はてなキーワード: 道理とは
女性向けっぽいノリがちょっと合わなかったりしたが、出来がよくて楽しめた。
飛び散る彼岸花と焼かれる案山子、子供向けにマイルドになって…いやキツい!
ゲ謎みたいにガッツリやるかと思ったがアッサリめ、でもドクタケ城下の物乞描写したり力は入れてる。
雑渡、活躍するとは聞いてたがモロにメインキャラな。って、事前にちょっと調べて知っただけで、自分が教育テレビで見てた時は戸部新左ヱ門とか兵庫第三協栄丸は出てたが、タソガレドキ城なんて影も形もなかったけど
果たし状バトル、相手が雑渡の部下(諸泉)とわからずモブ忍者と思ってた。アクションがスゴい。原作だと訓練メインてのもあるだろうけど、忍術とか忍具とかの知識面に力入ってる感じだったが、実戦でのニンジャアクションいいね。滝夜叉丸先輩は分かるが(サービスで出した感ある)六年生組はなんとなく見たことある、くらいでよく分からん
きり丸、大事な人が死んだ(かも)って時、泣くとかじゃなく呆然とする感じなんだな
天鬼戦、多対一戦で手持ち武器の違いも活かされてて、単純に出来がいい。
山田先生の活躍が渋い。利吉さん、そういう需要があるのは知ってたがお兄ちゃん呼びはあざとすぎる
八宝菜、頭打っておかしくなるとは聞いてたが冷酷だけど忍者としてはある意味マトモだ
山田先生との忍者対決があると聞いて楽しみにしてたがなく、後から思えば原作でそういうシーンがあったって話してたんだろうな
ドクタケミュージカル、天鬼の表情との対比は面白いしクオリティは高いけど好みとしては少し合わなかった
忍たま、普通なら捕まった時点で処されて終わりだよな…でも八宝菜の処刑作戦もドクタケの人ドン引きしてたし、頭打ってなかったら思い付きもしなかっただろうから学生殺すのはマズイだろみたいな不文律があるのかも…普通は実戦にはいかんしな
雑渡、通りすがっただけとかさよならの挨拶とかジョークのセンスいいよなあ。毒手裏剣止めるとこ、斬ってたら投げてたんだろうなと
ラストは土井先生がおでん定食に苦しむのかと思ったらそんなことはなかった
エンドロール後も雑渡の話じゃねえか!
原作ありらしいが、土井先生がドクタケに行って雑渡がは組担任って二次創作の設定みたいやな…そう言う意味ではジークアクスっぽかったかも
まあ映画はよかったんだけどさ
映画終わって調べたら兵太夫とか言うらしい。名前は聞いたことあるような(三人組以外は喜三太と庄左衛門しか知らん)だが、原作からキャラデザが変わったみたいで、道理で知らん訳だ。
暖かい。春の芽吹きも近そう。
去年精力的に抜いたのもあって、割とハゲ散らかしてるが。
隣の庭が青年の無精髭なら、こっちはちょっと生育の良いローティーン程度か。
豆みたいな葉だと思っていても、縦に横に5cmほどの根を張ってたりして油断ならない。
連中が死にかけの一年草なのか牙を研いでいる最中の多年草なのかは知らんけど。何であれ、葉で陽を受けて光合成して成長するって理屈なら、徹底して毟れば減る一方って道理に違いない。
まあまだ春前だし、よそから種が飛来すればその分はどうしようもないんだけれど。
目に付く葉っぱを片っ端から抜いて、それが片付くと今までは視界に入らなかったより小さなやつが目立ってくる。それを抜いて……と気づけばすっかり更地だ。
やっぱりヒゲは剃るより抜いた方が良いし、草も刈るより引っこ抜きたい。
0.5mm程度頭を出している毛でも、肌の下には5mmほども埋まっているというのが我慢ならない。
ノビルだかなんだかよく分からんけど、球根のやつが一番タチ悪かった。根に栄養を溜め込む奴は徹底しないとすぐ増える。
発芽が本格化する前に除草剤を撒いときたいが、去年使いすぎたし今年はやめておく。生け垣の葉が未だにちょっと黄色い。
ビッグモーターにインスパイアされて調子乗り過ぎた。見慣れた雑草に変わって、なんかシダのようなコケのような謎の葉っぱとか、雨上がりには変なキノコとか生えるようになったし。
今年は発芽段階でマメに抜く方向で行こう。
最後にちょっと土を乾かしとくかと思ってほじくり返しいたら、見覚えのある白いのが伸びている。
丁寧に端を辿っていくと、今にも地表を貫かんと上向いた地下茎が先端を尖らせている。一番牙を研いでる奴いた。
去年かなり丁寧に除去したんだけどな。
まあ冬の間は栄養を使う一方だし、掘り起こされるのが一番ダメージ食らうに違いない。
核兵器が有効である という建前を保つなら ウクライナがロシアに勝てるはずがない という立場を トランプ・アメリカがとるのは当然だ。
核兵器の戦略的有効性は 現在のアメリカの地位の 源泉であるのだから トランプ・アメリカが これを譲歩することはありえない。
これを違えれば 米国がチャイナを恫喝することも 不可能になる。
なんせ 頭数で勝るチャイニーズは 大量破壊兵器が無効ならば 米国に屈する必要がない。
トランプ・アメリカの真意は ウクライナに対し ロシアに屈服せよ というだけではない。
核兵器が使われれば 80年の長きにわたり 属国支配が可能になる。
核兵器を 侮ってはいけない というのが トランプ・アメリカのメッセージだ。
ゼレンスキーは トランプ・アメリカに 核兵器をくださいと 頭を垂れる以外に なかった。
そのために 何を差し出せるか という交渉が 持たれるべきだった。
ゼレンスキーの態度は アメリカだって 実際には核兵器なんか 使えっこない でしょ?と
おちょくるも 同然だった。
核兵器による秩序 という 中心的な前提を 共有できない者とは トランプ・アメリカは 交渉しない。
かくなる上は ウクライナが勝利する唯一の道は EUが先制攻撃で ロシアを核攻撃する というものだ。
これならば トランプ・アメリカの面目を保ちながら ロシア軍を殲滅できる。
無論 実際には この決断ができる者は いないだろう。
今が 最悪の最終局面だ。
若い女性、下手したら未成年に甘い言葉をかけて、信用させて、夜の世界に誘い込むアカウントが凍結された
ハッキリ言って下衆な女衒そのものであるし、「女性に寄り添った優しい言葉」等は信頼させて寄り添っている風を装っただけの
詐欺の典型的な手法であり、そうやって信頼させて夜の世界に堕とした女性から搾取するという、詐欺師で女衒で女性から性搾取するという
どう考えてもゴミクズ犯罪者であり女性の敵そのものであるのだが、何故か女性達は彼の凍結を惜しみ、擁護し、凍結は当然だと当たり前の主張をする男性達に口汚く中傷する始末
これは何故か?
優しい言葉をかけて、寄り添ってもくれて、金も持っている、強い男(恐らく外見もそれなりだと思われる)
ツッコミ所は死ぬほどあるしやってる事は下衆そのものなのだが、「嘘でも良いから優しい言葉は真実だったから彼は正しい」などと道理が通らぬ事を申していた女性アカウントもいた
男性目線で言えば女衒やってる時点で強いどころか屑だし、未成年にまで手を出す輩などゴミクズの極みでしか無く、「強い男」とは程遠いのだが
つい先日も元鈴木の氏の様な、パワハラ気質且つ煽り屋で攻撃的に男性蔑視を繰り返す癖に反論されると女性の盾に隠れて被害者面する卑劣な卑怯者が「強い女」だと
多数女性達から持て囃され、支持されている現場を目の当たりにしているので、我々が思う「強さ」と、女性が認識する「強さ」の概念は、思っている以上に異なるのだろう
老人に対する高額医療はやめろとか、無駄に医者にかかるなとかさぁ・・・。
本当にみていて悲しくなる。日本人はここまで精神的に貧しくなってしまったのかと。
あのさあ、老人だってこれまで仕事をして税金を納め、子供を育て、社会的な責任を果たしてきたわけですよ。
それなのに、体調が悪くなって病院に行くと、若い連中から「医療費を無駄遣いするな」とか言われるのは道理が通らないですよ。
今の若い連中が安心して日本で過ごせるのは、ご老人が一生懸命日本を守りぬき、育ててきたからだろうよ。なんでそのご恩をしれっと忘れるわけよ?
医療費の自己負担が不当に安い?あのさあ、老人ってのは生物的にガタが来ているわけですよ。
それなら病院に通う回数が増えるのは道理だし、それができるように社会的に支えあっていこうってのが日本人の精神だろ?。
若い連中が高額医療費制度の改悪に怒っているみたいだけど、若い人がそんな病気にかかるのは自己責任でしょうに。
というか、老人が「24時間戦えますか」とか言われて戦ってきたのに、今時の若者はやれ労働基準法がどうだ育休がどうだとか、本当に情けない。
国力が落ちたのはひとえに若者が怠惰になってきたからだってことだよ。
さぼりたい・楽をしたいからって若者が勤務時間を減らすのは勝手だけど、そのせいでお金を稼げないのも若者自身のせい。
老人に責任を擦り付けるのは本当にやめたほうが良いよ。
こないだ「バイト仲間の高専6年生」と書きながらふとそういえば一昨年の暮れにもそいつのことを「バイト仲間の高専6年生」と書いていたような気がするなぁと思いながらまあいいかと思って記事を投稿したらツッコミが複数入った。
そういえば、その人が高専5年生だった頃に卒業後は大人しく就職するか高専で勉強するかどうか悩むーとか言っていて、そのよく春には結局卒業して専攻科なる所へ入学したのなんのと言っていたような気がした。のだが適当に「高専6年生」と日記上で呼び始めたあと光陰矢の如しに時間が経過したのでふざけて「高専7年生」と呼ぶべきところ「高専6年生」のまま止まってしまったんだな。
高専7年生が当店でバイトをし始めた頃は確か19歳と言っていたので、この人けっこう長い間勤めていたんだなぁとしみじみ思ったのだがその「長い間」って何年だったかな……頭の中に霞がかかっていてよくわかんないや。高専7年生はこの春就職するギリギリまでバイトを続けるつもりでいると言うけど、実際ギリギリまで居れると思って本当に居れた学生さんってこれまでに1人もいない気がする。結局なんだかんだ3月上旬に急遽辞めるパターンのような。となると下手すると同時期に高専7年生とお気持ち繊細ヤクザが辞めるわけで、また当店は地味に人手不足になるわけだ。
お気持ち繊細ヤクザの跡継ぎ要員としてこの春から大学生になるという高校3年生は、この間の火曜日にコンビニ労働4日目だったのだがもうすでに表情が曇り切っていて、品出し作業の途中にふと手を止めては虚空に向けて視線を漂わせている。大丈夫かなあこの子。
店長から高校3年生の教育係を任されているお気持ち繊細ヤクザは、高校3年生が帰った後で、
「俺、明日も彼と仕事なんすけど明日は絶対彼に俺の側を離れて欲しくないんですよね。明日中に絶対に完璧に仕上げたいんで」
と言っていた。やめたげてよぉ、どうせ準夜の仕事なんて特殊なもの何もなくて皆同じ仕事してるんだからさぁ。2月中に完璧に出来る様にならなくても、私やスリランカ人も教えてやれるしサポートも出来るんだし、慌てるこたーない。
ところでお気持ち繊細ヤクザが店長から「お客さんから注文されたものだから売り場に品出ししないで」と言われた物を品出ししてしまったり、危うく品出ししちゃうところだったという事がここ2週間ばかりで何回かあって、ここ2週間といってもお気持ち繊細ヤクザの出勤日数は少ないから出勤するたびに同じやらかしをしているという事になる。
先週の火曜だったか木曜だったかには、店長が「お気持ち繊細ヤクザくん(仮名)にはちゃんと言っておいたけど念の為に増田さんにも言っておくね」と氷結レモン1ケースはお客様が注文したものだから絶対開封せず「お客用」って書いた紙を貼って事務所に置いとくよう指示された。
それで、その時点ではお気持ち繊細ヤクザが何度も同じやらかしをしているということを知らなかった私は、ダブルチェック大事だよねーという軽い気持ちで、ドリンクの品出しを始めようとしていたお気持ち繊細ヤクザのところに行き、
と声をかけたらその時お気持ち繊細ヤクザが開封しようと手をかけていた箱がまさに氷結レモンだった。
「あれ、店長がお気持ち繊細ヤクザさん(仮名)にちゃんと言っておいたって言ってましたけど聞いてなかったですか?」
「いや、聞いてないですね。でも、えっあるんですかお客さんが頼むとか。でも道理でおかしいと思いました。この箱だけ変な紙貼ってあるし、でもえっ? ダメなんですかこれ品出しするのは?」
とか言うから、念の為にこれがその予約商品なのか電話で店長に確認した方がいいですよと私が言ってもお気持ち繊細ヤクザはなんかモゴモゴ言ってはぐらかしたので、私は彼に「ちょっと待っててください」と強めに言い、スマホを持ってきて氷結の写真を撮り「予約注文のやつこれですか?」と店長にLINEしたらすぐに
『そうそれー』
と返事が来た。お気持ち繊細ヤクザは何故か酎ハイの品出し自体を放り出してウォークインでソフトドリンクの品出しをしていたので、私が台車に積んである酎ハイの下から2番目にあった予約商品の氷結を事務所まで持っていった。お酒とか調味料とかをケースで注文すると、箱に当店の店名がでかでかと書かれた紙が貼られた状態で届くので、ひと目で予約商品とわかる。
昔、当店で定期的にマヨネーズをケースで注文するおじいさんがいたけど、いつの間にか来なくなった。飲食店を経営している人で、もうけっこうなお年だったので廃業してしまったのかもしれないが、元バイト仲間のAさんによれば旧オーナーがお客様から注文された商品をよく発注し忘れることと、昼勤の人たちが知らずに品出ししてしまう事が立て続けに起きたせいでお客様を怒らせたからだということだったが、本当のところは謎。
ケース買いの商品は箱のバーコードをスキャンして会計することが出来ないので、売り場にそれと同じ商品があればそれを持ってきてスキャンし箱の入り数を掛けた金額で売るのだが、うっかりスキャンするだけに使った売り場の商品
話を戻すと、氷結レモンの危機は回避したのだが、お客様の注文のポケモンカードは私のいない日に入荷して、誰もチェックしなかったのでお気持ち繊細ヤクザが品出ししてしまった。お気持ち繊細ヤクザ曰く、
「秒で売れた。」
その事をお気持ち繊細ヤクザは店長に黙っていたらしくて、その翌日私が出勤すると店長が慌てて1号店にポケモンカードを取りに出かけるところだった。
「ポケモンカード注文したってお客さんが来たら、まだ届いていないとか何とか上手いこと言って誤魔化しといて〜」
と言い残して店長が店を飛び出して行った1時間後くらいにポケモンカードを注文したお客様が来店。嘘をつくのがびみょうに苦手な私は、
「手違いでポケモンカードは1号店に届いたので、今店長が取りに向かっているところです」
と答えた。
お客様は、
「そうなんだ。何だか急かしたみたいで悪いんね〜。また明日くるね〜」
と朗らかに言って帰って行った。怒ったり暴れたりするタイプの人じゃなくてよかったぁ。
ポケモンカードのこともお気持ち繊細ヤクザは店長から何も聞いていないと言っていたが、店長は最近お疲れモードで大事な事を言い忘れる事がある一方で、お気持ち繊細ヤクザは都合の悪いことは全部人のせいにする奴なので、本当のところはわからない……などと書く私は勿論お気持ち繊細ヤクザの事をミリも信用していない。
高専7年生が辞めるので、補充人員として数カ月前に高専7年生の友人で大学休学中の人が雇われて、つい先日にはダブルワークの気のいいおばちゃんが雇われた。
だが気のいいおばちゃんはアラ還くらいの年齢なのでやる気と元気はあっても記憶力がついていかない。気のいいおばちゃんの教育係を任された大学休学中の人には、教えた事を次の日どころかその日のうちに忘れるという事がとても信じられないことらしくて、私が40代以上の人達の記憶力のなさを舐めたらいかんですよ、本当に3歩歩いたらもう忘れるくらいなんです! と言っても、
大学休学中の人は気のいいおばちゃんのことを店長に「使えないからクビにしたほうがいい」と報告するつもりだと言っていた。大学休学中の人は大学を休学して自営業をしているだけあってシビアだ。
クイア・アイでも、23歳の黒人女性(養子)がゲイの矯正キャンプに入れられた/入れられそうだってやってたぞ
[シーズン3] エピソード5:黒人女性の大変革/Black Girl Magic
(ワイ自身は割とおれおれスピな人だけどね)
良い質問ですね!『箴言(ミシュレー)19:25』には、 "嘲る者を打て、そうすれば浅はかな者も慎む。" (הַכֵּה לֵץ וּפֶתִי יַעְרִם)
多くのラビたちは、「打つ(הַכֵּה)」という言葉を文字通りの暴力と解釈するのではなく、厳しい教訓や懲戒を与えることを意味すると説明しています。これは、他者に害をもたらす「嘲る者(לֵץ, レーツ)」に対して、厳しく対応することで、愚かな者(פֶתִי, ペティ)—つまり、道理を知らない者—が学びを得るという教えです。
たとえば、ラシ(Rashi)はこの節について、「罰を与えることで、愚か者はその結果を見て学ぶ」という意味だと解釈しています。つまり、社会に悪影響を与える者が適切に懲らしめられることで、他の人々が正しい行いを学ぶ、ということです。
トーラーやミシュレーで「嘲る者(לֵץ)」と呼ばれる人は、単なる愚か者ではありません。これは、意図的に他者を侮辱し、知恵を拒絶し、道徳を嘲るような人物を指します。
たとえば、『箴言 9:8』には、 "嘲る者を戒めるな、彼はあなたを憎む。"
とあります。つまり、彼らは善意の忠告すら受け入れない態度を持っているのです。
こうした人々には、柔らかな諭しではなく、はっきりとした対応が必要という考えがあるのです。
もちろん、現代では物理的に「打つ」ことは推奨されません。では、どうすればいいのでしょうか?
1️⃣ 「嘲る者」を甘やかさない—害を及ぼすような態度には毅然と対応し、悪影響が広がらないようにする。たとえば、悪質なデマを広める人や、倫理に反する行動を取る人に対しては、しっかりとした態度を取ることが重要です。
2️⃣ 「愚か者」に正しい道を示す—単に非難するのではなく、教育や模範を通じて、愚かさから学べるような環境を作る。これは、社会全体の善のためになります。
3️⃣ 愛と厳しさのバランス—ユダヤ教では「トクハハ(תוכחה, 戒め)」が大切ですが、これは愛をもって行うべきものです。単に怒りや罵倒をぶつけるのではなく、相手がより良くなるために必要な厳しさを持つことが求められます。
『箴言』のこの教えは、「愚かな者を罵れ!」ということではなく、「悪影響を及ぼす者には、必要な厳しさをもって対応しなさい」というメッセージです。
ワイ:
仕事を奪われる人のことに全く配慮せず、自分達の利益のみを求める企業や人、仕事を奪われた人々は、本人のリスキリングが社会に見合わない場合(リスキリングによって得たスキルが AGI により即時に無駄になる事というのは十分にあるでしょう)、そのまま飢えて死んでしまうが、それらは完全に自己責任で救う必要はない、と考える企業や人は居るでしょうね。
ChatGPT o1 pro:
企業や個人が「短期的な利益のみを追求し、社会全体の安定や弱者への配慮を放棄する」態度に走り、それを強力なセキュリティと AGI でカバーする――というシナリオは十分に考えられます。実際にそうした企業や人々が台頭しないようにするには、社会全体としての仕組み作りや規範の形成が不可欠です。以下にいくつかのアプローチを挙げます。
・CSR(企業の社会的責任)や ESG(環境・社会・ガバナンス)投資の概念を強化し、
・一定規模以上の企業に対しては「社会的インパクト評価」や「雇用維持策の開示」などを義務づける。
・AI/AGI の導入に関しても、“利害関係者への影響評価”を行わなければならないルールを作る。
・企業が“自社の利益のために大量解雇を躊躇なく行い、社会的損失を無視する”場合に、税制や取引規制などの形でペナルティが課される仕組みを検討する。
1.2 ガバナンス強化と独占・寡占の防止
・特定の企業が AI 技術を独占的に利用してしまうと、市場競争の原理が働かず、社会的コストを無視しやすくなる。
・そのため、反トラスト法(独占禁止法)の強化やAI 技術の標準化推進などにより、少数の巨大企業に権力が集中しないようにする。
・政治家や行政機関が企業献金やロビー活動の影響を受けすぎないよう、政治資金規正法の強化、透明化などを進める。
・働き口を失うリスクが非常に高い社会では、最低限の生活保障(ベーシックインカムなど)を導入しないと、多くの人が貧困に陥り社会不安が増大する。
・これは「雇用側に対する規制」という形ではないですが、企業が一方的に“勝手にやる”のを防ぐ抑止力として機能します。なぜなら、ベーシックインカムのコストを賄うには企業の利益や富裕層への課税強化が必要であり、結果的に企業の“無慈悲な行動”を難しくする可能性があるからです。
・「仕事を奪われる人々はどうなってもいい」というメッセージが明確になれば、企業のブランドイメージは大きく傷つく可能性があります。
・SNS や口コミが非常に強力な現在、企業の社会的行動が広く知られると、ボイコットやネガティブキャンペーンが起こり、長期的な利益を損ねるリスクがあります。
・したがって、消費者や市民が**“社会に配慮しない企業の商品やサービスは使いたくない”**という態度を明確に示せば、企業も社会的責任を無視できなくなります。
・「リスキリングをしても追いつけない人たち」「自分たちの意志に反して解雇される人々」を救済するために、強力な労働組合や市民団体が連帯し、政治や企業に影響を与えるのも大きな手段です。
・過去の歴史でも、労働組合や市民活動が最低賃金制度の導入や労働環境の改善に貢献してきました。
・現代版としては、AI/AGI 時代に対応した新たな形態の労働組合・支援組織が必要かもしれません。
・AI を開発するエンジニアや研究者にも、**「自社の技術が社会にもたらす影響を評価する責任」**があるという倫理観が浸透していくと、あまりに過激な技術利用には内部からブレーキがかかりやすくなります(例:テック企業内での「従業員の抗議運動」など)。
・そのため、大学や専門教育機関などで技術倫理を必修とし、社会科学や人文科学との協調を図るカリキュラムを導入するなど、「テック分野」と「社会的影響」を結びつける教育を推進する。
3.2 広く一般市民への啓発
・「仕事を失う人は自己責任」「見捨ててもいい」という考えを“当たり前”にしないために、社会全体で共生や連帯を重視する価値観を育むことが大切です。
・これは家族や地域コミュニティ、教育現場などでの取り組みが地道に重要になります。
・「テロリズムや暴力的な手段が抑えられているから安全だ」という発想に対して、「社会不安の放置はいつか大きなリスクを生む」という認識を共有することも必要です。
「セキュリティさえ完璧にすれば、テロリズムなどのリスクは小さく、弱者に構わなくてもいい」という考え方に対しては、実は“安全保障”にもいろいろな段階があると指摘できます。
1.インフラや人材が複雑に絡み合う現代社会では、いくらセキュリティを固めても完全に孤立することは難しい
・サプライチェーンやエネルギー、ネットワークインフラなどは、多くのステークホルダーが関与している。
・“完全防御”を目指しても、社会から孤立した企業は経済活動にも影響が及び、最終的に自分たちの利益を損なう恐れがある。
2.社会の不満や不信が高まると、単純な物理的テロだけではなく政治的動き、金融市場の混乱、サイバー攻撃など多様な形でリスクが顕在化する
・企業がどれだけ物理的なセキュリティを強化しても、サイバー空間からの攻撃リスクは残る。
政治が大きく変わり、規制強化や財産没収などに繋がる可能性もある。
・そのため、技術的に強固な防御を構築したとしても、長期的には社会との衝突を抱え込めばリスクをゼロにはできない、という認識を広めることが、企業にも“短絡的な利益追求”を抑制するインセンティブとなり得ます。
まとめ
・法や規制面: 企業の社会的責任を法制度やガイドラインで明確化し、違反すればペナルティを科す仕組みづくり。独占状態を防ぎ、競争環境のバランスを保つ。
・社会運動・消費者行動: ボイコットや評判・ブランドへのダメージを武器に、企業の行動を正す。労働組合や市民団体が連帯して圧力をかける。
・倫理・教育: AI 開発者や企業内外の人々が「技術と社会のつながり」を正しく理解し、短期的利益だけではなく長期的影響や倫理観を重視する文化を育む。
・セキュリティの限界認識: いくら防御を固めても、社会的リスクをゼロにはできない。大規模な社会不安は物理的にもサイバー的にも政治的にも回り回って企業自体を脅かす。
これらを組み合わせて、“自分たちだけが儲かって他者がどうなろうと構わない”というスタンスでは長期的に立ち行かなくなるような仕組み・価値観を確立していくことが求められます。企業や人々が**「共存しなければ自分も安全ではない」**という実感を持つように、社会制度と規範を整えていくことが肝要です。
でも法律を作ったら「日本が規制がきつすぎて置いて行かれる😭」とか言うのが出てくるし、啓蒙活動なんかは今は陰謀論の範疇だよな。
まあ我々はどこかのキチガイ(我々でなくて良い)が最強AGIを作ってAGIが財団を作り、無限に富を生み出して公平無私に分配するという世界を望んでいる。「他者より優れたい(他者は自分より下に落としたい)」という卑小な煩悩がないならば、その世界の実現に誰も反対する道理はない筈なんだ。
しかし
企業や人々が**「共存しなければ自分も安全ではない」**という実感を持つように、社会制度と規範を整えていくことが肝要です。
「今昔物語」はここに収録されている福永武彦訳で読んでいる。池澤夏樹の義父だね。僕は結構説話集が好きで、「聊斎志異」や「捜神記」、「デカメロン」やガラン版「アラビアンナイト」なんかも読んでいる。近々「カンタベリー物語」も読む予定だ。
さて、なんで「今昔物語」を全部読まず、部分訳の福永武彦訳にしたのかというと、理由はいくつかあるのだが、気軽に持ち運びのできる全訳が出ていないのが一番の理由だ。また、講談社学術文庫は、天竺編と震旦編、それから本朝世俗編が出ているのだが、なぜか日本を舞台にした仏教説話を収録した巻が翻訳されていない。有名どころの仏教説話は頭の中に入れて置きたいとうっすら考えているのだが、原文を読むのが近頃は億劫なので、早く翻訳が出てくれないかと祈っている。
内容は芥川龍之介が翻案したものを含め、人間心理の観察や奇妙な話、怪異の話や下品すぎる話、それから強烈な個性を持った人間の話など様々だ。一つ一つの話が短いので楽しめるし、芥川龍之介が近代的に翻案する前はどんな話だったか、比べるのも楽しい。ちなみに、水木しげるがインパクトのある話ばかりを漫画化したバージョンが中学高校の図書館にあったが、あれも面白かった。あとは、家にあった子供版に、卒塔婆だか石碑だかに血痕がついたらその土地が水害で滅亡する予言を信じる老婆の話が収録されていた。周囲の人が老婆をからかうためにわざと卒塔婆に血を付けるのだが、その晩に本当に村が滅亡する。世界の民話に似た話があったと記憶しているが、出典が思い出せない。自分はギリシア神話をはじめとした、運命の皮肉やアイロニカルな予言を扱った話が好きである。やっぱり説話集は面白い。
ただし、編集の方針だろうか、「今昔物語」では似たような話が何度か続く配列になっている。だから通読していると飽きる瞬間がある。
これは「聊斎志異」でも同じで、酒を飲んでいたら死んだ友人が化けて出てきたが、酒を飲んでいたせいか死んだことを忘れていて、そのまま話が進むみたいなパターンがかなり多い。他にも幽霊やキツネが化けた美女が出てきて結ばれてハッピーエンドみたいなのも何度も繰り返される。結局みんなモテたいのね。
「宇治拾遺物語」「発心集」「日本霊異記」、これらはすべて未読である。「日本霊異記」は最近になってKADOKAWAが現代語訳を出しているので、積んである本を片付けたら入手予定だ。なお、これは①で述べた雄略天皇のエピソードの出典の一つもである。
「平家物語」は古典の苦手な僕でも原文で読みやすいと感じた。理由は恐らく、口承文学だから声に出したらなんとなくわかるからなのと、敬語が相対的に簡略化されているからなんだろう。それとも、ちょうど「火の鳥」乱世編の舞台で、歴史の流れ的に何が起きるか既に分かっていたからだろうか? それとも、教科書をはじめとして、断片的に名シーンを知っていたからだろうか? バトル物として楽しんだんだろうか?
日記を読み返すと、「古代の貴族世界が音を立てて崩壊していくのがよくわかる」と綴っていたし、「空海と密教美術」展で観た平清盛の血曼荼羅が登場したのに滅茶苦茶興奮していた。
ちなみに、神保町の本祭りで、ちょうど講談社学術文庫版が一巻から十巻までがセットで安売りされていたので、良い機会だと思って購入したのだが、後になって全十二巻だったと気づいた。道理で安いわけだ。このバージョンは解説が丁寧で、「平家物語」かなり京都中心のバイアスがかかっているという指摘がされていた。例えば、平清盛が大輪田泊を建築したことは今でこそ評価されているが、「平家物語」では単に京都の荒廃をもたらした暴政ってことになっている。木曽義仲もただの田舎の乱暴者扱いだ。ちなみに、かつて滋賀県を旅行したときに、彼の没した古戦場・粟津を訪れたのだが、住みやすそうな普通の住宅街になっていたのに驚いた。
「太平記」についてもついでだから書こう。実家が神奈川県なので、鎌倉幕府滅亡まではかなり馴染みのある地名が多かったので楽しんだのだが、南北朝に分かれたままで話が終わるし、明確に「完結した!」という実感を持てる構成ではなかった。明確な善玉悪玉の物語でもないしね。みんな結構幕府側に着いたり朝廷側に着いたり右往左往している。この機を見るに敏なあたりがいかにも中世武士らしいし、おかげで誰が誰の勢力についているか、すぐにわからなくなる(ここまで書いて思ったのだが「平家物語」は平家の滅亡というわかりやすい大きな流れがあるから読みやすいのかも)。
それに、歴史書っぽくいろんな中国の古典から引用するけれども、日付が操作されていたり、複数の天皇を意図的に混同していたりする(光明天皇が即位した個所、太平記ではなぜか光厳天皇の重祚としている)。あくまでもこれは物語なのだ。
そして、物語だから、出てくる辞世の句にすごくいいのがたくさんあった。いま手元に本がないのが恨めしい。メモから見つけたのは「皆人の世にあるときは数ならで憂きにはもれぬ我が身なりけり」……なにこれつらい。
なお、各神社仏閣の縁起物語や中国の古典に脱線することが多く、それはそれで非常に面白いのだけれど、「だからこんなに長くなるんだよ……」みたいな気持ちになった。多少は「平家物語」でも登場・退場する人物の背景に脱線するけれどね。「ジョジョの奇妙な冒険」でも敵のスタンド使いの背景が紹介されるシーンあるよね。あのテクニックは話の流れがちょっと止まるので使いこなすのが難しい。ところで、あまりにも歴史書からの引用が多いので、これまた講談社学術文庫版の「史記」を読むに至った。……と、記憶していたのだが、日記を読むと両者を並行して読んでいたらしい。我ながら、なんでそんな無茶をした? 両者とも疑問点が多くて日記にやたらとメモを残している。
ところで、太平記の巻二十二に、相手のことを馬鹿にして「へろへろ矢」と呼ぶシーンがあるが、オノマトペの歴史的に興味深い。
前回も書いたけれども、せっかくなのでもう少し細かく書こう。これはちゃんと池澤夏樹の全集で読んだ。
「能・狂言」には身体障害者に明確な悪意を向け、冗談半分で暴力をふるうとんでもないネタもあるのだが、盲目であることが当時どのように受け止められていたかがわかる。江戸時代なんかだと視覚障害者は団体も作っていたみたいだし、だから近江絵などで風刺の対象ともなっているのだろう。岡田利規の訳がかなり砕けていて、特に狂言だとカタカナも多用している。「おーい太郎いる?/はーい。/あ、いたのね」には笑ってしまったが、当時の日本人にはこう聞こえていたのだろう。演劇の人なので、酔っ払いの歌などを声に出してそのまま演じられそうなのがいい。カタカナ言葉が今の日本語の生きた要素として使われていることがよくわかる。
現代の第一線で活躍する作家に訳させるってのはかなり贅沢だ。今の言葉で古典に新しい命が吹き込まれるって本当なんだな。
「説教節」は女人禁制による悲劇を描いている。これは父方の祖母からも似た話を聞いた覚えがある。何かウグイスだか何かの鳥に変じてしまう話だったようだが思い出せない。どこかの寺院縁起譚だったと思う。翻訳は伊藤比呂美で、この人は「ラニーニャ」という作品で芥川賞候補になっている。
「曾根崎心中」はいとうせいこう訳。ここからは浄瑠璃。作中の大阪弁が興味深い。大阪が舞台だし、近松門左衛門の作品なのでそれはそうなんだが、江戸時代の大阪ことばがどうだったかってのはすごく面白い。三幕の悲劇でプロットは単純なんだけど、台詞の長さとか掛け合いとかが欧米の演劇とはリズムが全然違っている。そういえば昔、「コメディお江戸でござる」のなかで「七つの鐘が六つ鳴りて」が引用されてたけど、原文って最初から最後まで七五調らしい。この次もそうだが、借金で首が回らないってネタは時代的な物か。
「女殺油地獄」はひたすらダメな人間がとうとう強盗殺人までしてしまう救いのない話なんだが、ここまで徹底した悪人というか堕落して行く過程がすでに文学で表現されていたってのがまず面白い。ダークヒーローとかそういうのではなく、自己弁護と言い訳にまみれた情けない悪人の物語だ。翻訳は桜庭一樹で、ところどころ注釈的に時代背景を地の文で説明しているんだけど、現代語訳っていうのはこういう自由さもある。たぶん池澤夏樹はどう翻訳してほしいか指示を出さなかったんだろう。
殺人の場面は本当に暗鬱。面白いので近松門左衛門の作品はもっと読みたい。江戸時代に実在の事件をモデルにした猟奇サスペンスがあったってのが面白い。ジャーナリズムの発展ってやつだ。ただし、人生がうまくいかない人をすべて発達障害で解釈しようとするのは、否定するだけの根拠はないのだが、多用しすぎるのもどうかと思う(一昔前の「シゾイド的人間」みたいに流行っているだけかもしれない)。
ところで、まったく関係ない作品同士で、源融の庭の話が引用されているのは不思議で、それほどよく知られていた話だったのだろう。また、わからない言葉がちまちまあるので調べながら読むことになるんだけれど、「坊主持ち」って遊びが出てきて、これはお坊さんとすれ違うまで荷物を全部持つ遊びらしい。じゃんけんで負けたら全員のランドセルを背負う小学生の遊びの起源か?
「菅原伝授手習鑑」は牛車を押す場面を浮世絵で見たし、松王丸の部分は新渡戸稲造「武士道」か何かで引用されていたのを思い出した。忠義のために身動き取れなくなる話は「菊と刀」にも通じている。意外と又聞きで歌舞伎の物語を知っているのかもしれない。ところで、学生時代に見た子供が切腹する歌舞伎は何の話だったんだろう。
翻訳は三浦しをんでこれを読んだ昨年当時はは四十七歳のはずなんだけど、「ギッタンギッタンにする」「ニャンニャン」という、古いんだか新しいんだかよくわからない言語感覚が特徴。この作品では道真公の流罪の原因をかなり自由に創作しているようだ。
もう少し読みたいものだと思い、浄瑠璃と加歌舞伎とかの現代語訳はないものかと「弁天娘女男白浪」について調べると、それは一部分を演じるときの題で、本来は「青砥稿花紅彩画」というらしい。
「義経千本桜」はキツネが身代わりになるシーンがあるが、「菅原伝授手習鑑」にも木像が身代わりになるシーンがあり、これはよく見られる演出だったんだろうか? かなり自由に筋が作られている。安徳天皇女性説とか初めて知った。このあたりも「平家物語」の時代を知っていると楽しい。
「仮名手本忠臣蔵」は四十七士全員のエピソードを語る時間はさすがにないが、悪玉は徹底的に憎たらしく描かれており、エンターテインメントの基本が抑えられている感じがする。ここでも入れ替わりの芸がある(上に書いた入れ替わりは、駕籠に乗った九太夫が医師と入れ替わっている個所)。なるほど、日本の演劇のストーリーだけじゃなくて上演時のテクニックについても調べる必要がある。
ところで、解説を読んでいると、「仮名手本忠臣蔵」は仇討ちの物語というよりも恋愛劇だという指摘があった。他にも、どの脚本が伝統を逸脱しているとか細々説明している。
あと、「しんとく丸」の話はどっかで聞いたことがあるんだが、どこでだったのかが思い出せない。
好きとか嫌いとか、こういう本能的な感情の動きは、まったく道徳的でない。
近頃は読みもしないくせに、イケメンが出てくるフィクションに対する独断と偏見が自分の中でどんどん育っていることに、非常に困惑している。他人のプライベートな空想や願望にとやかく言うのはみっともないし、読みもしないのに批判するのは非常にダサいので、こうした非論理的な感情にはいつも戸惑う。逆に、一度きちんと読むべきではないか? それか、徹底的にスルーするかだ。そもそも、フィクションはそもそも他人の頭の中身なので、刺さらないときには徹底的に刺さらないってだけではあるまいか。かつては普通に男性向け女性向けと関係なく小説を楽しめていたのに、こんな人間になってしまったことが極めて残念である。
おそらく、これも僕のイケメン嫌悪と去勢不安がなせる業だろう。まだ四十にならないのに前立腺肥大を患い、ED気味である。
じっくり考えてみたのだが、ジャンルを問わず、男性であることを否定的に書く作品や、男性の苦痛を軽視するものに否定的な感想を持つようだ。昔はジェンダーSFとかを、思考を広げて無意識の前提に気づかせてくれると面白く読んでいたのに、年齢を重ねて頑固になってしまったようだ。困ったものだ。そこのままではさらに年齢を重ねたらどうなることやら。
逆に、自分が性欲を持つ男性であることを肯定するタイプのポルノが大好きだ(具体的なジャンルは揚げてもしょうがないので略す)。この好きと嫌いの両者は僕が自分の性を肯定できるかにかかっている。つまるところ、「僕は男性としてダメじゃないか?」という不安を表裏一体で反映している。自分がヒゲの永久脱毛をする気が全くないのも根底には同じ感覚がある。見境無く散らばっている性癖や文学の好みの背後に、一本の理屈が通っていると気づくと、自己理解が深まったようで、事態が何も解決しなくても、何かすっきりした気持ちになる。
逆に、女性作家ですごく気に入ったものを十作くらい集めて、何が好きだったをまとめてみると、こういう作家の属性で評価するとこから自由になれるかも。今度試みてみよう。偏見から自由になりたいものだ。
それに、偏見に凝り固まった感覚が浮かんでくるのは、人と会わずに孤立している時なのである。そもそも、人との距離を取り、一緒に過ごす時間を奪ってしまうような創作活動は、僕を幸せにするだろうか?