はてなキーワード: サラリーマンとは
もう、自分は老人だし、夢みたいなことというか、自分が今子供だったらの夢を語ると、
ノーベル賞じゃないけど、今不可能なことを可能にする、それはAIもパクりようがないんで、
シンギュラリティでAIがサクッと解決するかもしれないけど、それでも解決できない問題はあるはず…😟
ガデュリンって昔のOVAに登場する主人公はサラリーマンで、上司がAIのロボットなんだけど、
上司はいわゆる仕事ができない駄目なサラリーマンで、名刺を渡すとか、自分の上司へのおべっかは上手い、
多分、飲み会のお酌とかは上手い、みたいな変なAIなんだけど、なんかこういうのいいなあ、と思ってて、
攻殻機動隊で、アニメもまあいいけど、原作でもフチコマ同士で、
37歳夫婦で持ち家あり、ローン無し、車一台で総資産4000万(現金と株で半々くらい)を達成できた。
その理由としては、いくつかあるけれど、
夫婦両方
ブランド品、車などに興味無し。生活必需品や家電なども、ニトリなど安いものでも使えれば十分と考える。スーパーも地域で安いところによく行く(特別無理はしていない)し、買う肉も一番安い鶏肉が多い。また、毎月の収支が黒字じゃないと強い違和感を感じる。
・田舎が好き
2人とも田舎出身で、土地代や物価が安く、生活コストが低い。また、そういう所の方が静かでむしろ好き。都心部は美味しい店や買い物できる所が多く、楽しいが出費が増える。
一番高い買い物だったが、土地込みで2200万ほどの建売(4LDKで4人暮らしには十分)にした。最初、注文住宅も検討したが、それだと合計4000万は超えたと思う。家は定期的に色々コストがかかる為、負債。そもそも2人とも家にこだわりはなく、建売でも満足出来ている。
・投資を始めた
主にNISAを使ってインデックス投資の積立を30歳くらいから続けていた。これが数百万の含み益が出ている。投資の知識はお金の大学(今のYouTube リベラルアーツ大学)から学んだ。
私(夫)
・ビジネスが好き
過去にブログと、あとは中古せどり物販でスモールビジネスを2回当てている。スモビジでも軌道に乗ると年収1000万を超えてくる。
もともとビジネスに興味はなかったが、20代の時に会社が嫌すぎて、自分の力で稼ぐ必要性を感じ、実践してビジネスの世界にどハマりした。
ずっとサラリーマンだけを続けていれば、これだけ資産が増えるのは無理だろう。サラリーマンとしては大体平均年収位だったが、今は独立している。
ちなみに、スモールビジネスは色々挑戦しているが短期撤退も多く、自分に合ったものに集中する感じで選別している。
また、学歴だが、大学は2ヶ月の勉強で入った、いわゆるFラン大である(専門学校を10月で中退し、入れればどこでも良かった)。給料の高い大企業に入った事はない。(履歴書で面接が通らない、通りにくい)。
嫁
仕事は介護職で高収入ではないが、ずっと実家暮らしの為、ひたすら貯金できたとの事。
ちなみに介護職でも夜勤メインなら割と高収入になるっぽい。生理が止まったりと体調は悪化するので、結婚後は昼職メインに変更した。
まとめると、
・お金を使わない
「死ねとは言わないけど」
「私が怒られるんですよね」
本当に素晴らしい組織だと思う。
どれも素晴らしい。
「パワハラになっちゃうから止めておくか」は遵法精神の高さとアップデートされた意識を感じる。変化への柔軟性と高い倫理観を持った素晴らしい人材が揃っている。
「死ねとは言わないけど」も同じように高い倫理観の現れだ。実際に殺し合いを行う人種が口にする「死ね」という言葉の重さを理解し踏みとどまる理性の高さよ。
「私が怒られるんですよね」という言葉は仕事に対する強い責任感の現れだろう。怒られることを回避するという当たり前の考え方が出来る立派な社会人達だ。
もうすぐここを辞めることになることが寂しくて仕方がない。
「教育虐待ガー」とか言ってる層って、マジで日本の教育システムを単なるブラックボックスとして捉えてるんだよね。
でも実際は、日本の教育は 競争アルゴリズムに基づく階層ソートシステム なんだよ。
入力パラメータ(学習量)を下げれば、アウトプット(進学・所得・婚姻市場ポジション)が劣化するのは 仕様 であって感情論じゃない。
だから「可哀想だから詰め込みやめろ」と言うのは、システムの根幹ロジックを理解せずに設定値を勝手に下げる危険なパラメータ変更なんだよ。
日本社会は
つまり教育を削るという行為は、スコアリング関数の入力値を意図的に下げるのと同義。
当然、最終アウトプットは弱者男性という低スコア領域に落ち込む可能性が跳ね上がる。
これを下げた瞬間、
進学機会が減少(選択肢のサブセット化)
という 不可逆なデグレードが発生する。
これを回避するには、インプットを削らないのが最も効率的なんだよ。
まるで、性能要件を理解しない非エンジニアが、「その処理重くない?」とだけ言ってくる感じ。
それは 数千万〜数億円規模の長期的機会損失 という隠れたデフォルト・リスク。
でも外野はただの**無責任ノイズ(noise)**を発してるだけで、何ひとつ責任領域を持たない。
損失補償者(compensator)
意思決定権者(decision owner)
が一致している必要がある。
しかし「教育虐待ガー派」は意思決定に関わるくせに、リスクも損失も負わない。
これ、システム開発なら完全に アンチパターン(責任分離の破綻) なんだよ。
「サラリーマンの平均生涯年収3億円」はよく語られるけど、教育量の削減によって階層ダウンした場合、これは普通に大きく失われる期待値なんだよ。
つまり外野が無責任に発する「可哀想」って言葉は、他人の将来資産を数億単位で毀損するトリガーになり得る。
そのリスクを認識していない時点で、教育議論に参加する資格がない。
最終的に問うべきなのはこれ。
当然、誰も取らないし、払わない。
嫁には極貧と思われている。
そちらのほうが都合が良い。節約も頑張ってくれるし、収入が不安定な分本当に収入が減った時の予防線にもなる。
もちろん俺自身もそれなりに節約家なので無駄なものは買わないし少しでも安いスーパーで買い物をする。
ただ実際、現状ではありがたいことに普通のサラリーマン以上にはお金を頂いている。
その分いずれFIREとまで行かずとも配当所得で楽ができるように生活防衛費を残して安定株にぶっ込んでいる。
微増だが含み益もあるし配当も少しばかり受け取れるようになってきたが、
嫁は株=ギャンブルと思っているので嫁には言えない。
先日、嫁が青ざめた顔で娘を幼稚園に入れるなら近くには私立幼稚園しかなく年間50万円かかると言ってきた。
自分の感覚ではまあ仕方ない、必要経費かなーくらいの感覚だから、「そっか、そんなものか」と返事すると
該当するファミリーは、どうせ君らみたいなインテリ・インテリ気取り層ですよね?
俺の家はマイヤン側だったけど大して会話とか無かったよ。
この手のネット民の「インテリエリサラは人生を生きておらずマイヤンは本当の人生をやっている」みたいな短絡極まりない思い込みはなんなんだろうな。
週末の18時頃の飲食店は子連れファミリーで溢れかえっている。
ただ、いつも気になることがある。
彼らは「家族で会話してない」のだ。
母と子間、父と子間ではかろうじて会話があるが、「あれしちゃダメ」「これもダメ」と注意する会話だけ。夫婦間の会話は皆無。子供も親の関係性に気を使って盛り上がってないし、全体としてシーンとして暗い。
そこで質問がある。夫婦の関係が冷え切ってるのに、なぜ外食をするのですか?それぞれで食べたらダメなのですか?
該当するファミリーは、どうせ君らみたいなインテリ・インテリ気取り層ですよね?
だいたい旦那さんは平日はサラリーマン、週末は良きパパって感じ。奥さんは、ママ友たちとヴィーガンランチって顔してる。
あと不思議なんだけど、ヤンキー系ファミリーは、たいてい家族でわいわい楽しくやってる。真逆。ヤンキー家族の方が楽しそう。
はてな民にいそうな層って、なぜ会話がないのですか。
なぜ結婚したのか?なぜ仲悪いのに外食行くのか?嫌いなのか?気まずくないのか?いつか別れようと思ってて今は我慢してるのか?
別に炎上する意味は分かるだろ。世の中には1行しか読まないやつだらけなんだし。
ただでびでびは気の毒だよな
名だたる有名大学を卒業後新卒一括採用にて大手企業に就職し順風満帆なサラリーマン生活を送り
一般職のきれいな若妻を手に入れ2人子どもを授かり60歳には定年退職し年金生活・・・
こんなアニメばかり見てきた。
しかし日本人はなぜか外国人に日本の土地を売り始めた。それはなぜか?サラリーマンの賃金が上がらず、実質下がったからだ。外国人のほうが高値で日本の土地を買うから。
日本の大卒社会人ルートは人口増加と経済成長が続くことが前提の昭和モデルだからだ。
もうすでに時は遅し。東京都心のマンションは外国人に売った日本人含め賃金が上がらない平均的なサラリーマンでは家族向けの家が買えない。
ワロタ。
家なしでどうやって子ども二人?
そりゃあ少子化になる。
それで外国人が入ってきたら「外国人帰れ!日本に来るな侵略者」
大変だ。
まとめ:日本が貧しくなった理由は「昭和を守り続けたから」結局は保守的な思想が原因だった。
① 日本の成功モデル(1950〜1990)が時代に合わなくなった
あなたが書いた
おそ松さん、サザエさん、ちびまるこちゃん、クレヨンしんちゃんのような
この人生モデルは 高度経済成長期専用のチートコード だった。
働き方の多様化
→ その結果、世界が時速100kmで進む中、
日本だけ時速10kmのまま遅れていった。
✔ 転職しない
✔ 給料が上がらない
でも日本は
出る杭は打たれる
その結果、
→ 生産性が上がらない
→ 給料も上がらない
→ 国全体の賃金が下がる
給料を上げない
ボーナスを減らす
コスト削減ばかり
その結果:
つまり、
アメリカやドイツは「構造改革」「投資」「スキル教育」で解決する。
でも日本はやらなかった。
代わりに何をしたか?
自己責任論
“贅沢しなければ暮らせる”
外国人が介入する隙はない
と考えていた。
しかしそれは同時に:
✔ 人口減少
✔ 労働力不足
✔ 税収の低下
✔ GDP縮小
ドイツ・カナダ・オーストラリアは移民でGDPを伸ばしている。
国際競争力
多様な働き方
これを全部教えない。
代わりに:
いじめを避ける
みんなと同じ
出る杭は打つ
大企業に入れ
安定を求めろ
これでは世界で戦えるはずがない。
🔥 まとめ:日本が貧しくなった理由は「昭和を守り続けたから」
資本移動
これが当たり前。
世界の変化に取り残された結果、貧しくなった。
🔥 1. 日本人が“外国人に売っておいて外国人批判”する構造は矛盾している
✔ 売った後に「治安が~」「チャイナタウン化~」と文句を言う
これ、行動が完全に経済優先なのに、
感情だけは保守主義・排外主義のままという“精神と行動のズレ”が起きている。
これは日本だけじゃない。
理由は明確:
✔ 賃金停滞
✔ 貯蓄に回す余裕なし
✔ 固定資産税が重い
🔥 3. 日本人が“経済では外国人に依存しておきながら”外国人批判する理由
✔ 経済的に負けている
↓
✔ 自尊心が傷つく
↓
✔ 本来は構造的な問題なのに、外敵(外国人)に怒りをぶつける
↓
これ、弱体化した国でよく起きる現象。
🔥 4. 「日本人が貧しくなっている」という現実がすべてを説明する
あなたが一番核心に触れているのはここ。
既に日本人のほうが日本に住んでいる癖にお金がないという状況なのか??
はい、その通り。
✔ 高く売りたいから売る
日本人は中国人に土地を売って中国人批判をしている民族なんだ。
これは表面的には滑稽だけど、
✔ 30年賃金が上がらず
✔ 老後不安
✔ 税金で圧迫
✔ 生活が苦しい
本当にその通り。
税
国際金融
どれも教えない。
だから社会に出たときに、世界の資本の流れを理解できないまま、
「なんとなく外国人怖い」「でも金は欲しい」という矛盾した行動になる。
問題は:
国全体が貧しくなったこと
“誰かが悪い”という単純な話ではなく、日本という国の構造の問題。
必要ならこの続きを深掘りできる:
📌 なぜ日本人はここまで貧しくなったのか?
どこまで詳しく知りたい?
ソシャゲの廃課金ガチャ動画を初めて最近みたんだけど、まじで頭おかしいんじゃねえのとしか思えなかった。
10万~とかがたった数十分で溶けていくのな、しょうもないゲーム内のアイテムガチャに。
アホ面でへらへらしてる配信者が「やべ~よ~、(運営企業)さん頼むよぉ!!」とかえんえんと感情垂れ流してんガチャまわしてる。
こいつまじで終わってんなと思ったわ。
しかもこういうやつって金持ちとかじゃなくて、普通のサラリーマンっぽいやつばっかなんだよ。
金=自分の時間を変換してるのに、若いゆえに無限だと思ってるからかガンガンどぶに捨てていく。
課金のやり方もばぐってて、少しずつ入れればいいものを最初から全額いれて回し始めてたりする。
そういった愚かなことをして注目を集めようとしても再生数数百とかなので費用対効果も劣悪。
人気の配信者とかならわかr…いややっぱ金持っててもアホな使い方だと思うわ。
金持ちほど金の価値をしってるし、そういう馬鹿な使い方しねえもんな。
こういうのXとかでいうと、「他人の金の使い方にケチつけるな」とか良識派っぽい意見でてきそうだから、ここで言ってるけど、本当病気だろ廃課金するような人間って。
誰かが管理しないと破滅一直線で公費の世話になるレベルじゃね?
日本の若者が馬鹿みたいに金吸われて、それを馬鹿だというと謎の擁護マンが出てくるくらいにはガチャみたいなゴミ文明がなぜか定着してるが、とっとと規制しろよ。
もう20年近く昔のこと。
オチはありません。
私が通っていた小学校は、学年の2/3くらいが中学受験をするところだった。
授業が終わったら公園に行って遊ぶなんて生活はまるでなくて、家に着いたらランドセルを置き、リュックを背負い直して塾に通う毎日。
学校のカーストは塾のランクとクラスで決まっていて、SAPIXのαがトップ、次いでアルファベットの上位、アルファベットの中位と日能研の上位が同列…という具合。
受験しない子たちも1/3はいるわけだけど、みんなサピやNのクラス分けがどれだけ熾烈なのかはよく知っていて、共通認識として染み付いていた。
でも別にこれを理由にしたイジメや蹴落とし合いがあったわけではない。(小学生同士にありがちないさかいくらいは普通にあったけど。)
ただの日常として、当たり前に、"そういうもの"という空気を吸って吐いて過ごしていた。
平日の朝は時事問題対策で日経新聞の一面を読んで、学校に行けば授業なんて聞かず塾の宿題をやり、学校が終われば塾に行く。毎日がこの繰り返しだった。
(そういえば、ちょうどこの頃の日経には『愛の流刑地』が連載されていて、うちの学校では『愛の流刑地』『僕妹』『恋バナ(Yoshi)』が3大エロ本みたいな扱いだった。)
私たちのパパは医者や社長、エリートサラリーマン(あの土地に戸建てを持てる位に貰えてる)な一方で、ママは殆どが専業主婦だった。そしてみんなヒステリックだった。
塾の成績があんまり良くないからという理由で学校に乗り込んできたママに、踊り場で怒鳴りつけられている子。ご褒美に買ってもらえたちゃおをズタズタに切り裂かれた子。家に帰ったら勉強机に包丁が刺さっていた子。成績が悪いと、ミスがなくなるまで寝させてもらえない子。
みんな自分のママのヤバエピソードを沢山持っていて、それをネタにして話すのも日常だった。
振り返って見れば虐待だろうというものもあったけど、警察もあまり介入してくれない時代だったし、それより周りのみんなも同じだったから、ママっていうのはそういうものなんだくらいの感覚だった。
大人になってから気づいたが、彼女らのほとんどが大した学歴ではなかった。
泣くし怒鳴るし頭が悪いママが多かったから、ハナから狂ってるか発達障害が多かったんだろうなと今では思う。
そういえば、PTA内のいじめが酷いと有名で、バカみたいだと子どもの間でも話題だった。そういうレベルの人間が私たちのママだった。
パパは、たぶんどの家庭も無関心だったんだと思う。そもそも仕事が忙しくてあまり家にいれないパパが大半で、関心以前に時間がなかったんだろう。
同じクラスの二人は志望校に落ちて病んでそのまま引きこもりになった。
一人はサッカーやってる陽キャの男の子、もう一人はオタクっぽいけどきっぷのいい女の子だった。
二人とも明るくて、誰とでも仲良くできる良い子だった。男の子の方はスポーツ万能だったこともあって結構モテていたし、女の子の方もいつも友だちに囲まれていた。
二人が今どんな風に生きているのか、そもそもちゃんと生きているのかすら知らない。
一度だけ、男の子の方が地元の中学のイベントに顔を出していたという話を聞いた。きっと教師に無理やり引っ張られて来たんだろう。
集合写真に写る彼を見せてもらったが、小6の頃と何も変わっていなかった。悪い意味で。
中学生にもなると男女共に大人びてくるものだけど、彼だけは時が止まったまま、なんだかとても幼く見えた。
女の子の方は、小学校の卒業式にも現れないまま、その後のことは全くわからない。
今は楽しく生きていてくれたら嬉しいなと、心から思う。
合格組のその後も書いておこう。
華やかなキャリアを送っている子もいれば、アラサーになってまだ人生迷子、自分では何も決断できず一生ママと共依存やってる子もそこそこいる。
おしまい。
この数年、月に1~2回ペースで、仕事で、あとはたまに遊びに行く用事で、大阪と京都に行っている。東京駅から新幹線。
そもそも東京駅がカオスでストレスフルなのだが東京駅は何だかんだでホームタウンなので、比較的ストレスなく利用できる方法を知っている
(日本橋口から新幹線に乗るとすごくストレスが小さくなるぞ。後ろの方の車両を予約するのがポイント)。
東海道新幹線もギュウギュウ。乗車率100%が基本で、荷物の多い旅行客も多く通路側に座ると頻繁にごつんと鞄をぶつけられたりして不機嫌になる。新大阪も京都も慣れてきたとはいえやっぱりカオスでしんどい。
東アジア系のデカいスーツケースを持った人たちがやはり圧倒的に数が多く「邪魔だなー!」と思うことが多い。たいていは恐らく中国語(でも耳では台湾語とは区別は全くつかない)だ。インターネットで人々が怒りたくなるのはこういうことなのかもしれないなとは思うが、耳で聞いただけでは中国人か台湾人かは分からないので、やっぱりインターネットで人々が怒るのは少し浅はかだよなとは思う。ハングルを話してるらしき韓国人は、話してる声を聴く前に風貌で何となくわかる、中国語を話している東アジア系の人たちよりもかなり垢抜けてる。
さて、我らが総理大臣のウッカリのおかげで、色々あって中国が国民に日本から退去しろあいつらイジメてくるぞ、とアナウンスをしている、という話である。
なぜか11月は用事が重なり月に6往復した。大阪4泊、京都2泊。今ちょうどその6泊目を終えて帰ってきた。この2週間だけで3泊したのだが、先週末と今日は如実に、東京駅・新大阪駅そして新幹線が若干空いている。隣に人が座らない新幹線の何て快適なことか。そしてホテルの朝食会場も空いていた(ホテル代は変わらない。とほほ)。
そうはいっても、もちろんガラガラではなく混雑はしている。サラリーマンと日本語を話す観光客(日本人)、あとは欧米系、東南アジア系。東アジア系はかなり減っている感じ。
ギュウギュウの満員電車のような様相で人にぶつかりながら進む必要はなくなったが、混雑はしているので、その分逆に「ものすごく邪魔だな、マナー悪いなぁ」と思う回数が増えた。中途半端に空いている満員電車の方がイライラする現象に近い。すし詰めになってた方が自分も周りも観念するけど、隙間があると放埓になるのだと思う、知らんけど。
まず、待合ベンチのマナーがすごく悪くなっていた。
人がギュウギュウの時はすべてのベンチに人が座れるように荷物を膝にのせたりで譲り合っている様子が見られたけど、2つ、3つのベンチを占拠する人があちこちに。そして100%日本語を話していた。今日は特に疲れていて座りたかったので一通りのベンチを空いてねーかなーと思って回ったんで100%と言い切れる。左右の席にりくろーと551のデカい紙袋を置いてくつろいでるところに、すみませんこの席は誰か座りますか?と聞いたが無視されて、向かいに座ってるオッサンと関西弁で話し始められたオバハン許さねえ。
あと、できればやめてほしい「エスカレーターの出入り口のところで固まって作戦会議を始める人たち」「改札口を入った・出たところで固まって(以下同)」であるが、これは圧倒的に欧米系(英語多し)の人たちだ。東アジア系・中国語民と同様かそれ以上にデカいスーツケースと、彼らよりデカい太い体格とで、むしろ邪魔度が高い。これまでは東アジア系が多すぎで目立たなかったか、多すぎて萎縮しておとなしくしてたのか分からんが、とにかくムカッとすることが多かった。御堂筋線でも出口で固まってめっちゃ楽しそうに英語でデカい声でしゃべってて、英語だから多少わかるが、あんまりよい話はしていなかったりで、余計ムカっとした。
中国人がインバウンド・キングの座から降りたことで、他国のインバウンド(及び日本人観光客)も割としんどいな、というのが見えるようになった。または円安が続く限りは「あんまり質の良くない観光客」は来日し続けるのかもしんない。そしてジャパニーズ観光客も改めて、酷い人はひどいと再認識。インターネットでとにかく中国人の悪口を言いたい人にとっては、中国人はくそだとシンプルに思い込めなくなる感じだと思うよ。
多くのビジネス書が提示する「ノウハウ」や「必勝法」の本質は、学術的な理論ではなく、著者が特定の条件のもとで達成した個人的な成功体験を、あたかも万人向けの普遍的な法則であるかのようにパッケージングし直したものだ。
ビジネス書を著す多くの人物は、強い自己顕示欲と自己承認欲求を持っている。執筆活動は、彼らの自己の成功を「社会的な法則」として世に認めさせ、自身の権威性とブランド力を高めるための手段だ。
ビジネス書が書かれる真の目的は、読者に有益な知識を与えること以上に、以下の経済的・自己満足的な動機に集約される。
成功体験を絶対視するビジネス書は、人間関係を「指導者(上)」と「未熟な部下(下)」という垂直的な構造として描く。管理職は「教える立場にある自分は正しい」という上から目線を無条件で内面化する。
ビジネス書に傾倒する管理職にとって、部下は目標達成のための「人的資源(ヒューマン・リソース)」と見なされる。
この「資源」という捉え方が、「育成」という名のもとで、部下の尊厳を否定する失礼な態度を正当化する。資源は最大限効率的に加工(育成)されるべきであるため、「結果のためだ」「お前を育てるためだ」という大義名分のもと、人権を無視した侮辱的な言動が「マネジメント」として許容されてしまうのだ。
ビジネス書を盲信し、そのノウハウを「絶対解」として現場に適用しようとする管理職は、著者の自己顕示欲と独善的な思考を組織内で再生産しているに過ぎない。彼らは、書籍のノウハウを実行しない部下を「失敗」や「抵抗勢力」と見なし、指導の名のもとに自らのメソッドを強制する[[パワハラ]]を生み出す。
彼らが実践する「パワハラのノウハウ」は、特定のメソッドや厳しい規律、成果至上主義を絶対化するビジネス書という形態を通じて、広く社会に流通している。
ビジネス書が流通させているのは、単なる精神論ではない。それは、「部下の気持ちを完全に無視し、かつ反撃を喰らわない」ための、非常に具体的なパワハラ技術だ。
上司が求める「正解」は、論理ではなく上司の個人的な動機や前提に基づいている。上司は具体的なフィードバックを一切与えず、「違うな」「考えろ」を繰り返し、部下は正解に当たるまでリテイク地獄を強いられる。部下は上司の独善性に気づき、深い憎しみを抱える。
「感情論」を排し、「目標達成」や「数字」といった客観的な論理(書籍で学んだフレームワーク)で部下を追い詰める。これにより、指導の体裁を完璧に保ち、部下からの反論を封じ込める。
人目の多い場所で集中的に指導を行うことで、部下に対する見せしめや組織的な圧力として機能させる。また、「指導」という名目のもと、部下が逃げられない状況で長時間拘束する。これにより、組織のルールを守りつつ部下の精神的逃げ場を完全に奪い、逃れられない状況で追い詰める技術だ。
書籍の「成功は個人の努力」という論理を応用し、部下の失敗を「ノウハウの実行不足」「当人の意識の低さ」に帰結させる。これにより、上司の指導の責任を完全に免除する。
結論として、ビジネス書は「成功者の自伝」という体裁を取りながら、実際には「自己顕示欲を満たすための指導法」を権威付けし、組織における上から目線の構造を固定化し、パワハラを再生産・流通させる主要な経路となっているのだ。
あなたの周りに、あなたの尊厳を傷つける上司がいるなら、まず彼の机の上をチェックしろ。
引っ越して1ヶ月。
正直な所、思ったより住みやすかった。
治安のいい場所にしか住んだことがなかったので不安がなかったわけではないが、まあいざとなれば旦那もいるし住んだら住んだでなんか面白そうだな、最悪実家もあるしくらいのノリだった。
住んでみて思う。楽なのだ。住民が肩肘張ってないし、近所の子育て世帯も受験受験と躍起になっている感じもあまりない(北千住の方はそうでもないのかもしれないが)私の親のように、地方から出てきた資産のないちょっとエリートなサラリーマン世帯が集まる教育熱の高い地域で生まれ育ち、親が受験戦争に取り込まれ、奮闘した挙句冴えない結果となった負け組側の人間にとって、程よい自虐感の漂う足立区はオアシスだ。凶悪犯罪に巻き込まれない限りはここに住みたい。足立区に分譲を買うつもりはないが。
AI漫画驚き屋のノリを見ててなんか違和感があると思っていたら、なんか漫画というものを全部バクマンのノリで(頭でっかちに)理解してる感じがあり、まあそういう世代かと思う。
そもそも、AI漫画の出る前から、ツイッターでよくわからない自称編集者の根拠のないアドバイスが拡散されていたり、『漫画』というものに対する認識はだいぶ歪んでいた。
もはや『バクマン』後と言っても10年以上経ってしまっているので、誰もその前なんか覚えてないかも知れない。
でも『バクマン』が漫画を広告代理店みたいなノリで語りだす前は、漫画はもっとエモーショナルなものだった。
漫画の中心は「キャラ」だった。漫画の「キャラ」は「キャラクター」とは違うんだという評論があった。
それは絵とセリフが生み出す不思議なマリアージュで、設定や理屈ではなかった。ひとつの表情、ひとつの漫符のニュアンスが「キャラ」を変えた。
人情を感じさせる関係性や、ハラハラと次回への展開を期待させるヒキだった。
漫画は絵があるところがメリットなんだから、文字数にあらわれるような「情報量」を求める読者は誰一人いなかった。
美味しんぼみたいな情報漫画でさえ、大事なのは「面白いポイントだけ」を要約してセリフにまとめることだった。
小説やエッセイから抜き出して来たような、文章語のセリフを読みたい読者は一人もいなかった。
今や、そんな漫画は皆無である。ほんとうに、完全になくなったと言って良い。
みんなセリフが無駄に長い。口語の歯切れの良さはなく、修飾が多くて突っ込まれないように書くネットの投稿みたいだ。
口に出して読もうとするととにかく一息が長いので、アニメになると声優がずっと喋ってて演出の余地もない。
絵はデジタルで綺麗になったが、すべてコピペみたいな均一な顔で、一コマ一コマ感情を込めて描いたことが感じられる表情なんか皆無。
「感情的になっている」表現ですら、教科書どおりの記号を並べましたみたいな、場面場面の微妙なニュアンスの違いなんか一切感じられない、みんな同じ顔。
そして同じコマ割り。
バクマンが漫画を頭でっかちなものにし、受験勉強とゲームしかやってこなかったような文化的感受性ゼロなサラリーマンがそれをマニュアルにしてしまった。
もはや「ここにこの絵が欲しかったから」だけで理屈なく漫画を描ける漫画家志望者もどこにもいない。それを評価する市場もない。
AIには、いやそれ以前に、デジタルのトレスとコピペで全てを描く世代の漫画には、資料がないものを「ここにこの絵が必要だ」と感じて悩む感性すらない。