はてなキーワード: しづとは
しゃあない
醤油会社のトップだって外食先で卓上の醤油差しからの醤油を使ってみて初めて世の中では酸化して傷んだ醤油をそれと知らずにつかってるって気がついて、それからやっといまの空気に触れにくく酸化しづらい容器が生まれたんだからな
今年の冬は例年に比べてそこまで冷え込まない、などと天気予報で言われていたのに、私が受験の日を迎えた今日に限っては朝からひどく寒かった。眠い目をこすりながら携帯のアラームを止め、暗い部屋で小さく伸びをしてから私は布団を抜け出した。大学入学共通テスト当日。数か月にわたる受験勉強の成果を発揮するときが、とうとうやってきたのだ。予備校や塾の先生たちからは「とにかく落ち着いて、いつも通りの実力を出せば大丈夫だ」とアドバイスをもらっていたし、家族からも「元気に行ってらっしゃい」と明るい声をかけられた。そのおかげで多少の緊張はあったものの、試験当日は意外と精神的にも落ち着いている……はずだった。
しかし、まさか受験会場へ向かう途中であんな最悪な体験をすることになるとは、誰が想像できただろう。結論から言うと、私は電車の中で痴漢に遭った。受験日だというのに、早朝からそれはもう心が乱される出来事だった。ここ数年、痴漢撲滅の取り組みがニュースやSNSでも盛んに取り上げられているし、警察の協力で防犯カメラが増設されたり、女性専用車両が設定される路線も増えてきた。しかし悲しいかな、それでも痴漢は後を絶たない。ましてや、まさか自分の大切な受験の日にそういう被害に遭うなんて、想像だにしていなかった。
朝は何かとバタバタするので、私はあらかじめ早めの時間に家を出るよう計画していた。朝食を食べる余裕もちゃんと持てるよう、家族との時間も少し取れるよう、そして何より交通機関の遅延などに巻き込まれても大丈夫なように、家を出るのはかなり余裕をみていた。7時台後半の電車に乗れば、試験会場には8時半頃には着く計算。9時前には試験会場に入り、席について一息つくことができるはずだと思っていた。
ところが、ちょうど私が利用する路線のタイミングが悪く、思ったより乗客が多かった。いつもなら朝早いときはある程度空いているのに、今日は大学入学共通テストに向かう受験生や、大学生でもないのに何かの資格試験を受けに行く人たち、それから普通の出勤のサラリーマンなどが相まって、車内はかなりぎゅうぎゅう詰め。私は仕方なくドア付近へと立った。できれば座りたかったが、この混雑ぶりでは無理だろう。長時間立つのも慣れてはいるとはいえ、試験前にこれ以上体力を消耗したくないと考えていたから少し悔しかった。
程なくして電車が動き始めると、私は試験内容をもう一度頭の中で整理しようと、ポケットから小さなノートを取り出してざっと目を通していた。英単語や国語の古文単語、数学の公式など、とにかく最後の瞬間まで知識を定着させたいという気持ちが強かった。でも満員電車の中ではページをめくるのさえ一苦労で、あまり集中できない。それでも「もう少ししたら車内が空く駅があるはず」と思いながら、私はなんとか体を小さく丸めてノートを握りしめていた。
そんな状態で数駅ほど過ぎたあたりから、なにやら背後に違和感を覚えた。最初はただ、人の鞄が当たっているのか、単に立ち位置が狭くて誰かの腕がぶつかるのか、程度にしか思わなかった。しかし次の駅に着く直前あたりから、その“違和感”が明らかにおかしくなってきた。鞄や腕というよりは、手のひらのような、あるいは指のようなものが腰からお尻にかけて触れている。しかも微妙に動いているような感じがした。それでも「思い過ごしだろう」と自分に言い聞かせようとしたが、体はどんどんイヤな汗をかいていく。一気に心拍数が上がり、息がしづらいほど苦しくなってきた。
私は何とか勇気を出して体を少しねじり、後ろを振り返った。すると、すぐ後ろに背の高い男性が一人、まるでさも当然のように隙間なく私に密着していた。彼の顔はマスクに隠れていたし、目元以外はよく見えなかったが、視線が私の方を向いた瞬間、さっとそらされた。「やっぱりこの人がおかしいのかもしれない」と思った。その男性の手がどこにあるのかまでは視界に入らなかったが、なんとなく腰のあたりにあるように感じた。
痴漢だと確信してしまうと、全身が強張って、どうしていいかわからなくなった。声を出そうにも、朝のラッシュでギュウギュウ詰めの車内、誰もが無言でスマホや車窓を見つめるか、眠そうにうつむいている。私が声を上げたらどうなるのだろう。注目されるのは絶対に嫌だ。でも、このまま触られ続けるのも怖い。受験の日なのに、どうしてこんな目に遭わなければならないのか。嫌悪感と怒りと恐怖がごちゃ混ぜになって、涙が出そうだった。
実際、痴漢に遭ったときには「大声で周囲に助けを求める」ことが推奨されている、と何度も聞いたことがある。しかしいざ自分がその立場に立つと、なかなか声が出ない。本当に悲しいほど声が出ないのだ。心臓がバクバクして、舌がうまく動かず、思考もまるで絡まっているかのようだった。私は動揺のあまり、ノートを鞄にしまうことすらままならない。
次の駅で一気に降りてしまおうと考えたが、その駅は私が降りるはずの駅よりもずっと手前。降りたあと、また次の電車に乗り直しても同じように混んでいるかもしれない。そのときは試験開始に間に合わなくなるリスクもある。日ごろから「何かトラブルがあっても対応できるように」と余裕を見て家を出たはずだったが、そうはいっても受験日はまさに一世一代の大勝負の場。簡単には降りられないという気持ちと、痴漢に触られる恐怖が頭の中をぐるぐる駆け巡り、全く冷静ではいられなかった。
それでも耐えられなくなった私は、ようやく声を出そうと唇を震わせた。でも、結局声にはならないほど小さな音しか出せない。周囲の乗客に気づいてもらえるはずもなかった。そんなとき、電車が次の駅に着いた。ドアが開くやいなや、何人かの乗客が降りていく。一瞬だけ空間ができた。その隙をついて、私も「すみません、降ります」とだけ言い、小走りでドアの外へ出た。幸いなことに、降りる客の流れに合わせることができたのが不幸中の幸いだった。
痴漢らしき男がついて来るかどうかを怖々振り返ると、ドアの近くでこちらを見ているようだったが、私がしばらく見つめ返していると、男は車内の奥の方へと移動していった。私の目が合ったことでやばいと思ったのかもしれない。とにかくその瞬間、安堵と悔しさが同時に押し寄せてきて、吐きそうになった。ホームの椅子に座り、震える手でスマートフォンを取り出し、時間を確認した。まだ試験会場に行く余裕はある。ここで諦めるわけにはいかない。でも、さっきの出来事のショックで頭は真っ白。なんとか深呼吸をして、落ち着こうと心を落ち着かせるしかなかった。
痴漢に遭ったとき、本来ならホームの駅員さんに報告するのがベストなのかもしれないし、その場で捕まえるのが正しい対応かもしれない。でも、そのときの私はとてもそこまでの行動力が出なかった。試験開始時間に遅れられないという焦りと、ただただ恐怖で頭がいっぱいだったからだ。結局、私は一旦ホームで心を落ち着かせたのち、次に来た電車に乗り換えて試験会場へ向かった。今度の電車は少し時間がずれただけで乗客がそこまで多くなく、比較的落ち着いて立つことができた。ただ、先ほどの嫌な感触がずっと身体にこびりついているようで、心はまるで休まらなかった。
会場に着いたのは8時半少し前だった。予定していたよりはほんの少し遅れたけれど、それでも試験前には着席できる時間帯だった。しかし、私は朝の出来事を頭から追い出すことができず、試験開始のアナウンスがかかってもどうにも落ち着かない。ひどく憂鬱で、いつもなら試験直前にやっていた小さなルーティン、深呼吸をして心を整えたり、チョコレートを一口食べたりするなどの気持ちの準備がうまくできなかった。隣の席の受験生たちは、教科書やノートの最終確認をしていたり、友達同士で問題の傾向を話し合っていたりして、どこか落ち着いた雰囲気も感じられる。私も本来ならそうでありたかったのに、頭の中は朝の電車での痴漢の記憶だけが渦巻き、どうしようもなかった。
試験が始まってからも、その気持ちは引きずられた。最初の科目の問題用紙を見ても、集中が途切れがちで、問題文が頭に入ってこない。時間だけが刻々と過ぎていく焦りと、再び湧き上がってくるあのときの嫌悪感。あの男の視線や、背中に感じた体温や、腰に触れた手の感触がフラッシュバックしてきて、まるで映像が脳裏に焼き付いて離れない。情けないことに涙が出そうになったが、試験監督や周りの受験生に迷惑をかけたくないという一心で必死にこらえた。そのせいか集中力も途切れ、解答欄を埋めるペン先が震えているのが分かるほどだった。
昼休憩になり、教室から出ると何人かの友人の姿が見えた。同じ高校出身の友達もこの会場で受けることになっており、彼女らはやはり緊張した様子ではあったが、声を掛け合って励まし合っている。「どう? 解けた?」とか「難しくなかった?」とか、そういった会話をしているのを横目に私は正直、どうやって笑顔を作ればいいのか分からなかった。いつもなら一緒に対策を話し合い、互いに「大丈夫、大丈夫!」と元気づけ合う仲間たちなのに、彼女たちを見ると自分だけが置いていかれているような虚しさを感じてしまった。痴漢の話をここで打ち明ければ、きっと心配してくれるだろう。でも余計なストレスを与えたくないし、何より自分の中でもこの朝の出来事をうまく処理できていない。言葉にするのが怖いような気持ちだった。
午後の科目も、やはり集中は思うように続かなかった。特に暗記ものや読解ものでは、注意力の欠如が大きく響く。いくら机にかじりついていても、思考がふっとどこかへ飛んでしまう。こんな大事な日にトラウマ級の出来事に遭ってしまったという悔しさと、痴漢に対して何もできなかった自分の情けなさが頭をもたげる度に、心臓が苦しくなる。なるべく今はテストに集中しなければと分かってはいても、一度崩れたメンタルはそう簡単には元に戻らない。心の傷は思ったより深いのだと痛感させられた。
それでも、最後の科目をなんとか解き終えて会場を出るときには、身体がどっと疲れているのを感じた。外に出ると少し冷たい風が吹き、顔に当たって痛いくらいだが、むしろそれが心地よいくらいに感じた。内側にこもった澱んだ気持ちや熱が少しだけ冷まされるような気がした。帰り道、歩きながらようやく「今後どうすればいいか」「あの男を捕まえることはできなかったか」ということを考え始めた。遅すぎるかもしれないが、今からでも駅員さんや警察に相談しておくべきだったかもしれない。次に同じ被害を受ける人が出るかもしれない。自分のためにも他の誰かのためにも、痴漢行為を見過ごすのは本当はよくないと、理性では分かっているのだ。
でも、正直なところまだ怖い。痴漢されたその瞬間の恐怖と嫌悪感は何にも代えがたいほど強く、思い返すだけで身体がこわばる。今はテストを終えた解放感よりも、その出来事への怒りや悲しみの方が遥かに大きい。家に帰ったら、とりあえず家族に今日あったことを話そうと思った。あのとき何があって、どれほど怖かったのか、しっかり伝えることからはじめたい。恥ずかしい気持ちや自分を責める気持ちもあるが、誰かに話さないと私はこのままずっと抱え込んでしまうだろう。そうなると、二次試験やこれからの勉強にも影響が出る。だからこそ、勇気を出して家族に打ち明けることから始めたいと思う。
それから、駅や警察への連絡に踏み切るのは家族や友達に相談して、気持ちが落ち着いてからでも遅くはないはずだ。証拠になるようなものは残っていないし、混雑した車内で犯人をはっきり特定するのは難しいかもしれない。でも「痴漢被害に遭った」という事実を口に出すこと自体は、私にとっては大切な一歩だと思う。痴漢被害を黙っていては、加害者たちは堂々と再犯してしまうかもしれない。悲しいことだが、周囲に知ってもらうことで少しでも被害を未然に防ぐ手段を増やすことにもつながる。私自身も、今は頭が混乱していて何をどうすればいいか分からないが、とにかくまずは心を落ち着かせ、助けてくれる人にきちんと伝えたい。
あれほど頑張ってきた勉強の成果を、こんな形で台無しにされそうになるなんて、本当に最悪だとしか言いようがない。まさか大学入学共通テストの当日に痴漢に遭うなんて、今でも信じられない気持ちだ。もし周りで私のように痴漢被害に遭った受験生がいたらと思うと、胸が締め付けられる。どれだけメンタルやパフォーマンスに悪影響を及ぼすか、考えるだけでもぞっとする。みんな、ただでさえ緊張する大一番の日だというのに、こんな形で心を乱されるのはあまりにも悔しく、悲しいことだ。
今回の一件をきっかけに、私は痴漢という行為の重さを改めて痛感したし、被害に遭った人がどれほど心に傷を負うのかを身をもって理解した。痴漢行為を「軽い犯罪」と軽視する風潮が一部にはあるけれど、被害者にとってはどんなに短い時間でも耐え難い恐怖を味わう。今後は私自身が同じ被害に遭わないように工夫することはもちろん、周りの人と助け合い、防犯意識や知識を深めていきたいと思う。自分の身を守るだけでなく、遭遇したときには周囲に呼びかけられるくらいの勇気も持ちたい。実際にはなかなか難しいものだとは痛感したが、だからこそ普段から心構えをしておきたいと思う。
そういえば、大学入学共通テストは今日が終わりではなく、次の日もある。気持ちを切り替えるのは簡単ではないけれど、私の受験はまだ続く。まずは家に帰ってから両親に事情を話し、必要と感じたら交番や駅員に相談してみる。そのうえで、十分な休息を取ってから心のケアをしっかりと行い、二日目や二次試験に備えるしかない。こうして文章にしている今も、まだ胸の奥底でモヤモヤした怒りや不安が残っているが、時間をかけてでも絶対に乗り越えたいと思う。
私と同じように被害に遭った人には、少しでもこうした体験を共有することで「一人じゃない」と感じてもらえたらと願う。そしてもし、周囲に痴漢を受けたかもしれないという人がいたら、ぜひ「話しづらいだろうけれど、私でよければ聞くよ」という姿勢を見せてほしい。被害を受けた側は悪くないし、非難されるようなことでもない。相手の傷を理解しようとするだけでも、その人の心はずいぶん救われると思う。今回、私が受験日という一番大事な日に痴漢に遭ってしまったことは最悪だったが、これをきっかけに女性だけでなく、男性も含めて痴漢問題を真摯に考えていく社会になってほしいと強く願う。
いまはとにかく、家に戻って少し休みたい。そして信頼できる人に話を聞いてもらう。その後は引き続き試験勉強を続ける。そうやって、一歩一歩前進していくしかないのだと思う。私の大学入学共通テスト初日は、本当に最悪な出来事で幕を開けてしまった。でも、ここで負けたくない。絶対に志望校に合格して、「あの痴漢に負けなかった」と胸を張って言えるようにしたい。それが今、私が一番に抱いている気持ちだ。どんなにつらいことがあっても、私は自分の未来を諦めたくない。そんな決意を胸に、私はこの苦い思い出を糧に変えていこうと思う。少なくとも、あの電車の中で怯えたままの私とは決別したい。この悔しさをバネにして、明日のテストと、そしてその先の人生に向かって前に進んでいくつもりだ。
男はテストステロンで、一般的な女はオキシトシンでセックスするんや。そして増田は一般的な女や。男性ホルモンが少なめの、そこら辺にいる普通の女。
そういう普通の女ってのは、相手との日常生活がセックスの満足度に直結するんや。つまり一緒に過ごす時間のことやな。その満足度が高いほどセックスしたくなるんや。
もうな、増田はその男にゾッコンや。大好きなんや。愛しているんや。その男に「おまえと一緒にいたい。離婚してくれ」と言われたなら離婚できるはずや。今の増田が離婚に踏み切れないのは、その男がセフレ関係を望んでいるからそれを叶えているだけで、倫理観もへったくれもないんや。
さて、増田が大好きな不倫男の話をしよう。その男をセックスに突き動かしているのは、根本的に増田と違うんや。テストステロン。突発的な性衝動。それのみや。セックス中に「おまえが一番」感を出すのはセックスのスパイスでしかない。
今は関係が落ち着いてる?男の頭ん中は残念ながらセックスでいっぱいやで。ぶっちゃけ増田もその男に「我慢できない。やっぱりおまえを抱きたい」なんて言われたらオナニー3回くらいおかわりできるやろ。男もその瞬間の快楽を得るための助走期間くらいにしか思ってないで。
不倫にハマるんはその男との日常に刺激しかないからや。旦那のことは酸いも甘いも知ってしまっとる。不倫中はお互いに自分のいいところだけしか見せない。それが日常になり、オキシトシンが分泌されまくっておまんこ濡れ濡れっちゅーわけや。
残念ながら増田はもうハマってしまってるんやで。ただな、不健全な関係は人生にとって1mmもいいことないで。クソみたいなことで自己肯定感上げてるとしょーもない人間になるで。
以下は追記や。
ブコメより「えー、だったらセックスの相手は仲のいい旦那の方がよくない? 普段何してんのか分かんない男より。」とのことやが、それはありのままの旦那を愛してる証拠や。素敵な女性やな。
不倫する人間は自己中なんや。自分の評価軸だけで生きていて、理想のパートナー像から減点方式で今のパートナーを採点するんや。一緒に暮らしていても、いつまで経っても不満しか出んし、オキシトシンは出ないんや。
虚像が好きなやつはありもしない不倫中の虚像を愛するんや。お互いに性欲に特化した自分を演出していたら減点しづらいからな。
そんなワケで、不倫する男女どもはほんまに次元の低い生き物っちゅーことや。情けないよなほんま。
ブコメより「増田が言うように生物的な本能で動いているなら、逆に「情けない」とはならないかな。ある意味病気や先天的な何かだとすれば処方が必要とも言える?」とのことやが、生物的な本能はセックスの話や。不倫の話やない。
不倫は自己中心的な承認欲求の現れや。モテるから不倫をするわけやない、性欲が強いわけでもない。自分や家族由来のアイデンティティを持たない空っぽの人間が、ありのままの自分を世に認めさせるためだけの幼稚な行為や。
ママに褒めてもらえなくなったから不倫相手で自己承認をしているだけで、人を傷つけている事実を蔑ろにして「アタシ生きてるー!」をする人間は、情けない以外のなにものでないやろ。
なぜかというと、大人のおもちゃを使って一人でしてしまっているのがばれてしまってめっちゃ気まずいからだ
当方のスペックは30歳共働き(私は時短で通勤時間も足していうと7時半~17時)1歳半の娘持ち
育休中の夜間授乳などは、会社に行ってなくて娘の昼寝に併せて私も寝貯めできるからということで、一切をすべて私が受け持ち夫がやることはなかった。
ただ、保育園に預けて時短ながらも共働きになった今年度、娘が急に夜泣きをするようになってしまった。ひどい時で2時間おきに覚醒するし、だいたい平均で2回起きる。
そうなった場合、日中仕事がある中で毎日毎日1時とか4時とかに起こされるのはほんっとうにしんどい。
娘も何しても泣くので、ただ抱っこしてうろうろゆらゆらするしか成すすべがなく、睡眠不足と孤独感で一緒に泣いてしまったことも数知れずだ。
そんななか、旦那は一歳の頃の夜間授乳の感覚でいるので全く変わってくれず、「私も仕事があるから連日これはさすがにしんどいんだけど…」と相談しても交代してくれるとかじゃなくて「しばらく実家に帰ってみる?会社辞めてもいいよ?」とのたまってきた。
これはあくまでも旦那のやさしさからの発言としても、はっきり言ってずれてるし、ぶちぎれて旦那への愛情はこのとき一切消滅した。
そんな状態でそろそろ夫婦生活も…^^とか言われてもはっきり言って殺すぞとしか思えない。子供がやっと寝たけれど次何時間後に起きるのかわからず、寝られるなら一秒後に寝落ちしたいのだ。
ただ、元が夜型人間で寝つきの悪い私はなかなか寝ることができず、子供の夜泣きの間にだっこ紐に入れてゆらゆらしている間30分から1時間の間手持ち無沙汰になるのでスマホを見るしかなく、結果的に目が冴えてしまう。その対策として、疲れたらスコンと寝られるだろうと思いついたのが自慰だった。
amazonで静音の吸うやつを購入し、子供が寝てからコソッと使えば5分以内に寝られる。最高!
そんな神器を寝落ちる前に毎回チェストに隠しているのだが、今回たまたま早帰りした旦那に隠す前に見とがめられてしまった。
それで「欲求不満にさせてすまない…><」と謝られてしまったんだけど、正直な話ちがうわけ。こっちはセックスがしたいけど旦那がいないから…とかでやってるんじゃなくて、運動と思ってやってるわけ。睡眠導入なわけ。
出して入れてを2分で終わらしてくれるならともかく、体位を変えて、キスをして、短くとも40分くらいかかる行為をする暇なんてないわけ。それに身を清める時間を入れたら一時間弱、下手したら娘の次の夜泣きタイムになってしまうわけ。
だからお前とはやりたくないんだよ~~~!
まぁ、そこまで言ってはいないけど、そのまま変な空気が流れていったんは終わったそれ。
旦那的には、私が旦那としたがらない割に自慰はしてるってことを、ものすごく重く受け止めたらしい。
次の日から夜泣きを一日交代で見てくれるようになったし、土日は義実家に娘を連れて行ってくれて睡眠時間をくれたりするようになって、旦那への愛情は少しづつ増えてきた。
ああ違うわ、自分に人脈がないのか、ちょっとした相談する相手もいないわ
でもどちみち倫理的にどうかとか、そういう話も入ってくるから無理だ
そういえば、最近だれにも言えないような相談をされることが増えた
自分が捌け口になってる
にしても相談者の周りの人的環境をみると、ほんと敵しかいねーんだなって人が多くてしんどい
まじで自分が唯一味方か??って思える人が居る
もちろん友達はいるって人もいるんだけど、友達って友達だからこそ困ったときに味方にしづらいんだよね、巻き込むか離れるからね、しないほうが良いと思う
ていうか人間、いざと言うときの味方って結局家族しかいないパターンが多いのかもな
今では2,3人をどうにかしてやるのでやっとだし
高難度で詰んでる人も居る
でも自分が詰んだって思っちゃダメだと思う、相手はもっと詰んでると思ってるはず
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増田にすら書きづらい悩みってのがあるんだ(フェイク7割でそのうち書くかもしれないが)
あと、やっぱ絶望的な状況にいる人ってある程度いろいろ試して、それがどれだけ使えないかってのを理解してるけど
ネットの人っていうのはそこら辺の知識に疎いから「◯◯すればいいじゃん」で話が止まるんだよね
その線で探してみるべきか
今の2~30代って
が憧れかつ最適なライフプランって言うんだけど、完全に女性のこと考慮してないし発達障がい児童増えそう。
なんかみんなと違って俺は賢いからって人も多いし、実際結果出ている人も多いから最適解なんかね?
自分は大都市圏から離れた所で最低限の収入を得ることなんて無理だと思っているから都会で働き続けるわ。コンサル?田舎に引きこもったコンサルの意見なんてカビ生えてて使えないわ
たぶん最終的には子供はマイナスだからDINKs一択とかになるんだろうし、独身税みたいなの出ても稼ぎと資産あるから問題ないとか思いそう
消費税があがって積二ーとかの投資のルール変わったときに都会に出てきて「田舎に引きこもってましたけどまだ仕事出来ます!」とか言うのかな?それともフルリモートで偉そうに言うの?
考えが古いとわかっているけど自分は仕事がある場所の近くにいるべきだし、田舎に行くのは仕事を二度としない時だと思う。インターネットで世界中に仕事が言うけど、未だにそんな実感は無い。
「対多」は原則として漢字や句読点しか投稿することのできないSNSである。正月中に導入した。近頃はどこのSNSも自分にとっては面白くなくなっていたのだが、移住先が見つからず、試しに使ってみた。個人的には、とても居心地が良かった。
対多では、はてな匿名ダイアリーと同様に、原則として誰が投稿したかわからない。ただし、トピックに返信した場合、スレ主のみ表示がつくので、自作自演が防がれる。
「○○だけど質問ある?」「【定→時→退→社】完成で俺退勤」「彼女の作り方教えてくれ」。そんな懐かしい雰囲気のスレッドが多い。
もちろん、VIPの悪癖も引き継いでいて、「女子高生だけど質問ある?」スレッドには大量につられるユーザーが多いし、淫夢ネタが妙に多い。一応、猥褻だったり差別的だったりする内容は投稿禁止になっているはずなのだが、守らない人は残念ながら一定数いる。なお、近頃はマコモ湯ネタがミーム化している模様。
ただし、「慰めてくれ」とか「死にたい」とか「受験がつらい」とか、そういう嘆きのスレッドには励ますような温かい言葉が並ぶ。
機能がシンプルなのもそうだが、「これから成人式に出掛けるよ!」「風呂入ってきた」「夕飯何食べた?」みたいな、初期のツイッターで話していたような話題が多い。他にも唐突に昔の流行曲やアニソン、映画や漫画の名台詞が呟かれるのも雰囲気が似ている。
何となく呟いたことに、何となく返信が来るのも、ユーザー数が少なくて治安の良かった頃のツイッターを思い出して懐かしい。
愚痴を書き連ねても滅多なことでは暴言が返ってこない。これは昨今のSNSの事情を見ると特筆すべき事項だ。
あとは、かつてのVIPとの違いを特に感じたのは「生理がつらい」という投稿が結構あること。二十年近く経過して、生理に対する意識が変わったのを感じる。ただし、当時はまとめサイトしか見ていなかったので、実際のVIPがどうだったかは知らない。
どこかからかから男女対立を始め、あらゆる分断を煽ろうとする輩がやってくるが、大抵は「青鳥(ツイッター)に帰れ」とレスがついて終わる。
これは、争いをみな嫌がっているのも理由だが、単純に漢字しか入力できないことにもよる。つまり、複雑な文章が書けないため、議論が成立しづらい。また、スレッドは十分に一つしか立てられず、レスは一分に一つしかできない。クールダウン期間がある。加えて、偽中国語で悪口を言われても、直接日本語で何か言われる程には傷付かない。先ほど述べた、一定数の下ネタを言う人間がいても、不快感が他のSNSよりも薄いのは、こういうワンクッションがあるからかもしれない。
(夜追記。トピックは五十文字、レスは百文字以内。これも一因だろう)
漢字と句読点を投稿する機能しかない。画像も動画もない。至ってシンプル。通報機能、ユーザーやキーワード非表示機能はある。ブックマーク機能がある。「笑った」「いいね」「同情」などのボタンはある。
コンプレックスを刺激させるようなキラキラ写真投稿は存在しない。
漢字しか投稿できないので、意味が通る文章を作るのも大変だし、読解にも苦労する。漢文の語順で投稿する人、現代中国語を混ぜる人、送り仮名も漢字で表現する人、無茶苦茶な当て字を使う人など、様々だ。例えば二人称は「君」「貴君」「貴様」「御前」「你」などが見られる。古の2ちゃんねる用語「~汁!」が復活しているのは笑った。
ちなみに、カタカナに見える漢字を使うと「脱法力夕力十! 逮捕!」とレスがつくのがお約束。
仕事中にも無性にやりたくなるので、誘惑を断ち切るために削除した。
逆に言えば、それだけ魅力的だったってことだ。意味のないつぶやきに対してゆるくレスポンスがあるのは楽しいし、抗いがたい。でも、SNSが本来目指していたのってこういう場ではなかったか。
広告はある。しかし視聴は必須ではない。「しずかなインターネット」のようにマネタイズせず(あそこはスポンサーがついているらしい)、趣味でやっているから平和なのかもしれない。あとはどこかのキャンプ場みたいに有料化して平和にするしかない。無料だとおのずとヤバい人が集まるというあれだ。つまるところ、資本主義の原理には勝てないのだろうか。
いつ頃からだろう。ネット上で「野獣先輩」のネタを見かけることがめっきり減った。かつては掲示板やSNS、動画サイトでも無数のMADやコラージュ、替え歌、それから「やりますねぇ」「114514」など、淫夢語録が飛び交い、いたるところで野獣先輩を祭り上げるような風潮があったはずなんだけど、最近はそういうネタを積極的に楽しむ層が目に見えて少なくなってきた気がする。あれだけネット上を席巻した野獣先輩はいったいどこへ行ってしまったのか。もう“ブーム”という意味では完全に過ぎ去ってしまったのかもしれない。
もちろん、いまでもYouTubeで「野獣先輩」と検索すれば、昔アップロードされたMAD作品やキワモノじみた動画の数々が出てくる。そしてコメント欄やSNSの一部では、いまだに「ンアッー!」「イキスギィ!」「先輩!?今なにしてるんですか!?」なんて淫夢語録を使っている人がいるのも事実だ。だけど、いわゆる一般的な流行語として、あるいは“ネタ画像の定番”としての盛り上がりは、ここ数年でかなり勢いを失ったように思う。まるでピークを過ぎたお笑い芸人のように、かつてはテレビをつければ見ない日はなかったのに、ある日を境にパタッと姿を見せなくなった――そんな印象すらある。
言うまでもなく、野獣先輩は元々“某ビデオ作品”から生まれた人物(キャラクター?)であって、その正体については未だに不透明な部分が多い。顔や声はあまりに有名になりすぎたが、名前や経歴などの公式情報がほとんどないまま、それどころか実在さえ疑われる都市伝説の領域になりつつある。そこがまたインターネット時代の想像力を刺激したのか、過剰なまでの二次創作が生まれ、動画やイラスト、コラージュ画像やフィギュア(自作)など、多方面で“発展”を続けていたのが、ちょうど2010年代前半から中盤あたりだった気がする。
当時はニコニコ動画をはじめ、コメント文化が根付いた動画プラットフォームとの相性も抜群だった。コメント欄がスクリプトのように淫夢語録で埋め尽くされ、それをさらに面白がってMAD制作者がネタを増殖させる。あるいは一部のニュースサイトやまとめブログですら、面白半分に野獣先輩ネタを取り上げたりして、「知らない奴はネット初心者」なんて言われるほど浸透していた。Twitter上でも「誕生日おめでとう」「これは草」などの汎用スタンプ的に「114514」を使っている人がいて、一種の“邪道な共通言語”のようになっていたのを覚えている。
しかし、その盛り上がりも徐々に変容していった。一つには、ネットコミュニティの分散化が関係しているだろう。SNSが多様化して、趣味やコミュニティごとに細分化され、それまでニコニコ動画や特定の掲示板で集中して消費されていたコンテンツが、それぞれの独立したプラットフォームでまばらに取り扱われるようになった。そこに加えて、“炎上”や“差別”といったセンシティブな話題への社会的な目が厳しくなったという背景もある。そもそも、野獣先輩が初出のビデオはゲイポルノ。今でこそ多少は寛容になった部分もあるかもしれないが、ネットミームとして消費される過程で、ゲイの人々に対する差別や誤解を助長するような表現があったのは事実だ。それを面白がって繰り返していくことに抵抗を感じる人も増えてきたんじゃないかと思う。
ネットミームは流行り廃りが激しい。しばらく異様な勢いで盛り上がったかと思えば、ある瞬間を境にして興味を失われ、どこにも“ネタ”としての居場所がなくなる。しかも野獣先輩ネタは、興味のない人からすると「意味不明」「ただのホモビデオネタでしょ」という評価になりがちだし、社会全体から見ればかなり“マイナー”な部類に入るわけで。そもそも一般ウケするような題材じゃない。それでも大きく盛り上がったのは、当時のネット文化や動画サイトとの相性、そして一部のコアなファンの狂気じみた創作熱が奇跡的に結びついた結果でもあるんだろう。
さらに、野獣先輩にまつわるデマや過剰な“考察”が広まった結果、本人とされる人物がリアルで迷惑を被っているという噂も立った(真偽は不明)。ネットの海では無自覚に二次創作を楽しんでいただけでも、誰かが被害を受けている可能性がある、という認識が広まれば、それだけで一気に“冷める”人もいる。実際に「ストリートビューで野獣先輩を見つけた」とか「就職先が判明」などといったデマが飛び交う中、面白がっているだけでは済まされない雰囲気になったことも、大きな要因の一つかもしれない。
それと同時に、淫夢界隈というか、いわゆるホモビデオネタ全体が少しずつ下火になったという説もある。昔は「なんでも実況J(なんJ)」板などでしばしば盛り上がったりしていたが、ネット文化全体の主流はもっと別の方向にシフトしていった。VTuberやTikTokの短動画文化など、新しい潮流が台頭し、そこに若い世代の目が向いた結果、野獣先輩界隈のような“十年選手”のコンテンツに新規参入する人が減ったのだろう。お決まりの淫夢語録を使って盛り上がるだけのコミュニティは、古参が固定化して停滞していくばかり――そんな現象が見え隠れしている。
一方で、「ブーム」というほどの熱狂が消え失せたとしても、コアなファン層は一定数残るものだ。何かの拍子に「イキスギィ!」「なにわろてんねん」なんて書き込みを見ると、一部の人々は懐かしさを覚え、それでまた小規模ながら盛り上がりをみせることがある。マイナージャンルの音楽や漫画と同じで、「好きな人だけが好きなタイミングで楽しむ」というスタイルに落ち着いたのかもしれない。かつてのようにニコニコ動画のランキングをジャックするような勢いはもうないけれど、自分たちが愛する淫夢ワールドを守り続けるコアファンがいる限りは、完全な“消滅”とはならないだろう。
ただ、「話題性」という意味でのブームは、もう戻ってこないんじゃないかと思う。ネットミームは消費サイクルがとにかく早いし、過去に何度もリバイバルされた他のネタ(例えばエア本やエガちゃんとか)と比べても、野獣先輩ネタは一度ピークを迎えてから、その余韻を引きずりながらも急激に下火になっていった印象がある。もし今後、野獣先輩を取り上げる大きな出来事――たとえば本人がメディアに登場するとか、公式に何か声明を出すとか――があれば別だけど、その可能性はほとんどないだろうし、あるとしてもまったく予想がつかない。
もう一つ言えるのは、ネット社会自体が“ネタ”に対して敏感になっているということだ。SNSの拡散力やモラルへの意識が高まった結果、差別や迷惑行為に該当するコンテンツは批判されやすい。野獣先輩ネタは本質的に“ホモビデオ出演者をネタ化して面白おかしく広める”という構造があるから、やはり批判されるリスクも高い。インターネットの一部コミュニティだけで楽しむ、いわゆる“内輪ネタ”としてなら成り立つかもしれないが、外部への広がりを目指すとなると、今の風潮ではどうしても厳しいだろう。
となると、自然に考えて、野獣先輩のブームが再燃するシナリオは想像しにくい。むしろ今はもう「懐かしいネタ」や「一部でコソコソ盛り上がるカルト的な存在」として消えていく運命にあるのかもしれない。かつての勢いを知っている人からすると、あの狂乱の時代が嘘のようだと思うかもしれない。ネット上の祭りとは、えてしてそういう儚さを伴うものだ。盛り上がるときは一気に爆発するけれど、それが長く続く保証はどこにもない。むしろ急激に消費されるからこそ、一種の“バカ騒ぎ”として鮮やかに記憶に刻まれるのだろう。
もっとも、完全に誰からも忘れ去られるかと言えば、そうはならないと思う。インターネットの大海原には、かつて作られた無数の動画や画像、スクリプト、テキストが残っている。ふとした拍子に目にした古いMAD動画から、若い世代が「なにこれ…?」と興味を抱くことだってあるかもしれない。まるで化石のように眠っているアーカイブのなかで、野獣先輩という存在はいまだに息づいている。見つけた人が手を加えれば、また新たなネタとして蘇生する可能性だってゼロではない。だが、それはあくまで局所的なものであって、再び大衆を巻き込むようなブームになるとは考えにくい。
思えば、野獣先輩があれほどまでに取り上げられたのは、ネットミームの“暗黒面”を象徴するかのような要素が詰まっていたからでもある。アングラ感、不条理ギャグ、謎の考察文化、コラの素材としての汎用性、そして大衆から見ると“ネタにしづらい”危うさ。それらが絶妙に交じり合い、奇妙な熱狂を生んだ。だが、その熱狂は時代とともに下火になり、今や「ブーム」と呼べるほどの勢いを残してはいない。淫夢語録を使ってキャッキャ盛り上がる文化は、いまや一部の“伝道師”たちのものとなったのだろう。
「もう野獣先輩のブームって消えたよね」と言われれば、正直「うん、消えたと思う」と答えるしかない。もちろん“好きな人は好き”という段階で存続しているのも確かだが、少なくともネット全体を席巻するほどのパワーはもはやない。あの独特のネットスラングや淫夢語録を見かけたとき、「そういえばそんなネタもあったな」と懐かしむ人が増えた時点で、ブームは終焉を迎えたのだ。
ただ、ネット文化において「ブームの終わり」がイコール「完全な死」を意味しないのは、これまでも繰り返し目にしてきた通りだ。野獣先輩ネタも、“隠れ里”のようなコミュニティや、昔を懐かしむ古参ユーザーの間で、細々と脈打ち続けるだろう。いつかまた世代を超えてリメイクされる瞬間が来るかもしれないし、さらにマイナーな世界へ潜っていくかもしれない。結局のところ、“生きている”かどうかよりも、“楽しむ人がいる”かどうかがネットミームにとっては重要なのだ。
では、われわれは今後、野獣先輩のブームをどう捉えればいいのだろうか。答えは、あまり深く考えすぎなくてもいいんじゃないかと思う。所詮、ネットの一大ネタ祭りだったのだから。盛り上がるときはとことん盛り上がり、廃れるときは静かに廃れる。次から次へと新しい話題が生まれ、消えていくのがインターネットの常だ。たまたま“ナゾの多いホモビデオの出演者”というインパクトが重なり合って、一瞬の閃光のように注目を浴びただけのことかもしれない。
それでも、かつてのインターネットの一角を彩った壮大な“お祭り”であることに変わりはない。あの時代をリアルタイムで経験した人は、きっと「やりますねぇ」「ンアッー!」なんて語録を見るたびに、あのカオスな日々を思い出して苦笑するだろう。そんなふうに、野獣先輩のブームは過去のインターネット文化を振り返るうえで、ひとつの象徴として語り継がれる可能性がある。これこそが、ブームが去ってもなお、どこかの片隅で語られ続ける“ネットミーム”の宿命なのかもしれない。
結論としては、もう「野獣先輩」のブームは確かに消えてしまった。かつてのような大規模な盛り上がりを再現することは難しいだろう。しかし、それでも完全に消え去ったわけではなく、いまでもどこかでひっそりと愛好され続けている。「ブームが過ぎ去ったあとにこそ、本当のファンが残る」なんて言い方もあるけれど、まさにそういう状態だと思う。表舞台には出なくなったが、インターネットの奥底ではまだ生きている――それが野獣先輩という“伝説”の現在形なのだ。いずれにせよ、もう一度あの規模の“祭り”が起きることは、たぶんないだろうし、仮に起きたとしても、それはもう“別物”なのかもしれない。人々の記憶の中でしか語り継がれないような、そんな“終わり方”もまた、ネットミームには相応しいのかもしれない。
(某映画の記事で「7〜8億円は狙えそうだ」というポジティブな書き方をしているものがあったんだが、7〜8億って高いのか??と思ったのが動機)
...
10位 ジュラシック・ワールド 6.5億ドル
...
...
3位 君の名は。 251億円
なお6位までアニメ
7位 踊る大捜査線 THE MOVIE 2 レインボーブリッジを封鎖せよ! 173億円
100億円の壁がよっぽど高いというのが分かるな
7位 踊る大捜査線 THE MOVIE 2 レインボーブリッジを封鎖せよ! 173億円
19位 踊る大捜査線 THE MOVIE 101億円
24位 劇場版 コード・ブルー -ドクターヘリ緊急救命- 93億円
30位 世界の中心で、愛をさけぶ 85億円
32位 シン・ゴジラ 82億円
34位 HERO 81億円
...
40位 ゴジラ-1.0 76億円
42位 BRAVE HEARTS 海猿 73億円
43位 踊る大捜査線 THE MOVIE3 ヤツらを解放せよ! 73億円
...
76位 変な家 50億円
ここらんへん、つまり50億円を超えてくるあたりで「大人気」「名作」という扱い
アニメでニュースになり大絶賛されるレベルはおそらく80億円〜だが
実写ではそれが50億円〜で既に起こるようだ
4位 劇場版 SPYxFAMILY CODE: White 63億円
6位 機動戦士ガンダムSEED FREEDOM 53億円
12位 僕のヒーローアカデミア THE MOVIE ユアネクスト 35億円
14位 映画クレヨンしんちゃん オラたちの恐竜日記 26億円
洋アニメ
7位 インサイド・ヘッド2 52億円
邦画実写
8位 変な家 50億円
13位 ゴールデンカムイ 29億円
19位 Mrs.GREEN APPLE // THE White Lounge in CHINEMA 18億円
21位 室井慎次 敗れざる者 18.5億円
洋画実写
こう見ると、20億円弱を超えたくらいで既に話題作扱いなのだとわかる
ただし日本アニメで言えばそのボーダーラインが40億円くらいに上がるのかもしれない(ルックバックはちょっと例外だね)
ドラマ発の人気シリーズが20億円に届いていないが、これで成立していると考えると、相場感がおかしくなる
ビックリするのは最近の洋画実写だね、ノーラン監督ですらこの位置
ちなみに、インセプションで35億円、テネットで27億円だから、もう洋画の国内相場は考えてもしょうがないかも
去年、ゴジラ-1.0のアメリカでの興行収入が5600万ドルを記録し歴史的快挙だと話題になった(鬼滅の刃を超えている)
為替の問題があるが、日本と同程度の売上を記録して快挙、というのが相場的にはわかりやすいかもしれない
3位 タイタニック 277億円
4位 アナと雪の女王 255億円
7位 ハリー・ポッターと賢者の石 203億円
13位 アバター 159億円
18位 ザ・スーパーマリオブラザーズムービー 140億円
22位 ラストサムライ 137億円
23位 ボヘミアン・ラプソディ 135億円
28位 ジュラシック・パーク 128億円
...
84位 ジュラシック・ワールド/炎の王国 80億円
...
97位 スパイダーマン 75億円
98位 インディ・ジョーンズ 74億円
好みはハリウッド映画とディズニー、一部ファンタジーに偏っていて
それらが下火になったここ何年かは元気がないようだ
例えばだけど
・劇場版「進撃の巨人」完結編 THE LAST ATTACK 11億円
・名探偵コナン vs. 怪盗キッド(TV特別編集版) 5億円
・コードギアス 奪還のロゼ 第3幕 1億円 ※これは違うらしい
・カラオケ行こ! 7億円
・デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション 前章 4億円
・逃走中 THE MOVIE 3億円
・スマホを落としただけなのに最終章 ファイナルハッキングゲーム 3億円
知名度があるタイプで完全新作ではない場合の相場が3〜5億円あたりにあるね
実写で知名度がないまたはオリジナルの場合、ヒット作でも10億円は大きな壁になってそう
・50億円超えれば年間TOP10に入る
日本(実写)
・30億円超えればだいぶ良い方
・隠れた名作扱いで7億円くらいの位置
・知名度ゼロからのスタートなら10億円が壁になる、20億でヒット
・人気IPでない場合、10億円未満でも内容を絶賛してる映画ファンが居るケースがある
・ハリウッド映画かディズニーなら100億円超えても不思議じゃない
知名度があるIPか、アニメか実写かで相当変わるなあ、相場形成しづらいよこんなの
2023年にそこそこ話題になったオリジナル+邦画+実写の「怪物」は20億円だった、ここらへん大ヒット扱いだもんな
動員数で考えると、1人2000円弱として
2億円 → 10万人強
と考えると、まあ100万人動員できる時点でだいぶすごいよね、本来は
調べたところゴジラ-1.0の制作費が15億円くらいで「低予算」ってアメリカで言われてたらしいけど
まあそうなるよな、この相場で50億円とかかけるのは無謀だ
邦画の制作費ランキングも調べてみたけど、昔なら50億円とかあったみたいだね
最近は15億円で高い方かな
___
雑感その2
・え、今気づいたけど変な家すげー大ヒットじゃん、関係者は続編作れるよう雨穴さん拝み倒してるんだろうか?
・一応言うと、現代は映画以外の収入もあるから興行収入だけで語ることはもちろん出来ない、あくまで相場感を養いたかった
・あくまで相場の話だから、中身の話はしていない、個人的に興行収入なんて半分は宣伝量だろうと思ってる。ただ、逆に言えば宣伝量=相場=業界の規模感・勢いなわけで、無意味とも言えない
・山崎貴監督ってすごい人だったんだな、ドラクエでコケた人のイメージしか無かった、ゴジラは良かったよ
・今ブコメ見てたら「カメ止めは31億円」と見て「すごい!」と思えた、そうそうこう言うのだよ相場感。このくらいの数字で、あの盛り上がりってことだ
・何度考えてもコナンはバグってるな、俺も次回は見に行こ、漫画は40巻まで読んだ
・若者の中でハリウッドが存在感を失ってることが分かる、ちょっと寂しい、今の高校生くらいはまだハリポタ世代なんだけど、中学生から下はもう本当に薄くなってる
・あれ、ディズニーもバフ消えてたりする?インサイド・ヘッド2が52億円っておかしくない?世界歴代興行収入ランキングアニメ1位だぞ?(17億ドル)
子作りは全てエゴ。それはそう。
それはそうと話を聞いてほしい。
義姉の子供を引き取る事になりそうだが、その場合弟や妹を作ってしまうとその子供に精神的ダメージを与えてしまうだろうか?
そろそろ子供が欲しいと思っていたが、子宝に恵まれず不妊治療用のクリニックに通い始めて数ヶ月経った。
私達2人とも兄弟がいたのもあり、子供はひとりっ子ではなく2人は欲しいよねと話していた。
義姉はいわゆる「未婚の母」という状態で認知などもなし。女手ひとつで子供を育てていたが昨年大きな病気が見つかり入院。先月余命宣告があった。
義姉とその子供(以下A君)の面倒を見ていた義母から私達に「子供を引き取ってくれないか?」と相談があった。
私とA君はお盆や正月などの行事の際顔を合わせたぐらいだが、夫が実家を出る前まではかなり面倒を見ていたと聞いていたので、なんとなく任される気はしていた。
A君は現在小学生低学年なので、ある程度事情もわかっているだろうと思う。
そんな状況で私達が新しく子供を作るのは、かなり精神面にダメージを与えてしまうのではないか?と不安に思っている。
もし子供ができたとしたら平等に可愛がりたいと思っているが、子育ての経験がないので絶対!と言い切れるほどの自信はない。
しかし、元々子供は2人欲しかったしお金かけて不妊治療を始めたのに諦める事になったらとても辛い。せめて1人はパートナーと私の子供が欲しい。
でもやっぱり引き取った子供にも幸せになって欲しい……と堂々巡りになっている。
ちなみに夫の意見としては「気にせず子供作ってもいいんじゃない?兄弟多い方が楽しいでしょ」とかなら楽観的なものだった。本当にそうなるだろうか。
血のつながりが重要だ!と主張したいわけではないが、片方は養子、片方は実子、しかもそれを知っているのは養子の方だけ。となった場合やはり辛いものがあるのでは……と悩んでしまう。
あなたは、いったいどんな思いを胸に、ここへやってきたのだろう。喜びや悲しみ、後悔や憤り、あるいは日々の生活に潜むささやかな奇跡への感動――。この場所には、他人には決して言えないような本音から、誰かと分かち合いたい小さな秘密まで、さまざまな感情が渦巻いている。書き手は「匿名」という仮面をつけ、読み手は実名や顔写真もないまま、その文字列だけを頼りに心情を推し量る。はてな匿名ダイアリーは、そんな不思議な空間である。
インターネットにおける匿名性というのは、ときに素晴らしいものだ。人前で話すのは怖いことも、本当の顔を晒すのは恥ずかしいことも、そこではずいぶんと緩和される。書き手にとっては、己の感情を吐露するのに最適の場。読み手にとっては、まるで多彩な人々の脳内を覗き見るような感覚にさえなる。そして、その過程で言葉は自由になる。言ってしまえば、ちょっとした「秘密の共有」を通じて生まれる、奇妙な連帯感。ここがはてな匿名ダイアリー最大の魅力といえるかもしれない。
だが、それは同時に、不安定で危うい側面をはらんでいる。何を思っているのか、どんな背景を背負っているのか――その全貌が見えないまま互いに言葉を交わすとき、共感と誤解が背中合わせになることは少なくない。時として傷つきやすい人が傷つく言葉を受け取り、書き手もまた、コメント欄で非難の声を浴びることで、思わぬダメージを負ってしまう。匿名だからこそ、むしろ気軽に吐き出せる痛烈な一言は、ときに誰かの心を突き刺す刃ともなる。
それでもなお、あなたはここへ来る。むしろ、そういった刹那的な繋がりがあるからこそ、人間くさくて魅力的な場だともいえる。たとえ刹那の火花であっても、「自分はひとりではないんだ」という感情を味わえる。それはコメント欄の小さな「わかる」「なるほど」の言葉だったり、ブックマークのスターに込められた軽い共感の表明だったり、あるいは「もっと知りたい」「応援しているよ」といった温かい反応かもしれない。そこで得られる心の拠り所は、案外馬鹿にできないものだ。
言葉とは、不思議な生き物だ。書き手の頭のなかでは明確だったつもりの感情も、キーボードを叩き始めた途端に何か違う形へと変容してしまうこともある。意図しない誤解を招くこともあれば、読み手に新たな解釈を与えることもある。特に、匿名ダイアリーのような場所では、下手に取り繕わず、垂れ流すように本音をぶちまけてしまうことが多い。そうやって生まれる乱雑な文章のなかに、妙にリアルな感情が埋まっているからこそ、読む側は思わず引き込まれてしまうのだろう。
たとえば、何かに行き詰まったり、絶望感に打ちひしがれたりしたとき、あなたは「助けて」とはなかなか言い出せないかもしれない。リアルな知人には相談しづらいし、SNSではフォロワーや友人の目が気になる。そんなときこそ、この匿名ダイアリーは役立つ。名前を伏せたまま、思いっきり弱音を吐く。怒りをぶつける。恥部をさらけ出す。それでもどこかで「誰かが見てくれている」という安心感がある。コメントやブックマークがつけば、それは「あなたの声が届いた」証拠になる。
書くことで癒されることもあるだろう。声にならない叫びを文字に変えることで、自分自身の思考を整理できる瞬間もあるかもしれない。コメントや反応を得られなくても、「この想いを綴る」という行為そのものが、自己救済のためのステップなのだ。書き終えたあと、あなたの目にはどんな光景が映るだろう。あるいは、胸のつかえが少し取れているかもしれないし、意外にも新たな怒りや悲しみを再確認して、さらに落ち込んでしまうかもしれない。それでも、書かずにはいられなかったのだとしたら、それはあなたが前に進むための第一歩なのだと思う。
一方で、読むことによって救われる人もいる。人間は誰しも、自分と同じような境遇や似通った感情を抱えた人の存在を知るだけで、奇妙な安心感を得るものだ。「この苦しみは、私だけが抱えているわけじゃないんだ」と思えたとき、そこに一筋の光が差すことがある。それは、当事者同士にしかわからない痛みであり、それゆえにコメントで寄り添い合うのは難しいかもしれない。けれども「誰かの投稿を読む」という受動的な行為だけでも、思いがけず自分を支える糧になることがあるのだ。
この匿名の空間には、現実のあらゆる制約を外した「書き手の世界」が無数に広がっている。孤独な人、悩みを抱えた人、喜びに震える人、憎しみと怒りを抱えた人、軽い暇つぶしやおしゃべりを楽しみたい人――それぞれが書きたいことを、書きたいときに書く。そこにあるのは純粋な言葉の奔流だ。だからこそ、互いの声なき声が重なり合い、ときにはぶつかり合い、また離れていく。その動的なやりとりこそが、はてな匿名ダイアリーという場所の生命力なのだろう。
しかし、匿名性がもたらす功罪は、私たちが十分に認識しておく必要がある。名乗ることなく発言するということは、その発言に対する責任を曖昧にしがちだ。ちょっとした悪意のはけ口や、勢い任せの誹謗中傷に利用されることもある。言葉が刺さることを充分に理解していても、どこか“仮面”をかぶっているから大丈夫だと錯覚してしまう。しかし、実際にはネットの向こうにも生身の人間がいるという事実は変わらない。あなたの何気ない一言が、相手を深く傷つける可能性があることを忘れてはいけない。
とはいえ、それは即ち「何も書くな」という意味では決してない。むしろ、はてな匿名ダイアリーは「書く自由」を大切にする場所だ。ただ、その自由には、最低限の配慮が必要になる。あなたが発する言葉に責任を感じるかどうか――その判断は究極的にはあなた自身が下すしかない。そして、もし誰かの言葉によってあなたが傷ついたとしても、そこで生まれる感情をどう受け止め、どう行動につなげるかも、結局はあなた自身の選択次第だ。それがネット上の言論空間における避けられない現実である。
人はみな、自分が体験した悲喜こもごもの物語を抱えて生きている。それを打ち明けるか、隠し続けるか、あるいは別のかたちに昇華するか――道は無数にある。はてな匿名ダイアリーは、その「道の一つ」を提供しているにすぎない。けれども、そこには確かに何かがある。匿名という安全地帯から、我慢し続けてきた声をようやく吐き出せる喜び。SNSのいいねやフォロー数とは無縁の、純粋な読み合いの醍醐味。時には厳しい言葉を受け止めることで、思いもよらない学びがあることもあるかもしれない。
もし、あなたがこの場所で何かを書こうとしているのだとしたら、どうか覚えておいてほしい。ここでは誰かに評価されることだけが目的ではない。むしろ、自分の感情を認めるために文章にすることが、大切な場合も多い。うまく書こうとしなくていい。無理にまとめようとしなくていい。自分でもうまく言葉にできないままの混乱こそが、ある種の真実かもしれないからだ。あなたが綴る文章が拙くても、見る人が見れば、その混乱の中からかすかな真意を感じ取るだろう。
また、読み手として匿名ダイアリーに触れるときには、ぜひ広い視野で文章を受け止めてほしい。表面的な言葉に振り回されるだけではなく、その人が置かれているかもしれない状況や、そこに至る経緯を想像してみる。その結果として、あなたが何も感じないかもしれないし、怒りを覚えるかもしれないし、時には深い共感を得るかもしれない。たとえわからないままでも、「わからない」という事実に思いを馳せることが、相手との間に生まれるほんの少しの理解を助けてくれるはずだ。
おそらく、はてな匿名ダイアリーはこれからも形を変えながら続いていくだろう。書く人と読む人の交流は、時代や技術の変遷を受けて少しずつ進化していく。AIが発達して、匿名の文章を自動生成できる時代になっても、そこに人間味あふれる“本音”の手触りが残るのだろうか。そんな問いかけを抱えながらも、私たちは相変わらずここへ足を運ぶ。だって、どんなに技術が進歩しようとも、人が言葉を発して誰かに届くことに、やはり大きな意味があるからだ。
最後に、ここに集うすべてのはてな匿名ダイアリーユーザーに伝えたい。あなたが今、どんな思いを抱えているとしても、ここで書くことには意義がある。たとえそれがネガティブな吐き出しであっても、あなたの思考を真剣にめぐらせた痕跡だ。その痕跡は、未来のあなたや、あるいはまったく見知らぬ誰かの心に小さな火種を灯すかもしれない。もし今日のあなたが自信をなくしているのなら、どうか遠慮しないでほしい。匿名の仮面をかぶったままでも、あなたの言葉には十分な重みがある。そこから得られる感情や学びは、他ならぬあなた自身の人生を動かすかもしれないのだから。
書くことは、ある種の自己解放であり、同時に他者との接点を生み出す行為でもある。自分の悲しみや苦しみを打ち明けることで、思いもよらない形で他人からの共感を受けとることもある。逆に、誰かの文章を読むことで、これまで知る由もなかった人生観に触れることもある。はてな匿名ダイアリーには、そうした偶然の出会いが満ちている。うまくいくこともあれば、そうでないこともある。けれども、その予測できない化学反応こそが人の言葉の面白さであり、匿名ダイアリーという不思議な空間の醍醐味なのだろう。
どうか忘れないでほしい。たとえこの匿名世界で真剣な感情を吐き出したところで、リアルの世界に戻れば、あなたの名前や顔や立場はそのままだ。けれども、匿名の場で得た気づきや、さまざまなやりとりを通して感じたことは、リアルのあなたにとって何らかの糧になるはずだ。あなたは、書くことで少しだけ自分を知り、読むことで世界を広げる。そして時には、誰かの心をほんの少しだけ照らしているのかもしれない。その証拠は、また誰かの新しい書き込みによって紡がれていくのだ。
だから、もしこの先あなたが苦しいと感じたなら、またここに戻ってきてほしい。あなたが聞いてほしいことは、すでにここで待っている他の誰かが拾い上げてくれるかもしれない。あなたが自分の物語を探しているのなら、ここには数えきれないほどの物語が転がっている。人の数だけ人生があって、人生の数だけ言葉がある。どうか、その中からあなたが救われる言葉や、何かのヒントを見つけ出してほしい。
はてな匿名ダイアリーユーザーへ――今日もあなたの物語が生まれては消え、そしてまた新たな物語へと続いていく。それは一人ひとりの足跡でありながら、やがて大きな流れになっていくのかもしれない。あなたが書いた言葉は、どこかの誰かの夜を少しだけ明るくするかもしれないし、あなた自身の明日をほんのわずかに変えてしまうかもしれない。ここは、そんな可能性を秘めた場所だ。書き続ける者、読み続ける者、それぞれがさまざまな想いを携えて、この広大な匿名空間をさまよい歩く。そしてときどき、遠くから手を振り合う。それだけで人は、少しだけ強くなれるのではないだろうか。
あなたが何を願い、どこへ向かおうとしているのかはわからない。けれども、文章を綴るという行為が、あなたを一歩でも前へ進める力になり得ることを、私は信じている。そしてその文章を誰かが読んだとき、何らかの共鳴や励ましが生まれる可能性は、決して小さくはない。だからこそ私は今日も、ここで文字を紡ぐ。はてな匿名ダイアリーに集う、まだ見ぬあなたに向けて。どうかあなたも、もし心に余裕があるならば、ここでの自由な発信を楽しんでほしい。たとえ小さなつぶやきでも、遠くの誰かにとっては大きな灯火になることがあるのだから。
書き手と読み手、その垣根は紙一重であり、ときに容易に逆転する。今日の読み手が明日の書き手になり、今日の書き手が明日の読み手になる。そんな柔軟な循環こそが、このコミュニティの本質ともいえる。ここでは名前も知らない人々が、それぞれの人生を断片的に開示しあい、そこに何らかの反応を示し合っている。顔も声も知らない相手だけれど、文字の向こうにいるのは同じ人間だ。そしてそのやりとりが、あなたの心に、あたたかくも奇妙な「つながり」を芽生えさせることもあるだろう。
はてな匿名ダイアリーユーザーへ――どうか、あなたの言葉を大切に。どうか、あなた自身を大切に。ここは匿名の仮面をかぶった人々の集う場所。しかし、その仮面の下にあるのは、たしかに生きている人間の心だということを忘れないでいてほしい。もしあなたがここで孤独を叫ぶなら、きっとどこかで誰かが耳を傾けてくれる。もしあなたが怒りをぶつけるなら、その理由を汲んでくれる人がいるかもしれない。もしあなたが喜びを共有したいなら、一緒に祝福してくれる仲間が現れるだろう。ここは、そんな可能性に満ちた場所である。
そして、もしあなたの言葉が、誰かにとって苦しいものであったとしても、そこには相手の人生があるのだということを思い出してほしい。遠い世界の誰かだとしても、何かを抱えて生きている人間であることに変わりはない。だからこそ、言葉が持つ力を見くびらず、どうか誠意をもって文章を紡いでほしい。たとえ感情的な吐露であっても、その奥にある“想い”を人は感じ取る。だから書くほどに、あなたは自分を知り、同時に他者と繋がっていくのだ。
あなたがここで紡ぐ文字が、いつかは誰かの行く道を照らすかもしれない。あなたの書いた言葉が、数年後に読み返されて、また別の人の心を動かすことだってある。はてな匿名ダイアリーという小さなステージに、あふれるほどの人生が断片として散りばめられている。そのひとつひとつが、かけがえのない存在だ。今日もまた、新しい投稿が生まれ、誰かがそれを読み、やがて何かしらの行動へとつながっていく。その循環が、あなたにも、私にも、そしてここを利用するすべての人に、ほんの少しずつではあるが、変化や成長をもたらしている。
だからこそ、はてな匿名ダイアリーユーザーに捧げたい。どうかあなたの言葉を信じてほしい。そして、あなたの言葉を受け取る誰かの存在も、ほんの少しだけ信じてほしい。いまは小さな声かもしれない。でも、その声はきっと届くべきところに届く。思いがけないかたちであなたの人生と交わり、あなたを励ましたり、支えたり、ときに戒めたりする存在が現れるだろう。そんな奇跡を、ここでは何度も目にしてきた。それを信じるのは、決して無駄なことじゃないと私は思っている。
今日も、はてな匿名ダイアリーユーザーのあなたは、何を想い、何を綴ろうとしているだろうか。心に宿るほんのささやかな感情であっても、あるいは長年くすぶっていた大きな悩みであっても、あなたが書きたいと思ったなら書けばいい。読むのは、あなたを含む、ここを訪れる誰かだ。私たちは匿名の仮面の下にそれぞれの人生を持ち寄っている。だからこそ、見知らぬ誰かの声が、あなたの中に眠る想いを目覚めさせてくれることもあるのだ。
もし明日、心が折れそうになっても、どうかここを思い出してほしい。はてな匿名ダイアリーは、完璧な場所では決してない。批判や誹謗中傷、思わぬ行き違いも数多くある。それでも、人間の生々しい感情がこれほど集まる場所は貴重だ。そして、その生々しさのなかでこそ、人は自分の本音を知り、誰かとの小さな共感を感じ取り、支え合うことを覚えるのかもしれない。あなたがどのようにこの場を活用するかは自由だ。だが、あなたの言葉はたしかにここで息づき、誰かの心と呼応する可能性を秘めている。
この不思議な匿名空間へようこそ。そして、今いるあなたへ、ありがとう。今日もまた、新しい物語が生まれる。もしあなたがその物語を書きたいなら、ぜひ書いてみてほしい。誰かの書いた物語を読みたいなら、ぜひ読み漁ってほしい。そのどちらも大いなる価値があり、あなたの人生を少しだけ豊かにするかもしれないから。どうか、はてな匿名ダイアリーというこの小さな世界で、あなたの心が少しでも軽くなるような、そんな瞬間を見つけてほしい。それが、ここに集うすべてのユーザーに捧ぐ、ささやかな願いである。
「1番金がかかるな」
そう言いつつも大学院に進学させてもらった。
奨学金も借りた。けど両親は「借りすぎると返済できなくなる」と言い最低金額しか借りさせてくれなかった。
毎月仕送り貰った。
大学院になると平日はバイトに入る暇もなく、土日も学校とバイトの往復で生活費は十分に稼げず、仕送りを増やしてもらった。
昨今の賃上げの流れに乗ることができ、2年目で額面30万貰えることになった。
運転が下手くそなので、安全装置の充実した中古車を買った。バスなんてこない田舎に住んでるからだ。
親の車よりよっぽどグレードも装備品も良い。
両親はどちらも高卒だ。
元々月給は高くないのだが、歳をとったからなのか、給料は下がり続けているらしい。
別に生活できないほど貧しい訳では無い筈だ。けれども、もう私の仕送りも無いはずなのに以前より貧しい生活をしているように感じる。
私が300円する挽肉たっぷりのパスタソースをたまに買っていると知ったらなんて思うのだろう。
帰省した時には嬉しそうに焼肉に連れていってくれる。お金は良いからと出してくれるが、「高いなぁ」と必ずつぶやく。
プレゼントには喜んでくれたが、「俺はなんも用意してなくてまるでダメ親父じゃないか」と言った。
悲しかった。もう十分色々してもらったのに。
今は貯金を少しづつ貯めている。将来の為にと思っているが、この貯金は私のお金か?親から借金したお金か?答えはまだ出ない。
子に親の世話をさせたくないという両親にできることはなんだろうか。
なんだか無性に寂しくて、悲しくて、やり切れない。
でもこんなこと誰にも言えない。
呪術廻戦を読んだ
本誌で完結してからはけっこう経っているけどコミックスが出てからはまだ一ヶ月経ってないので未読の人はいちおうネタバレ注意。
五条先生がちょんぱされてこのあとどうすんのかなーと思っていたら、味方総力(なんかモブかと思っていたキャラも出てきた)で蓄積ダメージ入れていってなんとか倒し切る、というラストだった
このパターンなんかちょっと前にもみたな気がする、と思ったら鬼滅の刃だった
鬼滅もラスボスの倒しかたは、ラスボスにデバフ入れたあと味方の残った総力を投入して削り切って倒していた
どちらも強大な敵を乗り越えていくことが表現されたよいラストだった
自分はジャンプ派のアラフォーだけど、昔は王道バトル漫画のラスボスって「主人公がタイマンで頑張って倒す」というものが多かった
聖闘士星矢とか北斗の拳とかは読んでないのだけど、ドラゴンボール(1995年完結)やダイの大冒険(1996年完結)など主人公が一対一で頑張ってボスを倒していた
当時は「正義の味方」がよってたかって一人の敵を攻撃するのは正々堂々としていない、ということだったのだろうか
ラスボスをタイマンで倒すため主人公は他と比べて突出した存在である必要があり、ダイ(竜の騎士)なんかはそれで悩んだこともある
この際、味方はラスボスにダメージを与えるのではなく、四天王クラスを引き受けて主人公を温存する役割になることが多い
反面、ドラゴンボールやゴメちゃんなど、強力なサポートアイテムがあった
これがひと世代変わると、ワンピースではこの流れをきっちり続けている(麦わらの一味には「一番強い敵はルフィが」という共通認識もある)ものの、
ナルト(2014年完結)では最後サスケとともにカグヤを倒す。ベジータがフリーザにもセルにもブゥにも有効打を入れられなかったこととは対照的だ。
BLEACHではやはり一護が頑張るものの、チートクラスの能力者二人の協力が大きかった。主人公が一人で頑張って倒す、という流れが少しづつ変わってきているように思う
ジャンプではないが、この間の2010年に鋼の錬金術師が完結している。個人的には完結が綺麗だったバトル漫画一位なのだが、これが「総力をあげてラスボスを倒す」パターンだった
ラスボスにデバフするための大規模な準備を行い、ラスボスとの先頭には主要キャラの他、モブ戦闘員まで参加している。
言わずとしれた人気作で、このラストが与えた影響があるのかもしれない
2020年代では最初にあげたように、鬼滅の刃や呪術廻戦といった大人気作が総力戦ラストになっていることを考えると、タイマンラストよりも総力戦ラストが主流になってきている
タイマンラストはカタルシスが大きくて個人的には好きなものの、最後は「気合い」でなんとかしたようにも見えてしまう。あと主人公がつらそう
https://news.yahoo.co.jp/articles/ae778e308b479a06991e64b0b726e1b6aec20cd3
「転売ヤー」への拒否感はなぜ生まれる? アレルギー反応との指摘も #くらしと経済 がやっぱり燃えてた。
ただ、コメントしている側も転売屋のせいで商品が買えないとか、商品に愛がないとか情緒的な話ばかりしてるから備忘録を兼ねて書く。
転売屋問題だが、個人的な見解として一番の問題は「消費者の権利が侵害されている」この一点に尽きる。
企業が行えば独禁法違反になるようなやり方が普通にまかり通っており、ヤミ流通、ヤミ経済の様相まで呈している。
価格のつり上げ、商品のせき止めも不快だろうが、食品衛生法やPL法、長期使用製品安全点検制度まで蔑ろになるのは消費者保護の観点から良いわけがない。
購入者に健康被害が発生した場合だれが責任を取るのかという問題もある。正直死亡事故が出る前に一刻も早い規制が必要だともいえる。
PL法は製造物責任者法の通りメーカーに基本的に責任は行くのだが、実は輸入業者にも責任が発生することが知られていない。だから販売側も実は弱い。事故が起こって知らなかったでは済まされない。
購入者のリスクについてもあまりに小さく評価されているのも問題だ。購入した商品が盗品だった場合、一応は消費者保護が働いて返品する必要はないということが出来るのだが、高額転売された嗜好品の場合だと話が変わってくる。
その商品が正常な流通でないことを知らなかったと主張しづらくなる。こうなると消費者も無傷では済まず余計な手続きなどを行う羽目となるだろう。このことから転売屋から商品を購入することがリスクであることは明白である。
とはいえ現状では買い占めや迷惑行為を伴う転売を防ぐことは難しい。正常な商取引との違いを出すことは現状の仕組みでは困難だ。
あくまで現状の仕組みではだが。
ここで個人的に提言したい転売屋問題の解決方法を幾つか書いてみる。一部現実的ではないものもあるかもしれないのであくまで参考程度。
〇C to Cプラットフォーマーは、出品者に適格請求書番号の表示について努力義務を課す。努力義務なのがミソ。
〇適格請求書番号があれば、その出品者の実態は国の検索サイトで確認できる。適格請求書の作成をもって国税に捕捉されることになる。
〇購入者は適格請求書番号の有り無しを出品者の信頼性確認に利用できるようになる。
〇特に浄水器がこれにあたる 浄水器販売の場合は販売許可番号があるはずなので出品者情報のメタデータに追加
〇アプリで撮影した写真以外に出品写真を使用できなくする。写真は即時クラウド保存され位置情報などを含めてプラットフォーマーが
審査後にメタデータを削除して写真掲載すればよい。この仕組みは補助金申請で既にあるインフラ。
アプリ経由出品以外ダメにすれば、プラットフォーマーは客の囲い込みもでき、不正ユーザーの一次対応が可能。
兎に角この問題を解決するには国を動かすのが手っ取り早いけど、やっぱり税収になるとして、既存の法律を使って通達だけで何とかする方法の方が実効性があるかと。
多分穴があるから、何かあれば指摘が欲しい。
耐震性・耐火性・断熱性・防犯性・デザイン性の4つの軸だけを考えればいい
例えば耐震性や耐火性を重視するなら軽量鉄骨だが断熱性には弱い
一方で木造なら断熱性は確保できるが耐震性・耐火性を確保するには外壁含めてコストがかかる
例えばデザイン性を重視して外壁+大きな掃き出し窓を作ると防犯性は下がる
窓ガラスを防犯ガラスにして監視カメラを付ければ防犯性は確保できるがコストがかかる
窓ガラスは重量的にトリプルガラスが限界だが防犯ガラスにすると2枚を防犯に使うので実質ペアガラスレベルの断熱性になる
そもそも断熱性を考えるのなら窓を小さくすれば良いのだがデザイン性とのトレードオフになる
限られた予算内でどこまで実現するかを考えたときに5つの軸の優先順位を付けざるを得なくなる
ちなみに5つの軸に気密性は入れてない
気密性は重視しても無駄になるので考えなくて良い
どうせ24時間換気してるので気密性は実際の性能にほとんど影響しない
彼の反ワク主張は、ワクチンにマイクロチップが入っているといった荒唐無稽な陰謀論ではなくて、
ワクチンの副作用で免疫力が徐々に低下→帯状疱疹やガンやその他の病気に罹りやすくなって死ぬ。
ワクチンは治験で安全性を確認している!という主張があるけど、コロナ下で緊急認可されたワクチンは、
徐々に低下する免疫力を副作用として自覚できる人は少ないので、問題が発覚しづらい。
ひょっとしてひょっとすると、彼の反ワク主張は正しい可能性があり得る。
現代社会において、スマートフォン(以下スマホ)は私たちの日常生活と切り離せない存在になっている。多くの人が寝起きと同時に画面をチェックし、通勤通学中や食事の合間、さらには就寝前のひとときまで、何気なくスマホを手にしてしまうだろう。しかし、本来スマホは便利さをもたらしてくれるはずのツールのはずが、いつの間にか私たちの時間をむしばみ、集中力を削ぎ、あらゆる生産性を低下させる「時間の無駄」と化してはいないだろうか。本稿では、スマホがなぜ“時間の無駄”と言われるようになったのか、その背景や影響、そしてどう向き合っていくべきかについて考えてみたい。
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まず、スマホは多くの人にとって「手軽に暇を潰す手段」として機能している。SNSを眺めたり、ソーシャルゲームに没頭したり、ネット通販サイトをチェックしたり――多種多様なアプリが私たちの指先の先に存在し、数秒でアクセスできる。こうした「いつでもどこでも使える」環境が、一見便利そうに思えて実は非常に厄介だ。予定のない短い時間や、気分転換にスマホを使うだけならまだしも、いつの間にか長時間そのまま画面に没頭してしまうケースが少なくない。
たとえば電車の乗車時間が30分なら、その間ずっとSNSをチェックし続ける人がいる。あるいは自宅にいても、少し退屈に感じた瞬間に無意識のうちにスマホを取り出し、動画やマンガアプリを開いて気づけば何十分も経っていた――こうした経験を持つ人は多いだろう。日常に溶け込みやすいという特性があるため、自分の生活の中でどれだけの時間をスマホに奪われているのかを意識しづらいのだ。実際、スマホの使用時間を記録するアプリなどを使ってみると、自分が想像していたよりもはるかに長い時間、画面を見つめていることに気づかされる。こうして私たちは、積み重ねによって膨大な時間を無自覚に浪費しているのである。
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スマホの時間浪費を加速させる大きな要因として、SNSの存在は外せない。私たちはSNSを通じて友人や知人、さらには面識のない人々とゆるやかに繋がり、互いの近況や意見を手軽に共有することができる。これは確かに便利なコミュニケーション手段であるが、その一方で「ついチェックしてしまう」「誰かからの反応を待ち焦がれる」という心理を生み出しやすい特性がある。
たとえば、自分が投稿した写真やコメントに「いいね」やリプライが付くのを待つうちに、気がつけば定期的にSNSを開いていることはないだろうか。また、「あの人がどんな近況をアップしているのか気になる」といった衝動が、仕事や勉強の途中でもスマホを取り出す行為を引き起こす。SNSは承認欲求を刺激しやすく、フォロワー数や「いいね」の数といった数値が自分の評価を表すかのように扱われやすい。それゆえに、より多くの反応を得たいがために内容を工夫し、更新頻度を増やし、何度も画面を覗き込む習慣が形成されるのだ。
こうした行動は、短時間ならば人とのつながりを感じる上で有益かもしれないが、歯止めが効かなくなると貴重な時間をかなり浪費してしまう。さらにSNS上でのちょっとした言い争いや、他人の充実した投稿に対する嫉妬など、精神的なストレス要因にも発展しやすい。結果として、心身に負担をかけながら時間を費やす悪循環に陥ることが少なくない。
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スマホが引き起こす時間の浪費は、単に遊びやSNSへの没頭だけにとどまらない。スマホは常に「通知」という形で私たちを呼び戻そうとする。メールの着信、SNSのリアルタイム更新、ゲームのイベント通知、ショッピングサイトのタイムセール情報……スマホからの通知は絶え間なく押し寄せる。それらを放置しておくと不安になる、あるいは気になって仕方がなくなる人も多いだろう。
このように、私たちは常にマルチタスク状態に追い込まれる。何か作業をしている最中であっても、スマホが通知を発すれば目を向けずにはいられなくなる。すると、その都度脳は集中と切り替えを強いられ、生産性が下がるだけでなく、作業効率を大きく損ねる。「ちょっと見るだけ」と思っても、その“ちょっと”が重なれば相当な時間を持っていかれるし、再び作業に戻るには思っている以上に時間がかかるものだ。
最近はリモートワークやオンライン授業など、PCやタブレットを使う機会が増えている。そこにスマホまで加わると、目の前の作業に集中するのは至難の業だ。スマホが身近にあることで、つねに意識が分散されてしまう。結果として、仕事や勉強の質が低下し、余計に時間がかかったり、成果が得られにくくなったりする。これは「時間の浪費」と言わずして何だろうか。
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さらに、スマホによる時間浪費は私たちの「心の休まらなさ」をも生み出す。現代は情報過多の時代でもある。SNS、ニュースサイト、動画コンテンツ、ブログ……あらゆる情報がスマホを通じて簡単に手に入るのは便利だが、それらに四六時中触れていると脳が休まる暇がなくなるのだ。
デジタルデトックスという言葉が広まったのは、こうした状況に警鐘を鳴らす動きからだ。あえてスマホを触らない時間を作り、自然に触れたりアナログな趣味に没頭したりして脳をリフレッシュさせる。これによって本来の集中力や想像力を取り戻す効果が期待できる。しかし、スマホは多くの人にとって中毒性が高いデバイスであり、自分の意志だけで使用を制限するのは簡単なことではない。
また、眠る直前までSNSや動画を見ていると、脳が覚醒状態のまま寝つきにくくなると言われている。疲れているのにベッドに入ってもすぐには眠れず、スマホを見ながらうとうとしてしまい、翌朝の目覚めが悪くなる――という悪循環に陥っている人も多いのではないだろうか。心身の健康にも影響が及ぶとなれば、スマホの過度な利用がもたらす時間的な浪費はもはや軽視できない問題である。
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では、なぜこれほどまでにスマホが「時間の無駄」になりやすいのか。その背景には、ユーザー心理を巧みに利用するアプリ設計がある。多くのアプリやSNSは、「もっと見たい」「もっと遊びたい」と思わせる仕掛けが満載だ。無限スクロール機能、魅力的なサムネイルの動画一覧、SNSのタイムライン更新、ソーシャルゲームの期間限定イベント……いずれもユーザーの継続利用を促進するデザインになっている。
加えて、スマホというデバイス自体が「常に身近にある」という点も、時間浪費を助長する。自宅のパソコンであれば、わざわざ椅子に座りスイッチを入れ起動を待つというプロセスがある。しかし、スマホはポケットやカバンに入っており、ロックを解除するだけで即座にコンテンツへアクセスできる。このハードルの低さが、私たちが無意識のうちにスマホへ手を伸ばす原因だと言えるだろう。
また、人間の脳は「新しい情報」に対して強い報酬を感じる特性がある。スマホを開くたびに新着通知や新しい投稿があり、脳が刺激される。これを何度も繰り返しているうちに、スマホチェックが習慣化し、結果として時間をどんどん奪われてしまうのだ。
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スマホを使うこと自体が悪いわけではない。しかし、使い方を誤ればあっという間に大切な時間を奪われ、何も得るものがないまま一日を終えてしまうことになる。では、どうすればスマホによる時間の浪費を防げるのか。
まず一つに、「使用時間を可視化する」ことが挙げられる。スマホには、アプリごとの使用時間を計測してくれる機能が搭載されていたり、サードパーティ製のアプリでも類似の機能が提供されていたりする。まずは自分がどれだけの時間をスマホに費やしているのかを正確に把握することが重要だ。そこに驚きや危機感を覚えれば、使い方を見直すきっかけになる。
次に、通知の設定を見直す方法も効果的だ。SNSやメール、ニュースアプリなどの通知を一括でオフにしてしまうと、スマホが「呼び出し」をかけてくる機会が大幅に減る。必要なものだけを厳選し、本当に優先度の高いアプリ以外の通知は切っておくことで、集中を妨げられる回数を減らせる。
さらに、使用する場所や時間を限定する習慣を作るのも有益だ。たとえばベッドのそばにスマホを置かない、就寝前の1時間は画面を見ない、あるいは食事中や人と会っているときはバッグの奥底にしまうなど、小さなルールを作って徹底するだけでも大きな違いが生まれる。スマホそのものが視界に入らない状況を作ることが、無意識での使用を防ぐ第一歩になる。
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「スマホさえなければ、もっと色々なことができたのに」――そう後悔したことはないだろうか。仕事や勉強だけでなく、家族や友人との時間、趣味の時間、運動や読書など、自分にとって大切な活動に割くはずだった時間が、いつの間にかスマホに奪われてしまっている。
もちろん、スマホが提供する娯楽や情報は決して「完全に無駄」とは言い切れない部分もある。人との繋がりを得たり、新しい知識を手に入れたり、リラックスのために有用なコンテンツを楽しむこともあるだろう。しかし、問題はバランスである。自分にとって本当に大切なものを見極め、優先すべき時間を確保した上でスマホを活用するのと、何となく常にスマホに手を伸ばして時間を溶かすのとでは、得られるものがまったく異なる。
スマホを手放すことで、その時間を別の活動に振り分けることができれば、新しいスキルの習得や創造的なアイデアの練り上げ、あるいは人間関係の質の向上につながるかもしれない。スマホとの向き合い方を変えるだけで、時間の使い方は驚くほど充実したものへと変化していくのだ。
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とはいえ、現代社会ではスマホを完全に手放して生活することは難しい。ビジネスや学業において、連絡手段や情報収集ツールとしてスマホを使わざるを得ない状況も多い。便利な地図アプリや決済アプリなど、スマホがなければ不自由を感じる場面も日常的にあるだろう。
重要なのは、あくまで「スマホは道具」であるという原点に立ち返ることだ。自分が必要な情報や連絡手段として最低限使い、ほかの余計な時間をできるだけ削る――この意識を持つだけでも、時間を奪われる感覚を大きく減らすことができる。スマホとの付き合い方は、人によって最適なバランスが異なる。仕事で大量のメールチェックが必要な人もいれば、SNS発信がビジネスの一部になっている人もいる。だからこそ、自分に合ったルールや制限の方法を見つけることが大切だ。
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スマホは、現代のライフスタイルを大きく変えた革新的な発明であり、その恩恵を完全に否定することはできない。しかし一方で、暇つぶしやSNSのチェック、そして常に降り注ぐ通知に追われるうちに、気がつけば膨大な時間を無駄にしていることも事実である。私たちの有限な人生において、一日一日が持つ重みはとても大きい。貴重な時間を何に使うかを考えたとき、必ずしもスマホに費やす必要はないはずだ。
もし「スマホなんて時間の無駄だ」と感じる瞬間があるなら、それはスマホとの付き合い方を見直す絶好のチャンスだ。アプリの使用時間を把握し、通知設定を厳選し、ルールを決めて不要な使用を控える。こうした工夫によって、私たちの時間はより有意義な活動へと振り向けられるだろう。読書やスポーツ、友人や家族との対話、創作活動――それらはきっとスマホに依存する生活よりも豊かな体験をもたらしてくれるに違いない。
デジタル社会に生きる私たちにとって、スマホはこれからも欠かせないツールであり続けるだろう。しかし、「道具を使う」のではなく「道具に使われる」状態に陥ってしまっては、本来大切にすべき時間を失いかねない。スマホが時間の無駄になるかどうかは、結局のところ私たち自身の意識と行動次第なのだ。もし少しでも「スマホに時間を奪われているかもしれない」と思ったときは、一度立ち止まって考えてみよう――果たして、その時間は本当に自分にとって価値のある使い方だろうか、と。スマホと上手につき合い、自分の人生をより豊かにデザインするためにも、スマホに費やす時間と向き合うことは決して無駄ではない。むしろ、そこから「本当に大切な時間」のあり方が見えてくるはずである。
○ご飯
朝:サイゼリヤで飲酒。昼:なし。夜:ラーメン屋で飲酒。間食:アイス。
○調子
むきゅーはややー。おしごとは、おやすー。
酒飲んでゲームして良い一日だった。
○ クロガネ回姫譚-閃夜一夜-
・はじめに
現実とは少し違う歴史を辿ったためテロが非常に多く発生するようになった日本を舞台に、テロリストの鎮圧を主目的とした特殊警察部隊のたまごたちの活躍を描いたSFバトルなテキストアドベンチャーゲーム。
開発はみなとそふとの兄弟ブランドみなとカーニバルで、18禁版の後発版も出ているため美少女ゲームのテイストが強い作品。
選んだヒロイン毎に異なるストーリーが展開し、最後にそれらを統括するトゥルールートが解放される王道なシステムもらしい。
ただ、各ヒロインたちが魅力的なのは確かだが、男性主人公の白銀正宗がとにかく活躍しまくる燃えゲーの側面も強くあり、バトルあり、サスペンスあり、知略なコンゲーム展開ありと、恋愛一辺倒ではない。
超能力、日本刀、銃火器、下衆い大人の裏をかく知恵働きパートと、子供の好きなものてんこ盛りな、熱く燃えて沸る展開が続く面白いゲームだった。
そこに水をさすように、政治や社会には簡単な解決策などなく地道な努力も必要だと説くパートもあるバランス感もよかった。
共通ルート、個別ヒロインルート、トゥルールートとそれぞれのルート毎に感想を書いていく。
なかなか込み入った設定をしている上に登場人物達も多く相関図も複雑だが、共通ルートの設定開示が丁寧かつダレない展開が続いて面白かった。
特殊警察部隊の隊員になるための学校が舞台で、警察などの仕事を放課後バイトで手伝えるとっぴな設定が面白い。
主人公の白銀正宗が金にがめつい守銭奴気質なことと密接な関係にあるのも良き。
二つ目は学校の中でも特別なエリート学生達だけで構成され、訓練でなく実戦でテロリストと対峙する黒金班のストーリー。
主人公達は黒金という特殊な物質を通して、超能力が使える、この超能力は使える人間が限られるため学生でも実戦に出れるという設定。
さらに電化製品と火薬を一時的に無効化する超兵器もあるため、テロリストをサクサクと倒していける。
エンタメ娯楽物語的が過ぎるかもしれないが、ワクワクする設定かつ、一長一短な黒金の力は万能ではないと苦戦する描写もあって良いバランス感だった。
アクションやバトルも多いが、上層部との駆け引きや交渉など、会話や議論のパートもあるのは好みな展開だった。
三つ目はそんな黒金班のライバル、同じく黒金を使う別の学校との対立。
こちらはケレン味ましましのアクションや知略駆け引きなどが楽しめる。
警察内の立場争いなので内輪揉めに過ぎないのだが、かなりハードでシリアスな展開になっていく。
超能力同士のぶつかり合いだが、単純な力比べではなく作戦を立てるパートや能力を工夫するパートがあるのが面白かった。
この共通パートを通じて主人公白銀正宗がいいやつで大好きになれた。
守銭奴で人付き合いも悪いファーストインプレッションはそのままに、何故お金に固執する必要があるのか、人との距離を過剰に取る理由はなんなのかが徐々に明かされていく。
外面はともかく、内心はかなりウジウジしたキャラなのが可愛い。
そして何より、超有能で白兵戦はもちろん頭も回るすごいキャラなのが楽しく、テロリストや同じ黒金使いをサクサクと倒せるところが、後半の個別ルートでの苦戦や苦悩の布石になってるのがいい。
美少女ゲームを遊ぶときに、ヒロインよりも先に主人公の方を好きになれたらもうどハマりしてる証拠だと思う。
・伏姫ルート
伏姫ルートはかなり少年漫画なバトルシーンましましで痛快なストーリーだった。
伏姫は同い年ながら世話焼きでかつ、うじうじしがちな主人公とは対照的に根明でまっすぐなキャラだ。
本作の独自設定で超能力のみなもとである黒金の使い手たち、その中でも4本の指に入る四天王達との対峙が主軸となる。
そのためメインヒロインだけでなく、暫定光速のダモクレスという超強い男キャラにもかなり焦点が当てられる。
主人公達はあくまで学生なので、単純な力比べでは四天王には劣るのだが、それを知恵と勇気で逆転していくのが見所。
特に敵の能力、暫定光速の弱点を非常に身近でありふれた機械で無効化するくだりはワクワクさせられた。
四天王とのバトルが主軸ながら、伏姫との恋愛パートもあるし、国家権力が正義を振るうことの意味という大きなテーマもあっさりではあるがふれられていて、読み応えの多いパートだった。
天国ルートは恋愛要素ましましの王道美少女ゲームらしいルートだった。
天国は主人公の幼馴染で婚約者を自称しているグイグイくる系ヒロイン。
それともう一人、主人公だけに見える謎の幽霊の女の子東郷にもスポットライトがあたる。
バトルパートや知略パートも控えめなのでちょっと僕の好みとは離れていた。
序盤から前振りがされている残酷な真実が徐々に開示されて行くところは恐ろしくもあったが、そのあたりを愛の力で乗り越えていけちゃうのが少ししっくりこなかった。
感動的な泣かせるパートもあるのだけど、ちょっとこの辺は主人公とメインヒロインの関係値に終始したせいで上滑りしていたかもしれない。
・虎鉄ルート
虎鉄ルートは連続殺人を追う過程で謎が明らかになっていくサスペンスなルートだった。
虎鉄は年下で無口だが美味しいものや目新しいものを見ると食い付きがいい不思議な面もあるキャラ。
小動物的ではあるが先輩達に懐かない虎鉄が少しづつ態度を柔らかくしていく。
このルートは連続殺人事件が話のメインになっているが、割となんでもありな世界観ながらもしっかりと知恵を絞ってタネを見抜こうとする過程は面白かった。
立ち絵がないモブの一般警察達も必死に頑張っていることが伝わるシーンが多く、この辺も好きなところ。
玉鋼は先輩で真面目な堅物ながら女児アニメが好きな可愛い一面もあるキャラ。
僕の一番好きなルートだった。
ただ、お当番の玉鋼よりも、敵として戦うことになる敷島ミカサが魅力的だった。
敷島ミカサは学生ながら、幻覚を見せる強力な黒金を使い、警察上層部に食い込んでいる強かなキャラ。
武力はゼロに等しいが、その超能力だけでなく念入りな下準備と根回しで自らが手を動かすことなく、自分に都合よく話を転がしていく策士家。
今までのルートでは四天王やテロリストや殺人鬼といった武力に優れた敵だったが、このルートでは頭が良いキャラが敵になる。
そのため、どのように相手の裏をかくのか策略を練って実行するコンゲームらしい展開が続く。
そして、もう僕が大興奮したのが、そんな自分の手を動かさない敷島ミカサが魅せたまさかのトリックだ。
ここは見事に騙された上に、なんとトリックの根幹に1週間お風呂に入らないことが組み込まれているため、そういう意味でも非常に興奮した。
お当番ヒロインである玉鋼先輩の影の薄さは、この敷島ミカサが魅力的が過ぎたせいで仕方ない。
ただ、かなり自分の期待とは異なる展開になっていた。
というのも所謂「ホワット・ア・ワンダフルワールド」もので、綺麗なハッピーエンドではない。
そこに至るまでの辛いパートも多く、今まで散々主人公達の有能さがアピールされ続けただけに、締めのために無理矢理悲しい展開にされているようで読んでで乗り切れなかった。
回収されていない伏線があるとか、尻切れトンボのようだとは思わないが、めちゃくちゃ出来るやつらの有能さに惚れ込んだストーリーの締めがこれなのは少し残念。
この辺は好みの問題だと思うので難しい。
(「ホワット・ア・ワンダフルワールド」ものって言い方、今思いついて書いたけど、めっちゃわかりやすくない?)
・おわりに
対テロリストの特殊部隊の活躍を骨子に、手を変え品を変え様々なストーリーがあり非常に面白かった。