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はてなキーワード: 国体とは

2025-06-03

ロシアウクライナ戦

ロシアはどう頑張っても現実的に核使用せずにウクライナ全土を征服することは出来ないから、

この戦争で勝っても占領地域の保持までしかできないし、勝ったところで結局、ウクライナ欧州西側諸国の対露の最前線として軍事要塞化されることに変わりはないんだよね

通常戦力はもちろん空軍海軍も擦り減らして、米露の核の均衡も崩れようとしてる上にウクライナを正面に見据えて、ロシアは二正面戦争なんて不可能なんだよね

からウクライナ国体を維持した状態で存続したら西側諸国の勝ちで、それは実現可能性の高い未来だろうと思う

この状態では西側諸国からの対露の経済制裁は強まることと、ウクライナに釘付けにされて軍事的な自由度が低下することを考えると

ロシアは新しい経済提携相手模索と対極東での新しい軍事的な均衡の維持を目指す必要が出てきて、それはロシア中国依存に向かいやすい状況と思っている

2025-06-02

anond:20250602030001

ウクライナ国体を維持した状態で存続したら西側諸国の勝ちだぞ

ロシアはもう、二正面戦争なんて不可能になったかウクライナを存続させとくだけで安全保障になる

空軍海軍も擦り減らして、米露の核の均衡も崩れようとしてるからねえ

2025-05-24

コメ発言如きで辞任なんてw

っていう人おるけど、

日本人の食い物の恨みが他のテーマに比べて強いのはいものパターンだし

特に米なんて特別ものじゃん

単なる物価対策政策絡みの失言と捉えるべきではなく、ある種のわーくにの宗教的な部分に絡む失言ではないかと思うんだよな

天皇陛下田植えをしたりもする、いわば国体に関わるものであって

しろ保守の方がもっとたくみた方がいいのでは?と思う

2025-04-17

「君がYO!」が正式な「国歌」になったのは平成11年1999年

【1】昭和初期(1926〜1930年代

君が代」は正式国歌ではなかったが、実質的国歌として扱われていた。

学校教育軍隊行事儀式国際大会オリンピックなど)で演奏斉唱された。

昭和11年(1936年)に文部大臣・平生釟三郎が、歌詞意味理解していない子どもが多いことに気づき小学校教科書掲載を指示。

教科書には「君が代」の意味を明記:「天皇陛下万歳を祝ひ奉り、皇室の御栄を祈り奉る心で一ぱいになります

【2】戦中期(1937〜1945年日中戦争太平洋戦争期)

君が代天皇制国家象徴としての色彩を強めた。

君が代」は「天皇の治世の永続」を祈念する歌として、国民義務感を伴って歌われるようになる。

学校では「教育勅語」「修身」とともに重視され、起立・礼と共に斉唱される。

併せて「海行かば」や「紀元節の歌」なども準国歌的に使われた。

【3】占領期(1945〜1952)

終戦後、GHQ連合国軍最高司令部)は「君が代斉唱を一時禁止特に初期には日の丸掲揚も制限)。

昭和21年(1946年11月3日日本国憲法公布記念式典では例外的に「君が代」が斉唱された(昭和天皇香淳皇后が出席)。

昭和22年(1947年憲法施行記念式典では「君が代」が演奏されず、代わりに新国民歌「われらの日本」などが使用

当時は「君が代」が旧体制象徴とされ、GHQ日本国内の一部では批判的な見解があった。

しかし、半年後の1947年昭和22年)5月3日に開催された憲法施行記念式典では「君が代」でなく憲法普及会が選定した国民歌「われらの日本」(作詞土岐善麿作曲信時潔)が代用曲として演奏され、天皇還御の際には「星条旗永遠なれ」が演奏された[46]。「君が代」の歌詞について、第二次世界大戦前に「国体」と呼ばれた天皇を中心とした体制を賛えたものとも解釈できることから、一部の国民から国歌にはふさわしくないとする主張がなされた。たとえば読売新聞1948年昭和23年)1月25日社説において、「これまで儀式に唄ったというよりむしろ唄わせられた歌というものは、国家主義的な自己賛美や、神聖化された旧思想を内容にしているため、自然な心の迸りとして唄えない」とした上で「新国歌が作られなくてはならない」と主張した[47]。

また、「君が代」に代わるものとして、1946年毎日新聞社文部省の後援と日本放送協会の協賛を受けて募集制作した新憲法公布記念国民歌「新日本の歌」(土井一郎作詞、福沢真人作曲)がつくられ、1948年昭和23年)には朝日新聞社民主政治教育連盟日本放送協会の後援を受けて募集制作した国民愛唱の歌「こゝろ青空」(阿部作詞、東辰三作曲)がつくられた。前者は日本コロムビアより、後者日本ビクターより、それぞれレコード化されるなどして普及が図られた[46]。1951年1月日本教職員組合日教組)が「君が代」に代わる「新国歌」として公募・選定した国民歌として「緑の山河」(原泰子作詞小杉誠治作曲もつくられた。しかし、1951年昭和26年)9月サンフランシスコ平和条約以降は、礼式の際などに、再び「君が代」が国歌に準じて演奏されることが多くなった


【4】独立回復後〜高度経済成長期(1952〜1970年代

サンフランシスコ講和条約1951年)によって主権回復後、公式行事で「君が代」が再び演奏されるように。

法的根拠はないが、「事実上国歌」として扱われる慣習が確立

ただし、特に教育現場では教職員組合日教組)などが反発し、「起立・斉唱強制するな」との議論が起きる。

1950年代には日教組が新国歌公募を行い、「緑の山河」などが制作される(普及は限定的)。

【5】昭和末期(1980年代後半)

校歌卒業式入学式での「君が代問題顕在化。

一部の学校で「不起立運動」や「歌わない自由」を主張する教職員教育委員会の間で摩擦が激化。

世論でも賛否両論が大きく分かれた。

【補足】正式な「国歌」になったのは平成11年1999年

国旗国歌法正式名:「国旗及び国歌に関する法律」)が制定。

これにより、「君が代」は初めて法的に“日本国歌”として明記された。

2025-04-07

然れども、時運の趨く所、堪え難きを堪え、忍び難きを忍び、以て万世の為に太平を開かんと欲す。

茲に、国体を護持し得て、忠良なる貴様らの赤誠に信倚し、常に貴様らと共に在り。若し夫れ、情の激する所、濫りに事端を滋くし、或は同胞排擠互に時局を乱り、為に大道を誤り、信義を世界に失ふが如きは、最も之を戒む。宜しく挙国一家、子孫相伝へ、確く神州の不滅を信じ、任重くして道遠きを念ひ、総力を将来の建設に傾け、道義を篤くし、志操を鞏くし、誓て国体精華を発揚し、世界の進運に後れざらんことを期すべし。貴様ら、其れ克く意を体せよ。

2025-04-06

暇空・雁琳・トランプ

ネットニュースが伝える きみの武勇伝相対性理論たまたまニュータウン」)

1 暇空

2025年3月27日、暇空茜が起訴されたという報告と、北村紗衣が雁琳を訴えていた裁判最高裁が上告を棄却し、雁琳に220万円の支払いを命じる判決が確定したという知らせが同時に届いた。暇空の起訴3月26日付、雁琳の敗訴に関する最高裁の決定は3月21日付であり、これらが同じ日に伝えられたのは偶然かもしれないが、何らかの意図が働いているようにも感じられる。

思い出されるのは、2024年2月16日アニメイトが暇空の著書「ネトゲ戦記」(KADOKAWA)の取り扱いを停止すると発表した時のことであろう。暇空によると、アニメイト脅迫されており、放火されたくなければ2月16日に取り扱いの停止を発表するように要求されていたという。そして、2月16日TBSが暇空の書類送検スクープとして報道した日でもあり、犯人アニメイト書籍の取り扱い中止を同じ日に発表させることで、何らかの効果意図していたのではないかと推測される。書籍の取り扱い停止を求めるだけならよくある話だが、その発表を特定の日時に行うよう要求するのは異例で、これまで聞いたことがない。TBS報道日時を知らなければこうした要求はできないため、犯人範囲はある程度絞られてくるだろう。もっとも、こうした脅迫があったと主張しているのは暇空だけであり、作り話ではないかという見方もある。その可能性が全くないとまで断じるつもりはないが、2024年1月刊行予定だったアビゲイルシュライアー「あの子トランスジェンダーになった SNSで伝染する性転換ブーム悲劇」(KADOKAWA)も脅迫によって発売が中止され、産経新聞社からタイトルを変えて出るといったこともあり、リベラル脅迫も辞さないことは事実である

ただ、雁琳訴訟原告代理人である神原元は、「被告は、上告棄却となった後の令和7年3月26日時点でも、「(原告に)220万円も請求されたことは明らかにおかしい」と投稿し、被告に220万円の支払いを命じる判決最高裁で維持されたことにも触れず、カンパ募集する投稿を固定ツイートとしたままである。」(「対雁琳訴訟、勝訴確定についての弁護団声明」)と言っており、3月26日時点で判決が雁琳に伝わっていたことが窺え、雁琳側から判決について発表していれば、暇空起訴と重ならなかったわけで、これらが同日に判明したことリベラル意思によるものではないと思われる。

暇空を語るのは容易なことではない。あまりにも多くの出来事が次々と起こっており、そのすべてを追いきれないかである西葛西出版社長である中村慎太郎@_Shintaro_は2024年5月13日に、こうツイートしている。《暇空さん+赤木レイアで1年くらい過ごしたので、それ以外の事象あんまりしらないんだよね。なんという複雑怪奇現象なのだ》。一年前というと、2023年5月である2023年3月3日には住民監査請求再調査の結果が出ており、Colaboの会計問題住民訴訟舞台を移し、歩みをほとんど止めてしまったのであるが、代わりに追及の対象となったのが自称学生の堀口英利である。暇空がウクライナ戦争についての所見を述べたところ、堀口が噛みついたのがきっかであるが、暇空は激怒し、堀口の過去を掘り返していった。堀口はKCL(King's College London)の学生である自称していたが、これについても疑義が投げかけられた。堀口も、自らが誹謗中傷とみなす投稿を行った人々に対して、大量の開示請求を行うなど、決して譲らない態度を示した。堀口は時事系ユーチューバーにとって訴訟リスクを伴う存在である一方で、恵みの雨とも言え、その中で最も稼いだのは赤木レイアである。当初は3分くらいの動画で取り上げていたのであるが、2023年7月7日に15分53秒の「堀口英利、とんでもない書面を出して爆笑されてしまうww【暇空茜】」を出してからというもの、長尺の堀口動画毎日のように投稿していた。普通に生活していると、ニュースに割ける時間は限られている。暇空・堀口を追うのに時間を割くとすれば、他のニュースに目を向けるのは難しくなる。

中村慎太郎2024年8月24日に次のようにツイートしている。《最新の暇空ライブバカ面白いね。彼は妄想しているとも言えるが、ヒントほぼゼロから無限推理を繰り広げる天才ともいえる。あってるかどうか?怪談に正解などないのだ》。この頃に語られていたのが、「高崎物語である好き嫌い.comに、7月28日から、妹が堀口の同級生であると主張する人物が書いたものであり、「高崎市に帰郷した堀口がかつての同級生だった女性に性暴行したり、自らの肛門アルフォートを入れたり、それらの件で親族会議が行われたり逮捕勾留されたりというのを高崎市民たちが証言する内容」(「暇空茜と側近の灰豚、喧嘩別れ。大量総括へ」)であるが、好き嫌い.comに書かれたものであり、十中八九作り話であろうが、暇空は事実であると考え、これをもとに推理していた。もしこれが事実であれば堀口は拘束されていることになるが、灰豚が堀口と8月20日午前1時ころに会ったと言いだす。このあたりから、訳が分からなくなっていく。暇空は灰豚を「対話罪」の対象としたが、この頃から味方であるアカウントをどんどん切っていった。赤木レイアも暇空との関係悪化し、9月7日最後更新していない。

暇空は2024年12月から真如苑が裏で糸を引いていると言い出すようになった。堀口のnoteに、彼の母親真如苑信者であると書かれているのは事実である(「断ち切りたい「毒親の血」――「両親が開業医の一人息子であること」は必ずしも幸せ意味しませんでした。」)が、真如苑特に問題を起こしていないようであり、荒唐無稽と言わざるを得ないであろう。堀口死亡説を唱えたりもしている。2024年11月1日神奈川県相模原市緑区千木良底沢橋下で、15歳から30歳程度とみられる身元不明遺体発見されたが、この遺体が堀口だというのであるしかし、堀口は2025年3月19日テレビインタビューに答えており、生きていると言わざるを得ない(「北海道じゃらんハッキング被害 関係ない人物名前悪用 悪用された本人に取材ネット上で誹謗中傷の的」」、HTB北海道ニュース)。妄想に近い推理を連発しているうちに、支持が減って閑散とし、求心力に陰りが見られるようになり、その結果、起訴やすくなってしまったのかもしれない。

以上は簡略なスケッチであるが、このようなものは求められていないのかもしれない。リベラルからすれば、暇空は「誹謗中傷ビジネス」をしているとレッテルを貼っておけばいいので、推移には関心がなさそうであるし、暇空の観客も、事態リアルタイムで動いていて予測不能な展開が見られることに楽しみがあるので、後から振り返りたいとは思っていないかもしれない。

暇空が現れるまでの青識亜論をはじめとする「表現の自由戦士」は、原理主義的にあらゆる性的表現を無条件に擁護しているだけであった。しかし、リベラルSNSで「声を上げる」ことにより企業に対して表現撤回させるように圧力かけており、これは効果を持っていた。青識のような活動ではこれを止めることはできていなかった。暇空は発想を転換し、シュナムルやColaboといった表現規制派のスキャンダル暴露する戦略を実行したのであるが、それなりに奏功した。「赤いきつね」は無傷で済んだのである

山口三尊は《暇空氏、あれで起訴は少し気の毒だが、堀口英利さんや、灰豚に対する誹謗中傷は。起訴されてもやむを得ないレベルだと思う。》(2025年3月30日)と述べており、不起訴あるいは略式起訴もあり得たようである裁判所はリベラル化しているようである。Ogura.H@dli_coipchirtの《暇空さん対伊東弁護士訴訟担当した吉岡地裁判長って、名古屋地裁時代労働者側の請求棄却する判決をたくさん出している裁判官なんですね。》(2024年2月10日)というツイートに対して、国際企業法務弁護士🤡GAREW@big_lawfirmは《現代型のリベラルって感じですね。マイノリティには寄り添いつつ労働者階級には厳しい、アメリカ沿岸部価値観ですね。経歴は最高裁事務総局系なので、今の最高裁スタンスがそうなのでしょう。》(同前)とコメントを寄せているが、当のアメリカでは、最高裁は反リベラルによって占拠されているのに対して、本邦ではアメリカ沿岸部価値観最高裁にまで及んでいるのである

2 雁琳

2021年キャンセルカルチャーが吹き荒れた年であった。呉座勇一のツイッターでの発言に端を発して、オープンレター女性差別的な文化を脱するために」が4月4日に出され、小山田圭吾東京オリンピック開会式音楽担当を辞任に追い込まれたりした。しかし、オープンレターに対しては当初から批判があり、雁琳はその先頭に立っていたと言っていい。暇空がColaboの会計問題に取り組み始めたのは2022年10月であるが、2022年キャンセルカルチャーに対してたたかいが挑まれた年であり、暇空はその真打のようなものとして現れたのである

雁琳は暇空のように全方位に喧嘩を売っているわけではない。ほぼオープンレターに限られるであろう。しかし、オープンレターネットからは消されてしまっていて、今は見られない。ウィキペディアでは「女性差別的な文化を脱するために」は立項されているものの、他ではその痕跡が消されてしまっている。ウィキペディアの呉座勇一のページから不祥事についての記述がなくなっている(2025年4月2日閲覧)。履歴をたどってみると、2024年7月20日に削除されたようである。呉座のキャンセル成功していれば、歴史的意義のある文書としてネットに残されていたと思われる。しかし、キャンセルカルチャー第一号としてモデルケースになるはずだったものが、杜撰にやってしまったために、オープンレターからもなかったことにされてしまったのであろう。

雁琳は「正論2021年6月号に「ポリコレ派への共感 強制する社会の歪み」を発表しており、雑誌でのオープンレターへの批判はこれが最初であるオープンレターが出たのが4月4日であり、「正論6月号は5月1日発売なので、一月も経たないうちに反論が出たことになる。ネット上の反論は埋もれてしまいがちだが、雑誌は繰り返し参照されるため、雁琳が狙い撃ちにされたのではないかと指摘されることがある。

雁琳は2022年複数雑誌で発表を行った。例えば、「国体文化」(1177号、2022年6月)には「新たなる共産主義運動は『目覚めた当事者』の顔をして現れる」を、「実話BUNKAタブー」には「弱者男性を救うのは方法論的ミソジニーである」(2022年5月号)と「女子高生AV賛成論」(2022年6月号)を寄稿している。また、「情況2022年春号のキャンセルカルチャー特集では、「キャンセルカルチャーとは何か――その現象本質」を発表した。しかし、その後は雑誌に招かれる機会がほとんどなくなった。約3年ぶりの登場となったのは、「情況2025年冬号に掲載された「DON'T BE USED. BE THE UNCOUNTED.――ネオ幕府アキノリ党のクリプト革命運動についての簡潔な報告」(荒牧隆史との共著)である本来なら「正論「WiLL」「HANADA」といった右翼雑誌に登場してもおかしくないが、そこには見られていない。それだけに、「情況」の姿勢は際立っている。

情況」は1968年に創刊されたが、廣松渉が当時の金額で100万円を援助したことでも知られている。1970年6月に結成された「情況派」というセクト存在するが、これは「情況」の創刊者である古賀暹が所属していたため、叛旗派から蔑称として「情況派」と呼ばれ、その名が定着したらしい(正式名称共産主義者同盟(再建準備委員会である)(有坂賢吾「新左翼過激派全書」)。したがって、「情況派」の機関誌というわけではないようだが、新左翼雑誌としてスタートしたことは確かであるしかし、第六期(2023年2月から)の編集長に塩野谷恭輔が就任すると、ネットの雑多な声を取り上げ、反リベラル立場であっても登用する路線へと転換したらしい(2022年春号のキャンセルカルチャー特集は第五期に属するが、この頃からその兆しが見えていたのだろう)。ページをめくると、まるでインターネット闇鍋のような印象を受ける。ここでしか出会えない著者たちの論考が並んでいる。

2024年夏号のトランスジェンダー特集がその路線の到達点であろう。文芸誌を含め、ほとんどの雑誌リベラル化してしまい、ターフが排除されてしまった。そうなってくると、反リベラルを登用する「情況」のような雑誌しかターフは書けないということになり、ターフが結集したような誌面になった。これに対して「読者・寄稿者有志」は反発し、2024年9月20日、「『情況』に関する声明」を出した。署名しているのは、京大人文研や叛乱研の関係者、さら編集者のようである絓秀実がこれに加わったことに唖然とした人もいたようであるが、マルクス主義の持つものと持たざるものという区別を、マジョリティマイノリティという区別に置き換えたのが、「社会構築主義政治主義」と雁琳が呼ぶものであり、新左翼マルクス主義者ではあるのだから、これに乗ろうと思えば乗れるのは当然のことではあろう。

森脇透青は、《たとえば千田有紀立場ひとつとっても塩野谷恭輔の立場と異なるし、さら小谷野敦笙野頼子ともまったく違うはずである(たとえば「生物学的」のような言葉留保なしで使うかどうか、「陰謀論」的な語調を使用するかどうか、また構築主義理解の深度において)》(「不良債権としての『情況』、あるいは回覧板について」)と述べ、トランスジェンダー特集執筆者たちには「構築主義理解の深度」において違いがあると言っている。「構築主義理解」が足りないのは、この中では、小谷野敦であろう。事実小谷野は、《私はバトラー批判なんかしてないんだよ。ポモを批判していて、バトラーは読んでも何を言ってるのか分からない、と書いているではないか。》とツイートしている(2024年11月11日)。しかし、オフパコギャルママ🦖1y@takamatsu4_13によると、《批判者は佐藤悟志をこすっているけど、本当に読まれたくないのは小谷野敦とかだったりするんだろうね。さすがに「小谷野のは読まないでくれ!」とは言えないから、佐藤悟志をこすっているだけだという。》(2024年9月21日)。小谷野は「ポストモダントランスジェンダー」を寄稿しているが、これは何があったのかを小谷野節で綴ったものである。これを読むと、ノーディベートと称して議論すら行われないまま、明らかに異論のありうる理論によって現実が書き換えられようとしていたことが分かるであろう。千田有紀の「構築主義理解」は足りていないどころではなく、上野千鶴子編「構築主義とは何か」(2001年)に序章「構築主義系譜学」を書いているくらいであるが、「学問危機と『キャンセル』の方法論」(pp.116-135)は、小谷野と同じく、何があったのかの記録であるが、 Permalink | 記事への反応(0) | 09:34

2025-03-29

anond:20250329210237

敗戦前の教育のコンセプトは「お前らはまだインプットに専念すべき段階」だから

その通りだね

どの教科もそうなんだけど、特に修身(今でいう道徳、厳密にはちょっと違うけど)なんかまさにそう

そして修身はどの教科にも優先する一番重要な教科という扱いだった

国体」(体育じゃなくて国の成立ち・建国神話ね)に直結してるから議論なんかされちゃ困るということもあるんだけど

修身価値観とかは別にしても、小学校の段階では偉人先人の話や礼儀といった型から入るしかないとおもうんだが

道徳資料集とか読むと「こんなの小学校高学年に背景から理解させるの無理か、逆に幼稚すぎる(当たり前の答えしか出ない)だろう」ということを、議論させてる

これも学級会仕草の由来の一つになってそうだね

2025-03-19

普通企業退職代行を使われ総務の俺とみんなが対応した話。A君は帰ってきた。

先日の増田に影響を受けた。

俺はもうコンサルタント会社転職してしまったので、そろそろ時効だと考え、思い出を書くことにする。勿論、特定避けのため、一定の脚色は愛嬌ということでご容赦を。

ある日、退職代行を使われた。

使ったのは、俺の同期だった。32歳。営業部の中心人物。A君であった。

100人規模の中小企業だと、人事部が無い所もあるだろう。人事案件総務部預かりとなる。弊社もそういう、普通中小企業だった。

から、「A君が退職希望している」という旨の電話を受けたのは、同期の俺、A君のように仕事ができず、営業部という花形を追い出された俺、総務部で最も下っ端で電話番の俺だった。

俺は、ショックだった。A君は俺と違い、若手頭として営業部バリバリに働いていた。辛い時、俺と共に、会社の近くの川に私物を投げ込んだ…ある種の青春を共有した男だった。

慌てながら俺は、「すみません、今ちょっと対応できる人間が外してまして…かけ直します」ということで退職代行サービス電話を切った。

うちは某ビルの、ワンフロアを貸し切った企業である。俺が「Aが退職代行です!」と宣言すると、階はやにわにお祭り騒ぎとなった。フロア熱狂である

「マジ?どこの業者?」」総務部長が聞くと同時くらいに、営業部の連中を中心に、社員たちが総務セクションに集まってきた。みな、Aを配していた。

「とりあえず家行こう。自殺とかないよう。一人暮らしだったよな?」営業部長は迅速な判断をした。『禿ゴリラ』と文字が書かれた自作Tシャツを着た巨漢だ。

柔道国体まで出たツワモノで、フランス文学お笑いを愛するインテリ会社に来た不審者対応を一手に引きうける優しさを持ちながら、少し自分の強面加減をわかっていないフシがあるゴリラだ。

今日はとりあえずA君は有給ってことで。業者さんは僕と増田君で一緒に対応しよう」総務部長は営業部長の言葉を受けながら、迅速にA君の書類デスクに広げていた。

現在の住所、電話番号、二等親の緊急連絡先と勤め先。入社時の作文。一同は素早く書類を回し見て情報を共有する。

とにかく、みんなAの事を心配していた。「私達なら安心すると思います」。A君が慕っていた30代後半の先輩、

男一人と女一人が特命チームフィレモン3000万パワーズ」として編成され、Aの自宅へと向かった。まずは安全確認。命の確認第一だった。

俺は、Aに『辛かったら実家に逃げろ。俺は味方だ』と、LINEを送った。

「Aがなんか転職サイトとか、エロサイトとか見てないか確認してみるよ」普段はあまり皆と絡まない、中途で入社した情シスの方も、協力を申し出た。

どっかのダム災害対応システムにクソデカブラックボックスを作り、それをひた隠しにし辞めて来たという、こういう案件では頼りになる経歴の持ち主だった。

「私はA君の切った領収書…直近の交際接待費相手方確認電話しておきます普段厳しい経理の、お姉さま(端的に言ってお局)の方も頷いた。

弊社は大体、昼飯と晩飯顧客がいたということで領収書を切っていい。代わりにこういう案件の時、会社はそれを武器裁判を戦うというわけだ。

普段はあまり前線部署を助けるイメージのない間接部門の方々が、Aのために一丸となっていた。

「Aの案件で火がついてるのがないか確認と、念のため引継ぎを」ゴリラ営業部長は、営業部員たちに指示を出し始めていた。

総務部長は溜息を吐いた。「退職代行なんて。水臭いよなあ。相談してくれればいいのに別にみんなとって食いはしないんだからさ」

そろそろ定年なのに、みんなの生活を楽にしたい、と社労士資格を働きながら取った男だ。色々と法律関係も熟知している。俺は上司尊敬していた。

かに。と思った。退職代行を使われるだけで、これほど多くの社員が手を止め、Aのために動く形になっている。普通に引継ぎをしてくれれば、こうはならなかったはずだ。

顧問弁護士の○○さんに連絡しておいた方がいいですかね」と聞くと、総務部長は「それはA君が可哀相だしやめておこう」と言った。どこまでも優しい人だった。

そこから結構、というか案の定、忙しかった。総務部なので、会社備品やら郵送物の対応全てがこちらの領分だった。部長には悪いが、勘弁してくれよ、と俺は思った。

Aが辞めた時のため、会社備品の返却依頼書、健保関係書類経理の人と一緒に源泉徴収やら住民税関係書類を揃えなければならなかった。

勿論有給計算もしなければならない。そして何より大変な、社長経営陣に説明するための再発防止等の書面も用意しなければならない。

これ、総務の仕事だろうか?そんな業務の合間合間に、「なんでAは辞めるんだ?」という疑問が、栞のように挟まれていく。気が変になりそうだった。

と、せわしなく動いていると、会社入り口から喜びの、歓声が上がった。

Aが、そこにいたのだ。

「コラァ!ガキ!殺すぞ!!ガキ!」

総務部長は駆け出していた。

「お前なあ、労基なんか全員飲み仲間なんだからな!会社訴えても100万払って終わりだからな!!」

書類を叩きつけながら、Aに迫る総務部長に、Aは即座に謝罪した。

「大変申し訳ありませんでした!」

一体、何があったというのか。自宅に行った先輩たちは、結局空振りだった。後から聞いた話だが、ゴリラ部長に、Aはこっそりと連絡をしていたらしい。

「辞めるのを取り消します」と。スマホを見ると、『大丈夫、戻る』と、短い文が30分くらい前にAから送られてきていた。見逃していた、というわけだ。

それから会社は、失った空気を入れ直すように、お祭りが終わったかのように、平常へと戻っていった。Aは、散々飲みに付き合わされる毎日をしばらく過ごした。

俺は、使うことのなかった書類を店じまいしていきながら、少し寂しさを感じていた。

退職代行業者に、Aは退職しないという旨を伝えたら、『そうですか』で終わりだった。俺は、何か不気味な冷たさを感じてしまった。こんなシステムにAは頼ろうとしていたのか。

退職代行を使われて、改めて認識したことがある。

結局のところ、俺は現場のAの悩みにも、Aが会社に返ってきた部分にも、何も関わっていなかった。

弊社は、恥ずかしながらパワハラ社員訴訟された経験がある。その時、被害者社員証言コーナーで出た言葉が『禿ゴリラ』で、訴えられた側の部長は「マジで面白かったw」ということでTシャツにそれを刻んで愛用していたのだ。

そんな営業部長の元で、Aはこってり絞られながら、楽しくやっていたのだろうか。それとも、本当に仕事が厳しかったのだろうか。

可愛がってくれた先輩方が、俺のようにLINEを送って、それが心を変えたのだろうか。何もわからなかった。

弊社は新入社員通過儀礼として、『入社祝いに親族から買ってもらったもの会社近くの川に投げ捨てる』という大爆笑行事がある。

Aは祖父から買ってもらったぴかぴかの腕時計を、俺は母がくれた万年筆を、共に川に投げ捨てることになっていた。

俺達は、そんな精神共同体だ。一緒にカスみてえな管理者養成学校のヘルキャンプだって乗り越えた。なのに何故、退職代行を使ったのか。その理由すら、俺はAに聞かされることはついぞなかった。

なあ、Aよ。何故お前は退職代行なんて使ったんだ。皆に迷惑をかけることがわかっていたのに。

あんな、川に投げ入れる物なんて、適当な安物を「家族に貰いました!」って言って、代わりに捨てりゃいいだけだ。俺は面白いから、Aにそれを伝えなかった。馬鹿正直なお前は、陰でボロボロ泣いてたな。

不器用なA。可愛いA。純真なA。何故、お前は退職代行なんて使ってしまったんだ。警戒されるだけなのに。俺と違って、もう、お前は逃げられなくなってしまった。

正直者なのに、なんでそういう時だけ変に退職代行なんかに頼ってしまったんだ。

Aに限らない。

辞める人よ、なんで退職代行なんか使うんだ。

ダメージを受けるのは、貴方日常を知らない、現場を知らない、辛さをわかってあげられない、総務部(あるいは人事部経理部)といった間接部門の人々だ。

しかも、「なんで辞めようと思ったのか」というのが、結局わからないままだ。現場にいない、事務方の人々は間接的に伝え聞く話から、一体何が嫌だったんだろう、というのを想像するしかない。

これが結構精神に効くのだ。寂しいのだ。悲しいのだ。

別に、辞めていく会社に、馬鹿正直に何か言ってやって、改善させてやる必要なんかないよ。

でも最後くらいは、顔を見て、何故辞めていくのか、類推するくらいはさせてくれっていいじゃないか

俺は前いた会社は、医療関係だ。人の命を支える会社日本医療を支える会社社会的重要会社にいたからこそ、そんな会社事務方ダメージを与えるのは、大きな罪だと思った。

なあ、みんな、なんで退職代行なんて使うんだ?

法的に正しいとか、正しくないとかじゃないんだ。

寂しいよ。

悲しいよ。

何もわからないってのは、つらいんよ。

それだけなんよ。

2025-03-14

anond:20250314212601

よかったじゃん

これでウクライナ国民国体護持のために死ぬような馬鹿らしい事態を避けられそうだ

anond:20250314135002

くだらない戦争に巻き込まれたくないという強い思いはあるが、それでも敵が攻め込んでくるのであれば銃を手に取り戦わねばならない

本当に守りたいのは自分家族の命

戦争反対という理念とか、日本という国体なんていうのはそのための手段であって絶対ではない

2025-03-10

anond:20250309170726

国体保持なんて必要ないというなら今すぐ税金をなくしてくれよなぁwww

2025-03-08

anond:20250308101209

どうせ適当に決めた制度だし、気軽に止めてみても良いと思うけど

現状維持で何も変えるな、と言われるとじゃああとは侵略されて国体消滅するか、革命で現状を変更するか、しか残されてないことになる

2025-02-16

anond:20250216095605

天皇権威を基盤とした武家政権構造考察

序論:権威権力二元構造

本論では、鎌倉幕府を中心とする中世武家政権天皇権威を不可欠な基盤として成立した事実を、制度的・経済的象徴次元から多角的検証する。

日本史上の権力構造が「権威天皇)」と「権力武家)」の二元性によって特徴付けられることを示し、摂関政治から江戸幕府に至るまで一貫してこの原理機能したことを論証する。

制度正統性の源泉

官位体系による権力正統化

鎌倉幕府創始者源頼朝が1192年に「征夷大将軍」に任命された事実は、武家政権法的根拠朝廷官位授与に依存していたことを端的に示す。

この官職律令制下で蝦夷征討を目的とした令外官であったが、頼朝はその任命を以て東国支配権公認を得た。

特に1185年の「寿永二年十月宣旨」において、頼朝東国における荘園国衙領警察権公式に認められたことが、朝廷との制度紐帯を強化した。

守護地頭制の双務

承久の乱(1221年)後に全国に拡大した守護地頭制は、幕府朝廷荘園管理システムに介入する手段となった。

地頭による年貢徴収権の獲得(1221年「新補地頭法」)は、一方で幕府経済基盤を強化しつつ、他方で朝廷一定の税収を保証する相互依存関係形成した。

この共生関係は、幕府朝廷経済的存続を担保することで自らの支配正当性を補完する機能を有していた。

象徴権威継承構造

三種の神器王権

鎌倉時代後期の両統迭立期(持明院統大覚寺統)において、幕府皇位継承に介入した背景には、三種の神器所在正統性根拠とされた神権政治論理存在した。

例えば後嵯峨天皇の治世(1242-1246年)において、幕府は神器の継承過程監視しつつ、自らが「治天の君」選定の仲裁者となることで権威の源泉を掌握しようとした。

宗教的儀礼の共用

朝廷主宰する新嘗祭大嘗祭などの祭祀は、中世を通じて天皇神聖性を可視化する装置として機能した。

幕府はこれらの儀式への供御人派遣財政支援を通じて、伝統権威への恭順姿勢を示すとともに、自らの支配を「神国」の秩序に組み込む戦略を採った。

特に伊勢神宮賀茂社への寄進は、武家宗教的権威を利用して支配正当化する典型的手法であった。

経済的相互依存構造

荘園体制媒介機能

鎌倉幕府経済基盤となった関東御領(約500箇所)の多くは、元来が朝廷貴族荘園であった。

幕府地頭を通じた年貢徴収合理化を図りつつ、従来の荘園領主へ「得分」を保証することで旧勢力との妥協を成立させた。

この「本所一円地」への不介入原則が崩れた蒙古襲来後も、朝廷幕府軍事課税を追認した事実は、両者の経済的共生関係の強固さを示す。

貨幣経済媒介者としての朝廷

平清盛日宋貿易以来、朝廷が保持していた対外交易権は、鎌倉期においても「大宰府」を通じた外交貿易管理として継承された。

幕府実質的外交権を掌握した後も、形式的には朝廷を窓口とする建前が維持され、明との勘合貿易室町期)に至るまでこの構図が持続した。

政治的相互作用の諸相

摂関政治から幕府政治への連続

藤原道長の「御堂関白記」にみられるように、摂関家天皇外戚として権力を掌握する構造は、後に武家が「征夷大将軍」の官位媒介権力正当化する手法と同根である

平清盛が「太政大臣」に就任した事実(1167年)は、武家伝統官制依拠せざるを得なかった制度的制約を示す。

院政執権政治の相似性

白河院政(1086-1129年)が開いた「治天の君」の政治形態は、北条泰時執権政治(1224-1242年)において「得宗専制」として再構築された。

いずれも名目上の君主天皇/将軍)を背景に実権を掌握する点で、権威権力の分離という中世政治構造典型を示している。

思想的基盤の分析

神国思想政治的利用

北畠親房の『神皇正統記』(1339年)が主張した「神器継承正統性」論は、建武の新政崩壊後も南朝方政治的正当性を主張する根拠となった。

これに対し足利尊氏光厳上皇擁立した事実は、北朝方も同様の神権論理依存せざるを得なかったことを示す。

朱子学の影響と国体

鎌倉後期に伝来した朱子学大義名分論は、水戸学における南朝正統論(『大日本史編纂)を経て、明治期の南北朝正閏論争(1911年)にまで影響を及ぼした。

この思想系譜は、天皇権威武家政権正統性を超時代的に規定してきた事実を逆照射する。

結論権威権力の持続的共生

以上の分析から鎌倉幕府を頂点とする武家政権天皇権威を不可欠の基盤として成立・存続したことは明白である。この構造は単なる形式的従属ではなく、

官位体系による権力正統化

荘園経済媒介とした相互依存

③神権思想に基づく支配正当化——という三重メカニズムによって支えられていた。

明治維新に至るまで継続たこ権力構造本質は、権威祭祀権)と権力軍事力)の分離・補完にこそ存し、日本政治史の基底を成す特質と言えよう。

2025-02-15

大阪道路に「筋」「通」といった名称が定着している背景

歴史的都市計画独自命名体系が深く関わっています
江戸時代の町割りを継承しつつ、近代的な都市整備と併せて体系化された特徴的なシステムです。

命名ルール歴史的起源

豊臣秀吉大坂城下町整備**(1583年)が起点となりました。当時の都市計画では:


このルールは「道筋」という言葉に由来し、

堺筋=堺へ向かう道
松屋町筋松屋町へ至る道

といった実用的な命名法が発展しました。

近代的な体系化の契機

1970年大阪万博開催準備**を機に再整備されました:

1.1969年万博会場アクセス道路として17路線正式認定

- 御堂筋四つ橋筋南北)/千日前通長堀通東西)など

2. 1983年大阪城築城400周年記念で8路線追加

- 大阪内環状線長居公園通など

3. 1995年:なみはや国体開催前に14路線拡充

- 鶴見通大和川通など

制定年 特徴 主な追加路線
1969 万博関連 御堂筋堺筋千日前通
1983 環状線構想 大阪内環状線住之江通
1995 国体対応鶴見通海岸通



技術基準運用

大阪市道路認定基準では

1. 幅員4m以上かつ直線性

2. 既存道路との接続義務

3. 地下占用許可可能

南北「筋」は地下鉄路線名と直結する特徴があり(例:御堂筋線・四つ橋線)、

道路整備と公共交通網が一体設計されています

他の地域との比較

京都の碁盤目状街区とは異なり、

大阪では

という機能分化が明確。

御堂筋(幅44m)のように、

元は6m幅の路地が拡幅され「逆転現象」を起こした例も特徴的です。

この命名体系は、歴史的経緯と近代都市計画が融合した大阪独自文化遺産と言えます

市民生活に深く根付いたナビゲーションシステムとして機能しています

2025-02-12

anond:20250212102703

その理屈王貞治国体に出れなかった時は同情論の方が大きかった気がするが

anond:20210906202450

都道府県持ち回りの国体2023年廃止になったからなあ

そううまくはいかないよ

2025-01-26

天皇に成り代わる権力者が出なかった理由の一つとして外国勢力がいなかったというのはあるよな

基本的日本国内政治で完結してたからっていう。

例えばヨーロッパで考える。

フランスという国にフランス実質的支配している権力者と、

権力はないけど王位と王の権威だけはしっかりと握りしめている存在がいたとする。

そうなると当然、外国勢力はそのお飾り者の王をなんとか利用しようとあの手この手を使ってくるじゃない?

それはわかるよな?

そうなると実際の権力者はそういう危なっかしい存在を置いておくわけにもいかない。

っていう現実的理由ができる。

その点、日本はそういう心配がない。

しろ自分権力の源泉として権威のある天皇家を利用出来るという利点のほうが大きい。

唯一話がややこしくなりそうだったのが幕末だけど、

明治維新という非常に素早い国体の変化により、

問題にはならんかった。

みたいな感じのところないかな。

2024-12-10

anond:20241210220037

そもそも少子化という言葉は「先進国少子化」というのが正式名称から

国内ニュースでは「日本国内少子化」といわれるべきものであり、ここでも政府及びマスコミによる工作活動により多くの国民洗脳されている

世界全体で見れば少子化とは経済活動収束期待が見込まれ地球環境にとってもメリットしかないのだが、そこを無視して各国ともにいか相手国を出し抜いて自国人口を増やすかという思考時間をかけている醜い有り様よ

そもそも国体護持を優先するのであればその中身である国民ルーツなどどうでもいいはず

ましてや何の成果も挙げず歴史に名を残さないばかりか子供さえ作らぬ無能穀潰し国民に居場所など与えたくないというのが枢軸の本音であろう

anond:20241210001449

国民の99%が玉砕して死んででも国体を維持するか

国民の1%未満の犠牲他国降伏するか

どちらかだけを選べって聞かないと意味ないよ

日本って国体を維持する必要はあるのか?

どうなの?

2024-12-05

×ネトウヨは何故天安門が好きなのか→△何故嫌いであるべきか

ネトウヨはすぐに他国軍事弾圧肯定するくせに、なぜ天安門とか六四天安門とかbioに書くのか」という話をしばしば見かける。何か妙な勘違いなのだが、ネトウヨの連中は「敵国に迷惑がかかる行為称揚し、自国迷惑がかかる(と思い込んでいる)行為を批難する」という点において一貫しているだけであり、何も矛盾はない。中国の現体制に対して何かしら迷惑ダメージがある現象なら何でもいいのであり、つまり軍事弾圧の是非や民主主義イデオロギー最初から問題としていない。要は一昔前の、自由民主主義の国アメリカがその辺の独裁国家支援していたのと同じである(ピノチェトとかフセインとか)(パフラヴィー朝なんかは話がちょうど良い具合にややこしくなると思う)。

軍隊による民衆弾圧親和的なのもある意味当たり前の話で、むしろ軍人は何のために銃を握るのか」という議題に対し、少なくとも日本人歴史観においては「国民を守るために銃を握ることはありえない。それは異常である国体または軍隊自身を守るために銃を握るのが一般的であり、その目的達成のために国民に各種の危害を加えるのは比較的当然のことである」という認識のはずだ。そもそもそれこそが日本国憲法第九条の前提そのものではあるまいか。恐らく「普通の日本人」とやらにとって、軍隊自国民を守るために存在し行動する、という「印象(コンセンサスと言い換えてもよいだろうか)」そのもの存在しないはずだ。それは案外、「普通の」どころか左右両翼の共通認識ではないだろうか。

かに明治以降旧軍侵略戦争か、なんとなくその場のノリでその辺の戦争に参戦するか、いずれかの経験ばかりだったわけで、直接的に国民を守るための軍事行動というのは教科書に載るレベルでは存在しない(占領地に住んでる人を守るというのも、そりゃまず占領してんだし……という話が先に来る。まあスタコラサッサと逃げた関東軍は流石にちょっと凄い気はするが)。当然、ここで元寇災害救助の話をしても仕方ない。それは過去の話ではないのか、現代にあってミャンマーシリアと同レベルで恥ずかしくないのか、ではない。軍隊とは本質的に恥ずかしくて危険もの、できればこの世に存在しない方がいいものなのだ。繰り返すが9条はそういう話のはずで、ここに論理の飛躍は一切ない。

話をあえて脱線させるが、日本人は恐らく「尊敬に値する軍隊」を近現代において認知したことがなく(自衛隊は日々努力し結果も出しているものと思うが、まあ個人単位で時々変なの沸いてはいるしなとも)、また「軍隊に対する正しい尊敬の仕方」も習得していない。これらは良い手本となる先達国があるのか、またそこから学ぶだけでどうにかなるものなのか、は良く分からないが、これからでも議論はあっても良いと思う。国民に銃を向けない軍隊や近似組織は当たり前ではなく、どうにかして作り続けなければいけないものではなかろうか。「デモ中に鉄砲を掴んだら危ないぞ」ぐらいは正直それはそう程度の反射的感想でもありえるところで、大事なのはわざわざそこを起点にしてまで危険発言をすること等を阻止することであろう。

また別の方向に脱線させれば、日本人はまた「イデオロギーの基に生きて、時々うっかりイデオロギーのために死ぬ」という生活想像できないのではないか国益になるなら自他のイデオロギーを問わない、というのはネトウヨ根底の(ごく一部ではあろうが)どこかにあるし、本来それ自体はあまり頭ごなしに否定するものでもない気がする。

逆に言えば、日本国民ネトウヨの「9条のせいで日本が駄目になる」という妄言を、妄言ではなく実際に真剣に実現する義務を怠っている。9条を守って国体崩壊日本国民財産生命が著しく損害を受ける事態になれば、それは国際社会において極めて重宝される歴史や教訓となるはずであり、「お国のために死ぬ」より数十段もマシな「お世界のために死ぬ」が実現するにはする。これは割と皮肉冗談ではなくて、一国の利益がために他国侵略するという不正義の対極である以上、国際社会はそこに何らかの価値と教訓を見出し称揚する責務が存在するはずだ(責をさぼる可能性は大分あるが)。国際社会への貢献とはそのようなものであり、できないのであれば素直に「すみません終戦時点ではアジア諸国マジで見下していて方々に攻め入るだけの国力を持つに至るとは思っていませんでした。完全に大東亜共栄圏脳のまんまでした。これからは行きすぎない程度の暴力装置自由民主主義のために集団的自衛権とかPKFかぐらいはします」と謝罪したうえで改憲議論でもしたほうがよろしい。

話をタイトルに戻せば、価値観を共有できない国とどう向き合うのか、というより「友好的に向き合ってはいけない」という、普通世界各国と仲良くするのは良いことでは……?という直感に反するイデオロギー準拠の行動指針にどう向き合えばいいのか、(すぐ撃てばいいという話では断じてないことこそをも含め)考えなければいけない訳である。もちろん「考えなければいけない」などというみっともない文末はよろしくないのだが、これはもう完全にしようがない。

2024-12-04

芸人とかもテレビ出るレベルになると実は有名大卒業とか、柔道国体出てたとかサッカー有名高校10番だったフィジカルエリートとかそういう奴多いよな

昔は芸人なんて社会不適合の流れ着く先みたいな扱いだったみたいだけど

結局どの業界もできる奴優秀な奴で回っていくんだな

下級の労働者なんて今や芸人以下だよ…

2024-11-25

他人の道聞かれ事情は知らんけど

俺は比較的よく道を聞かれる

しか外人に。

通勤以外はほぼ家からでないから外出時間比で言えば国内トップレベル

国体に出れる

でも家から出ないからだいたい場所を知らない

焼肉屋とかホテルとか聞かれても知らない

もよりの郵便局も知らない

今日ちゃんと答えれた

3年ぶり2回目

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