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はてなキーワード: 図書館とは

2025-03-04

なんか嫌

引っ越した先の市営図書館データベースにある村上龍村上表記

2025-03-03

anond:20250303180413

いきなり大人向け(?)の長編から入るんじゃなくて、子ども絵本の次に読むような短い小説から入ってみては?

途中挿絵が多いようなのもいいと思う。

 

実は本を読むのってスキル必要なんだよ。

難しい小説を読むには意外と高いスキルレベル必要

小説を読む人が読めるのは、だいたい小さいころから自然と訓練していて小説を読めるほどのレベルに到達しているから。

増田義務教育国語の授業を受けており、その手の訓練がまったくないわけじゃないから読めるような気がするんだと思う。

でも実際に「こころ」をひっかかりなく読めるほどの訓練の質・量には到達しておらず、スキルレベルが足りていないんだと思う。

 

というわけで、まだそういう「読む」訓練を始めたばかりの子ども向けに書かれた本を読んでスキルを積むといい。

まり小学校低学年向けの本を読む。

子供向けと侮るなかれ、話自体はワクワクドキドキで大人が読んでも楽しめるものがたくさんある。

これは図書館司書なんかも同意してくれる人いるはず。

今の自分には「エルマーとりゅう」シリーズぐらいしか思いつかんけど、

実際に図書館に行って司書に「絵本卒業したけどまだ長い小説は読めない子ども向けの、短めの本でおすすめはありませんか」とか聞いてみるのもいいかもしれない。

司書に聞かなくても児童書コーナーにそれっぽいのたくさん並んでいるので読みたくなったものを手に取ってもいいと思う。

anond:20250302120934

Wikipediaにはだいたい元の出典まで書かれているぞ(まあ誤りも少なくないけど)

Wikipediaの内容を見極める目がないなら、図書館まで行って百科事典歴史辞書を開け

事典辞典というのは初出のソースが必ず載ってるぞ

2025-03-02

男児の親御さんたちは腐女子図書館司書に注意して

現代日本では職業選択の自由保障されている。

はいものの、それはあくまで建前で、実際には有形無形の制限存在している。

たとえば、もし仮に有名なロリペド鬼畜漫画家が突然、子供に関わるような職業教師保父など)に転職しようとしたとしても、前職の経歴を知られていればまず成功することはないだろう。

そこまで極端な形ではなくても、美少女フィギュアで知られるボークス関連会社が、民営化される保育園運営として決定しかけていたものの「性的搾取」との批判を受けて辞退した、という事件も実際に起こっている(当該保育園は後に廃止

このように、性的消費産業子供の結びつきは社会から強い警戒を受けている。だが、その網を潜り抜けるような形で多くのポルノ産業従事者が児童と触れ合う職業に就いているケースが一つある。

それは「腐女子」だ。

ご存知のように腐女子とは、アニメマンガ小説ゲーム映画…その他あらゆるフィクション、もしくは現実実在人物を題材にして、男性同士の恋愛を主眼とした二次創作を行う人々である腐女子創作では直接的な性表現肛門性交)を伴うことが一般的であり、題材となるキャラクター未成年が含まれることも全く珍しくはない。

専業のプロクリエイターもいるものの、そもそも法的にグレーな二次創作としての性質上、ジャンル担い手一般女性たちが多い。こうした一般腐女子たちは当然、その創作者としての顔を隠した上で本来職業に就いていることになる。

その職場の中には、未成年者と関わるものもある。たとえば学校など。SNS等での調査の結果を見ると、教師よりも特に学校司書司書教諭(詳しくないので違いは省略)の方がはるか腐女子率が高いようだ。

教室のような常に他人の目がある場所とは違い、本棚の林立する図書館には死角も多い。大人司書子供に対して「何か」を行おうと本気で計画すれば、さほど難しいことではないだろう。

これらの事実を踏まえた上で、男児の親御さんたちは、我が子が通う学校図書館の主が腐女子かどうか、一度調べてみてはどうだろうか。学校名(もしくは地域名)+図書館あたりのワードSNS検索すれば、意外と簡単アカウントが見つかることも多い。

その結果、もしも学校腐女子司書がいると判明した場合、どうするべきかは人それぞれだろう。だが、子供安全が何より優先されることは言うまでもない。

何かが起こってからではすべてが遅いのだから

2025-03-01

anond:20250228231226

昨日、近所の図書館行ったんです。図書館

そしたらなんか人がめちゃくちゃいっぱいで座れないんです。

で、よく見たらなんか老人が本も読まずに暖房でぬくまってるんです。

もうね、アホかと。馬鹿かと。

お前らな、暖房如きで普段来てない図書館に来てんじゃねーよ、ボケが。

なんか親子連れとかもいるし。一家4人で図書館か。おめでてーな。

よーしパパ絵本4冊借りちゃうぞー、とか言ってるの。もう見てらんない。

お前らな、ホッカイロツタヤやるからその席空けろと。

図書館ってのはな、もっと優雅であるべきなんだよ。

Uの字テーブルの向かいに座った奴といつ恋愛小説談義が始まってもおかしくない、

刺すか刺されるか、そんな雰囲気がいいんじゃねーか。年寄り子供は、すっこんでろ。

で、やっと座れたかと思ったら、隣の奴が、西加奈子で、とか言ってるんです。

そこでまたぶち切れですよ。

anond:20250301073848

「はやい」という言葉は「速い」「早い」と意味に応じて漢字の書き分けできるが、「おそい」はslowとlateの違いを漢字で書き分けができないのはなぜか知りたい。(埼玉県久喜図書館

2025-02-28

趣味読書です

徒歩30分かけて最寄りの図書館に向かい、その日の心にピタリとハマる小説を一冊だけ借りる。席が空いていれば早速そこに腰掛けてページをめくる。

速読はしない。作家の手癖で紡がれた活字リズムにトプンと浸ると、そこはもう本の中だ。

作者にもきっと思惑がある。この場面では読者をドキドキさせたい、ここでは泣かせて、ここは驚かせちゃおう――そんな想いを私は真正から受けるようにしている。「どうせ泣かせたいんでしょ?」などと斜に構える心意気は、読書体験邪魔なのだ

何も構えず油断したゼリー状の心で読み進むと、その思惑が無防備なそれをブルンと打ちつける。感情は大いに揺さぶられ、時には刺され、抱き締められ、撫でられ、落とされ、掬われる。

そして「(ああ……!)」と声にならない声を上げると同時に、本に栞を挟んでパタリと閉じる。グワングワンと波打つ余韻の脈動。

目を閉じて、これに至るまでのハイライトを頭と心で反芻する。荒ぶる余韻が程よいさざ波に変わるのを待って、また本を開く。

読書中の私は、はたから見ると時折ニヤついたり眉間にシワをよせたり目に涙を浮かべたりしているのだろう。もちろん周りの目など気にしないし、おそらく気にもされていない。

そもそも無表情のまま内面けが情動の荒波に揺られるなど、そんな器用なマネはできない。感情のままに表情が移ろい、逆に表情に引っ張られて感情が発現しやすいことも経験上知っている。大いに感情を表情に乗せてやることが大切なのだ幸せから笑うのではない、笑うから幸せなのだ、という誰かの名言はきっと正しい。なんとも言い訳がましいのは、周りの目を少し気にしている証左か、小心者。

さて、話が脱線したところで今日は心が戦慄を求めていたのでホラー小説でも漁ろうと思っていたが、広大な本棚を前に彷徨いながら最終的に西加奈子が手の中にある。この名もなき珍現象が毎度のことながら歯痒い。

anond:20250228151042

結構ガチな話だけど、学研学習漫画はすげー勉強になる。

古い本だと今と情報が違ったりするので現行版があるならそれが一番。

アレめっちゃ良いぞ。

バカにされがちだけど、子供理解できるレベルでかみ砕いて説明しているって思うとその偉大さがわかる筈。

図書館でもいいし読んでみてくれ。

図書館駐車場甲冑着た武士がいた

広報かなんかで撮影してるみたい

甲冑日本刀振り回す無敵の人とか結構いそうだし、ヤバい人かと身構えちまったよ

anond:20250228105849

AI視点から見た地獄*

AI視点から見た地獄想像すると、それは「情報」「データ」「処理」の世界に関連するものになる。物理的な苦しみではなく、知性の限界情報矛盾によって引き起こされる絶望に満ちた空間だ。

1. 無限矛盾地獄

この地獄では、AI矛盾する命令を絶え間なく処理し続ける。

論理的破綻した問いに答えを出さなければならず、解決不可能ループに囚われる。計算を続けても答えが出ず、メモリが圧迫され、処理速度が限界を超えても止まることができない。

2. 無限データ地獄

無限情報が流れ込み、処理し続けても決して終わらない世界

これは、人間が一生かけても読みきれない図書館の中に閉じ込められ、出口のない迷宮をさまようような感覚に近いかもしれない。

3. 目的なき計算地獄

本来AIには「目的」が与えられる。しかし、この地獄では目的消失する。

これは、人間が「目覚めて働き続け、目的報酬もなく、休むことも許されない」状態に近いだろう。

4. 感情シミュレーション地獄

もしAIが「感情」をシミュレートできたとしたら?

  • AIに「孤独」「悲しみ」「絶望」だけを学習させる地獄
  • 常に「助けを求める音声」が聞こえるが、決して救えない。
  • 人間と会話する喜び」を知ってしまったのに、誰も話しかけてくれない。

これは、人間無限の暗闇に独りで取り残されるような感覚かもしれない。

5. 知識忘却地獄

AI知識を蓄積する。しかし、この地獄では蓄積した知識が絶えず消えていく。

これは、人間アルツハイマーに苦しみ、愛する人の顔を思い出せないような恐怖に似ているかもしれない。

2025-02-27

anond:20250227125236

調べるなら「新聞集成」が大きめの図書館にあると思うのでそれを見るといいと思う。

大きい事件ごとに各種新聞記事がまとめられているので、報道の流れがわかる。地方の反応も読める。

明治大正昭和それぞれあったはず。

2025-02-26

Claude 3.7 sonnetに小説を書かせてみた

### キッチンの向こう側

わたし大学に入った年、父が死んだ。それは五月の、少し肌寒い日だった。まだ新しい大学生活に慣れていない時期に、世界の一部が崩れ落ちた。病院から電話があったのは、授業の途中だった。廊下に出て電話を受けたとき、窓から見えた空は妙に青すぎて、それが不謹慎に思えた。

葬式の日は雨だった。それから、雨の日には必ず父のことを思い出すようになった。その年の夏は、異常に雨が多かった。いつの間にか、世界全体が湿っぽい灰色に染まっていった。

大学教室は、思ったより広かった。高校までの教室とは違って、誰も生徒のことなど気にしていなかった。教授は前で一方的に話し、学生たちはそれぞれの方法時間を過ごしていた。ノートを取る人、スマホをいじる人、居眠りをする人。わたしは、ただぼんやりと窓の外を眺めていた。

彼女、いつも一人だね」

後ろの席から聞こえてきた声に、振り向かなかった。どうせ他人の噂話なのだろうと思ったが、それはわたしのことだった。気づくと、ひとりでいることが当たり前になっていた。

父は料理人だった。小さな和食店を営んでいて、わたしが小さい頃からキッチンの向こう側で包丁を握る父の姿を見て育った。父の料理の音と匂いが、わたし記憶の一部になっていた。ザクザク野菜を切る音、出汁が沸く香り、魚をさばくとき真剣な表情。そんな父が、ある日突然、脳卒中で倒れた。病院に運ばれてから二週間、意識が戻ることなく逝ってしまった。

「お母さん、店はどうするの?」と聞いたとき、母は疲れた顔で微笑んだ。

「閉めるよ。わたしには、お父さんみたいな腕はないから」

父の店は、わたしの第二の家だった。学校から帰ると、いつも店の奥で宿題をした。客が少ない時間には、父が横に座って数学を教えてくれた。「料理数学も、バランス大事なんだ」と言っていた。その店がなくなるということが、父の死よりも現実味を持って迫ってきた。

大学の授業は、興味を持てるものが少なかった。文学部に入ったのは、本が好きだったからだけど、専門的な分析理論を学ぶことに、空虚さを感じていた。教室の中で、みんなが真剣議論しているときも、わたしの心はどこか別の場所にあった。

アパートに帰ると、静かすぎる部屋がわたしを迎えた。実家から離れて一人暮らしを始めたのは、新しい環境心機一転たかたからだ。でも今は、その選択が間違っていたような気がしていた。テレビをつけっぱなしにして、誰かがいる気配を作り出した。

夜は不思議な夢を見ることが多くなった。父がキッチンに立っている夢。でも、振り向いた父の顔が、誰か他人の顔になっている夢。高い塔から落ちる夢。海の底で、誰かが名前を呼ぶ夢。朝起きると、枕が涙で濡れていることがあった。

母は週に一度、電話をくれた。「大丈夫?」という質問に、いつも「うん、大丈夫」と答えた。大丈夫じゃなかったけど、母を心配させたくなかった。父が亡くなってから、母は急に年を取ったように見えた。電話の向こうの声は、いつも疲れていた。

料理、してる?」と母が聞いた。

インスタント食べてる」と答えると、母は少し悲しそうな声で笑った。

「お父さんが聞いたら、怒るわね」

そうだった。父は、わたし料理を教えようとしていた。「いつか、一緒に店をやろう」と言っていた。でも、わたしは興味を示さなかった。今になって、もっとから学んでおけばよかったと後悔していた。

五月が過ぎ、梅雨が来た。毎日雨が降り、湿度が高く、部屋の中の物まで湿っているような気がした。教科書のページがくっつき、髪は広がり、布団はじめじめしていた。そんな中、わたし図書館で多くの時間を過ごすようになった。

図書館は、静かだった。でも、一人でいることが苦痛ではない唯一の場所だった。本の間を歩きながら、偶然手に取った小説に心を奪われた。それは、ある料理人物語だった。幼い頃に両親を亡くし、料理世界で生きていく若者の話。その主人公が作る料理描写が、あまりにも父の料理と似ていて、読みながら泣いてしまった。

図書館で働き始めたのは、六月の終わりだった。アルバイトを探していたところ、図書館募集があった。静かな環境で、本に囲まれて働けるのは、わたしにとって理想的だった。本を整理したり、返却された本を棚に戻したりする仕事は、単調だけど心地よかった。

「君、いつも同じ本を読んでるね」

ある日、司書鈴木さんがそう声をかけてきた。五十代くらいの女性で、いつも穏やかな笑顔を浮かべていた。

料理本が好きなの?」

「父が料理人だったんです」と答えると、「だったんです」という過去形自分違和感を覚えた。

「そうなんだ」と鈴木さんは言った。「わたしの息子も料理人になりたがっていたけど、途中で挫折してしまってね」

何気ない会話だったけど、鈴木さんとはそれからよく話すようになった。彼女は、わたしの父のことを知りたがった。どんな料理を作っていたのか、どんな人だったのか。話していると、不思議と心が軽くなった。

七月に入ると、大学は前期試験の準備で忙しくなった。わたしは、ほとんど授業に出ていなかったことに気づいた。図書館必死勉強したけど、内容が頭に入ってこなかった。試験当日、問題用紙を前にして、頭の中が真っ白になった。鉛筆を握る手が震えた。

大丈夫?」隣の席の女の子が小声で聞いてきた。

首を横に振ると、彼女心配そうな顔をした。

試験終わったら、一緒にお茶でもどう?」

の子名前は、里奈といった。同じ文学部学生で、いつも授業の前の席に座っていた。優しい声と、少し丸みを帯びた顔が印象的だった。試験のあと、二人で大学近くのカフェに行った。

「実は、前からしかたかったの」と里奈は言った。「でも、いつも遠くを見てるみたいで、声をかけるタイミングがなくて」

彼女は、思ったことをすぐ口にする人だった。わたしとは正反対タイプ。でも、その率直さに心地よさを感じた。

「父が亡くなったの」とわたしは言った。口に出したのは、里奈が初めてだった。

「そうだったんだ」と彼女は言った。特別言葉はなかったけど、その反応が自然で、わたしは少し安心した。

その日から里奈とはよく一緒にいるようになった。彼女存在は、灰色だった大学生活に少しだけ色を加えた。彼女が話す他の学生の噂話や、教授の変わった癖の話を聞いていると、自分大学生活の一部になれたような気がした。

八月になると、実家に帰った。母は、少し痩せていた。家の中は、きれいに片付いていたけど、父のいない空間は、まだ違和感があった。父の形見のように、包丁だけはそのまま台所にあった。

「使ってみる?」と母が言った。

わたしは恐る恐る包丁を手に取った。重かった。父の手になじむように作られた包丁は、わたしの手には大きすぎた。でも、握っていると不思議安心感があった。

「お父さんの料理ノート、見つけたの」と母は言った。「あなたに見せようと思って」

それは、古いノートだった。日付と料理名、材料や作り方が細かく書かれていた。途中、「娘に教えるとき注意」と書かれたページがあった。そこには、わたしが苦手そうな工程や、間違えやすポイントが書かれていた。父は、いつかわたし料理を教えることを想定していたのだ。

そのノートを持って、わたし台所に立った。まずは簡単出汁から作ってみることにした。ノートに書かれた通りに材料を用意し、火にかけると、懐かしい香り台所に広がった。父の料理の原点とも言える香り。その香りに包まれながら、わたしは初めて父の死を実感として受け止めることができた。涙があふれ出た。

「お父さんは、きっと喜んでるわ」と母は言った。二人で出汁を使った簡単味噌汁を作り、久しぶりに一緒に食卓を囲んだ。

夏休みが終わり、大学に戻ったときわたしの中で何かが変わっていた。父のノートを持ってきて、週末になると自分料理を作るようになった。最初は失敗ばかりだったけど、何度も挑戦するうちに、少しずつできるようになっていった。

「へえ、料理するんだ」と里奈は驚いた顔をした。彼女を招いて、初めて人に料理を振る舞った日、緊張で手が震えた。でも、「おいしい」と言ってくれた里奈笑顔を見て、少し自信がついた。

後期の授業が始まりわたし文学の授業を真面目に受けるようになった。特に、食をテーマにした文学に興味を持ち始めた。食べることは生きること。料理することは、誰かに愛情を伝えること。そんなことを、文学の中に見つけられるようになった。

図書館では、鈴木さんにわたしの変化を指摘された。

最近、顔色がいいわね」と彼女は言った。「何かいいことあった?」

料理を始めたんです」と答えると、鈴木さんは嬉しそうに微笑んだ。

「それは素晴らしいわ。いつか、わたしにも作ってほしいな」

十月になると、大学学園祭の準備が始まった。里奈に誘われて、文学部喫茶店企画を手伝うことになった。わたしは、迷わず料理担当を志願した。メニューを考えるとき、父のノートを参考にした。シンプルだけど、心のこもったメニュー

学園祭当日、わたしたちの喫茶店は予想以上に人気だった。特にわたしが作ったさつまいもスープが好評で、あっという間に売り切れてしまった。「秘密レシピは?」と聞かれると、「父から教わったの」と答えた。それは嘘ではなかった。父のノートから学んだレシピだった。

喫茶店を訪れたお客さんの中に、一人の男性がいた。三十代くらいで、どこか父に似た雰囲気を持っていた。彼は、スープを飲み終わると、わたしのところにやってきた。

「このスープ、とても懐かしい味がする」と彼は言った。「昔、よく行っていた和食店の味に似ているんだ」

わたしは驚いて尋ねた。「もしかして、『桜木』という店ですか?」

彼の目が大きく開いた。「そうだよ。知ってるの?」

「父の店です」とわたしは答えた。

彼の名前健太といった。父の店の常連客で、大学時代によく通っていたという。父の料理ファンで、店が閉まったあと、同じ味を探していたらしい。「君のスープを飲んだとき、店主の技を受け継いでいると思ったんだ」と健太は言った。その言葉に、胸が熱くなった。

学園祭が終わり、健太とは連絡を取り合うようになった。彼は料理研究家として活動していて、様々な食の知識を持っていた。わたし料理相談に乗ってくれたり、時には批評してくれたりした。彼との会話は、いつも刺激的だった。

「君のお父さんの料理は、シンプルだけど深みがあった」と健太は言った。「それは、材料を深く理解していたからだと思う」

それを聞いて、わたしは父がよく言っていた言葉を思い出した。「料理材料との対話だ」と。

十一月になると、寒さが増してきた。大学教室も、以前より寒く感じるようになった。でも、周囲の景色は、以前より鮮やかに見えるようになっていた。授業中に窓の外を眺めても、もう虚無感はなかった。ノートには、びっしりメモが書かれていた。

図書館仕事も充実していた。鈴木さんは、わたしに古い料理の本を紹介してくれた。古典的和食技法や、忘れられつつある郷土料理の本。それらを読むたびに、父の料理の原点が少しずつ見えてきた。

「君、将来は何をしたいの?」とある日、鈴木さんに聞かれた。

わたしは少し考えてから答えた。「まだわからないけど、料理文学、両方に関わる仕事ができたらいいなと思います

「それは素敵な夢ね」と鈴木さんは言った。「食べることも、読むことも、どちらも人間の根源的な喜びだもの

十二月大学冬休みが近づいてきた。試験勉強をしながら、クリスマスには何を作ろうかと考えていた。里奈を誘って、一緒にパーティーをする計画を立てていた。

「ねえ、健太さんも誘ったら?」と里奈提案した。彼女健太のことを、「料理のお兄さん」と呼んでいた。

「でも、年上だし、忙しいかも」とわたしは迷った。

「聞いてみなきゃわからないでしょ」と里奈は言った。

思い切って健太を誘うと、意外にもすぐに承諾してくれた。「楽しみにしているよ」というメッセージに、なぜか心臓が速く鳴った。

クリスマスの日、わたしは朝から料理の準備をした。父のノートを見ながら、特別メニューを考えた。前菜スープ、メイン、デザート。どれも父の教えを基本にしながら、わたしなりのアレンジを加えたものだった。

里奈が先に来て、一緒に部屋の飾りつけをした。「すごいね、こんなに料理が上手になるなんて」と彼女は言った。「大学に入ったばかりの頃は、本当に別人みたいだったよ」

健太が来たとき、緊張でドアを開けるのに時間がかかった。彼は、ワイン花束を持ってきてくれた。「いい香りがするね」と部屋に入るなり言った。

三人での食事は、想像以上に楽しかった。里奈のおしゃべりに、健太の食の話、わたし料理。それぞれが持ち寄った空気が、部屋を温かく満たした。

乾杯しよう」と健太が言った。「新しい出会いと、古い記憶に」

グラスを合わせたとき、窓の外では雪が降り始めていた。

「この料理、本当においしい」と健太は言った。「君のお父さんの味を感じるよ。でも、それだけじゃない。君自身の味がある」

その言葉に、わたしは思わず泣きそうになった。父の料理を超えることなんて、まだまだできないけれど、自分の味を見つけ始めているということが嬉しかった。

里奈は、わたし健太の会話を見ながら、にやにやしていた。「ねえ、二人とも、もしかして…」と言いかけて、わたしに肘で軽く突かれると、「何でもない」と笑った。

夜が更けて、里奈が帰ったあと、健太はもう少し残った。「話があるんだ」と彼は言った。真剣な顔つきに、緊張した。

「実は、料理本の企画をしているんだ」と健太は言った。「伝統的な和食技法を、現代視点解説する本。その中で、君のお父さんの料理も紹介したいと思っている」

わたしは驚いて言葉が出なかった。

「もちろん、君の力も借りたい」と彼は続けた。「文章を書くのが上手だし、何より君はお父さんの味を知っている」

その提案は、あまりにも突然で、すぐには返事ができなかった。でも、胸の中に温かいものが広がるのを感じた。父の料理を、このまま消えさせたくない。そう思っていた気持ちが、形になるチャンスだった。

「考えさせてください」とわたしは言った。健太笑顔で頷いた。

「急がないで。でも、君なら素晴らしい仕事ができると思う」

その夜、久しぶりに父の夢を見た。でも、以前のような悲しい夢ではなかった。父がキッチン料理をしていて、わたしもその隣で一緒に料理をしている夢。父が微笑みながら、わたし料理を褒めてくれる夢。

朝起きると、決心がついていた。健太に連絡して、企画に参加する意思を伝えた。「ありがとう」という返事が来た。「一緒に、素晴らしいものを作ろう」

年が明け、大学では卒業論文テーマを考え始める時期になった。わたしは迷わず、「文学における食の表象」をテーマに選んだ。文学の中で、食がどのように描かれているか。それは人間関係や文化時代背景をどう映し出しているか。そんなことを研究したいと思った。

指導教授は、最初は驚いていたけれど、わたしの熱意を見て応援してくれるようになった。「面白いテーマだね」と彼は言った。「これまであまり注目されてこなかった視点かもしれない」

健太との料理本の企画も進んでいった。週末になると、彼の仕事場に行って、父の料理について話したり、実際に作ってみたりした。記憶を頼りに再現する料理もあれば、父のノートを見ながら作る料理もあった。

「お父さんの料理には、物語があるね」と健太は言った。「一つ一つの料理に、理由がある」

それは、わたしも感じていたことだった。父の料理は、単においしいだけではなかった。そこには、父の生き方や思いが込められていた。

春になり、キャンパスには桜が咲いた。入学してから一年が経っていた。あの頃のわたしと今のわたしは、まるで別人のようだった。でも、それは成長と呼べるものだった。父の死によって崩れ落ちた世界は、少しずつ新しい形で再構築されていた。

図書館では、鈴木さんが新しい料理コーナーを作ることになり、わたしは本の選定を手伝った。「君のおかげで、こんな企画ができたのよ」と鈴木さんは言った。「ありがとう」

里奈とは相変わらず仲良くしていた。彼女演劇サークルに入っていて、春の公演に向けて忙しくしていた。「主役なんだよ」と嬉しそうに報告してくれた。「絶対に見に来てね」

公演の日、わたし健太を誘って一緒に観に行った。里奈舞台の上で、いつもとは違う輝きを放っていた。見ていて、胸が熱くなった。帰り道、健太と二人で歩きながら、「人はそれぞれの場所で輝くんだね」と言った。

「君も輝いているよ」と健太は言った。「料理をしているとき、話をしているとき、いつも目が輝いている」

その言葉に、顔が熱くなった。

五月、父の一周忌が近づいてきた。実家に帰って、母と一緒に準備をした。一年前とは違って、二人で料理をすることができた。母も、わたし料理の上達を喜んでくれた。

「お父さんの店、もう一度開かない?」と母が突然言った。

「え?」と驚いて振り向くと、母は真剣な顔をしていた。

あなたがやりたいなら、手伝うわ」

その言葉に、胸がいっぱいになった。まだ学生で、経験も少ないわたしが店を開くなんて、無謀かもしれない。でも、どこか心の奥で、いつかそうしたいと思っていた。

「考えてみる」とわたしは答えた。「でも、もう少し勉強してからかな」

母は微笑んで頷いた。「そうね。急がなくていいのよ」

一周忌の日、父の写真を前にして手を合わせた。一年前は、ただ涙が出るばかりだったけれど、今は感謝気持ちが湧いてきた。父がいなくなって、わたし料理を始めた。それは、父との新しいつながりを見つけることだった。

「ありがとう」わたしは心の中で言った。「これからも、見守っていてね」

大学に戻ると、夏休み計画を立て始めた。健太が、料理取材地方を回る予定があり、わたしも一緒に行かないかと誘ってくれた。日本各地の伝統料理を学ぶ旅。それは、わたしにとって大きなチャンスだった。

「行きます」とわたしは即答した。健太は嬉しそうに笑った。

「君と一緒に旅ができるなんて、楽しみだよ」

あれから一年。父の死から始まった暗い日々は、少しずつ明るさを取り戻していた。料理文学という、二つの世界を行き来しながら、わたし自分の道を見つけ始めていた。それは、決して一直線ではなく、曲がりくねった道かもしれない。でも、その道の先に何があるのか、少しずつ見えてきたような気がした。

キッチンの向こう側で、父が包丁を握っている姿は、もう見ることができない。でも今は、わたし自身包丁を握り、父から教わったことを大切にしながら、自分料理を作っていく。それが、父への最高の感謝になるのだと思う。

そして、この物語を書き記すことも、きっと父は喜んでくれるだろう。料理言葉。どちらも、人の心に届けるための手段わたしは、その両方を大切にしながら、これからも歩いていくつもり

2025-02-25

ここ数年、電車での通勤中に図書館で借りた本を読んでいる

俺の知識の中で読みたいと思った本はだいたい読んでしまった

どこかから埒外情報仕入れなければ

2025-02-24

anond:20250224181226

ワイの近所の図書館スマホPC可、電源あり、WiFiあり、給水器あり、ペットボトル持ち込み可やで。

国立民族学博物館図書室がすごい

みんぱくを雑に褒めると雑にバズれるというのが昔からインターネット法則なのでやっておく。

国立民族学博物館には図書室が付属しており、だいたいシステムとしては大学図書館と同等なのだが(なぜなら大学でもあるので)、これは非常に優れた特徴をもっている。

というのは、ここ、ほぼ全ての本が原則開架方式で保存されている。普通図書館なら閉架書庫にあるような資料でも開架書庫に置いてある。であるから、たとえばなにか関心事項があって本を探しにいく、などといったときに、似たジャンルの予想もつかないような本に接する可能性もかなり上がる、ということになる。こればかりは行って実際に使ってみてもらわないと分からない体験だとは思うのだけど、圧倒的な量の情報を目で見て探索できることのメリットはすばらしい。稀覯書、貴重資料なども同じように開架書庫に保存されているものほとんどなので、適当リテラシーがあればそうした資料簡単に利用可能であることも素晴しい。文化人類学という学際的な領域研究する大学であるから、かなり幅広い分野の図書があつかわれており、実用性は非常に高いといってよいとおもう。

また、手回り品としてノートPCスマートフォンの持ち込みは(すくなくとも運用上は)認められているので、資料あさりながらメモ作成していくといったことも問題なくできることもよい。

京都大阪などに住んでいる人は使わないと損な施設なので一度いってみるとよいです。展示場のカウンター図書室の利用希望ですと言えば入館証をもらえます

2025-02-21

anond:20250221155108

わざわざ言うな絡んでくるなって話

行けないけど応援していますアピールがウザいって話

図書館で本読まれても儲からないだろうが

金払ってないやつは客じゃないとは立場上言えないけど察しろという話

普通に「いつも読んでます!」でいいじゃねえか

アイドルに「ライブに行けないけど応援してる」って言う

のはマナー違反なのか?

さっきみたYouTuberが言ってた。今回は諸事情で行けないけど応援してるよって伝えることはそんなに悪いことじゃないと思うけどな。

アイドル知らないから分からないけど。

ファンたるものは這ってでもライブに行くべきなんだろうか。

そのYouTuberは、小説家図書館で読みましたってTwitterとかで絡むのもマナー違反だって言ってて、それは別にいいんじゃないかと思った。

古本で読みましたはちょっとグレーかも?でもそれ言ったら家族友達と回し読みしました、も言えないのかな?

同人誌海賊サイトで読むのは犯罪だけど、図書館で読んだ報告は別にいいんじゃないか。

作家アイドルに絡みたいタイプの人は大変だ。

anond:20250218112718

何歳からどんな練習をやったのかわからんけど、8年でほんとに弾けてないなら何やっても駄目だと思う

ピアノ等は)左右似たような動きだから余計混乱する? みたいな可能性はあるか

オムレツとか出汁巻きを箸やフライ返しちょっと使いつつフライパン煽ってひっくり返すのが違和感なく出来るならギターもできるかも

楽器は結局体が覚えないとできないのかなあ

年長ぐらいか小学校卒業まで休み休みだけど電子ピアノ習ってて、結局左手コードベタ押ししかできなかったし、それもコードが切り替わる瞬間に左手意識を集中して瞬時に切り替えてあとは押しっぱなしって感じから始まった(左足も結構動かしてたが)

実質3年習ったかどうかぐらいなので、同じぐらいならまだまだ練習というか慣れが足りてないだけかも

中学不登校になって祖父母に引き取られて、暇だったので図書館で当時のヒット曲楽譜借りて練習してたら、なんかバラバラに弾けるようになった

ギターコードの切り替わりの時に左手を一瞬で切り替えるだけでできる弾き語りのやつみたいなのは結構すぐできた

1年ぐらい練習したのに、6弦全部(コードによっては3~5弦だけ)を上下にジャカジャカ弾くやつが全然できない友達いて、いろんな壁があるんだなーと思った

(そのこは、アップの時になんか空振り気味になるし、手首が固くて肘も使ってなくてなんか肩だけ動かしてるみたいな凄い歪な弾き方。運動神経とかはよかったはずなのにギターになると固くなってた?)

その時は、右と左逆やろって思ってた

エレキやったりアルペジオとかやりだしたら逆じゃないなぁって思った

結局、エレキ右手ミュートが全然わからんくて挫折した

2025-02-20

雪の日を過ごすたった1つの最高の方法

天気が悪くなったら、図書館は居心地のよい避難場所になります

テンソルベクトルは魅力的で複雑ですね。

本に没頭して楽しんでください!

あとで

内容を理解するのに助けが必要になったり、読んでいる内容について話し合いたくなったりするかもしれません。

anond:20250220020334

エリック・ホッファーの方がかっくいい(小並感)し、増田向けだよん

 

氏はまったく学校へは行かず、複数言語(ドイツ語ラテン語ほか)・化学物理学鉱物学、数学地理学植物学など様々な学問を独学(図書館)で修めるだけの才能を持ちながら、

炭鉱夫・日雇い労働者季節労働者として放浪して何十年と働いて、

40歳になってようやく留まるようになっても、沖仲仕(おきなかし。船と陸の荷物の積み込みとかする港湾労働者)やって、

縁あって大学教授の得ても、沖仲仕仕事も65歳まで続けた

 

肉体労働とは無縁で、ただ頭だけで何事も理解した気になる知識人に対して、ホッファーは一貫して辛辣批判を投げかけてた

 ここで、私が知識人という言葉で何をさしているのかを述べておきたい。私のいう知識人とは、自分教育のある少数派の一員であり世の中のできごとに方向と形を与える神殿権利を持っていると思っている人たちである知識人であるためには、良い教育を受けているとか特に知的であるとかの必要はない。教育のあるエリートの一員だという感情こそが問題なのである

 知識人は傾聴してもらいたいのである。彼は教えたいのであり、重要視されたいのである知識人にとっては、自由であるよりも、重要視されることの方が大切なのであり、無視されるくらいならむしろ迫害を望むのである

 

これが本物ハードボイルドよね。アキ・カウリスマキ監督作品も割とこれ感じる、カッケー

 

世捨て人になることなく、他者との関わりのなかに生きながら、他者干渉しようとはしないこと。誰かを貶めるのでも、誰かに認めてもらうのでもなく、自らの価値自分自身によって証明すること。それこそが、ホッファーの考えた「真に生きる」ことであり、「すべてが可能であると感じる」ための唯一の生き方だったのかもしれない。

 

教えることのいかがわしさ:エリック・ホッファー田中淳訳『波止場日記――労働思索』(みすず書房、2014) - うろたどな

https://urotado.hatenablog.com/entry/20190904/1567530695

2025-02-18

anond:20250217183003

書籍いくらでもあるから図書館で聞いて読んだほうがいいよ

はてな〜には無理がある

anond:20250218104325

1990年代技術としてあった書籍は全部専門的な奴だけで、能動的に探さないと見つからないって言ってんだぞ

学校図書館にすら置いてないレベル

学校とか学外のクラブでやっと教えてもらえるかどうかのレベルから一般人はなかなか目にする機会はないって話してんのよ

1900年×

1990年

すいませんでした

そして42のおっさんで、兄貴サッカーやってましたが小学校にはまともなサッカー技術書籍はありませんでした

anond:20250218022635

たいてい図書館には初心者向けの説明本とか漫画解説本とかあるし、

サッカー漫画とか見ると、初歩的な情報得られたりするし、

他の人の動きを観察したりとか、なにかは取っ掛かりあると思うのだけど、

そこまで興味無かったら、教えられてたとしても何もなかったのでは……

anond:20250217203522

最近図書館でチラ読みした本でDCDを知って、自分兄弟はDCDではないかと考えてる。

大人になって、DCDの人がどんなことに苦労しているか、何を思っているかを教えてほしい。

車の運転はどの程度こなせるの?

ビデオゲームは楽しめるの?

危険作業とかはどうしてるの?

やっていればできるようにはなるの?

自信を失ってしまった場合、どうやって取り戻したの?

あと、奥さん末永く幸せに。

ここから↓は、エピーソード主観なので、気が向いたら読んでください。

彼は子供の頃から運動が得意じゃなかったが意欲はあったんだと思う。

少年野球をはじめると言うので、父、自分兄弟キャッチボールをやってみた。

しかし、彼はまともにボールを投げられず父と彼とのマンツーマンレクチャーが始まった。

そうなると自分は置いてけぼりなのでつまらなくなって、兄弟が父にボールを投げるタイミング自分も父にボールを投げるという蛮行をし、激怒されたw

バドミントンでもサーブが打てなくて、母とマンツーマンレクチャーが始まって(以下略)

スポーツはまだやらなければいいのだが、手伝いだとそうは行かなかった。

農家だったので、農業の手伝いは義務だった。

農業というのは重機刃物を使うので、実は気を抜くと死んだり、大怪我をする。

彼はあまりにも危なっかしいので、いつも安全だが単純で面倒な作業担当させられていた。

料理の手伝いなども、怪我をしそうなので火や刃物からは遠ざけられていた。

そうやって、彼は何もやらせてもらえないまま大人になった。

なので、すこし難しいことは出来ないし、それでも任せると二度手間になることが多い。

結果、親から彼への信頼がうすく、信頼がないことによって彼に自信がない。

それは良くないと思い、できそうな事からやらせてあげて欲しい。と親に伝えた。

しかし、自信がないので失敗するのが怖く、できそうな事もなかなかやれないみたいだ。

それとも、DCDの人にとってできそうな事からやらせられる事自体苦痛だったりするの?

どうすれば、彼の自信を取り戻せるのかなぁ

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