの挨拶でも、どうやら出来るくらいの「伎倆ぎりょう」を、れいの運動で走り廻ったおかげ? または、女の? または、酒? けれども、おもに金銭の不自由のおかげで修得しかけていたのです。どこにいても、おそろしく、かえって大カフエでたくさんの酔客または女給、ボーイたちにもまれ、まぎれ込む事が出来たら、自分のこの絶えず追われているような心も落ちつくのではなかろうか、と十円持って、銀座のその大カフエに、ひとりではいって、笑いながら相手の女給に、
と言いました。
「心配要りません」
どこかに関西の訛なまりがありました。そうして、その一言が、奇妙に自分の、震えおののいている心をしずめてくれました。いいえ、お金の心配が要らなくなったからではありません、そのひとの傍にいる事に心配が要らないような気がしたのです。
自分は、お酒を飲みました。そのひとに安心しているので、かえってお道化など演じる気持も起らず、自分の地金じがねの無口で陰惨なところを隠さず見せて、黙ってお酒を飲みました。
「こんなの、おすきか?」
女は、さまざまの料理を自分の前に並べました。自分は首を振りました。
「お酒だけか? うちも飲もう」
秋の、寒い夜でした。自分は、ツネ子(といったと覚えていますが、記憶が薄れ、たしかではありません。情死の相手の名前をさえ忘れているような自分なのです)に言いつけられたとおりに、銀座裏の、或る屋台のお鮨すしやで、少しもおいしくない鮨を食べながら、(そのひとの名前は忘れても、その時の鮨のまずさだけは、どうした事か、はっきり記憶に残っています。そうして、青大将の顔に似た顔つきの、丸坊主のおやじが、首を振り振り、いかにも上手みたいにごまかしながら鮨を握っている様も、眼前に見るように鮮明に思い出され、後年、電車などで、はて見た顔だ、といろいろ考え、なんだ、あの時の鮨やの親爺に似ているんだ、と気が附き苦笑した事も再三あったほどでした。あのひとの名前も、また、顔かたちさえ記憶から遠ざかっている現在なお、あの鮨やの親爺の顔だけは絵にかけるほど正確に覚えているとは、よっぽどあの時の鮨がまずく、自分に寒さと苦痛を与えたものと思われます。もともと、自分は、うまい鮨を食わせる店というところに、ひとに連れられて行って食っても、うまいと思った事は、いちどもありませんでした。大き過ぎるのです。親指くらいの大きさにキチッと握れないものかしら、といつも考えていました)そのひとを、待っていました。
本所の大工さんの二階を、そのひとが借りていました。自分は、その二階で、日頃の自分の陰鬱な心を少しもかくさず、ひどい歯痛に襲われてでもいるように、片手で頬をおさえながら、お茶を飲みました。そうして、自分のそんな姿態が、かえって、そのひとには、気にいったようでした。そのひとも、身のまわりに冷たい木枯しが吹いて、落葉だけが舞い狂い、完全に孤立している感じの女でした。
一緒にやすみながらそのひとは、自分より二つ年上であること、故郷は広島、あたしには主人があるのよ、広島で床屋さんをしていたの、昨年の春、一緒に東京へ家出して逃げて来たのだけれども、主人は、東京で、まともな仕事をせずそのうちに詐欺罪に問われ、刑務所にいるのよ、あたしは毎日、何やらかやら差し入れしに、刑務所へかよっていたのだけれども、あすから、やめます、などと物語るのでしたが、自分は、どういうものか、女の身の上噺ばなしというものには、少しも興味を持てないたちで、それは女の語り方の下手なせいか、つまり、話の重点の置き方を間違っているせいなのか、とにかく、自分には、つねに、馬耳東風なのでありました。
侘びしい。
自分には、女の千万言の身の上噺よりも、その一言の呟つぶやきのほうに、共感をそそられるに違いないと期待していても、この世の中の女から、ついにいちども自分は、その言葉を聞いた事がないのを、奇怪とも不思議とも感じております。けれども、そのひとは、言葉で「侘びしい」とは言いませんでしたが、無言のひどい侘びしさを、からだの外郭に、一寸くらいの幅の気流みたいに持っていて、そのひとに寄り添うと、こちらのからだもその気流に包まれ、自分の持っている多少トゲトゲした陰鬱の気流と程よく溶け合い、「水底の岩に落ち附く枯葉」のように、わが身は、恐怖からも不安からも、離れる事が出来るのでした。
あの白痴の淫売婦たちのふところの中で、安心してぐっすり眠る思いとは、また、全く異って、(だいいち、あのプロステチュウトたちは、陽気でした)その詐欺罪の犯人の妻と過した一夜は、自分にとって、幸福な(こんな大それた言葉を、なんの躊躇ちゅうちょも無く、肯定して使用する事は、自分のこの全手記に於いて、再び無いつもりです)解放せられた夜でした。
しかし、ただ一夜でした。朝、眼が覚めて、はね起き、自分はもとの軽薄な、装えるお道化者になっていました。弱虫は、幸福をさえおそれるものです。綿で怪我をするんです。幸福に傷つけられる事もあるんです。傷つけられないうちに、早く、このまま、わかれたいとあせり、れいのお道化の煙幕を張りめぐらすのでした。
「金の切れめが縁の切れめ、ってのはね、あれはね、解釈が逆なんだ。金が無くなると女にふられるって意味、じゃあ無いんだ。男に金が無くなると、男は、ただおのずから意気銷沈しょうちんして、ダメになり、笑う声にも力が無く、そうして、妙にひがんだりなんかしてね、ついには破れかぶれになり、男のほうから女を振る、半狂乱になって振って振って振り抜くという意味なんだね、金沢大辞林という本に依ればね、可哀そうに。僕にも、その気持わかるがね」
たしか、そんなふうの馬鹿げた事を言って、ツネ子を噴き出させたような記憶があります。長居は無用、おそれありと、顔も洗わずに素早く引上げたのですが、その時の自分の、「金の切れめが縁の切れめ」という出鱈目でたらめの放言が、のちに到って、意外のひっかかりを生じたのです。
それから、ひとつき、自分は、その夜の恩人とは逢いませんでした。別れて、日が経つにつれて、よろこびは薄れ、かりそめの恩を受けた事がかえってそらおそろしく、自分勝手にひどい束縛を感じて来て、あのカフエのお勘定を、あの時、全部ツネ子の負担にさせてしまったという俗事さえ、次第に気になりはじめて、ツネ子もやはり、下宿の娘や、あの女子高等師範と同じく、自分を脅迫するだけの女のように思われ、遠く離れていながらも、絶えずツネ子におびえていて、その上に自分は、一緒に休んだ事のある女に、また逢うと、その時にいきなり何か烈火の如く怒られそうな気がしてたまらず、逢うのに頗すこぶるおっくうがる性質でしたので、いよいよ、銀座は敬遠の形でしたが、しかし、そのおっくうがるという性質は、決して自分の狡猾こうかつさではなく、女性というものは、休んでからの事と、朝、起きてからの事との間に、一つの、塵ちりほどの、つながりをも持たせず、完全の忘却の如く、見事に二つの世界を切断させて生きているという不思議な現象を、まだよく呑みこんでいなかったからなのでした。
十一月の末、自分は、堀木と神田の屋台で安酒を飲み、この悪友は、その屋台を出てからも、さらにどこかで飲もうと主張し、もう自分たちにはお金が無いのに、それでも、飲もう、飲もうよ、とねばるのです。その時、自分は、酔って大胆になっているからでもありましたが、
「よし、そんなら、夢の国に連れて行く。おどろくな、酒池肉林という、……」
「カフエか?」
「そう」
「行こう!」
というような事になって二人、市電に乗り、堀木は、はしゃいで、
「おれは、今夜は、女に飢え渇いているんだ。女給にキスしてもいいか」
自分は、堀木がそんな酔態を演じる事を、あまり好んでいないのでした。堀木も、それを知っているので、自分にそんな念を押すのでした。
「いいか。キスするぜ。おれの傍に坐った女給に、きっとキスして見せる。いいか」
「かまわんだろう」
「ありがたい! おれは女に飢え渇いているんだ」
銀座四丁目で降りて、その所謂酒池肉林の大カフエに、ツネ子をたのみの綱としてほとんど無一文ではいり、あいているボックスに堀木と向い合って腰をおろしたとたんに、ツネ子ともう一人の女給が走り寄って来て、そのもう一人の女給が自分の傍に、そうしてツネ子は、堀木の傍に、ドサンと腰かけたので、自分は、ハッとしました。ツネ子は、いまにキスされる。
惜しいという気持ではありませんでした。自分には、もともと所有慾というものは薄く、また、たまに幽かに惜しむ気持はあっても、その所有権を敢然と主張し、人と争うほどの気力が無いのでした。のちに、自分は、自分の内縁の妻が犯されるのを、黙って見ていた事さえあったほどなのです。
自分は、人間のいざこざに出来るだけ触りたくないのでした。その渦に巻き込まれるのが、おそろしいのでした。ツネ子と自分とは、一夜だけの間柄です。ツネ子は、自分のものではありません。惜しい、など思い上った慾は、自分に持てる筈はありません。けれども、自分は、ハッとしました。
自分の眼の前で、堀木の猛烈なキスを受ける、そのツネ子の身の上を、ふびんに思ったからでした。堀木によごされたツネ子は、自分とわかれなければならなくなるだろう、しかも自分にも、ツネ子を引き留める程のポジティヴな熱は無い、ああ、もう、これでおしまいなのだ、とツネ子の不幸に一瞬ハッとしたものの、すぐに自分は水のように素直にあきらめ、堀木とツネ子の顔を見較べ、にやにやと笑いました。