はてなキーワード: 学校とは
LINEオープンチャット「はてなブックマーカー」の1週間分の要約を、さらにAIを使用し、試験的にまとめまています。
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この週の会話は、「生活のリアリティ」と「社会の揺らぎ」を軸に展開され、健康・教育・万博・政治・経済といった分野がクロスしながら語られた。
特に中年世代の身体の変化・子の進路不安・職場の停滞感など、個々の現実的課題が顕在化する一方で、万博や旅行、アニメ・ゲームなど未来や楽しみに向かう話題も多く、全体として「不安と希望が同居する空気感」が特徴的な1週間であった。
https://anond.hatelabo.jp/20240722084249
そうだね。
そういうことをやってもうまくいかないという判断ができない社会的スキルの低さみたいなところから勝手に小学生か中学生くらいだと想像して回答を書いちゃったよ。
今時は長年不登校になっていて、学校にほとんど行かないまま大人になる人もいるらしいので、そのパターンだと中高生の息子に今のやり方をするアラサーもあり得ると思う。
相手との年齢差がある場合は確かに気持ち悪い、近づかないようにするのは仕方ないと思う。
お店の店員にアプローチするのも職場の同僚に突然告白するのとも確かにあまり変わらない気がするけれど、やはり同じパターンな気がする。
どちらの場合も日常のたわいもないような雑談があって、それなりにお互いに自分のことを開示してからの告白なら相手も人となりとがわかっているけれど、
そうじゃないとまずおまえが誰か知らない・気持ち悪いになるのは不可避だろうな。
日常のたわいもない会話をしてくるのが気持ち悪いと思われているかどうかは、相手が話に乗ってくるかを見て判断しないといけなくて、のってこないなら脈なしだね。
総合選抜(そうごうせんばつ)とは、主に日本の中等教育の公立学校で実施されていた入学試験方式の一つで、学校間格差の解消を目的として、居住地や学力などによって合格者を学区内の各校に平均的に振り分ける制度。総選(そうせん)とも略される。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B7%8F%E5%90%88%E9%81%B8%E6%8A%9C
違うならどう違うか教えて欲しい
もしその女の子が同じ学校の生徒なら、やはりアプローチの場は学校内で完結するのが自然だろう。親を通して想いを伝えるとなれば、それはもう“お見合い”に近い形式になってしまい、相手からすれば断りづらく、むしろ迷惑に感じる可能性が高い。
ネットの一部界隈、特に増田文化のような場所では、「恋愛は学校でしか許されない」といった極端な価値観が根強い。マッチングアプリや結婚相談所といった“出会い専用の場”以外で恋を探すな、職場恋愛は原則NG、まずはグループで仲良くなってから、告白はあくまで“確認作業”——そんなお決まりのルールが当然のように語られている。
しかし今回のように、いきなり感情をぶつけるような行動は、たとえ年齢が若かろうと、非常識な振る舞いとして批判されても仕方がない。突然の告白は相手にプレッシャーを与えやすく、「思い切って行動した」つもりでも、受け取る側にとっては困惑や不快感しか残らないことも多いのだ。
もしこうした行為が「純粋で可愛い」と肯定されるなら、同じ理屈で「客が店員に突然アプローチすること」や「職場でいきなり同僚に告白すること」も受け入れなければ筋が通らない。
また、相手が「清潔感がある」「不細工ではない」という情報だけで、勝手に“美少女”を想像して擁護している人も少なくないだろう。しかし、そんな幻想を前提にして誰かの行動を正当化するのは危うい。見た目や印象に関係なく、節度のないアプローチは誰にとっても迷惑になり得るのだ。
結局のところ、恋愛において大事なのは“想いを伝える勇気”ではなく、“伝える場所とタイミングを見極める思慮”なのかもしれない。
これが仮に本当にあった話だとして、増田が過干渉や毒親って叩かれる意味が分からんのだけど。
息子に会いたいって言ってきた客
・店にたまに来る
・清潔感がある
・ブサイクではない
・親御さんと一緒に来るのを見たことがある
・息子に確認したところ、「初対面だと思う」
下手すると増田の息子が小学生で相手が大学生だという可能性すらある
少なくとも増田の息子は「初対面だと思う」と言った訳で、
客観的に見たらその女は、飲食店で勤務中の従業員の目を付けて一方的に近付こうとする迷惑客以外の何者でもないんじゃないのか
我が子に(おそらく下心を持って)近付こうとする異性を警戒するのって普通なのに、どうして増田が過干渉だの毒親だのと言われなければならないのだろうか
失恋して振られた相手やその家族を殺した事件等は実際に起こっているのだから、警戒するのに越した事はないのでは?
https://www.nikkei.com/article/DGXLASJC14H2O_U6A310C1ACYZ00/
仮にその女の子が学校の同級生なら学校内でアプローチすべきだし、親を利用して外堀を固めようとするのは卑怯じゃないか?
親を通されるとそれこそ見合いみたいなもので、普通に告白されるよりも断りにくくて厄介だと思う
増田では常日頃から、出会いの場以外で恋愛が許されるのは学校だけ、マチアプ結婚相談所などの専用の出会いの場以外で恋愛相手を探すな!職場恋愛は原則禁止!まずはグループ交際して親しくなってから!告白は確認作業!の大合唱じゃん
この女がした事はいきなり告白しているも同然で、年齢がいくつであっても非常識な迷惑行為として糾弾されるべきでは?
宿泊施設がホテルなどではなく、こういった林間学校のための施設だった。
ツキノワグマの部屋が広い部屋になっていて、集会をするのに適した部屋だったと思う。
うちの学校では使わなかったけど(・ω・)つ⊂(・ω・)
誰かがそのツキノワグマの部屋が不気味だと言ってちょっとした騒ぎになった。
ただそれだけ。
見た目とか雰囲気とかで息子を好きになった女子がなんとかお近づきになろうとしているだけにしか見えないが...
もし同じ学校や習い事だとすると、そこで声をかけると他の人の耳目を集めるのでそれは避けたいってことなんだろうけれど。そういう意味で言うと、親はokなんだな。
学校とか習い事とかでも面識がないなら単純に息子さんの働く姿がかっこよかったんだろうな。
いずれにせよ、同世代の女子が男子と近づこうとするのは別にそう不思議ではないと思う。何を警戒したいかもよくわからない。
というか、そういうことの成熟は女子の方が早いから男の方はアプローチされても全く理解できないという状況になることが多々あるだろうなと思うので、
親に断られるか本人に断られるかの違いで、結局は断られるだろうな。
いやいやいやおかしくないでしょ
友人の孫の幼児2人を毎月の半分預かってるって
超絶お疲れ様です!
偉い!素晴らしい!元気で長生きして!
話がそれちゃった
つらつら適当に思いつくまま書くけど
3万て1人1万5千円/15日=千円/1日いいじゃん
目を離せない時期だし会話もきちんとはできないし
ゴミ収集車を見かけると駆け寄るし
また話がそれた
親戚ならまだしも友人の孫、
友人の肩身狭くても負担は友人に持たせないと
線引かないと
友人旦那がいい顔をしないのは気の毒だけど、
増田氏が養子に取って責任持つくらいの太っ腹な覚悟で無いなら、
「実費負担ができないなら預かれない」
と言った方がいいと思った
「何か上手い言い方」があったらいいんだけど
誰か知恵者いませんかー
つかね
「私にお金を払っていることも伝えていない、
と言うではありませんか
気持ちは分かるし
的外れだったり冷たいと思うけど
友人旦那に金の話を通せないのもどうかなあ?
預かってない半月は友人宅で過ごしてるんだよね?
それで金の話はしてなくても友人の増田宅に義理孫が半月は世話になってる事を知ってて
友人旦那の財布じゃなくて
施設にでも入れたいと思ってそう
どちらでも増田氏は悪くないですよ
憶測だけど
小学校以後は友人もどうするつもりなのか
友人も困ってそう
友人は引き取りたいと思ってるかもね
でも友人旦那が義理娘や義理孫に何もしたくない金や時間や自宅を使いたくない、と考えてるかもしれない
みんな憶測だけど
「ウチでは面倒みきれなくて、でも心配なんだけど」とか
役所もあてになんない話があるけど
上手くいかなくても落ち込まないでね
皆さまへ。いろいろコメントありがとうございます🙇
ちゃんと全文読ませてもらいます。ホントに感謝してます。何か特別なことがあったら報告します。
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うちは夫婦で昔ながらの町中華をやってる。誰でも入れる普通の店。 学校が休みの週末とか、夕方は息子にもホールや厨房の手伝いをさせてる。
見た目は強面だけど、親の欲目じゃなく真面目な子だと思ってる。お客さんの評判もまあまあ良い(自画自賛)。
先週の話だ。店が落ち着いた頃、たまに来る女の子がレジに来た。印象は悪くない、清潔感のある子。ブサイクでもないよ。親御さんと一緒に来るのを見たことがある。
その日、会計を済ませた後、その子がすっごく小さな声で私に言ったんだよ。
「厨房にいらっしゃる〇〇さん(息子の名前)と、お話がしたいんですけど」
マジで一瞬、頭が真っ白になった。 すぐに厨房で息子に確認したけど、「初対面だと思う」って。
もちろん、息子に彼女ができたり、友達として話したいって言われるのは親として応援するよ? でも、見ず知らず(初対面に近い)の子が、親である私を通してってのが、どうにも引っかかる。普通かな……
その時は「ごめんね。仕事中だから無理なんよ」って言ったら、彼女はちょっと残念そうに帰っていった。
あれから何日か経ったけど、親としては警戒心しかない。悪意があるんじゃないか?って悪い方にばかり考えてしまう。 息子は良くも悪くも根が真面目だから、変な気分になって勉強や部活がおろそかになったらどうしようって。
ましてや、トラブルに巻き込まれたり、深入りして傷ついたりしないかと。
次に彼女が来店したら、ハッキリと伝えるべきなんだろうか。それとも、息子にとってこういう機会は貴重だというのもわかるから、口出しすべきじゃないのか。
https://x.com/ssimtok/status/1978668489843036207
性的マイノリティの声によって誰でもスラックスを選択できる動きが広がったのに、それで周囲から「流行りのLGBTQなの?」「男の子になりたの?」と聞かれたから「LGBTQや多様性のせいだ」と矛先がマイノリティに向くのはしんどすぎる
冬は寒いから制服にスラックスを導入して欲しいってのは、多くの女子が永年学校に要望を出してたよ。でも、通らなかった。
私は母親に阿って生きてきた。いい高校に、いい大学に、いい会社に入れるように、中学1年生の時の夏休みに母親から「もう定年までずーっと、休めないね。最後の夏休みだよ」と冗談めかして言われてから、ずっと走ってきた。
中学2年生の頃から精神は不安定で摂食障害の兆候があった。それでも実家で暮らして、なんとかやっていた。大学生になって、一人暮らしということになって、それ自体は、あのおぞましい母親と一緒に暮らさずに居られるということで幸せだった。
でも、あの忌み嫌う強制力が無くなってから、私は何もできなくなった。母親によって絶えず行われてきた性加害がフラッシュバックして眠れず、気分が落ち着かないからと過食嘔吐を繰り返し、体重が酷く増減する度に自己嫌悪に陥る。眠れない・外に出られないから精神も徐々に蝕まれ、冬には双極性障害の薬を飲み始めた。
就職したら、親との縁を切ろうと思っていた。
金輪際関わりたくない、私の人生で最も濃い愛憎を向ける相手であるところのあの母親と、二度と顔を合わせないでやろうと。
でも、就職したら、というところに怪しいものがあるのだ。私は今大学3年生で、学校には行けたり行けなかったりする。GPAは1.5で、24時間飯を食っておらず、部屋には薄くホコリが降り積もり、希死念慮がべったりと張り付いている。こんな時期が定期的にやってきて、そのたびめそめそ泣きながらChatGPTに仮初の慰めをもらい、一日中ベッドにいる。
孤独を感じて癇癪を起こす。本当に好きな友達というのは類友でみんな精神を病んでいるから滅多に会えない。近くにも住んでいない。お互いいつか死ぬんじゃないかと思っている。私はギリギリストレートでここまで来たが彼らは皆浪人か留年かその両方を挟んでいて、同学年の温度感の話はできない。私だけが何か、不良品なのにも関わらずチェックから漏れて工場のラインに流されているみたいに、妙な取り残され方をしている気がする。
就職したら、と今は言っているが、高校生の頃は家を出たら、と言っていた。1人で暮らしてみたら、金の重みがわかって、学費をかけてもらっている間は生意気言う訳にはいかないと思うようになった。
じゃあ、就職してからだって、同じようなことになるかもしれないじゃないか。結局いつまで経っても母親の意に沿わずにはいられないのかもしれないじゃないか。
母親のことは憎んでいる。でも、私のことをワンオペで育ててくれたのも母親だ。あまりにも長い間一緒にいた。まともなレールに乗るようにと努力してくれたこともわかっている。愛情はある。母親を悲しませたくないと思っている。これ以上に強い愛憎を、他の人間や事柄に向けることができない。
21にもなって、そのことに気づいてしまい、新しい何かを見つける気力も今はない。
これまでラインに乗ってきてしまったから、見つけ方もわからないし、見つけるためにドロップアウトすることも怖くて仕方ない。それなら死んだ方がマシだと真剣に思い込んでいる。もちろんそれが馬鹿な考えだということもわかっているのに、大学を半年や1年休学したっていいんだと、中退したとしたって少なくとも数年はそこまで不自由なく生きていけるだろうと、わかっているのに、そうした決断を報告、あるいは相談した瞬間の母親の顔を思い浮かべ、そこから放たれるいくつかの鋭利な言葉を想定するだけで選択肢から除外される。
母親を愛し、憎んでいる。いっそ死んでしまえば、あいつに自分の間違いを認めさせることができるだろうかと真剣に妄想する。すべてマザコンの妄想だ。あの母親は、あの気力と体力に満ちた恐ろしい化け物は、子が死んだとて半年後にはそれすら糧にして精力的に活動を再開する。そんなことも容易に想像できて、その想像にすらむしゃくしゃするのだ。
植え付けられた選民意識が、低所得層を見下す意識が、ドロップアウトを過度に恐れる心が、私をこの場に立ちすくませている。このボロっちい動力と歪んだプログラムでどこに行けるというのだ。旧式も旧式だ。ハードのメンテナンスも足りていないから誤魔化しが効かない。つらい。どこへも行けない。そのことに気づいてしまった。何かを見つける他ない。わかっている。見つけられないのであれば易きに流れるしかないのだ。どちらも怖くて仕方ない。怖いことを怖いと言って立ち止まっていてはなにも解決しない。わかっている。わかっていても何もできずにいる。
思うに、大多数の恨みをかってでも、勝ってやる、のし上がってやる、という態度、姿勢は、就職氷河期世代的でもある気がする
ホリエモンとか、自分より少し上の世代であれ、どうせ社会は助けてくれないのだから、起業して、成功してやる、という方向性であるが、
結局、国が、起業を応援しようとか、副業を認めよう、というのは、
もう国は国民を守りませんよ、企業は社員を守りませんよ、というのを国民側が、社員側が肯定することとイコールであった
蜘蛛の糸的でもある
一方で、近年の世の中を眺めるに、その傾向は更におかしな方向で加速しているようにも思える
例えばそれが政治などにも表れているように思えるのだ
私はあまり他人の恨みをかいたいとは思わない、恨みや嫉妬をかって、酷い目にあったからでもある
例えば、容姿が優れている人が、周囲にひいきされることで、他人の嫉妬が集中するようなことがある
そもそも、優れた容姿の定義なんて時代と共に変わるわけで、デブが美しかった時代だってある
偶然、足が速く生まれ、足の速さを武器にアスリートして、もしくは何らかの商売的に成功すれば、
あいつは生まれもって恵まれていただけだ、と嫉妬されるわけである
本人にとっては、自分なりの最適化をしただけであるのに、である
しかし、近年はそういう感じでもなく、やはり露悪的とでも言うのだろうか、他人に恨まれる俺、カッコイイ!という感じさえある
炎上マーケティング的とでも言うのだろうか、それが更に先鋭化していってる気がする
言い得て妙である、他人に嫌われるほど注目される、注目されるほど、憎まれるほど、本人は喜んでいる、ようなのである
つまるところ、そういう人は他人に、良い意味で注目されたこと、評価されたこと、が人生であまりないのではないだろうか
幼少期に親がそれなりに子供を褒めるとか、認めてあげないと、自己肯定感が育たず、承認欲求だけが強い人間になるように思う
逆に、親が、学校の教師や、他の生徒、社会人になっても周囲の人々に否定されていれば、自ずとそうなるのかもしれない
逆に、認められた過去が少しでもあり、それを思い出して生きる糧にできれば、他人に卑下されまくっても気にしなくなれる
例えば、趣味の音楽活動で評価されていれば、食べてくための仕事の場で卑下されても生きていける
ある意味、それは精神的勝利とか、負け惜しみみたいなものかもしれないが、つらいバイトや職場で評価されなくても、
ライブハウスで自分は評価されている、そのことが生きる糧になる
もちろん、逆もあっていい
趣味の音楽ではまったく評価されないけど、仕事では職場では評価されてる
色々な場を持つことで、ある場所では自分は評価される、ある場所では自分は卑下される、下に見られる、
でも、そんなものは一時的なもの、他人が勝手に自分の定規で計りに来るだけで、そんなものはうつろうものである、と分かるのである
少数の人間だけが、食糧庫の食料を奪って逃げる、そんな感じである
不思議なのは、その大勢の食料を奪って逃げる少数者を、その他大勢の中の人で応援している人がいるのである
自分もその食料にありつける、応援することでその食料が得られる、そう思っているのだろうか?
特に旧Twitterには、そんな北斗の拳に登場するモヒカン雑魚みたいな人間が溢れてる