はてなキーワード: 造作とは
陰謀論の話だ。
2016年の覚醒剤での逮捕から、2019年の解散、Chageへの批判、そして陰謀論への傾倒。
陰謀論を信奉する人々にとっては陰謀論こそが真実なのかもしれないが、「月は人工物」とまで言い出している。
私は90年代の後半、チャゲアスが全盛期を少し過ぎた、しかしそこにあった圧倒的な輝きがまだ感じられる頃にチャゲアスを聴いていた。
というか、姉がファンだったので、広く浅く当時の曲全体を聴く機会があった。
そして、その頃からどこかしら、こんな日が来ることを予感していた気がするのだ。
それについて少し書いてみたいと思う。
予め言っておくと、途轍もなく偏見まみれで客観性に欠けているので、その点ご了承されたい。異論は認めるけどスルー大推奨です。
ネットの掲示板にはAskaが圧倒的才能の持ち主で、Chageが凡庸のように書かれている。だが、当時の曲を聴いていた自分の見方からすると少し違う。二人の持ち歌やソロ曲はこんな感じだった。
<Aska>
・恋愛至上主義。
・ロマンチックなシチュエーションを好む女性や男性に対して強烈な訴求力がある。
・ソロ曲ではエッジはそこまで効いておらず、キレの良さがやや影を潜める。
・声がとにかく独特。一度聞いたら忘れない声。
・天然。高校時代、Chageの歌っていた井上陽水の「夢の中へ」を知らなかったという話があった気がする。
・案外Chageへの対抗意識が強い。ビートルズ的なサウンドを追求する人を否定する発言も。
・売れる。
<Chage>
・やや小賢しい。
・メロディラインが難解な曲を歌いこなすものの、ノリづらいこともある。
・エッジの効いた曲を作るが、本人の声は高音寄りで柔らかく、パンチ力はいまいちなことがある。
・稀にパンチ力極大になる。(ロマンシングヤード、NとLの野球帽など)
・冗談好きでトークが上手い。深夜ラジオのDJは相当人気があった。
・基本そんなに売れない。
とにかく、一般への訴求力という面からするとAskaの方が上回るが、ChageはAskaにない部分がある。
二人が揃うことで弱点を克服し長所を増幅させていたのだが、どうしてそれができたのかはなんとも説明しがたい、そんなデュオだった。
だがまあ、本題はAskaのことだ。
Askaの世界観は少女漫画とうちの母親は言っていた。少女漫画と呼ぶにはは多少の男っぽさもあるにせよ、テーマの中心は理想の恋愛と理想の自分、理想の「きみ」だ。
恋愛という場面において最高の自分を演じる、そのためのシチュエーションを紡ぎ出すことに凄まじく尖った才能を発揮していた。
ChageもAskaもイケメンではない、せいぜいフツメンだ。
どちらかというと面白い顔のChageと比べるとイケメン系ではあるAskaも造作が素晴らしいわけではない。そのイケメン性はもっぱら自己演出によるところが大きい。
ただしその自己演出も、当時ですらそんなに時代には合っていなかった。
いつか時代に完全に取り残された時に、イケメンでもなく最高の男でもなく、弱くなった自分と相対した時にこの人は音楽が作れるのだろうか。歌が歌えるのだろうか。
それから何十年も経った今がある。
彼の才能を輝かせるためには、「最高の恋愛」からインスピレーションを受け続けなければならない。
インスピレーションが枯渇すればなんとかしてそれを補わなければならない。
クスリでも不倫でも、許されることではないにせよ、それだけの刺激を得ていないと止まってしまう。泳ぐのを止めたら窒息して溺れる魚のように。
友達すらいるのだろうか。本当のところは曖昧ではあるにせよ、ヤクの売人に徹底的に漬け込まれたり、陰謀論者に取り込まれたりするところを見ると人間関係の頼りなさは明らかに気になるところだ。
そんな自分を支えて引き上げる手立てはおそらく彼にはない。井上陽水を知らなかったように、ビートルズ的なサウンドを否定したように、Askaの世界観は他の世界と切り離されている。Askaは奇妙に孤独で真空だ。
だから、今のAskaは、傍から見ると怪しげな陰謀論としか見えないそれを大事に抱えて生きて、未だに残るかもしれない才能の煌めきの残滓に火を灯し、その人生をその人生の通りに駆け抜けるしかないのだろう。
よく、理想の男性は早いうちに狩られるから市場にいる訳ないから女が育てろっていうけどさあ
そもそも人間のスペックって生まれた時点である程度決まってるよね?子供の頃は不明でも成人したら伸び代はそんなにない。
例えば25歳で身長160cmの男性が30歳までに180cmになれるかって言ったらまず無理じゃん。
学歴や収入にしたってそう。ストレートで入った大学や新卒時に就職した企業で決まってるから、それを彼女や奥さんがどうこうした所で伸びるものでもなくない?
学歴や収入は申し分なく、身長や元々の顔の造作には問題ないけれどやや太っているとか髪形やファッションがダサいとか、気が利かないとか家事能力には難がある程度っていうならば
そんな男性学生のうちにとっくに狩られてるだろ…って思うんだけど。実際、顔の造作が悪くなくて成績が良い男子は小学生でも既にモテてるよ。
市場に理想の男性がいないっていうならば、女が後から「育てる」事でどうこうなるレベルの男性だって、やっぱり市場にはいないでしょ。
「育てる」が仮に学生時代の話だとして、顔立ちや身長は既に決まっているし、学歴にしても彼女が応援したくらいで偏差値が劇的に上がるのはかなり難しくない?
長安の豪奢な生活は生前から有名で、『当代記』にその旨が幾つか書かれている。例えば毎年鉱山巡視の際には、遊女70~80人等を含めた250人(伝馬・人夫は別)を引き連れ、宿所も自身の代官所故に思うままの造作をしたとあり、路中の民は迷惑したとある。
家康がこのような長安の振る舞いをどの様に捉えていたかは不明である。『駿府記』『当代記』より後に編纂された『慶長年録』によれば、家康は長安の振る舞いを知っていたものの、長安が有能なため捨て置いて死後になって罪に問うたとされる。
また同書には、大久保忠隣と本多正信の不仲故に、正信が長安の死後に家康へ讒訴したともある。後者は『徳川実紀』にも引き継がれ、長安事件は忠隣改易も含め家康の意志によるものではなく、正信・正純の讒言が主因としている。
一切の奉行職を兼務していた長安の権勢は強大であったと言われる。また、7人の息子を石川康長や池田輝政の娘と結婚させ、忠輝と伊達政宗の長女・五郎八姫の結婚交渉を取り持ち、忠輝の岳父が政宗となったことから政宗とも親密な関係を築いていたと言われている。そのため、その権勢や諸大名との人脈から「天下の総代官」と称された。この頃、長安の所領は八王子8,000石(実際は9万石)に加えて、家康直轄領の150万石の実質的な支配を任されていたと言われている。
しかし晩年に入ると、全国の鉱山からの金銀採掘量の低下から家康の寵愛を失い、美濃代官を初めとする代官職を次々と罷免されていくようになる。さらに正室が早世するなどの不幸も相次ぐ中で、慶長17年(1612年)7月27日、中風にかかり、家康から烏犀円を与えられている(『駿府記』)[6]。慶長18年(1613年)4月25日、中風のために死去した[7]。享年69。
長安の死後に生前の不正蓄財が問われ、また長安の子は蓄財の調査を拒否したため、慶長18年(1613年)7月9日、大久保藤十郎、大久保外記、青山成国、大久保雲十郎、大久保内膳、大久保右京長清(越後在住)、男1人(播磨在住)[8]、以上7人は切腹となった。また大久保忠隣や縁戚関係の諸大名も改易などの憂き目にあった(大久保長安事件)。
別にオタクが垢抜けるべきとも思ってない。けど「女オタクはお洒落で可愛いか」と言われたら「(オタクたちの自認はどうであれ)そうでもない」という話。
やたらと外に厳しく身内で褒め合う文化がたまにキモく思うので、この機会に書いてみた。
ちなみにここで言う女オタクはほぼ二次元のオタクね。媚びるわけじゃなく、三次元の男性アイドルのライブに行ったときは可愛い子が多いと感じたよ。
ーーー
私は女オタク界をベースにしつつ三次元の最推しが女子アイドル(グラドルも)な時期が長かったので、男オタクとの接触機会もある方。男オタクは本当に、見た目に1mmも気を遣ってない人、いる。見た目っていうかお風呂とか歯磨きとか衛生全般?やらなくてもバレないと本人だけが信じてるように見える、職場とかマジでどうしてるんだよ…?って人いてビビる。もちろんそんな人は一部だけど、一部が強烈なインパクトを残してるのと、微妙〜〜に匂うシャツを着た人が集まっちゃうことで全体的に臭い集団が出来あがっちゃってる感じ。世の平均が50点だとしたら、やべぇ奴の比率が高すぎるので20点くらいになってる印象。
一方で女オタクで、衛生やばい系の匂いを放つ人はほぼいない(ゼロではない)と言って良い。つけ慣れてない香水(キャラ香水)をつけすぎて臭い人はいる。あとはぽっちゃりロリータ、変なアクセサリー、ちぐはぐコーデな女がちらほら。女オタクお洒落〜というのは嘘。垢抜けない自称童顔が多い印象。あまりに垢抜けてなさすぎる人、年齢不詳に見えるんだけど、上に外すと気まずいからみんな下目に言うんだよ。子供にもおばさんに見える人、いるよね。
悪目立ちする男オタクはファッション(と、衛生…)についてセンスも興味もない結果という印象だけど、悪目立ちする女オタクはファッションに興味はなくもなく、ただセンスが悪い。髪や眉毛にオタク感出るのは本当。やり慣れてないヘアアレンジ、(アイメイク盛るのに)眉だけぼさぼさor今時いじりすぎの細眉など。いじりすぎ細眉、角度やばい人こそ、自称「オタクに見えない」美容好きだったりするのでズレてるなと思う。
本当に興味がなくてノーメイク全身ユニクロな感じの人は全然浮いてない。というか、そういう人はあんまりどこにいても浮かないけどね。
女オタクお洒落は嘘だけど、チラホラマジで可愛い人もいる。そういう人が平均を上げても、全体で見れば一般平均50点の女オタク平均42点っかんじ。
あとこれは男女問わずだけど、オタクが身内を褒めるイケメン、美女はハードル低すぎ。男オタクの
身内で言われるイケメンは外で普通に営業とかできるレベルの清潔感で、一般的に普通の域を出ない人をイケメンイケメン持て囃してるし、女オタクの言う美女は「美女って言われたい人」だと思う。顔の造作やセンスじゃなく、美容への努力が見える人。美人ではなくても美人と褒められたいのが伝わってくる。褒めざるを得ないタイミングってある。
で、ここからは私見なんだけど、男子は見た目に気を使うことをカッコ悪いと思っていて、女子は「普段はパッとしないけどいざ本気出すと…!」的な展開に憧れを持っているんだろうなと感じる。普段パッとしない人は、気合い入れてもパッとしないんだけどね。顔の造作は言わずもがな、やり慣れてないから違和感あるし、きょどってる(これは私のこと)。毎日練習してるレギュラーと幽霊部員で大会の時だけ本気出す!という部員、どちらが上手いか考えればわかる話。メイクなんて技術だしさ
ここまで書いてる私も垢抜けないオタクだし、臭くなければいいと思うけど、オタク内輪の見た目の褒め合いはかなりズレてて厳しい…と思っているって話です。
三四郎はあきれ返ったような笑い方をして、四人のあとを追いかけた。四人は細い横町を三分の二ほど広い通りの方へ遠ざかったところである。この一団の影を高い空気の下に認めた時、三四郎は自分の今の生活が熊本当時のそれよりも、ずっと意味の深いものになりつつあると感じた。かつて考えた三個の世界のうちで、第二第三の世界はまさにこの一団の影で代表されている。影の半分は薄黒い。半分は花野のごとく明らかである。そうして三四郎の頭のなかではこの両方が渾然として調和されている。のみならず、自分もいつのまにか、しぜんとこの経緯のなかに織りこまれている。ただそのうちのどこかにおちつかないところがある。それが不安である。歩きながら考えると、いまさき庭のうちで、野々宮と美禰子が話していた談柄が近因である。三四郎はこの不安の念を駆るために、二人の談柄をふたたびほじくり出してみたい気がした。
四人はすでに曲がり角へ来た。四人とも足をとめて、振り返った。美禰子は額に手をかざしている。
三四郎は一分かからぬうちに追いついた。追いついてもだれもなんとも言わない。ただ歩きだしただけである。しばらくすると、美禰子が、
「野々宮さんは、理学者だから、なおそんな事をおっしゃるんでしょう」と言いだした。話の続きらしい。
「なに理学をやらなくっても同じ事です。高く飛ぼうというには、飛べるだけの装置を考えたうえでなければできないにきまっている。頭のほうがさきに要るに違いないじゃありませんか」
「そんなに高く飛びたくない人は、それで我慢するかもしれません」
「そうすると安全で地面の上に立っているのがいちばんいい事になりますね。なんだかつまらないようだ」
「女には詩人が多いですね」と笑いながら言った。すると広田先生が、
「男子の弊はかえって純粋の詩人になりきれないところにあるだろう」と妙な挨拶をした。野々宮さんはそれで黙った。よし子と美禰子は何かお互いの話を始める。三四郎はようやく質問の機会を得た。
「今のは何のお話なんですか」
「なに空中飛行機の事です」と野々宮さんが無造作に言った。三四郎は落語のおちを聞くような気がした。
それからはべつだんの会話も出なかった。また長い会話ができかねるほど、人がぞろぞろ歩く所へ来た。大観音の前に乞食がいる。額を地にすりつけて、大きな声をのべつに出して、哀願をたくましゅうしている。時々顔を上げると、額のところだけが砂で白くなっている。だれも顧みるものがない。五人も平気で行き過ぎた。五、六間も来た時に、広田先生が急に振り向いて三四郎に聞いた。
「いいえ」と三四郎があとを見ると、例の乞食は、白い額の下で両手を合わせて、相変らず大きな声を出している。
「やる気にならないわね」とよし子がすぐに言った。
「なぜ」とよし子の兄は妹を見た。たしなめるほどに強い言葉でもなかった。野々宮の顔つきはむしろ冷静である。
「ああしじゅうせっついていちゃ、せっつきばえがしないからだめですよ」と美禰子が評した。
「いえ場所が悪いからだ」と今度は広田先生が言った。「あまり人通りが多すぎるからいけない。山の上の寂しい所で、ああいう男に会ったら、だれでもやる気になるんだよ」
「その代り一日待っていても、だれも通らないかもしれない」と野々宮はくすくす笑い出した。
三四郎は四人の乞食に対する批評を聞いて、自分が今日まで養成した徳義上の観念を幾分か傷つけられるような気がした。けれども自分が乞食の前を通る時、一銭も投げてやる了見が起こらなかったのみならず、実をいえば、むしろ不愉快な感じが募った事実を反省してみると、自分よりもこれら四人のほうがかえって己に誠であると思いついた。また彼らは己に誠でありうるほどな広い天地の下に呼吸する都会人種であるということを悟った。
行くに従って人が多くなる。しばらくすると一人の迷子に出会った。七つばかりの女の子である。泣きながら、人の袖の下を右へ行ったり、左へ行ったりうろうろしている。おばあさん、おばあさんとむやみに言う。これには往来の人もみんな心を動かしているようにみえる。立ちどまる者もある。かあいそうだという者もある。しかしだれも手をつけない。子供はすべての人の注意と同情をひきつつ、しきりに泣きさけんでおばあさんを捜している。不可思議の現象である。
「これも場所が悪いせいじゃないか」と野々宮君が子供の影を見送りながら言った。
「いまに巡査が始末をつけるにきまっているから、みんな責任をのがれるんだね」と広田先生が説明した。
「わたしのそばまで来れば交番まで送ってやるわ」とよし子が言う。
「じゃ、追っかけて行って、連れて行くがいい」と兄が注意した。
「追っかけるのはいや」
「なぜ」
「なぜって――こんなにおおぜいの人がいるんですもの。私にかぎったことはないわ」
「やっぱり場所が悪いんだ」と野々宮が言う。男は二人で笑った。団子坂の上まで来ると、交番の前へ人が黒山のようにたかっている。迷子はとうとう巡査の手に渡ったのである。
「もう安心大丈夫です」と美禰子が、よし子を顧みて言った。よし子は「まあよかった」という。
坂の上から見ると、坂は曲がっている。刀の切っ先のようである。幅はむろん狭い。右側の二階建が左側の高い小屋の前を半分さえぎっている。そのうしろにはまた高い幟が何本となく立ててある。人は急に谷底へ落ち込むように思われる。その落ち込むものが、はい上がるものと入り乱れて、道いっぱいにふさがっているから、谷の底にあたる所は幅をつくして異様に動く。見ていると目が疲れるほど不規則にうごめいている。広田先生はこの坂の上に立って、
「これはたいへんだ」と、さも帰りたそうである。四人はあとから先生を押すようにして、谷へはいった。その谷が途中からだらだらと向こうへ回り込む所に、右にも左にも、大きな葭簀掛けの小屋を、狭い両側から高く構えたので、空さえ存外窮屈にみえる。往来は暗くなるまで込み合っている。そのなかで木戸番ができるだけ大きな声を出す。「人間から出る声じゃない。菊人形から出る声だ」と広田先生が評した。それほど彼らの声は尋常を離れている。
一行は左の小屋へはいった。曾我の討入がある。五郎も十郎も頼朝もみな平等に菊の着物を着ている。ただし顔や手足はことごとく木彫りである。その次は雪が降っている。若い女が癪を起こしている。これも人形の心に、菊をいちめんにはわせて、花と葉が平に隙間なく衣装の恰好となるように作ったものである。
よし子は余念なくながめている。広田先生と野々宮はしきりに話を始めた。菊の培養法が違うとかなんとかいうところで、三四郎は、ほかの見物に隔てられて、一間ばかり離れた。美禰子はもう三四郎より先にいる。見物は、がいして町家の者である。教育のありそうな者はきわめて少ない。美禰子はその間に立って振り返った。首を延ばして、野々宮のいる方を見た。野々宮は右の手を竹の手欄から出して、菊の根をさしながら、何か熱心に説明している。美禰子はまた向こうをむいた。見物に押されて、さっさと出口の方へ行く。三四郎は群集を押し分けながら、三人を棄てて、美禰子のあとを追って行った。
ようやくのことで、美禰子のそばまで来て、
「里見さん」と呼んだ時に、美禰子は青竹の手欄に手を突いて、心持ち首をもどして、三四郎を見た。なんとも言わない。手欄のなかは養老の滝である。丸い顔の、腰に斧をさした男が、瓢箪を持って、滝壺のそばにかがんでいる。三四郎が美禰子の顔を見た時には、青竹のなかに何があるかほとんど気がつかなかった。
「どうかしましたか」と思わず言った。美禰子はまだなんとも答えない。黒い目をさもものうそうに三四郎の額の上にすえた。その時三四郎は美禰子の二重瞼に不可思議なある意味を認めた。その意味のうちには、霊の疲れがある。肉のゆるみがある。苦痛に近き訴えがある。三四郎は、美禰子の答を予期しつつある今の場合を忘れて、この眸とこの瞼の間にすべてを遺却した。すると、美禰子は言った。
「もう出ましょう」
眸と瞼の距離が次第に近づくようにみえた。近づくに従って三四郎の心には女のために出なければすまない気がきざしてきた。それが頂点に達したころ、女は首を投げるように向こうをむいた。手を青竹の手欄から離して、出口の方へ歩いて行く。三四郎はすぐあとからついて出た。
二人が表で並んだ時、美禰子はうつむいて右の手を額に当てた。周囲は人が渦を巻いている。三四郎は女の耳へ口を寄せた。
女は人込みの中を谷中の方へ歩きだした。三四郎もむろんいっしょに歩きだした。半町ばかり来た時、女は人の中で留まった。
「ここはどこでしょう」
「こっちへ行くと谷中の天王寺の方へ出てしまいます。帰り道とはまるで反対です」
「そう。私心持ちが悪くって……」
三四郎は往来のまん中で助けなき苦痛を感じた。立って考えていた。
「どこか静かな所はないでしょうか」と女が聞いた。
谷中と千駄木が谷で出会うと、いちばん低い所に小川が流れている。この小川を沿うて、町を左へ切れるとすぐ野に出る。川はまっすぐに北へ通っている。三四郎は東京へ来てから何べんもこの小川の向こう側を歩いて、何べんこっち側を歩いたかよく覚えている。美禰子の立っている所は、この小川が、ちょうど谷中の町を横切って根津へ抜ける石橋のそばである。
「もう一町ばかり歩けますか」と美禰子に聞いてみた。
「歩きます」
二人はすぐ石橋を渡って、左へ折れた。人の家の路地のような所を十間ほど行き尽して、門の手前から板橋をこちら側へ渡り返して、しばらく川の縁を上ると、もう人は通らない。広い野である。
三四郎はこの静かな秋のなかへ出たら、急にしゃべり出した。
「どうです、ぐあいは。頭痛でもしますか。あんまり人がおおぜい、いたせいでしょう。あの人形を見ている連中のうちにはずいぶん下等なのがいたようだから――なにか失礼でもしましたか」
女は黙っている。やがて川の流れから目を上げて、三四郎を見た。二重瞼にはっきりと張りがあった。三四郎はその目つきでなかば安心した。
「ありがとう。だいぶよくなりました」と言う。
「休みましょうか」
「ええ」
「もう少し歩けますか」
「ええ」
「歩ければ、もう少しお歩きなさい。ここはきたない。あすこまで行くと、ちょうど休むにいい場所があるから」
「ええ」
一丁ばかり来た。また橋がある。一尺に足らない古板を造作なく渡した上を、三四郎は大またに歩いた。女もつづいて通った。待ち合わせた三四郎の目には、女の足が常の大地を踏むと同じように軽くみえた。この女はすなおな足をまっすぐに前へ運ぶ。わざと女らしく甘えた歩き方をしない。したがってむやみにこっちから手を貸すわけにはいかない。
向こうに藁屋根がある。屋根の下が一面に赤い。近寄って見ると、唐辛子を干したのであった。女はこの赤いものが、唐辛子であると見分けのつくところまで来て留まった。
「美しいこと」と言いながら、草の上に腰をおろした。草は小川の縁にわずかな幅をはえているのみである。それすら夏の半ばのように青くはない。美禰子は派手な着物のよごれるのをまるで苦にしていない。
「もう少し歩けませんか」と三四郎は立ちながら、促すように言ってみた。
「ありがとう。これでたくさん」
「やっぱり心持ちが悪いですか」
三四郎もとうとうきたない草の上にすわった。美禰子と三四郎の間は四尺ばかり離れている。二人の足の下には小さな川が流れている。秋になって水が落ちたから浅い。角の出た石の上に鶺鴒が一羽とまったくらいである。三四郎は水の中をながめていた。水が次第に濁ってくる。見ると川上で百姓が大根を洗っていた。美禰子の視線は遠くの向こうにある。向こうは広い畑で、畑の先が森で森の上が空になる。空の色がだんだん変ってくる。
ただ単調に澄んでいたもののうちに、色が幾通りもできてきた。透き通る藍の地が消えるように次第に薄くなる。その上に白い雲が鈍く重なりかかる。重なったものが溶けて流れ出す。どこで地が尽きて、どこで雲が始まるかわからないほどにものうい上を、心持ち黄な色がふうと一面にかかっている。
「空の色が濁りました」と美禰子が言った。
https://anond.hatelabo.jp/20240222205307
街の動物愛護センターからお迎えした時は両の手のひらにのるくらいのこねこだったのですが、まるまるしていたおなかもシュッとしてきて、とても素敵なわかねこになりました。センターのスタッフの方からはちょっとひかえめな子なのでと伺っていましたが、びびりちゃんだったのは最初の1週間だけで、いまでは増田が夕刻帰宅して玄関を開けるトトトトとお迎えに駆け寄ってくれますし、そのあと増田の足元をくるくるまとわりつきながら勢いよく倒れ込んで白いおなかを上にするので、増田もすかさずただいまのあいさつと共に全身を撫で回したりしています。増田のねこはいわゆる縞みけでキジトラと茶トラと白の三色毛皮なのですが、背中の模様はキジトラと茶トラがマーブル模様のように混ざり合っていてまるでめのうのように美しいので、増田は今日もきれいだねえかわいいねえと唱えつつ白いおなかとマーブルの背中を交互に撫で回してからばんごはんのパウチを召し上がっていただく準備を始めます。増田のねこもごはんよりもこの帰宅時のご挨拶を大事にされているので、手を抜くわけにはいかないのです。
増田には長く一緒にくらしていた先代ねこがいたのですが、街中で唐突に出会って勢いで共同生活が始まることになった先代とは違って、二代目は乞うて動物愛護センターから来ていただいているわけなので、やはりきちんとおもてなししたいですし、しないとダメだと思うのです。まあこちらも先代とは20年以上も共に暮らしていたものですから、遊びだろうがブラッシングだろうが所望されたら即対応することなど造作もありません。彼女のほうも遊びたいときには遊びたいおもちゃをくわえてやってきて、増田の目を見ながらぽとりと落としたりするくらいではあるので、「まあいっしょに暮らしてやらないでもない」くらいには感じてもらっていると良いなあと増田は思っています。ただ、ねこ一匹ひと一人の生活なので、コロナ禍から社会が通常に戻るにつれてねこに留守番をお願いすることも増えてきてしまいました。先日はとうとう初めて一泊二日の留守番をお願いしてしまったのですがとてもよいこで待っていてくれました。まあ帰宅時のご挨拶はちょっと長めを要求されましたが。
ねこからしてみると、人間なんてでかいだけの愚鈍な生物に見えていると思うのですが、それでも撫でてもらいたいときは廊下の真ん中でおなかをだして横たわればいいし、あそんで欲しい時はひもなりなんなりをくわえてきて見えるところに落としておけばいい。といった形でねこが増田のことを理解している。ということは増田がきちんとねこの期待通りの働きをしていて、彼女の信頼に値する所作ができているということなのではないでしょうか。それはとても素晴らしいことだと思います。
先代もとても素敵なねこだったのにさらに輪をかけてすてきなねこをお迎えすることができるなんて、NNNがちょっと増田をひいきしすぎている点についてはみなさまに対して大変申し訳なく感じているわけですが、こればかりはどうしようもないので、引き続き仲良く暮らしていこうと思います。以上よろしくお願いいたします。
ここまでの進捗状況をご報告いたします。
無事に造作が終わりました。最上段の板を取り外し、長さ20㎝の角材を2つ重ねてビス止めして高さを上げました。NV-BOX#13が入る高さができました。だがしかし、横向きのNV-BOX#13は幅がありすぎるので、システムコンテナBOX#10を買い求めました。楽天で白色のものがあったので、こちらをチョイス。夏場の水温上昇にも安心です。
こちらも無事に終了。緩い階段部分に作った脚の長さ異なる部分を撤去してシンプル化。両脇の棚の脚を生かして、棚板を載せるような構造に変更。1x1材で節約した部分を撤去、脚を最上段まで延長し、2x4材で作り直し、棚の構造を強化しました。
棚が水槽の重みで後ろに傾いてきたので、砂利を入れてレンガで叩いて地盤を強化しました。棚の上の段から水を流したときに水平が出ていないと水が狙った場所に落ちていかないのです。
ニトリの白い衣装ケース。幅が40cmくらいで36Lタライの上段に設置するのに都合がよいです。底の腹の部分が引っ込んでいて、奥行き20cmの板の上載せるとこの腹の部分がシンデレラフィットして安定感が抜群です。幅が倍のタイプもあり気になります。
紫外線にやられてしまい、水が入ったまま持ち上げたら、バリバリっと割れました。1シーズンの命でした。壊れたのは10個中の2個です。黒いトロファストは元気です。昨年の秋にイケアがある街にいったときに買い増したので、数は足りています。トロファストのサイズ感は、針子から成魚まで対応できて便利です。冬越しにも対応しました。色はグレーか黒がおすすめかも。
4段化した棚、ニトリの白い衣装ケース→システムコンテナBOX#10→36Lタライ→36Lタライの順に水が落ちていきます。昨年は、最上段がセリアのスタッキングボックスでしたが、すべてのスタッキングボックスに水を灌ぐとその下の段以下のタライに落ちる水量がまちまちになってしまうので、上段から下段まで同じ水量で落ちるようにしました。これで、あふれることもなくなるかと思います。次回、給水用の配管を作るときにはコックの数を大幅に減らせそうです。
葉っぱや花から溶け出す成分が強烈なのか、強風で落ちた葉っぱがタライに入ると急速に水質が悪化するようです。容器が2つ崩壊しました。
トロファストとニトリケースの増備で、スタッキングボックスとNV-BOX#13が余剰が発生するようになってきました。これらの容器だけを収容する棚を作ろうかと画策中です。プロのメダカ屋さんのお話の通り、稚魚もどうせ大きくなるのだから、親魚と同じ容器でいいとの意見があるので、やっぱり余剰容器は引退かも。
ひっそりとやっていたメダ活ですが、買い物途中のおばちゃんに見つかり売ってくれと言われるイベントが発生。どこかに週末だけとか出店してみたいですね。
彩姫という検索しにくいネーミングのエサ。ユーチューバーとか地下アイドルみたいな人をかき分けて、メーカーの開発情報に到達。新開発らしいのとグラム当たりの価格のバランスがよかったので、注文してみました。届くのが楽しみ。
ムクドリが板をかけていないタライへダイブして、メダカを捕食しようとしているところを目撃。メダカはウィローモスの間に隠れて無事でした。
トロファスト、工具箱、タライを多段化、最上段から朝晩の自動給水、タライ内はベアタンク運用、針子用に小さい睡蓮を入れる、容器の上には杉板で半分くらい覆い日陰を作り、鳥の襲撃を防ぐ。エサはキョーリンのヒカリ メダカのエサ産卵・繁殖用、メダカの舞ベビー
気温も23度を越え、昼の時間も長くなってきました。採卵シーズンが到来です。1ヶ月かけて準備が整いました。シーズンスタートです。水量が多いトロファスト比率が上がったので、今年は親抜き中心にやってみたいと思います。
女って維持費がめちゃくちゃかかる
しかも費用対効果がめちゃくちゃ悪い ほんのちょっとの効果を出すのに莫大な費用と労力がかかる
そもそもイメージ上の「女」ってのが17〜21歳くらいのクラスで3番目までくらいにかわいい子(具体的に言うとAKB)が普通の基準になっていて、あらゆる年代、容姿の女がそこから外れないように躍起になってる気がする
どんだけ費用対効果が悪いかって、まず「サラサラツヤツヤのストレートヘア」ってのが幻想であり(その証拠に昭和の大女優の写真を見ても髪の毛は大抵ボサボサしている)、手に入れるためにはものすごい金銭的時間的コストがかかるのである
人にもよるが、まず消耗剤だけで毎月の美容院でのストレートパーマとトリートメント、家用の高いシャンプーとトリートメント、ヘアミルク等のアウトバストリートメント、ツヤ出し用のオイルやスプレー、その他にセット用のスタイリング剤やアホ毛直し剤がいる
道具代としては、ドライヤー、櫛、ヘアアイロンも各数万円とかする
恐ろしいのは、これらのコストをかけているのが一部の容姿を商売にしている女だけではなく、(全部ではないとしても)一般的な学生や会社員の女がそこそこ小綺麗な見た目を保とうとするとこれらのコストがかかるのである
こんだけお金も時間もかけたら爆裂に美しくなるべきじゃないか?と思うが、手に入るのは最低限の女の子っぽい見た目である
これは髪の毛に限らず、肌とか顔の造作とか体型とかも同様である
というかコスパの悪さとしては肌なんか数段上で、ほんのちょっとの違いのためにみんな何十万もかけて美容医療とか美容液などに手を出しているのである
じゃあ思い切って全てを諦めて無造作なショートカットにスッピン、ガサガサの肌、ボーボーの髭や腕毛やすね毛で男と見分けがつかないような姿で生きていけるか?というと、その選択をできる女は少数なのである
そんなん好きにしたらええがな(終)
いや、終わらない。
かれこれ前のこと、航空機の座席に備え付けてある冊子で、養老孟司が「脳に旅をさせよう」のようなタイトルで2〜3ページ書いているのを読んだ。
機内誌への寄稿なので、「移動」して脳を刺激を与えることがいかに必要かが書いてあったんだろう。氏なりに脳が移動することの意味を巧みに解説してあった気もする。特定班でもいるなら調べてほしい。
人はなぜ旅をするのか。やんなきゃ心が死ぬからかな。人によれば、一心不乱に専門領域の知的な探究に埋没し、象牙の塔で生涯を終えてなんの過不足もない、ということもあるだろう。けれどもなんてことのない日常で、思惑の合間に、何か必要な物資を買いに行く馴れた道すがら、普段見かけない渡り鳥を河川に見るかも知れないし、季節の草木を見て心に揺らぎを感じるのかも知れない。それで停止していた何かが始動したり、爆ぜていた衝動を和らげたりするなど、回復やら安定やら向上の時を得てしまうことだってあるだろう。むしろそれが、意識すらされないほど日常には繁多にあって、捉えようによっては旅とも言い得るが、あまりにも当然のことで忘れ去られるために意識にも刻まることもない、流れる風景の瞬きのような。そんな旅ならざる旅もあるだろうさね。
令和、旅すらも他者に自己を宣伝するためのバエ文化の手段なので、とりあえずその場所に行って、所定の写真を撮影し、あのインフルエンサーが投稿していたレストランのあのメニューもバエて、無事帰国/帰宅することに尽きる。土産話は、多数の嫉妬心を催すために聞かれるまでは答えるべからずセンシティブ事項なのか、主要なトピック以外の、壁の亀裂や石畳の隙間の土に生える雑草のようなディテールを知らせてくれる人は稀有。USSR。ウルティメットスーパースペシアルレア。
作業用にね、よく喋る演者のYouTubeの旅動画を流すんだけど、調べの不足や誇張、思い込み、「世間のイメージと違う」も違うだろ問題などなど、「こ、これが再生回数の力か…!?」となる。勿体ない。そんなものを見ている自分の時間が勿体ない。
そもそもの、それなりに時間を要する旅をすると、常に快適にとはならない。汚れた下着をすぐに替えて換気の良い浴室の脱衣カゴに投げ込めない。ポリ袋やチャック袋に密封して一緒に旅するんやんな。糠床を携えて明るい未来へと突き進むんや。エアコンがない、シャワーも出ない。Wifiない。くさい。我くさい。我くさい、故に他人の視線が気になる。
洗面台とは別のメイク用の鏡の前に化粧品を領域展開して精巧な意匠を造作しちゃえるようなラグジュアリな旅行なら出来るかもよね…
スタンド・バイ・ミーやイージーライダーが青春映画だと言われて今は納得出来る。中学高校の頃にそう言われてもピンとはこなかったと思う。へえ。青春とは死体を探して線路の上を歩くことなんですか。しょーもな。って。
例えば土曜の部活をサボって多摩川をチャリで下った思い出がある。
車のディーラーやファミレスがセーブポイントのように点在するばかりの幹線道路。歩いていてここは自分の居場所じゃないと思ってしまうような他所の住宅街。近くをウロウロしていても楽しくはない。Googleマップで面白そうな場所を探しても、近しい範囲に目ぼしいスポットはない。晩飯の時間もあるしそう遠くは行けない。
フラフラとチャリを漕いでいたらデカい川に辿り着く。見飽きた退屈な通りに比べたらなんだか妙に魅力的に見える。今日は半ドンで時間もあるし海でも目指してやろうって思う。
最初は楽しいけれど、すぐに川の流れも見飽きてくる。陸側の景色も「無」のような国道を挟みつつ、マンションか物流の倉庫か謎の事務所かの繰り返し。全部やたらと横にデカい。大きめの駅があるらしい、高い建物の密集する地帯が時々近付いては遠ざかっていく。
途中休んで水切りでもしてやろうかと思うけど、良さげなスポットは釣り人や浮浪者や遊び回るガキがいて近寄り難い。陰気な高校生が一人で水遊びするのもなんだか気恥ずかしい。
段々海を見ようと息巻いた気持ちも静まってくる。楽しさもなくなってただチャリを漕いでいると、段々漠然とした焦燥感のようなものが湧き上がってくる。「こんな事してる場合か?」って気持ちになる。先駆的覚悟だとか自己実現だとか、そんなような根源的な焦りや不安。大人になったら人から借りたそういう陳腐な言葉で片付けてしまうようなもの。常日頃感じつつ蓋をして押さえつけていたものが暴れだす。
焦燥感に駆られてペダルを漕ぐまま、結局晩飯の時間を考えて世田谷辺りで折り返した。海というゴールを迎えてればまた少し違う思い出になってたかもしれない。
後日友達にチャリで多摩川を20km下ったんだよと言って、バカでえと笑われた。その時はその程度の出来事だった。
後になってスタンド・バイ・ミーという映画を観て、それが青春作品に分類される事を知った。死体も拳銃も劇的な出来事も無かったけれど、華やかなものではなかったけれど、あれは紛れもない青春だったのではないかと思った。
川沿いを走るでもなく死体を探すんでなくても、別な形で同じ様な青春を過ごした人は沢山いるのかもしれない。抽象的な焦りではなく、進路考えないとだとかもっと具体的だったり切迫した悩みだったかもしれない。あの時の思い出はおれだけの宝物だと思っているけれど、誰でも似たようなことを経験するからこそ青春という言葉があって、スタンド・バイ・ミーも青春作品として支持されているのかもしれない。
先週大学をサボって多摩川をほっつき歩いてみた。あの頃感じた焦燥感が薄かった。
今は門限もなければ外食代くらい訳ないし、電車に乗れば海へ行くのも造作ない。自己実現が僅かにでも進んでいるから焦りが減ったのかもしれない。諦めたか、妥協を受け入れてしまったか、忘れ去ってどうでもよくなってしまったのかもしれない。
ナイーブな悩みにあまりしがみつきすぎない方が良いと思える程度のバランス感覚は手にしたような気がするし、それをすっかり捨てたら人間として終わってしまうような気もしている。
茜色の夕日を見て、短い夏が終わったのに子供の頃の寂しさがないことを少し思い出した志村正彦も似たような気持ちだったんだろうか。
青春と銘打って鮮やかに彩色してしまいがちだけれど、当時抱いた決して明くはないあの気持ちは忘れずにとっておきたい。それを忘れてしまったら、あの頃忌み嫌っていた、お前は子供エアプなのかよと思うような大人になってしまいそうな気がする。
明るい結末に終わらないアメリカンニューシネマも後味が悪い所はあるけど、その居心地の悪さは当時体験した青春への誠実さだと思うのでおれは好き。
K子との出会い
私がK子と出会ったのは、まだ雪の残る3月上旬、札幌のすすきのでのことであった。
K子は、私がごくたまに寄るカフェ兼バーでウエイトレスをやっていた。
年は30歳、身長157cm。体型はややガッチリタイプに見え、いわゆる固太りに近かった。
顔はまぁまぁ整ってはいたが、頭部はアメフトのボールのように大きかった。
完璧なメイクを追求してるようで、白塗りの土台が厚く、丸い輪郭が、さらに強調されていた。
キッチリ描いた眉に、メリハリをつけたアイライン。目元周りには、そのひとのお化粧への設計意図が表れるものだがK子の場合それは、顔の大きさを、目を拡大させることでごまかそうとする意図だった。
それとK子のメークには、悪い意味でのバランス感覚という特徴も見られた。
あちらとこちらの均衡を保とうとして、薄くするのではなく、厚く盛る方にいってしまうのである。
さらにK子は勤務中はロングヘアーをタイトに縛ってるので、目元が上がって鋭角的になるのだが、これがふしだらで好色な印象を与えかねない外見になってしまうのだ。
それはせっかくのよい素材での料理を、調理でなくソースで惑わし、お門違いの高級感を添えたつもりの洋風メニューのようだった。
白人の風貌という、ないものねだりを追いかけた挙句、醜くなってしまったマイケルジャクソンのようであった。
K子は、そんな女だった。つまり、どこにでもいるひとだ。
K子はその日も普段どおり給仕をしていた。時刻は夜の9時。私のオーダーはグラスビールだった。
私のテーブルにもやってきた、そこで2人は始めて目を合わせた。
するとK子は私の顔を見るなりハッとした顔をして上背をやや引いた。私は「ああまたか」と思った。
なにが「またか」なのか。それはその時の私の顔が彼女にはイケメンに写った、ということの了解である。
断っておくがこれは自慢ではない。なぜなら、こうしたことは4年に一度、つまりオリンピック開催と同じ頻度でしか、私に訪れないからだ。「またか」と感じるのは、4年がさほど長くも感じられない私なりの時性であって、傲慢の致すところではない。
毎日のようにこういうことが起きる人を、真のイケメンというのだが、この程度のいわば「プチ・イケメン」なら今のご時世、結構いそうである。
私の顔は、それどころかまぁどちらかといえばブサメンである。口が飛び出た造作が特徴で、唇も厚い。佐藤浩市の2倍は厚い。
このせいで、顔の下部にボリュームが出てしまい、シャープには見えないモヤッとした風貌になっている。
たとえるなら、ガリガリ君のような輪郭であるし、佐藤浩市の親父の三國連太郎みたいでもある。
芋というか、類人猿、合わせればゴリライモ。私はそんな顔なのである。そしてもちろん、あなたに「そんなことないよ」といってほしい、そんなケチな性分も持ち合わせているのだ。そこがまた醜い。
ここ20年ほどで男もするようになった「化粧」とは、もともと目立たないもの(一重まぶたなど)を、まやかしの力で輝かせる補正技術だと思うが、私の口元のように、はじめから飛び出ているものを、平たく目立たせずに抑制する用法には、それはまったくといっていいほど役立たない。
しかし男の場合、三國連太郎がそうであったように、また、佐藤浩市がそうであるように、絶対的なブ男というものはいない。バナナマンの日村も最初見たときはびっくりしたが、慣れれば愛嬌がある顔である。
男は、風貌をある水準(清潔感と常識のあるファッションセンス、そして似合う髪型、できれば細身)まで満たせば、異性にアピールできてしまうのである。ここらへんが女子と違う。無愛想でもある程度はイケてしまうということだ。かくして私のような者でも、こうしたラッキータイミングが巡ってくるときがあるのである。
さて私にハッとして頂いた女子に対しては、私はだいたい挨拶をするようにしている。
ここでいう挨拶とは、店や本人の迷惑にならぬよう気を遣いながら、名刺を手渡すことだ。
できれば一言添える「もし、よろしければ、お近づきになれれば…」みたいなことだ。
ハッとする、させるというのは直感の神秘である。人間のあまたある能力のうちでも一二を争うような、めちゃめちゃものスゴい、宇宙の誕生レベルの認識だ。
人間(じんかん)にヴァイヴレーションが伝播する。あるひとがある人の存在にピン!とくれば、その相手にも同じピン!が、誤解も曲解もなく瞬時に伝わる。だれも解明できない感覚。こうした体感に対しては対象化なぞハナから諦め、人として素直にしたがい、謝辞を述べるのがスジというものであろう。
とりあえず自分を規定する第一歩として世の中には名前というものがある以上、名乗る。
「4年に一度」がいつなんどき訪れるやもしれない。そんなときのために財布に名刺を2~3枚入れておく。
こうしたなんでもない普段の心がけが、出会いを引き寄せる具体的な手段なのだ。
こうした縁で、私はK子と付き合った。世間には「よくまぁこんなサエないのと一緒になったなぁ」というのが男女問わずいるが、なんのことはない自分もその仲間入りであり、K子の方でもそう思うときがあったかもしれない。つまり、サエないのはお互い様だったのである。最初のうちは。
だがしばらくすると私にはK子の大きい顔と太い骨格が、次第にいとおしく写ってきた。
そして次に、それがかけがえのない尊さに思えてきた。
というのも付き合い始めてすぐに気づいたことだが、K子は私と最初に目が合ったホンの0.1秒の閃き、焦点で、自分の開削に成功した、まったく優れた女だったのだ。
私との邂逅によってポン!と新規開設された自我内の回路に、まったく純粋に従った。
世俗的な疑いとは、私と付き合うことのメリットデメリットやコスパを考えることや、趣味や好みが合う合わないというような話などである。
K子はそれらを考えもしなかった。だから、デートで会ってもあまり話さず、肩を寄せ合い、手を握り腕をさすり、見つめあったりするだけだった。それでどちらも了解した。ドンと存在が大きいのである。100%ピュアな肯定性の塊。
そしてそうしたK子の態度は、私の細胞のすみずみにあまねく影響を与えた。小さな自分に固執していた私を、彼女は開放してくれた。
こういう女に慣れると、小顔ブームとか、華奢な女子やスタイルに固執するのは、矮小なことと知れる。しつこいようだが慣れればあの日村ですら、ファニーフェイスである。
K子はやがてメークが薄くなっていった。コスメへの依存を減らしていった。
単なる身だしなみ以上のそれは、まやかしだと気づいたのだ。
食事や運動に、それまで以上に気を遣い、毎日しっかり生活を積み上げていくよう、意識的に自分を導いていった。
現代人はただ毎日暮らしてゆくだけで、目に見えない「不純物」が、アカのようにたまってゆく。
人はいつも意識的に「みそぎ」をしなければならない。するとみそぎなんてしなくていいんだ、そのままのあなたでいいんだと社会その他は全力で否定する。だがそれは違う。甘言に引きづられてはいけない。やつらはあなたから銭を引き出したいだけだ。
メイクはそうした「不純物」の象徴であった。それがズバッと削ぎおとされた。
人の本来的な美しさや輝き、魅力は、外から取ってきて付け足すものでない。自分の内面から湧き出させるものだ。
こんなことは実に当たり前のことだが、不純物の洪水の中にいると気づかない。
自分から「湧き出させること」が自然に出来る人は、この世にいながら永遠を手にしたも同然なのである。
理想のカップル、なるものは知らない。知らないがそれは「人それぞれ」ではない。
以上この文は、まだ見ぬあなたと、まだ顕在化してない私を想って書いた。
<了>
K子との出会い
私がK子と出会ったのは、まだ雪の残る3月上旬、札幌のすすきのでのことであった。
K子は、私がごくたまに寄るカフェ兼バーでウエイトレスをやっていた。
年は30歳、身長157cm。体型はややガッチリタイプに見え、いわゆる固太りに近かった。
顔はまぁまぁ整ってはいたが、頭部はアメフトのボールのように大きかった。
完璧なメイクを追求してるようで、白塗りの土台が厚く、丸い輪郭が、さらに強調されていた。
キッチリ描いた眉に、メリハリをつけたアイライン。目元周りには、そのひとのお化粧への設計意図が表れるものだがK子の場合それは、顔の大きさを、目を拡大させることでごまかそうとする意図だった。
それとK子のメークには、悪い意味でのバランス感覚という特徴も見られた。
あちらとこちらの均衡を保とうとして、薄くするのではなく、厚く盛る方にいってしまうのである。
さらにK子は勤務中はロングヘアーをタイトに縛ってるので、目元が上がって鋭角的になるのだが、これがふしだらで好色な印象を与えかねない外見になってしまうのだ。
それはせっかくのよい素材での料理を、調理でなくソースで惑わし、お門違いの高級感を添えたつもりの洋風メニューのようだった。
白人の風貌という、ないものねだりを追いかけた挙句、醜くなってしまったマイケルジャクソンのようであった。
K子は、そんな女だった。つまり、どこにでもいるひとだ。
K子はその日も普段どおり給仕をしていた。時刻は夜の9時。私のオーダーはグラスビールだった。
私のテーブルにもやってきた、そこで2人は始めて目を合わせた。
するとK子は私の顔を見るなりハッとした顔をして上背をやや引いた。私は「ああまたか」と思った。
なにが「またか」なのか。それはその時の私の顔が彼女にはイケメンに写った、ということの了解である。
断っておくがこれは自慢ではない。なぜなら、こうしたことは4年に一度、つまりオリンピック開催と同じ頻度でしか、私に訪れないからだ。「またか」と感じるのは、4年がさほど長くも感じられない私なりの時性であって、傲慢の致すところではない。
毎日のようにこういうことが起きる人を、真のイケメンというのだが、この程度のいわば「プチ・イケメン」なら今のご時世、結構いそうである。
私の顔は、それどころかまぁどちらかといえばブサメンである。口が飛び出た造作が特徴で、唇も厚い。佐藤浩市の2倍は厚い。
このせいで、顔の下部にボリュームが出てしまい、シャープには見えないモヤッとした風貌になっている。
たとえるなら、ガリガリ君のような輪郭であるし、佐藤浩市の親父の三國連太郎みたいでもある。
芋というか、類人猿、合わせればゴリライモ。私はそんな顔なのである。そしてもちろん、あなたに「そんなことないよ」といってほしい、そんなケチな性分も持ち合わせているのだ。そこがまた醜い。
ここ20年ほどで男もするようになった「化粧」とは、もともと目立たないもの(一重まぶたなど)を、まやかしの力で輝かせる補正技術だと思うが、私の口元のように、はじめから飛び出ているものを、平たく目立たせずに抑制する用法には、それはまったくといっていいほど役立たない。
しかし男の場合、三國連太郎がそうであったように、また、佐藤浩市がそうであるように、絶対的なブ男というものはいない。バナナマンの日村も最初見たときはびっくりしたが、慣れれば愛嬌がある顔である。
男は、風貌をある水準(清潔感と常識のあるファッションセンス、そして似合う髪型、できれば細身)まで満たせば、異性にアピールできてしまうのである。ここらへんが女子と違う。無愛想でもある程度はイケてしまうということだ。かくして私のような者でも、こうしたラッキータイミングが巡ってくるときがあるのである。
さて私にハッとして頂いた女子に対しては、私はだいたい挨拶をするようにしている。
ここでいう挨拶とは、店や本人の迷惑にならぬよう気を遣いながら、名刺を手渡すことだ。
できれば一言添える「もし、よろしければ、お近づきになれれば…」みたいなことだ。
ハッとする、させるというのは直感の神秘である。人間のあまたある能力のうちでも一二を争うような、めちゃめちゃものスゴい、宇宙の誕生レベルの認識だ。
人間(じんかん)にヴァイヴレーションが伝播する。あるひとがある人の存在にピン!とくれば、その相手にも同じピン!が、誤解も曲解もなく瞬時に伝わる。だれも解明できない感覚。こうした体感に対しては対象化なぞハナから諦め、人として素直にしたがい、謝辞を述べるのがスジというものであろう。
とりあえず自分を規定する第一歩として世の中には名前というものがある以上、名乗る。
「4年に一度」がいつなんどき訪れるやもしれない。そんなときのために財布に名刺を2~3枚入れておく。
こうしたなんでもない普段の心がけが、出会いを引き寄せる具体的な手段なのだ。
こうした縁で、私はK子と付き合った。世間には「よくまぁこんなサエないのと一緒になったなぁ」というのが男女問わずいるが、なんのことはない自分もその仲間入りであり、K子の方でもそう思うときがあったかもしれない。つまり、サエないのはお互い様だったのである。最初のうちは。
だがしばらくすると私にはK子の大きい顔と太い骨格が、次第にいとおしく写ってきた。
そして次に、それがかけがえのない尊さに思えてきた。
というのも付き合い始めてすぐに気づいたことだが、K子は私と最初に目が合ったホンの0.1秒の閃き、焦点で、自分の開削に成功した、まったく優れた女だったのだ。
私との邂逅によってポン!と新規開設された自我内の回路に、まったく純粋に従った。
世俗的な疑いとは、私と付き合うことのメリットデメリットやコスパを考えることや、趣味や好みが合う合わないというような話などである。
K子はそれらを考えもしなかった。だから、デートで会ってもあまり話さず、肩を寄せ合い、手を握り腕をさすり、見つめあったりするだけだった。それでどちらも了解した。ドンと存在が大きいのである。100%ピュアな肯定性の塊。
そしてそうしたK子の態度は、私の細胞のすみずみにあまねく影響を与えた。小さな自分に固執していた私を、彼女は開放してくれた。
こういう女に慣れると、小顔ブームとか、華奢な女子やスタイルに固執するのは、矮小なことと知れる。しつこいようだが慣れればあの日村ですら、ファニーフェイスである。
K子はやがてメークが薄くなっていった。コスメへの依存を減らしていった。
単なる身だしなみ以上のそれは、まやかしだと気づいたのだ。
食事や運動に、それまで以上に気を遣い、毎日しっかり生活を積み上げていくよう、意識的に自分を導いていった。
現代人はただ毎日暮らしてゆくだけで、目に見えない「不純物」が、アカのようにたまってゆく。
人はいつも意識的に「みそぎ」をしなければならない。するとみそぎなんてしなくていいんだ、そのままのあなたでいいんだと社会その他は全力で否定する。だがそれは違う。甘言に引きづられてはいけない。やつらはあなたから銭を引き出したいだけだ。
メイクはそうした「不純物」の象徴であった。それがズバッと削ぎおとされた。
人の本来的な美しさや輝き、魅力は、外から取ってきて付け足すものでない。自分の内面から湧き出させるものだ。
こんなことは実に当たり前のことだが、不純物の洪水の中にいると気づかない。
自分から「湧き出させること」が自然に出来る人は、この世にいながら永遠を手にしたも同然なのである。
理想のカップル、なるものは知らない。知らないがそれは「人それぞれ」ではない。
以上この文は、まだ見ぬあなたと、まだ顕在化してない私を想って書いた。
<了>
https://anond.hatelabo.jp/20230812234433
年齢という「例外なく」「常に」変わりゆく要素を身長と同列に並べるってどういう神経をしているんだろう?
こういうのを見ているとつくづく、結婚相手を選ぶ際に年齢は同年代を前提にすべきだと思う
自由恋愛ならまだしも、婚活ならばあらかじめ年齢には縛りをかけた方がいい。
男女ともに、身長も学歴や収入も顔の造作も、同年代を前提としてその中で選ぶべき。
だってこのグラフを見れば分かるように、今現在の40代の時点で少子化が進行していて下の世代になる程人口そのものが減っている
高齢男性が若い女性を選ぶのは、ただでさえ下の世代の男性から、ただでさえ少ない同世代の女性を奪っている事になるんだよ
https://dashboard.e-stat.go.jp/pyramidGraph?screenCode=00570®ionCode=00000&pyramidAreaType=2
総理息子が大学生っぽいバカ写真撮ってた問題だが、息子を馘首した事で単に政局として報道が止みそうだ。
だがそんなのどうでもいい、岸田さんが総理を続けていいから報道をもっと掘り下げて欲しいのだ。なんでかというと、「官邸で何やってるかよくわからない」「誰が出入してるかよくわからない」という問題があるからだ。「なんか怪しい」し、「なんか変な人が出入り」している。
例を挙げよう。
やまもといちろうは鳩山政権で何とか会議に呼ばれ、官邸で何とか会議に出席していた事を嘗ては誇っていた。官邸に出入してる事でハク付けしてたわけだ。
この事は今ではやまもとは言及しない。最近氏はまたネトウヨっぽい文章ばかり書くようになってきたので民主党との関わり触れられるとイヤなのかもと思うので、この事で突いてあげると面白いかも知れない。
この時に参加していた会議の名前は既に官邸HPにも内閣官房HPにもない。それでいいのか?
更にこの会議の内容となると最初から公開されていないのだ。「誰を呼んだか/出入してるか」は微かにしか判らず、「何を話し合ったのか」「どんな資料が交付されたか」は全然判らないようになっているのだ。安全保障に関わる事でもないのに秘する必要はあるだろうか?
これはやまもと氏がどこの馬の骨とも知れずという話じゃなくて会議の参加を公言している人でも会議内容がよく分らないという例なのであしからず。
そして第一次と民主党政権を挟んで第二時以降の安倍政権の特徴として「これら会議を作りまくる」というのがあった。
現在の官邸は2002年に完成したとされているが、実際には2005年くらいまで内装工事や造作替えが続いていた。
この工事は付近の地上げと造成を含む大がかりなもので、2005年くらいから付近はゴーストタウンとなって、誰もいない宅地に警察官が立哨しているという変な光景が見られた。
それで周りの道路も潰して超大型化した官邸が完成した。床面積は10倍近く拡大されたのではないかと思われる。今の官邸は低層ながらオフィスビルと同等の規模がある。前の官邸は屋敷だが今のはビルである。
Wikipediaのフロア図には官房長官控室とか執務室、会見室などTVで見る部屋ばかりが書いてあるが、
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Prime_Minister%27s_Office_of_Japan.jpg
それだけであれだけの床面積を使う訳がない。
各階に大小様々の会議室やオフィスがあり、デカいビル故に、調理室、冷暖機械室、変電室などもある。そう、高圧受電するほどの規模なのだ。311と福一事故後の電力自由化で高圧受電するコンビニなども出てきたが、それ以前で高圧受電するのは大マンションや工場、高層オフィスビルだけだった。
そして重要なのは第一次安倍政権では、この増やしまくった会議室が満杯で新たに間仕切りするほどに会議を開きまくっていた。所謂お友達問題だ。
第一次安倍内閣はお友達内閣とマスコミに揶揄されて書かれたが、その特徴は閣僚人事だけでなく官邸の政策会議も然りだったのだ。
そして誰が出入してるかについてはマスコミもちゃんと書かない。でも「どういう感じの」人が出入りしてるかは噂話として流れてくるわけだ。
前述の通りに官邸はオフィスビル化した。すると出入する業者も多くなる。機械メンテや調理、産廃、什器の購買廃棄、清掃など、設備と管理要員、営業マンが多数出入する。
官邸では入場者のIDチェックと公安問い合わせをしているが、派遣業自由化によってこれらの人員は派遣ばかりとなっている。その為に短期間での人の入れ替わりが多い。
すると官邸に変な人たちが出入してるよとかのスキャンダラスな噂話はすぐに広まる。派遣社員が同僚に話す、他の派遣先で話す、それを聞いた社員が家族に話す…となって「面白い話」は広まりやすい。
因みに、第一次政権で安倍総理が病気辞職したのを仮病だという人が居たが、政権末期に安倍氏がずっとおかゆだけ食べているというのは有名だった。だから実際に体が持たなかったのだと思われる。
ところでこれらの問題で安倍氏は自分の利益になる事があっただろうか?
桜を見る会に自分の選挙区の人らを招待していた事を除いてそうではなかった。役人を他人に便宜は図らせるように使役して問題になったのばかりだったのだ。
例えば森友学園では第三次政権が成立すると早速校長が総理と総理夫人明惠に接近している。
この公人への接近と距離が詰まるスキームは校長の特段の能力ではなしに、お友達会議が轍となったのではないか?
桜を見る会では反社会勢力に近い政治ゴロが招待されていたのが問題になった。招待状を出したのは内閣府の役人だ。
ではなぜそんなコネが出来ていたのか?それはお友達会議のメンバー経由ではないのか?
三浦瑠璃の旦那がソーラー発電関係の詐欺で逮捕され、瑠璃氏自身も失脚状態にある。
これを旦那の犯罪と本人の評価は別だと擁護する人もいる。一般にはそれは妥当な判断だ。
だが気になる報道がある。
旦那の会社がソーラーサイト予定地近傍の、ソーラーサイトと送電網接続部の土地を買占めており、相場とかけ離れた売価を要求したという報道だ。
ここで思い出したのは東海道新幹線予定地と西武鉄道(コクド)だ。
東海道新幹線の基礎は戦中の弾丸列車計画で要点の所どころ工事もされていたが、平地など細かいルートは変更の余地があった。
そして正確なルートが発表されて国鉄が地上げの交渉に入る前に奇妙な事が起きていたのである。
・「競走馬の練習場」と偽り偽装会社を通じて新横浜駅付近の線路用地をピンポイントで西武の堤が取得していた。
・伊豆箱根鉄道という三島のローカル私鉄がとっくに廃線となり線路も路盤も無くなった路線で鉄橋の建設を始めた。鉄橋が跨ぐ障害物はない。そこはピンポイントで新幹線予定地だった。そして伊豆箱根鉄道は西武鉄道の子会社である。
上のうち伊豆箱根鉄道鉄橋のほうは失敗したが、新横浜駅付近では多額の土地代金を国から得ている。騙されて売ってしまった農家たちは訴えを起こしている(請求棄却)。
この情報がどこから漏れたか?が問題となった。堤と運輸大臣の関係が怪しいとされている。
さて三浦瑠璃の夫は許認可事業であるソーラーサイト予定地の情報をどこから得たのか?
無論、官邸経由という証拠もない。だが三浦夫婦が如何なる会議に出席してどんな情報を得、どんな書類を交付されたかが全く判らないから官邸ではないだろう、という根拠すらも無いのだ。
第一次安倍政権を引き継いだ麻生政権はこの官邸で収容しきれないほどの会議を整理して変な人士の出入を制限したが、その後の民主党政権ではかなり徹底して整理され、これら会議の出席者たちはお払い箱になった。
民主政権は更に徹底していて出入り業者の殆ども変更した。多くの業者が仕事を切られたのだ。
自民党が返り咲いた第二次安倍政権では意趣返しのようにまた業者を入れ換え、秘書官も2人を残して首を切った。
その二人のうちの一人が強姦事件捜査隠蔽で有名な中村格である。
立憲の泉代表は岸田総理息子の官邸狼藉問題で岸田総理の世襲的任命責任と情報漏洩のセキュリティー問題として追及してるんだが、政局しか頭にないのが見え見えだ。
前者の世襲任命はその通りだが、前述のように変なやつが出入してておかしな事やってる方が問題なのだ。そんな事を隠したってしょうがない。
安倍明惠がV系入れて階段で耽美写真撮ってたって構わない。それが分かればいいのだ。お客を呼んで観光写真っぽいサービスしてもいい。国会てもホワイトハウスでもやるだろう。
そうじゃなくて岸田総理息子は官邸が昔のフジテレビみたいな身内受けの場になってるのを知ってるからあんなことをやったのだろう。そこに常識の無さはない。隠れて常識が無い政治ゴロが出入していた名残があるのが問題だろう。
だから政局なんてどうでもいいし岸田総理の進退なんて問わなくてもいいから、変なやつらが出入してるのが見えないって事を問題にして欲しいわけ。
オフザケ写真が漏れてもセキュリティ問題なんかにゃならない。だが新幹線や許認可事業の未発表資料が漏れるのはセキュリティ問題なのだ。一度政権に就いたのだからそういう細かいところを指摘して欲しいものである。