はてなキーワード: 景色とは
猫が降雪時に庭を駆け回らない理由は、いくつかの要因が考えられます。
猫は一般的に寒さに弱い動物です。特に短毛種や子猫、老猫は、寒さによって体温が低下しやすく、体調を崩す可能性があります。
雪は冷たく、猫の肉球は凍傷になりやすいです。そのため、猫は雪の上を歩くことを嫌がる傾向があります。
猫は体を清潔に保つことを好む動物です。雪で体が濡れることを嫌がり、濡れた体を舐めて乾かすことで体温が奪われることを避けます。
猫は警戒心が強く、見慣れない環境や変化を嫌う傾向があります。雪は普段と異なる景色や匂いをもたらし、猫を不安にさせることがあります。
また、雪は猫の足音を消し、敵から身を隠すのに役立つため、猫は安全な場所に隠れて様子をうかがうことがあります。
すべての猫が雪を嫌うわけではありません。好奇心旺盛な猫や、寒さに強い猫種は、雪の中で遊ぶこともあります。
また、室内で飼われている猫は、外の寒さに慣れていないため、雪を嫌がる傾向が強いと考えられます。
犬が雪の中で喜んで駆け回る理由は、いくつかの要因が考えられます。
犬は新しいものや変化を好む傾向があります。雪は普段と異なる景色や匂いをもたらし、犬の好奇心を刺激します。
雪の降る音や感触、冷たい空気なども、犬にとっては新鮮な刺激となり、興奮を高めます。
雪は犬にとって格好の遊び道具です。雪の中に顔を突っ込んだり、雪を掘ったり、雪合戦をしたりと、さまざまな遊び方を楽しめます。
また、雪は犬の狩猟本能を刺激する可能性もあります。雪の中に隠れた獲物を探したり、雪の上を走り回ったりすることで、狩猟本能が満たされると考えられます。
犬は寒さに比較的強く、特に寒い地域原産の犬種は、雪の中でも活発に動き回ることができます。
犬の肉球は、寒さから足を守る役割を果たしており、雪の上を走っても凍傷になりにくい構造になっています。
犬は喜びや興奮を体全体で表現する動物です。雪の中で駆け回ったり、雪に飛び込んだりすることは、犬なりの喜びの表現と考えられます。
話題になってるからモンハンワイルズを買ってみて10時間ほど遊んでみたんだけど、もう疲れた
まずグラフィックが終わってる
悪いが2世代前ぐらいのグラフィックしか無いから全然感動とかがない
「凄い綺麗な景色だね〜」
とか言われるけど全然そうは思わない
しかもフレームレート優先にしないととてもじゃないけど遊べないから更にグラフィックレベルは下がる
プリレンダムービーですらかなりレベルが低くて冒頭から頭を抱えるレベル
そんでフルボイスじゃないってのもビックリした
まぁ実際には聞いたりしないんだけど、今時はモブキャラですらボイスが当てられるのに
下手したらメインキャラでも音声無かったりしてちょっと時代に合ってない
ゲーム性についてもかなり古くさい感じがするが、この辺は恐らく過去のモンハンユーザーに配慮してるんだと思う
とはいえ使用可能な武器が一気にオープンになるから初心者にはかなりキツいし
各武器にチュートリアルがちゃんと用意されてるわけでもなくて不親切
他のシステム的な部分も全然説明がないし、用意もされてない超絶不親切設計
アイテムだとかも一気に膨大な量が増える設計になってて、良くないオープンワールドの作りになってしまってる
オープンワールド系のゲームは大量のアイテムや大量のクエストでユーザーを飽和させるのが良いところだけど
それはちゃんと順を追ってオープンにしていかないとユーザーが付いていけない
唯一の例外はマイクラで初手からフルオープンで説明一切無しなんだけど
アレはそもそもがYoutubeなりで解説を見てから遊ぶものだし
ランダムシードだから解説を見てもネタバレになってないっていうのが重要
今日は天気が良くです!自転車で店に行くのは、一日を楽しみながら運動するのに最適な方法のように思えます。
1. 景色の良い迂回路: .
モチベーションを上げるために、ご褒美制度を設定することができます。
理髪店までのサイクリングを終えたら、お気に入りのスナックや近くのカフェのコーヒーなど、ちょっとした楽しみを自分にご褒美としてあげましょう。
サイクリング途中の目標: 旅程をいくつかの区間に分け、小さな目標を設定します。たとえば、特定のランドマークに到達したら、短い休憩やさわやかなドリンクで自分にご褒美をあげましょう。
サイクリング後のご褒美: 無事に家に帰ったら、お気に入りの番組を見たり、温かいお風呂に入ったり、
充実した時間を過ごしたりするなど、リラックスできるアクティビティを計画しましょう。
ボーナスとして、サイクリング中に楽しめる楽しい事実をご紹介します。
「velo」という単語は、ラテン語の「velox」から来ており、「素早い」または「急速な」という意味であることをご存知でしたか? 🚴♂️
もし候補を提示するなら「難易度」「距離」が違うものをいくつか提示してみてほしい。もしかしたら、本当はもっと難易度が高い山や遠い山に興味があるけど、親の体力などを気遣って言い出しづらいのかもしれない。逆にもっとラフに、景色を楽しんだり、虫を見たいだけかもしれないので高難易度で固めてもびっくりしてしまうかも。
そのくらい既にやっているということであれば余計なお世話と聞き流していただければ幸いだ。
マイナスをゼロに戻しながら浮かんだり沈んだりしている間に、ふらふらと浮き沈みしている場所も変わって
ちょっといい景色が見えたり、いい匂いがしたり、友達に会ったり、きれいな石を見つけたりして、
プラスが積みあがっていくんだと思ってる。
それらをなくしたりして時々マイナスにもなったりして、80年も生きてきたらプラマイとかまあええわ、あと少しで全部ゼロだし
って感じで楽しく振り返れるようになるんじゃないんですかね
### キッチンの向こう側
わたしが大学に入った年、父が死んだ。それは五月の、少し肌寒い日だった。まだ新しい大学生活に慣れていない時期に、世界の一部が崩れ落ちた。病院から電話があったのは、授業の途中だった。廊下に出て電話を受けたとき、窓から見えた空は妙に青すぎて、それが不謹慎に思えた。
葬式の日は雨だった。それから、雨の日には必ず父のことを思い出すようになった。その年の夏は、異常に雨が多かった。いつの間にか、世界全体が湿っぽい灰色に染まっていった。
大学の教室は、思ったより広かった。高校までの教室とは違って、誰も生徒のことなど気にしていなかった。教授は前で一方的に話し、学生たちはそれぞれの方法で時間を過ごしていた。ノートを取る人、スマホをいじる人、居眠りをする人。わたしは、ただぼんやりと窓の外を眺めていた。
「彼女、いつも一人だね」
後ろの席から聞こえてきた声に、振り向かなかった。どうせ他人の噂話なのだろうと思ったが、それはわたしのことだった。気づくと、ひとりでいることが当たり前になっていた。
父は料理人だった。小さな和食店を営んでいて、わたしが小さい頃から、キッチンの向こう側で包丁を握る父の姿を見て育った。父の料理の音と匂いが、わたしの記憶の一部になっていた。ザクザクと野菜を切る音、出汁が沸く香り、魚をさばくときの真剣な表情。そんな父が、ある日突然、脳卒中で倒れた。病院に運ばれてから二週間、意識が戻ることなく逝ってしまった。
「お母さん、店はどうするの?」と聞いたとき、母は疲れた顔で微笑んだ。
父の店は、わたしの第二の家だった。学校から帰ると、いつも店の奥で宿題をした。客が少ない時間には、父が横に座って数学を教えてくれた。「料理も数学も、バランスが大事なんだ」と言っていた。その店がなくなるということが、父の死よりも現実味を持って迫ってきた。
大学の授業は、興味を持てるものが少なかった。文学部に入ったのは、本が好きだったからだけど、専門的な分析や理論を学ぶことに、空虚さを感じていた。教室の中で、みんなが真剣に議論しているときも、わたしの心はどこか別の場所にあった。
アパートに帰ると、静かすぎる部屋がわたしを迎えた。実家から離れて一人暮らしを始めたのは、新しい環境で心機一転したかったからだ。でも今は、その選択が間違っていたような気がしていた。テレビをつけっぱなしにして、誰かがいる気配を作り出した。
夜は不思議な夢を見ることが多くなった。父がキッチンに立っている夢。でも、振り向いた父の顔が、誰か他人の顔になっている夢。高い塔から落ちる夢。海の底で、誰かが名前を呼ぶ夢。朝起きると、枕が涙で濡れていることがあった。
母は週に一度、電話をくれた。「大丈夫?」という質問に、いつも「うん、大丈夫」と答えた。大丈夫じゃなかったけど、母を心配させたくなかった。父が亡くなってから、母は急に年を取ったように見えた。電話の向こうの声は、いつも疲れていた。
「料理、してる?」と母が聞いた。
「インスタント食べてる」と答えると、母は少し悲しそうな声で笑った。
「お父さんが聞いたら、怒るわね」
そうだった。父は、わたしに料理を教えようとしていた。「いつか、一緒に店をやろう」と言っていた。でも、わたしは興味を示さなかった。今になって、もっと父から学んでおけばよかったと後悔していた。
五月が過ぎ、梅雨が来た。毎日雨が降り、湿度が高く、部屋の中の物まで湿っているような気がした。教科書のページがくっつき、髪は広がり、布団はじめじめしていた。そんな中、わたしは図書館で多くの時間を過ごすようになった。
図書館は、静かだった。でも、一人でいることが苦痛ではない唯一の場所だった。本の間を歩きながら、偶然手に取った小説に心を奪われた。それは、ある料理人の物語だった。幼い頃に両親を亡くし、料理の世界で生きていく若者の話。その主人公が作る料理の描写が、あまりにも父の料理と似ていて、読みながら泣いてしまった。
図書館で働き始めたのは、六月の終わりだった。アルバイトを探していたところ、図書館で募集があった。静かな環境で、本に囲まれて働けるのは、わたしにとって理想的だった。本を整理したり、返却された本を棚に戻したりする仕事は、単調だけど心地よかった。
「君、いつも同じ本を読んでるね」
ある日、司書の鈴木さんがそう声をかけてきた。五十代くらいの女性で、いつも穏やかな笑顔を浮かべていた。
「父が料理人だったんです」と答えると、「だったんです」という過去形に自分で違和感を覚えた。
「そうなんだ」と鈴木さんは言った。「わたしの息子も料理人になりたがっていたけど、途中で挫折してしまってね」
何気ない会話だったけど、鈴木さんとはそれからよく話すようになった。彼女は、わたしの父のことを知りたがった。どんな料理を作っていたのか、どんな人だったのか。話していると、不思議と心が軽くなった。
七月に入ると、大学は前期試験の準備で忙しくなった。わたしは、ほとんど授業に出ていなかったことに気づいた。図書館で必死に勉強したけど、内容が頭に入ってこなかった。試験当日、問題用紙を前にして、頭の中が真っ白になった。鉛筆を握る手が震えた。
その子の名前は、里奈といった。同じ文学部の学生で、いつも授業の前の席に座っていた。優しい声と、少し丸みを帯びた顔が印象的だった。試験のあと、二人で大学近くのカフェに行った。
「実は、前から話しかけたかったの」と里奈は言った。「でも、いつも遠くを見てるみたいで、声をかけるタイミングがなくて」
彼女は、思ったことをすぐ口にする人だった。わたしとは正反対のタイプ。でも、その率直さに心地よさを感じた。
「父が亡くなったの」とわたしは言った。口に出したのは、里奈が初めてだった。
「そうだったんだ」と彼女は言った。特別な言葉はなかったけど、その反応が自然で、わたしは少し安心した。
その日から、里奈とはよく一緒にいるようになった。彼女の存在は、灰色だった大学生活に少しだけ色を加えた。彼女が話す他の学生の噂話や、教授の変わった癖の話を聞いていると、自分も大学生活の一部になれたような気がした。
八月になると、実家に帰った。母は、少し痩せていた。家の中は、きれいに片付いていたけど、父のいない空間は、まだ違和感があった。父の形見のように、包丁だけはそのまま台所にあった。
「使ってみる?」と母が言った。
わたしは恐る恐る包丁を手に取った。重かった。父の手になじむように作られた包丁は、わたしの手には大きすぎた。でも、握っていると不思議と安心感があった。
「お父さんの料理ノート、見つけたの」と母は言った。「あなたに見せようと思って」
それは、古いノートだった。日付と料理名、材料や作り方が細かく書かれていた。途中、「娘に教えるとき注意」と書かれたページがあった。そこには、わたしが苦手そうな工程や、間違えやすいポイントが書かれていた。父は、いつかわたしに料理を教えることを想定していたのだ。
そのノートを持って、わたしは台所に立った。まずは簡単な出汁から作ってみることにした。ノートに書かれた通りに材料を用意し、火にかけると、懐かしい香りが台所に広がった。父の料理の原点とも言える香り。その香りに包まれながら、わたしは初めて父の死を実感として受け止めることができた。涙があふれ出た。
「お父さんは、きっと喜んでるわ」と母は言った。二人で出汁を使った簡単な味噌汁を作り、久しぶりに一緒に食卓を囲んだ。
夏休みが終わり、大学に戻ったとき、わたしの中で何かが変わっていた。父のノートを持ってきて、週末になると自分で料理を作るようになった。最初は失敗ばかりだったけど、何度も挑戦するうちに、少しずつできるようになっていった。
「へえ、料理するんだ」と里奈は驚いた顔をした。彼女を招いて、初めて人に料理を振る舞った日、緊張で手が震えた。でも、「おいしい」と言ってくれた里奈の笑顔を見て、少し自信がついた。
後期の授業が始まり、わたしは文学の授業を真面目に受けるようになった。特に、食をテーマにした文学に興味を持ち始めた。食べることは生きること。料理することは、誰かに愛情を伝えること。そんなことを、文学の中に見つけられるようになった。
「最近、顔色がいいわね」と彼女は言った。「何かいいことあった?」
「料理を始めたんです」と答えると、鈴木さんは嬉しそうに微笑んだ。
「それは素晴らしいわ。いつか、わたしにも作ってほしいな」
十月になると、大学の学園祭の準備が始まった。里奈に誘われて、文学部の喫茶店企画を手伝うことになった。わたしは、迷わず料理担当を志願した。メニューを考えるとき、父のノートを参考にした。シンプルだけど、心のこもったメニュー。
学園祭当日、わたしたちの喫茶店は予想以上に人気だった。特に、わたしが作ったさつまいものスープが好評で、あっという間に売り切れてしまった。「秘密のレシピは?」と聞かれると、「父から教わったの」と答えた。それは嘘ではなかった。父のノートから学んだレシピだった。
喫茶店を訪れたお客さんの中に、一人の男性がいた。三十代くらいで、どこか父に似た雰囲気を持っていた。彼は、スープを飲み終わると、わたしのところにやってきた。
「このスープ、とても懐かしい味がする」と彼は言った。「昔、よく行っていた和食店の味に似ているんだ」
わたしは驚いて尋ねた。「もしかして、『桜木』という店ですか?」
彼の目が大きく開いた。「そうだよ。知ってるの?」
「父の店です」とわたしは答えた。
彼の名前は健太といった。父の店の常連客で、大学時代によく通っていたという。父の料理のファンで、店が閉まったあと、同じ味を探していたらしい。「君のスープを飲んだとき、店主の技を受け継いでいると思ったんだ」と健太は言った。その言葉に、胸が熱くなった。
学園祭が終わり、健太とは連絡を取り合うようになった。彼は料理研究家として活動していて、様々な食の知識を持っていた。わたしの料理の相談に乗ってくれたり、時には批評してくれたりした。彼との会話は、いつも刺激的だった。
「君のお父さんの料理は、シンプルだけど深みがあった」と健太は言った。「それは、材料を深く理解していたからだと思う」
それを聞いて、わたしは父がよく言っていた言葉を思い出した。「料理は材料との対話だ」と。
十一月になると、寒さが増してきた。大学の教室も、以前より寒く感じるようになった。でも、周囲の景色は、以前より鮮やかに見えるようになっていた。授業中に窓の外を眺めても、もう虚無感はなかった。ノートには、びっしりとメモが書かれていた。
図書館の仕事も充実していた。鈴木さんは、わたしに古い料理の本を紹介してくれた。古典的な和食の技法や、忘れられつつある郷土料理の本。それらを読むたびに、父の料理の原点が少しずつ見えてきた。
わたしは少し考えてから答えた。「まだわからないけど、料理と文学、両方に関わる仕事ができたらいいなと思います」
「それは素敵な夢ね」と鈴木さんは言った。「食べることも、読むことも、どちらも人間の根源的な喜びだもの」
十二月、大学の冬休みが近づいてきた。試験勉強をしながら、クリスマスには何を作ろうかと考えていた。里奈を誘って、一緒にパーティーをする計画を立てていた。
「ねえ、健太さんも誘ったら?」と里奈は提案した。彼女は健太のことを、「料理のお兄さん」と呼んでいた。
思い切って健太を誘うと、意外にもすぐに承諾してくれた。「楽しみにしているよ」というメッセージに、なぜか心臓が速く鳴った。
クリスマスの日、わたしは朝から料理の準備をした。父のノートを見ながら、特別なメニューを考えた。前菜、スープ、メイン、デザート。どれも父の教えを基本にしながら、わたしなりのアレンジを加えたものだった。
里奈が先に来て、一緒に部屋の飾りつけをした。「すごいね、こんなに料理が上手になるなんて」と彼女は言った。「大学に入ったばかりの頃は、本当に別人みたいだったよ」
健太が来たとき、緊張でドアを開けるのに時間がかかった。彼は、ワインと花束を持ってきてくれた。「いい香りがするね」と部屋に入るなり言った。
三人での食事は、想像以上に楽しかった。里奈のおしゃべりに、健太の食の話、わたしの料理。それぞれが持ち寄った空気が、部屋を温かく満たした。
「乾杯しよう」と健太が言った。「新しい出会いと、古い記憶に」
グラスを合わせたとき、窓の外では雪が降り始めていた。
「この料理、本当においしい」と健太は言った。「君のお父さんの味を感じるよ。でも、それだけじゃない。君自身の味がある」
その言葉に、わたしは思わず泣きそうになった。父の料理を超えることなんて、まだまだできないけれど、自分の味を見つけ始めているということが嬉しかった。
里奈は、わたしと健太の会話を見ながら、にやにやしていた。「ねえ、二人とも、もしかして…」と言いかけて、わたしに肘で軽く突かれると、「何でもない」と笑った。
夜が更けて、里奈が帰ったあと、健太はもう少し残った。「話があるんだ」と彼は言った。真剣な顔つきに、緊張した。
「実は、料理本の企画をしているんだ」と健太は言った。「伝統的な和食の技法を、現代の視点で解説する本。その中で、君のお父さんの料理も紹介したいと思っている」
「もちろん、君の力も借りたい」と彼は続けた。「文章を書くのが上手だし、何より君はお父さんの味を知っている」
その提案は、あまりにも突然で、すぐには返事ができなかった。でも、胸の中に温かいものが広がるのを感じた。父の料理を、このまま消えさせたくない。そう思っていた気持ちが、形になるチャンスだった。
「考えさせてください」とわたしは言った。健太は笑顔で頷いた。
「急がないで。でも、君なら素晴らしい仕事ができると思う」
その夜、久しぶりに父の夢を見た。でも、以前のような悲しい夢ではなかった。父がキッチンで料理をしていて、わたしもその隣で一緒に料理をしている夢。父が微笑みながら、わたしの料理を褒めてくれる夢。
朝起きると、決心がついていた。健太に連絡して、企画に参加する意思を伝えた。「ありがとう」という返事が来た。「一緒に、素晴らしいものを作ろう」
年が明け、大学では卒業論文のテーマを考え始める時期になった。わたしは迷わず、「文学における食の表象」をテーマに選んだ。文学の中で、食がどのように描かれているか。それは人間関係や文化、時代背景をどう映し出しているか。そんなことを研究したいと思った。
指導教授は、最初は驚いていたけれど、わたしの熱意を見て応援してくれるようになった。「面白いテーマだね」と彼は言った。「これまであまり注目されてこなかった視点かもしれない」
健太との料理本の企画も進んでいった。週末になると、彼の仕事場に行って、父の料理について話したり、実際に作ってみたりした。記憶を頼りに再現する料理もあれば、父のノートを見ながら作る料理もあった。
「お父さんの料理には、物語があるね」と健太は言った。「一つ一つの料理に、理由がある」
それは、わたしも感じていたことだった。父の料理は、単においしいだけではなかった。そこには、父の生き方や思いが込められていた。
春になり、キャンパスには桜が咲いた。入学してから一年が経っていた。あの頃のわたしと今のわたしは、まるで別人のようだった。でも、それは成長と呼べるものだった。父の死によって崩れ落ちた世界は、少しずつ新しい形で再構築されていた。
図書館では、鈴木さんが新しい料理コーナーを作ることになり、わたしは本の選定を手伝った。「君のおかげで、こんな企画ができたのよ」と鈴木さんは言った。「ありがとう」
里奈とは相変わらず仲良くしていた。彼女は演劇サークルに入っていて、春の公演に向けて忙しくしていた。「主役なんだよ」と嬉しそうに報告してくれた。「絶対に見に来てね」
公演の日、わたしは健太を誘って一緒に観に行った。里奈は舞台の上で、いつもとは違う輝きを放っていた。見ていて、胸が熱くなった。帰り道、健太と二人で歩きながら、「人はそれぞれの場所で輝くんだね」と言った。
「君も輝いているよ」と健太は言った。「料理をしているとき、話をしているとき、いつも目が輝いている」
その言葉に、顔が熱くなった。
五月、父の一周忌が近づいてきた。実家に帰って、母と一緒に準備をした。一年前とは違って、二人で料理をすることができた。母も、わたしの料理の上達を喜んでくれた。
「お父さんの店、もう一度開かない?」と母が突然言った。
「え?」と驚いて振り向くと、母は真剣な顔をしていた。
「あなたがやりたいなら、手伝うわ」
その言葉に、胸がいっぱいになった。まだ学生で、経験も少ないわたしが店を開くなんて、無謀かもしれない。でも、どこか心の奥で、いつかそうしたいと思っていた。
「考えてみる」とわたしは答えた。「でも、もう少し勉強してからかな」
母は微笑んで頷いた。「そうね。急がなくていいのよ」
一周忌の日、父の写真を前にして手を合わせた。一年前は、ただ涙が出るばかりだったけれど、今は感謝の気持ちが湧いてきた。父がいなくなって、わたしは料理を始めた。それは、父との新しいつながりを見つけることだった。
「ありがとう」とわたしは心の中で言った。「これからも、見守っていてね」
大学に戻ると、夏休みの計画を立て始めた。健太が、料理の取材で地方を回る予定があり、わたしも一緒に行かないかと誘ってくれた。日本各地の伝統料理を学ぶ旅。それは、わたしにとって大きなチャンスだった。
「君と一緒に旅ができるなんて、楽しみだよ」
あれから一年。父の死から始まった暗い日々は、少しずつ明るさを取り戻していた。料理と文学という、二つの世界を行き来しながら、わたしは自分の道を見つけ始めていた。それは、決して一直線ではなく、曲がりくねった道かもしれない。でも、その道の先に何があるのか、少しずつ見えてきたような気がした。
キッチンの向こう側で、父が包丁を握っている姿は、もう見ることができない。でも今は、わたし自身が包丁を握り、父から教わったことを大切にしながら、自分の料理を作っていく。それが、父への最高の感謝になるのだと思う。
そして、この物語を書き記すことも、きっと父は喜んでくれるだろう。料理と言葉。どちらも、人の心に届けるための手段。わたしは、その両方を大切にしながら、これからも歩いていくつもり
ランチで心もとないのは
おかずが多くてもダメ。
うーん、
逆もしかり。
これじゃご飯が全然進まないわ!って日替わり定食の時もあるの。
日替わり定食探検家としても活躍している私に取ってもそれは難しい問題なの。
日替わり定食でも、
2種類のフライ、
あと一種類あったらもうこれは贅の沢!
大当たりの日替わり定食。
ここはきちんとバランス良くお皿が空になってこその日替わり定食探検家としてのこだわりなの。
時として
しかもその海老フライが特別立派な海老フライというわけでもなく、
細いいわば、
いうならば、
いやその日の日替わり定食の海老フライに全幅の信頼を寄せている証拠!
さすがにそれは心細いのか、
細いから心もとない食べ応えの、
何口で食べるかも問題。
ご飯とのペース配分。
そしてハンバーグもある。
ああ!
日替わり定食のコストを考えたらそんなことを言うことすら野暮。
たぶんできたモノをしばらく置いていてすぐ提供できるように作り置きしているような衣のその揚げたてではないしばらく経った湿気を纏った感じ。
だけど、
食べ続けることによって
もしかしたら海老フライの先に何か見出せるモノが出てくるかも知れない。
そんな一抹の期待に思いを寄せて囓る海老フライは味わい深いわ。
心細い食べ応えが物足りないものにこそ意味がある真価があるのかも知れないわ。
私は、
えー!今日海老フライかーなんかご飯が進まないな!って言ってた時代が恥ずかしいぐらい。
そのなかでも
日替わりランチの定食として君臨し続けているのにはきっと訳があるはず。
私の日替わり定食の修行がぜんぜん足りてないってことなのよね。
日替わりランチのこの海老フライが心もとないご飯の進み具合パフォーマンスが悪いからって
私のこれから先の日替わり定食探検家としての存在を問われているのかも知れない。
それほど
こんなになぜご飯の進み具合が圧倒的に悪いにも関わらず存在する細い海老フライ。
噛みしめるほどに海老!
海老味!
噛みしめれば噛みしめるほど見えてくる尻尾の先の景色があるはず。
この人気商売のスタメン入りを続けている日替わり定食を飾っている海老フライ。
確かにこれ一本の細い頼りない海老フライだとボリュームに欠けるの。
きっと意味があるはず。
追加オプション海老フライもう一本を追い海老フライを頼みたいところだけど、
オプションで他のおかずを追いで載せるのはもはやア・ラ・カルトのランチ。
禁じ手よ。
ああ!
そういう発想もあったのか。
1本じゃ心細いからもう1本追加で載せさせたいコックシェフマスター大将の作戦かも知れない。
そんな手に乗らないわ。
私は私で、
いつかきっとこの頼りない海老フライの細さのご飯が足りなささ加減の意味が解き明かされるはずよ。
きっとその日まで。
うふふ。
なんか地域によっては海老フライがおにぎりになったものがあるみたいだけど、
一度食べたみたいものだわ。
思っていればいつか出会えるはずよね。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
「どこでもドア」が生まれた世界の不動産価格について考えてみた。
21XX年、ついに「どこでもドア」が実現する。
初めは、国家機関や一部の研究機関のみが利用できる、いわば軍事機密のような存在。
「一瞬で移動できる技術」がもたらすものは単なる利便性ではない。
物流の革命、都市の再編、国境の崩壊、そして人類の移動観に対する概念の終焉。
この段階では、技術的な問題も多く、使用には厳格な制約が設けられている。
例えば、移動先に事前登録された「承認済みスポット」にしか行けない、距離や回数に上限がある、ないしは、本人認証が必須といった制約だ。
一般人が利用できない以上、駅前の価値は変わらず、通勤の利便性を重視する人々は変わらず都心の物件を求めるだろう。
しかし、すでに大手企業や国家レベルでは「移動革命による未来予測」が始まっている。
先を見据えた投資家たちは、「移動時間という制約がなくなったとき、価値の上がる土地はどこか?」という問いを立て始める。
2. 商用化の波
どこでもドアの技術が商用化され、まずは一部の富裕層に解放される。ビルゲイツやイーロンマスク、孫正義などの億万長者だ。
さらに、移動には毎回「エネルギー使用料」が発生し、1回の移動で数十万円が必要。
この時点で、どこでもドアを手にするのはごく一部の大富豪や国際的企業に限られている。
「駅近」や「都心アクセス」というこれまでの価値基準は無意味になり、快適な環境、眺望の良さ、防犯性などが評価される時代へと移行する。
特に、高級リゾート地の不動産は高騰し、富裕層の間で「別荘ではなく、日常の住居としてのリゾート地暮らし」が当たり前になっていく。
3. 大衆普及
どこでもドアの技術は時間とともに進化し、エネルギー効率も改善されていく。
「パーソナルどこでもドア(個人向け)」:価格100万円/1回の移動コスト500円
「駅チカ」や「都心立地」の価値が完全に崩壊。オフィス街の空室率が急上昇し、商業ビルの倒産が相次ぐ。
地方の不動産価格が急騰し、特に景観や環境の良い土地が人気に。
一方で、混乱が発生するのは住宅市場だけではなく、治安の問題が浮上し、「どこでもドアによる侵入犯罪」が発生するようになる。
「どこでもドア対策済み不動産」は入室認証システムの強化、どこでもドア経由での侵入を制限するエリアの制定などができる。
こうした高セキュリティ住宅がプレミアム価格で取引されるようになる。
また、居住地選びの自由度が増したことで「移住文化」が加速し、「一生同じ場所に住む」という概念そのものが過去のものとなっていく。
数ヶ月ごとに国を移動しながら生活するようになる。
「定住」よりも「移動し続けるライフスタイル」が新たな価値観として確立されていく。
4. 未来
どこでもドアが完全に普及し、世界のあらゆる場所が瞬時に繋がった未来。
都市はかつてのような人の集積地ではなく、人が「一時的に滞在する場所」に変化する。
世界のどこにいても一瞬で移動できるため、「住む場所」と「働く場所」、「学ぶ場所」と「遊ぶ場所」が完全に分離する。
そして、どこでもドアが完全行き渡った社会では、人々は「地球のどこに住むか」ではなく、「どの星に住むか」を考えるようになっていく──。
まあな。それ言っちゃったらアウトドア全般ギャンブルだよな。登山する勢からすると天気は割り切って、ダメだったときのために保険の予定とバンバン入れるけどな。
多少の雨でも楽しめるとこの候補、北八ヶ岳の白駒荘ってとこに泊まって、北八ヶ岳の森を軽ハイキング。雨の日の苔むした森を散策するの乙だぞ。もちろん晴れたら星空も楽しめる。
上高地は夏休み混んでるとは思うが、あの景色は子どもに見せてやる価値はある。松本や安曇野に泊まれば雨の日の代替プランも組める。どうしても星空みたいなら、松本市内のアルプス公園か美ヶ原辺り行くとよい。
ヘブンスそのはら行くなら、晴れてたら星空だけじゃなく昼間の富士見台高原のハイキングもいいぞ。昼神温泉の十字屋可否茶館って喫茶店、雰囲気あってよかった。
とかかな。残念要素抜きの年上メインヒロインなら
超久しぶりにヨドバシに行った
エレベーターあるけどエスカレーターの方がはやいからエスカレーターで移動するんだけど、ある階で降りたら目の前が健康器具だった
その隣のマッサージチェア売り場は老若男女の休憩所になって寝てたりスマホいじったりしてた
バランスボード、ぶるぶる震えるのに乗るやつと、ステッパー試した
ステッパーはちょっとお高めのやつだったけど思った以上に負荷がなくて拍子抜けした
まあながら作業でやるもんだから負荷ありすぎてもダメなんだろうけども
これならふつうに足元で足踏みするのとかわらんやん、むしろステッパーは足上げる力を補助されるからトレーニングにならんやんと思った
たとえるなら仰向けにごろんって横になって両足上に上げて、だれかに足先をもってぶるぶる震えさせてもらってきもちいーってやるやつ
まあなんもせずソファに座ってテレビみるよりは全然いいんだろうけど
10万もしてごっついバランスボードかって得られる効果が少なすぎる感じはした
エアロバイクは試したかったけど全部電源切れててスイッチわからなかったから使えなかった
電源入ってた唯一のやつもネット接続前提になってるらしくて使えなかった
そういえば新人の頃は帰りに毎日ヨドバシよって楽器売り場でピアノとかギター練習したりしてたなあと思い出した
プラモ売り場みたら、フィギュアライズスタンダード 境界戦機 紫々部シオン の箱の色がめっちゃいろあせてるやつが7箱くらいあった
星野源、じゃなくて米津玄師ひいきのモビルスーツ!!!!ってpopでなんかのプラモが売られてた ぐふだったかな
目的ダイソーだったんだけど売り場広くてどこ売ってるかわからんかったから店員にきいたら 取り扱ってないですみたいにすげ-面倒くさそうに言われた
ってことは店舗にもあるだろうと思って売り場探したら、あった
陸家嘴のガラス張り高層ビル42階。窓外を流れる雲が、黄浦江の水面に刻まれた貨物船の航跡を覆い隠す。山田浩介のデスクに差し込む午後の陽光は、WeChatの画面に映った筑前煮の写真に不自然な輝きを添えていた。由美子がわざわざ漆器の重箱を用意したのが透けて魅る。「パパの席、海が魅えるんだね!」小春のメッセージに、彼は慌ててカメラを窓側へ向け直した。実際には隣のデスクが占める景色の切れ端に、虹橋空港の管制塔がかすかに魅えるだけだ。
背後で爆発的な笑い声が起きた。上海人社員たちがスマホを囲んで、早口の上海語で何かを罵っている。「儂戇大(お前馬鹿)!」という言葉だけが耳に引っ掛かる。冷房の効きすぎたオフィスで、烏龍茶のペットボトルが結露した水滴を落とす。掌の汗が書類の角を濡らす。大阪本社で使っていた革製名刺入れが、現地調達の合皮フォルダーの下で静かに呼吸をしている。
「山田部長、この経費精算書...」会計課の李が現れたのは、壁掛け時計の針が丁度「吉」の方角を指している時刻だった。彼女の真紅のマニキュアが、繁体字で書かれたレシートの日付欄を指す。「本社規定では簡体字の領収書のみ有効と...」柔らかな北京語の端に、嘲笑の棘が混じっている事に気付く間もなく、レシートの日付がずれている事実が眼前に突きつけられた。
「申し訳ありません。取引先が...」弁明の言葉を絞り出す前に、李はすでに次の書類の束を抱えていた。彼女のヒールの音が消える方向に、現地スタッフたちがコピー機を囲んで茶を飲んでいる。デスクの引き出しを開けると、日本から持ち込んだ胃薬の瓶が転がり出た。底に貼られた「小春・小学校卒業記念」のシールが剥がれかけて居る。服用錠数が規定量を超えている事に気付き、瓶を握る手に力が入る。
窓ガラスに映る自分の姿が、ふと42階下の弄堂で暮らす老人達と重なる。彼等が竹椅子で吸う無濾過タバコの煙のように、ここでの日々が身体の芯からじわりと蝕んでいるのを感じた。パソコンの待受画面が家族写真に切り替わる瞬間、手元の社内チャットが「経理部長は現地事情を理解するべき」という本部長のコメントで埋まった。
昔々、ちむぽむという小さな生き物がいました。ちむぽむはふわふわの毛と長い皮を持ち、いつも元気いっぱいで楽しいことが大好きでした。
ある日、ちむぽむは友達のリスくんと一緒に森を探検することに決めました。森の奥には、宝物が隠されているという伝説があるからです。
「リスくん、行こう!」とちむぽむは叫びました。
二人はワクワクしながら森の中を進んでいきました。美しい花や大きな木々がいっぱいで、いろんな動物たちが遊んでいました。ちむぽむとリスくんは楽しそうに歌を歌いながら歩きました。
しかし、途中で大きな川に出くわしました。「どうやって渡ろう?」とリスくんが心配そうに言いました。
ちむぽむは考えました。「僕の長い皮を使って、橋を作れるかもしれない!」と提案しました。ちむぽむは自分の皮をしっかりと伸ばし、川の両岸に引っ掛けました。すると、立派な橋ができました。
「わあ、すごい!」とリスくんは大喜び。二人はその橋を渡り、無事に川を越えました。
次に、山を登ることになりました。山は急で大変でしたが、ちむぽむは「一緒に頑張ろう!」と励ましながら登りました。途中、岩が道をふさいでいました。
「どうしよう、これをどかさないと進めないよ!」とリスくんが言いました。
「ここは僕に任せて!でもそのためには、リスくん、僕をすりすりして!」ちむぽむは言いました。リスくんがちむぽむの体をすりすりさすると、ちむぽむの体はみるみるうちに大きく、硬くなりました。これにより、岩を押しのけることができ、道が開かれました。
やっと山の頂上に着くと、そこには美しい景色が広がっていました。「見て!あれが宝物の場所かもしれない!」とリスくんが指さしました。二人は急いで下りて、その場所に向かいました。すると、そこには大きな宝箱がありました。
ちむぽむとリスくんはドキドキしながら宝箱を開けました。中には、色とりどりのキャンディや楽しいおもちゃがいっぱい入っていました。
「わあ、すごい!」とちむぽむは大喜び。「これをみんなに分けてあげよう!」
二人は宝物を持って村に帰りました。村の友達たちと一緒に楽しいパーティーを開いて、みんなでキャンディを食べたり遊んだりしました。
ちむぽむとリスくんは、冒険を通じて友情の大切さを学びました。そして、これからも一緒に楽しい冒険を続けることを決めたとさ。
おしまい。
ハーフならわかるよ。
だがフルマラソンお前はなんだ。めちゃくちゃ疲れるんだよお前。いや疲れるどころの話じゃ無い。痛い。なんか体のあちこちがすごく痛くなる。
こんなん気軽にしていい運動じゃないだろ。
そんで、コスプレしながらフルマラソン完走する人、マジでなんなんですかね。
足潰れません?強すぎません?
31 :おさかなくわえた名無しさん :2005/06/27(月) 09:45:58 ID:vLg9Gq2N
2001年の秋
風邪ひいてて寒気がするので、
大久保にある病院に行くため西武新宿線のつり革につかまってた。
で、あたまがぐわんぐわんと痛くて、
目を閉じて眉間にしわ寄せて耐えてた。
そこで記憶が途絶えて、気がついたら夕方で、あたりは見知らぬ景色。
買ったことない服着てて、髪染めたこともなかったのに茶髪になってた。
パニクって近くのラーメン屋に入って、ここどこと聞いた。
ケータイの種類が変わってた。
アドレス帳には、「ま」とか「ひ」とか、
俺はなぜだか知らないがその知らない電話番号が恐ろしくて、川に捨てた。
向こうもパニクってた。
俺に捜索願が出てた。
とにかく、帰って、今もまだ月一で精神病院に通ってる。
これな
VR機械やPC、スマホなどを用いて好きなアバターになり、仮想空間で交流する。他にもいくつかサービスがある中、VRChatは最も大きいプラットフォームのひとつだ。2024年は配信者に取り上げられたり、NHKドラマの舞台の元ネタになったりして話題になった。
アバターのおかげで相手がそこにいて動いているという視覚的な実感があるため、文字のみに比べてより近い双方向の交流ができる。
ここではユーザー同士がさまざまな社会を形成していて、故に、ここが何のための場所かはユーザーによって異なる。
創作における表現の拡張や、外国人とのアクティブな交流、はたまた現実の身体と理想とのギャップ解消など。
雑に括ってしまえば、現実世界に満足していない者はVRSNSに流れ着くと言える。
もちろん友人づくりやより深い関係を求めて彷徨う者もいて、そうなるとやはり恋愛の話を避けては通れない。
VR内での擬似恋愛関係をお砂糖などと呼ぶが、まったく不思議なことに、先日自分にもそんな存在ができた。
一対一のランダム交流ができる空間で出会い、ともに遊び、悩みを吐露し合ったりもして、数ヶ月で通じ合った。
曖昧な言い方をするのは、お互い「お砂糖」という表現がしっくりこないからだ。
顔を合わせたことはなく、住んでいる場所も遠く遠く離れている。仮初めの関係であることを理解しているし、この関係を宣言する必要性も感じず、また宣言するほど多くのフレンドもいないので、特におそろいコーディネートとかする事もなく普通に過ごしている。
それでも、互いに現実に苦しみや寂しさを抱えていて、それらを埋め合うならこの人がいい、と思っているのは事実だ。
私はいつも仕事に疲れていて、人との関わりも好きではなく、現実ではないどこかにひとりで逃避したいと思ってVRChatに来た。
ここにしかない美しい世界に没入できて、自分ではない姿になれるというところに惹かれた。VR世界は見たくても、他人と"Chat"なんかする気はさらさらなかった。
ただ、好きなアバターやワールドを作るにはゲーム内でフレンドを増やしてアカウントの信用度を上げねばならず、結局交流ワールドに足を踏み入れたのだが。
一方かの人は私よりずっと前、他のフレンドに誘われてVRChatを始めた。仲の良さそうな人はそれなりにいて、コミュニケーション能力も高い。
しかし仲良くした人に去られたり、アカウントを作り直したり、出会う前には色々と気苦労があったようである。
恋愛経験もなく、他者との関わりを遠ざけていた自分と、他者との交流に恵まれながら満たされなかった人。
私は人間らしい心の機微をその人に教えてもらいながら、虚空に向かって抱擁するようになった。
その過程で、本当は他者に認められたかったし、誰かを堂々と好きになってみたかったことを、今さら自覚した。
きれいな景色が見たいだけなら、そのためのVRコンテンツはいくらでもある。
VRChatを選んだのは、本心では他者との関わりを求めていたからに他ならない。
あの人にも人知れず抱えた寂しさがあった。
寂しい人間にとって同質の者を引き寄せる仮想空間は麻薬のようだ。
結局目の前には存在しないのに相手の声が聞こえて、笑顔が見えて、触れられないのに体を寄せ合える。
本質的には何も手に入れることができていないのに満たされている。
それがとても楽しくて、同時にとても恐ろしい。
だが、緩やかに社会全体が衰弱し、満足のハードルはどんどん上がっていく現代において、(実際求めるものを得られるかは別として)VRSNSを訪ねる人々は増えていくだろう。
42で1人目産んで12年経つけど、産んで良かったと思うよ。
私の場合結婚したのが41歳でまぁ子供は無理だろうな、と思ってたけど、旦那が欲しそうだったので不妊治療の病院に行ってみた。
で、卵管詰まってると言われて卵管通す手術したら、結婚して半年で妊娠した。
私はそれほど子供欲しいとは思ってなくて、バリバリフルタイムで働いていたので、妊娠わかった時は「仕事辞めないとダメなのかな」とか(当時は今みたいに仕事継続しながら子育てできる世の中ではなかった。保育園落ちた日本死ねでバズった時より前。)「ダウン症だったらどうしよう」とか不安でしかなかった。
当時は胎児の異常を見るのは羊水検査くらいしかなく、夫とすごく悩んだけどお腹に針を刺すのもリスクあるし、「異常がわかっても産むよな」「だったらやっても意味ないよな」となり、結局受けなかった。
仕事も「保活」が話題になってた頃で、保育園入れるか妊娠中から心配していた。0才から入れないと枠がない時代だった。これ入れなかったら詰むよな、そればかり考えていたのを思い出す。
でも昔の人が「案ずるより産むが易し」と言ったのは名言だと思う。
産んでみたら、今まで見たことのない景色、感じたことのない喜びや楽しさを得ることができた。
もちろん、いいことばかりではない。仕事面はかなりハードモードになった。子育てとの両立でキャパオーバー。仕事をきちんとこなしても+αの貢献ができないため会社からは評価されず、昇進が滞り、故に給与も上がらず、生涯賃金がかなり目減りしたのは否めない。
それでも我が子の笑顔、成長、可愛い寝顔(これが!12歳になっても可愛いんだ!)はプライスレス。これはお金には変えられない。
これまで子供がどちらかというと苦手で、だからこそ晩婚になり、子供を持つことに執着しなかった私が「もう少し早く産んでおいてもよかったな」と思うくらいには産んで良かった。
はーーーーーー
さっき入稿した!
過去最長ページを描き上げた。
印刷代3万くらいした。そんなに売れないと思うけど絶対欲しい人全員の手に渡って欲しくていつもよりかなり多めに刷った。後で後悔するかも。まぁいいか
この半年ずーっとこの本のこと考えながら生きてた。
無事終わって本当によかった。
今抜け殻状態。
途中本当に描けねー!って時期もありつつこんな長編描き上げた自分すごい、本当に
自己肯定感あがる。
やり遂げた感ある。
ミスがないことだけを祈る。多分あるけど。
400ページとかの大長編を描き上げてる人もいるけど憧れる。いつか、400とか言わないが200くらい描いてみたい。
違う景色が見れるんだろうか。
まだまだ描きたい話がたくさんある。
幸せすぎる。
今年はもっと稼がないと。
そして生活の全てが本当に終わっている。
生活に気を回す余裕なかったんだよな
洗濯物散らかってるし部屋もぐちゃぐちゃ
そして確定申告…まだ考えたくもない…
今日はもういいや。何も考えたくない。死ぬほどダラダラしよう。
充実感すごい。
寒さ:猫は寒さに弱い動物です。雪が降ると気温が下がり、猫は体温を維持するのが難しくなります。
濡れること:猫は濡れるのを嫌います。雪に触れると毛が濡れてしまい、不快感を感じます。
感触:猫は足の裏の感触に敏感です。雪の冷たい感触や、足が雪に沈む感覚を嫌う猫もいます。
警戒心:猫は警戒心が強い動物です。雪が降ると、いつもと違う景色や匂いに戸惑い、警戒心を抱くことがあります。
もちろん、猫の性格や育った環境によって、雪に対する好みは異なります。雪の中でも平気で遊ぶ猫もいれば、全く雪に近づかない猫もいます。
愛猫が雪を嫌がる場合は、無理に雪の中に連れ出さないようにしましょう。暖かい室内で、愛猫が安心して過ごせるように配慮することが大切です。