はてなキーワード: 大工とは
地方国公立医に開成や桜蔭から全然行かなくなった理由がわかった気がする
いざ進学したら弘前、青森、八戸、磐城とかで学力が東北大工学部に遠く及ばない地域推薦の地元民と6年間一緒ってことやしな
それならなんぼ成田でも国際医療福祉とかの私立行って麻布、海城、早稲田、暁星、芝とかのバックグラウンド同じ連中と過ごすほうが絶対にええわな
むかしむかし、ある小さな村におじいさんとおばあさん、それから孫娘のメイが住んでいました。おじいさんは村一番の大工で、木で大きなものを作るのがとても得意でした。
ある日、おじいさんは村のみんなを驚かせるために、これまで作った中で一番大きな椅子を作ろうと決意しました。その椅子はとても特別で、座った人が幸せになると言われる木を使って作られました。おばあさんと孫娘メイも、おじいさんを手伝おうと一生懸命に働きました。
村の人々は次々とやってきて、その大きな椅子に座りました。座った人々はみんなにっこりして、心が温かくなるのを感じました。いつしかおじいさんの作った椅子は、村全体に幸福をもたらすシンボルとなりました。
ある日、小さな嵐が村を襲い、皆が大切にしていた椅子の一本の脚を折ってしまいました。村人たちは悲しみに暮れましたが、おばあさんとメイは力を合わせて壊れた椅子を修理しました。村の人々の協力もあり、その椅子は再びみんなを幸せにする力を取り戻しました。
この物語は、協力し合うことでどんな困難も乗り越えられるということを教えてくれます。
ℋ𝒶𝓅𝓅𝓎 ℰ𝓃𝒹.
https://www.bbc.com/japanese/articles/c39l993kn3ko 炎上はどこでしてるのかわからんが前半の主旨に沿うやつはみつけた。なんで炎上つって煽った?
別にどうでもいいよ
ポレポレさんとかマジ大工さんとか
ただの大工の息子だもんな
(ほんとにちゃんとやってんの?不正してないか大工関係の仕事の人に有料で見てもらおう)本音を隠し
「家がどうやってできるのかきになってて、大工さんたちの仕事見たいんです!」とりあえず差し入れして工程をいちいち褒めておいた。
https://anond.hatelabo.jp/20241002005552
一一
このごろ与次郎が学校で文芸協会の切符を売って回っている。二、三日かかって、知った者へはほぼ売りつけた様子である。与次郎はそれから知らない者をつかまえることにした。たいていは廊下でつかまえる。するとなかなか放さない。どうかこうか、買わせてしまう。時には談判中にベルが鳴って取り逃すこともある。与次郎はこれを時利あらずと号している。時には相手が笑っていて、いつまでも要領を得ないことがある。与次郎はこれを人利あらずと号している。ある時便所から出て来た教授をつかまえた。その教授はハンケチで手をふきながら、今ちょっとと言ったまま急いで図書館へはいってしまった。それぎりけっして出て来ない。与次郎はこれを――なんとも号しなかった。後影を見送って、あれは腸カタルに違いないと三四郎に教えてくれた。
与次郎に切符の販売方を何枚頼まれたのかと聞くと、何枚でも売れるだけ頼まれたのだと言う。あまり売れすぎて演芸場にはいりきれない恐れはないかと聞くと、少しはあると言う。それでは売ったあとで困るだろうと念をおすと、なに大丈夫だ、なかには義理で買う者もあるし、事故で来ないのもあるし、それから腸カタルも少しはできるだろうと言って、すましている。
与次郎が切符を売るところを見ていると、引きかえに金を渡す者からはむろん即座に受け取るが、そうでない学生にはただ切符だけ渡している。気の小さい三四郎が見ると、心配になるくらい渡して歩く。あとから思うとおりお金が寄るかと聞いてみると、むろん寄らないという答だ。几帳面にわずか売るよりも、だらしなくたくさん売るほうが、大体のうえにおいて利益だからこうすると言っている。与次郎はこれをタイムス社が日本で百科全書を売った方法に比較している。比較だけはりっぱに聞こえたが、三四郎はなんだか心もとなく思った。そこで一応与次郎に注意した時に、与次郎の返事はおもしろかった。
「いくら学生だって、君のように金にかけるとのん気なのが多いだろう」
「なに善意に払わないのは、文芸協会のほうでもやかましくは言わないはずだ。どうせいくら切符が売れたって、とどのつまりは協会の借金になることは明らかだから」
三四郎は念のため、それは君の意見か、協会の意見かとただしてみた。与次郎は、むろんぼくの意見であって、協会の意見であるとつごうのいいことを答えた。
与次郎の説を聞くと、今度は演芸会を見ない者は、まるでばかのような気がする。ばかのような気がするまで与次郎は講釈をする。それが切符を売るためだか、じっさい演芸会を信仰しているためだか、あるいはただ自分の景気をつけて、かねて相手の景気をつけ、次いでは演芸会の景気をつけて、世上一般の空気をできるだけにぎやかにするためだか、そこのところがちょっと明晰に区別が立たないものだから、相手はばかのような気がするにもかかわらず、あまり与次郎の感化をこうむらない。
与次郎は第一に会員の練習に骨を折っている話をする。話どおりに聞いていると、会員の多数は、練習の結果として、当日前に役に立たなくなりそうだ。それから背景の話をする。その背景が大したもので、東京にいる有為の青年画家をことごとく引き上げて、ことごとく応分の技倆を振るわしたようなことになる。次に服装の話をする。その服装が頭から足の先まで故実ずくめにでき上がっている。次に脚本の話をする。それが、みんな新作で、みんなおもしろい。そのほかいくらでもある。
与次郎は広田先生と原口さんに招待券を送ったと言っている。野々宮兄妹と里見兄妹には上等の切符を買わせたと言っている。万事が好都合だと言っている。三四郎は与次郎のために演芸会万歳を唱えた。
万歳を唱える晩、与次郎が三四郎の下宿へ来た。昼間とはうって変っている。堅くなって火鉢のそばへすわって寒い寒いと言う。その顔がただ寒いのではないらしい。はじめは火鉢へ乗りかかるように手をかざしていたが、やがて懐手になった。三四郎は与次郎の顔を陽気にするために、机の上のランプを端から端へ移した。ところが与次郎は顎をがっくり落して、大きな坊主頭だけを黒く灯に照らしている。いっこうさえない。どうかしたかと聞いた時に、首をあげてランプを見た。
「この家ではまだ電気を引かないのか」と顔つきにはまったく縁のないことを聞いた。
「まだ引かない。そのうち電気にするつもりだそうだ。ランプは暗くていかんね」と答えていると、急に、ランプのことは忘れたとみえて、
一応理由を聞いてみる。与次郎は懐から皺だらけの新聞を出した。二枚重なっている。その一枚をはがして、新しく畳み直して、ここを読んでみろと差しつけた。読むところを指の頭で押えている。三四郎は目をランプのそばへ寄せた。見出しに大学の純文科とある。
大学の外国文学科は従来西洋人の担当で、当事者はいっさいの授業を外国教師に依頼していたが、時勢の進歩と多数学生の希望に促されて、今度いよいよ本邦人の講義も必須課目として認めるに至った。そこでこのあいだじゅうから適当の人物を人選中であったが、ようやく某氏に決定して、近々発表になるそうだ。某氏は近き過去において、海外留学の命を受けたことのある秀才だから至極適任だろうという内容である。
「広田先生じゃなかったんだな」と三四郎が与次郎を顧みた。与次郎はやっぱり新聞の上を見ている。
「どうも」と首を曲げたが、「たいてい大丈夫だろうと思っていたんだがな。やりそくなった。もっともこの男がだいぶ運動をしているという話は聞いたこともあるが」と言う。
「しかしこれだけじゃ、まだ風説じゃないか。いよいよ発表になってみなければわからないのだから」
「いや、それだけならむろんかまわない。先生の関係したことじゃないから、しかし」と言って、また残りの新聞を畳み直して、標題を指の頭で押えて、三四郎の目の下へ出した。
今度の新聞にもほぼ同様の事が載っている。そこだけはべつだんに新しい印象を起こしようもないが、そのあとへ来て、三四郎は驚かされた。広田先生がたいへんな不徳義漢のように書いてある。十年間語学の教師をして、世間には杳として聞こえない凡材のくせに、大学で本邦人の外国文学講師を入れると聞くやいなや、急にこそこそ運動を始めて、自分の評判記を学生間に流布した。のみならずその門下生をして「偉大なる暗闇」などという論文を小雑誌に草せしめた。この論文は零余子なる匿名のもとにあらわれたが、じつは広田の家に出入する文科大学生小川三四郎なるものの筆であることまでわかっている。と、とうとう三四郎の名前が出て来た。
三四郎は妙な顔をして与次郎を見た。与次郎はまえから三四郎の顔を見ている。二人ともしばらく黙っていた。やがて、三四郎が、
「困るなあ」と言った。少し与次郎を恨んでいる。与次郎は、そこはあまりかまっていない。
「君、これをどう思う」と言う。
「どう思うとは」
「投書をそのまま出したに違いない。けっして社のほうで調べたものじゃない。文芸時評の六号活字の投書にこんなのが、いくらでも来る。六号活字はほとんど罪悪のかたまりだ。よくよく探ってみると嘘が多い。目に見えた嘘をついているのもある。なぜそんな愚な事をやるかというとね、君。みんな利害問題が動機になっているらしい。それでぼくが六号活字を受持っている時には、性質のよくないのは、たいてい屑籠へ放り込んだ。この記事もまったくそれだね。反対運動の結果だ」
「なぜ、君の名が出ないで、ぼくの名が出たものだろうな」
「やっぱり、なんだろう。君は本科生でぼくは選科生だからだろう」と説明した。けれども三四郎には、これが説明にもなんにもならなかった。三四郎は依然として迷惑である。
「ぜんたいぼくが零余子なんてけちな号を使わずに、堂々と佐々木与次郎と署名しておけばよかった。じっさいあの論文は佐々木与次郎以外に書ける者は一人もないんだからなあ」
与次郎はまじめである。三四郎に「偉大なる暗闇」の著作権を奪われて、かえって迷惑しているのかもしれない。三四郎はばかばかしくなった。
「さあ、そこだ。偉大なる暗闇の作者なんか、君だって、ぼくだって、どちらだってかまわないが、こと先生の人格に関係してくる以上は、話さずにはいられない。ああいう先生だから、いっこう知りません、何か間違いでしょう、偉大なる暗闇という論文は雑誌に出ましたが、匿名です、先生の崇拝者が書いたものですから御安心なさいくらいに言っておけば、そうかで、すぐ済んでしまうわけだが、このさいそうはいかん。どうしたってぼくが責任を明らかにしなくっちゃ。事がうまくいって、知らん顔をしているのは、心持ちがいいが、やりそくなって黙っているのは不愉快でたまらない。第一自分が事を起こしておいて、ああいう善良な人を迷惑な状態に陥らして、それで平気に見物がしておられるものじゃない。正邪曲直なんてむずかしい問題は別として、ただ気の毒で、いたわしくっていけない」
「家へ来る新聞にゃない。だからぼくも知らなかった。しかし先生は学校へ行っていろいろな新聞を見るからね。よし先生が見なくってもだれか話すだろう」
「すると、もう知ってるな」
「むろん知ってるだろう」
「君にはなんとも言わないか」
「言わない。もっともろくに話をする暇もないんだから、言わないはずだが。このあいだから演芸会の事でしじゅう奔走しているものだから――ああ演芸会も、もういやになった。やめてしまおうかしらん。おしろいをつけて、芝居なんかやったって、何がおもしろいものか」
「しかられるだろう。しかられるのはしかたがないが、いかにも気の毒でね。よけいな事をして迷惑をかけてるんだから。――先生は道楽のない人でね。酒は飲まず、煙草は」と言いかけたが途中でやめてしまった。先生の哲学を鼻から煙にして吹き出す量は月に積もると、莫大なものである。
「煙草だけはかなりのむが、そのほかになんにもないぜ。釣りをするじゃなし、碁を打つじゃなし、家庭の楽しみがあるじゃなし。あれがいちばんいけない。子供でもあるといいんだけれども。じつに枯淡だからなあ」
与次郎はそれで腕組をした。
「たまに、慰めようと思って、少し奔走すると、こんなことになるし。君も先生の所へ行ってやれ」
「行ってやるどころじゃない。ぼくにも多少責任があるから、あやまってくる」
「君はあやまる必要はない」
「じゃ弁解してくる」
与次郎はそれで帰った。三四郎は床にはいってからたびたび寝返りを打った。国にいるほうが寝やすい心持ちがする。偽りの記事――広田先生――美禰子――美禰子を迎えに来て連れていったりっぱな男――いろいろの刺激がある。
夜中からぐっすり寝た。いつものように起きるのが、ひどくつらかった。顔を洗う所で、同じ文科の学生に会った。顔だけは互いに見知り合いである。失敬という挨拶のうちに、この男は例の記事を読んでいるらしく推した。しかし先方ではむろん話頭を避けた。三四郎も弁解を試みなかった。
暖かい汁の香をかいでいる時に、また故里の母からの書信に接した。また例のごとく、長かりそうだ。洋服を着換えるのがめんどうだから、着たままの上へ袴をはいて、懐へ手紙を入れて、出る。戸外は薄い霜で光った。
通りへ出ると、ほとんど学生ばかり歩いている。それが、みな同じ方向へ行く。ことごとく急いで行く。寒い往来は若い男の活気でいっぱいになる。そのなかに霜降りの外套を着た広田先生の長い影が見えた。この青年の隊伍に紛れ込んだ先生は、歩調においてすでに時代錯誤である。左右前後に比較するとすこぶる緩漫に見える。先生の影は校門のうちに隠れた。門内に大きな松がある。巨大の傘のように枝を広げて玄関をふさいでいる。三四郎の足が門前まで来た時は、先生の影がすでに消えて、正面に見えるものは、松と、松の上にある時計台ばかりであった。この時計台の時計は常に狂っている。もしくは留まっている。
門内をちょっとのぞきこんだ三四郎は、口の中で「ハイドリオタフヒア」という字を二度繰り返した。この字は三四郎の覚えた外国語のうちで、もっとも長い、またもっともむずかしい言葉の一つであった。意味はまだわからない。広田先生に聞いてみるつもりでいる。かつて与次郎に尋ねたら、おそらくダーターファブラのたぐいだろうと言っていた。けれども三四郎からみると二つのあいだにはたいへんな違いがある。ダーターファブラはおどるべき性質のものと思える。ハイドリオタフヒアは覚えるのにさえ暇がいる。二へん繰り返すと歩調がおのずから緩漫になる。広田先生の使うために古人が作っておいたような音がする。
学校へ行ったら、「偉大なる暗闇」の作者として、衆人の注意を一身に集めている気色がした。戸外へ出ようとしたが、戸外は存外寒いから廊下にいた。そうして講義のあいだに懐から母の手紙を出して読んだ。
この冬休みには帰って来いと、まるで熊本にいた当時と同様な命令がある。じつは熊本にいた時分にこんなことがあった。学校が休みになるか、ならないのに、帰れという電報が掛かった。母の病気に違いないと思い込んで、驚いて飛んで帰ると、母のほうではこっちに変がなくって、まあ結構だったといわぬばかりに喜んでいる。訳を聞くと、いつまで待っていても帰らないから、お稲荷様へ伺いを立てたら、こりゃ、もう熊本をたっているという御託宣であったので、途中でどうかしはせぬだろうかと非常に心配していたのだと言う。三四郎はその当時を思いだして、今度もまた伺いを立てられることかと思った。しかし手紙にはお稲荷様のことは書いてない。ただ三輪田のお光さんも待っていると割注みたようなものがついている。お光さんは豊津の女学校をやめて、家へ帰ったそうだ。またお光さんに縫ってもらった綿入れが小包で来るそうだ。大工の角三が山で賭博を打って九十八円取られたそうだ。――そのてんまつが詳しく書いてある。めんどうだからいいかげんに読んだ。なんでも山を買いたいという男が三人連で入り込んで来たのを、角三が案内をして、山を回って歩いているあいだに取られてしまったのだそうだ。角三は家へ帰って、女房にいつのまに取られたかわからないと弁解した。すると、女房がそれじゃお前さん眠り薬でもかがされたんだろうと言ったら、角三が、うんそういえばなんだかかいだようだと答えたそうだ。けれども村の者はみんな賭博をして巻き上げられたと評判している。いなかでもこうだから、東京にいるお前なぞは、本当によく気をつけなくてはいけないという訓誡がついている。
長い手紙を巻き収めていると、与次郎がそばへ来て、「やあ女の手紙だな」と言った。ゆうべよりは冗談をいうだけ元気がいい。三四郎は、
「なに母からだ」と、少しつまらなそうに答えて、封筒ごと懐へ入れた。
「いいや」
「何を」と問い返しているところへ、一人の学生が、与次郎に、演芸会の切符をほしいという人が階下に待っていると教えに来てくれた。与次郎はすぐ降りて行った。
与次郎はそれなり消えてなくなった。いくらつらまえようと思っても出て来ない。三四郎はやむをえず精出して講義を筆記していた。講義が済んでから、ゆうべの約束どおり広田先生の家へ寄る。相変らず静かである。先生は茶の間に長くなって寝ていた。ばあさんに、どうかなすったのかと聞くと、そうじゃないのでしょう、ゆうべあまりおそくなったので、眠いと言って、さっきお帰りになると、すぐに横におなりなすったのだと言う。長いからだの上に小夜着が掛けてある。三四郎は小さな声で、またばあさんに、どうして、そうおそくなったのかと聞いた。なにいつでもおそいのだが、ゆうべのは勉強じゃなくって、佐々木さんと久しくお話をしておいでだったという答である。勉強が佐々木に代ったから、昼寝をする説明にはならないが、与次郎が、ゆうべ先生に例の話をした事だけはこれで明瞭になった。ついでに与次郎が、どうしかられたかを聞いておきたいのだが、それはばあさんが知ろうはずがないし、肝心の与次郎は学校で取り逃してしまったからしかたがない。きょうの元気のいいところをみると、大した事件にはならずに済んだのだろう。もっとも与次郎の心理現象はとうてい三四郎にはわからないのだから、じっさいどんなことがあったか想像はできない。
三四郎は長火鉢の前へすわった。鉄瓶がちんちん鳴っている。ばあさんは遠慮をして下女部屋へ引き取った。三四郎はあぐらをかいて、鉄瓶に手をかざして、先生の起きるのを待っている。先生は熟睡している。三四郎は静かでいい心持ちになった。爪で鉄瓶をたたいてみた。熱い湯を茶碗についでふうふう吹いて飲んだ。先生は向こうをむいて寝ている。二、三日まえに頭を刈ったとみえて、髪がはなはだ短かい。髭のはじが濃く出ている。鼻も向こうを向いている。鼻の穴がすうすう言う。安眠だ。
三四郎は返そうと思って、持って来たハイドリオタフヒアを出して読みはじめた。ぽつぽつ拾い読みをする。なかなかわからない。墓の中に花を投げることが書いてある。ローマ人は薔薇を affect すると書いてある。なんの意味だかよく知らないが、おおかた好むとでも訳するんだろうと思った。ギリシア人は Amaranth を用いると書いてある。これも明瞭でない。しかし花の名には違いない。それから少しさきへ行くと、まるでわからなくなった。ページから目を離して先生を見た。まだ寝ている。なんでこんなむずかしい書物を自分に貸したものだろうと思った。それから、このむずかしい書物が、なぜわからないながらも、自分の興味をひくのだろうと思った。最後に広田先生は必竟ハイドリオタフヒアだと思った。
先に結論を言うと、共通化、標準化、最適化、統一、集約、再編が苦手って話
標準化が進まない日本〜理由は「自分が損をしてでも人の足を引っ張ろうとする日本人」?
https://note.com/torum/n/n1cfeed20730b
hecatomcales 絵文字もガラケーの時代はキャリア3社で互換性がなく文字化けしてたし、標準化したのはグーグルとアップルだからな
https://anond.hatelabo.jp/20240922061814
分野は違えど上と似た話
なんで漫画出版社っていくつもサイトとかアプリ乱立させるわけ?
https://anond.hatelabo.jp/20210621160710
手前みそで申し訳ない。これは私が増田に書いたやつなんだけど、マンガサイト/アプリが多すぎるって話
ΝΑΠΠΑさんのツイート
https://twitter.com/nappasan/status/1754181315308683361
日本のマニアって自分の知識やコレクションをあくまで個人レベルで抱えて、他人から教えを乞われたら「これだけは教えてやるから後は自分で精進しな」というスパルタ師弟関係みたいな話になりがちなんですが
欧米のマニアってビシバシ情報公開して多数の人間と資本を引き込むことで自分自身の利益にも繋げようというスタンスの人が多いから、全く違う速度と規模感でモリモリと物事が進んでいくし、こういう気質やスタンスの差を見ているとそりゃソフトウェア開発の世界でも差が開くよなと思ったりします。
個人での精進や努力、切磋琢磨という美徳に縛られすぎて他人とのノウハウ共有や標準化による利益の創出という観点が欠如してる人が多いんじゃないですかね。そういうところが企業の社員教育のやり方なんかにも表れているし、社会全体を非効率にしている一つの大きな根源なのでは。
私は子供の頃から「見て盗め」ってやつが物凄く嫌いだし、教えを乞われると偉そうにする人も嫌いなのである。
学問にもこういう姿勢の違いが表れてると思うんですよね。和算なんかは独自にかなり高レベルなところまで達していたようだけど、結局は格闘術のごとく「流派」に落とし込まれて、論文の査読や公開による理論の証明という現代科学の世界には至れなかったわけで。
90年代のゲーム業界は日本が頂点だと間違いなく言えるんだけど
あの時ゲーム開発会議もアメリカが1988年にやってた。日本は1999年で11年遅れ
ゲームエンジンにしてもそうで、UEにしてもUnityにしてもGodotにしても海外製
2000年以降にキャッチアップして作ったはいいけど、それを社内に閉じ込めて終わってるのが日本企業らしいところ。
行政システム、乱立に歯止め 自治体の仕様統一へ国が新法 既得権の壁、難航も
https://www.nikkei.com/article/DGKKZO66916140S0A201C2MM8000/
「地方自治」で各自治体が独自に構築した結果、連携ができずに非効率を招いている。
(略)
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUC201LR0Q3A121C2000000/
「日本の素材メーカーは、半導体関連だけに限らず中小規模の企業が多い。経営も非効率なメーカーが多い印象がある。これは、長年にわたって(国や市場から)守られてきたからと言えるのではないか」
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUC1733Y0X10C23A1000000/
(略)
↑思惑がダサすぎて情けなすぎて笑える。自分たちでどうにかしようっていう意識が皆無すぎるw
JSRのCEOも、三菱ケミカルGの社長(記事当時)も外国人経営者なんだよね、
でも三菱ケミカルGのジョンマーク・ギルソン社長は業界の抵抗で再編できなくて解任されたw
どんだけ再編が嫌いなんだよ日本はw
造船でも似たような話があって
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOGM13D8F0T10C22A1000000/
記事を要約すると、造船TOP5に韓国は3社あって、すでに十分再編してたんだけど首位は中国なので、首位奪還のために2位の現代と4位の大宇が合併しようとしたら、EUに横やりを入れられたって内容なんだけど
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今治、ジャパンマリンユナイテッド、大島、三菱、名村、川崎、三井、常石
シェアが低いくせに無駄に会社は多い日本がこれ言う?って思った
NECと富士通のPC部門もなぜか自分たちで統合とかせずにレノボに統合したし
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUA2063P0Q3A720C2000000/
厚労省は非効率な医療体制の改革を目指し、19年に全国の424病院に対して「再編統合の議論が必要」と名指しで指摘。
(略)
他の先進国並みにいる医師が大病院で足りないのは、小さな病院の数が多いうえに多数の勤務医が独立し、診療所を開業しているためだ。
この前話題になった大工が足りなくて家が建たない問題も、一人親方が増えたから~みたいなのが原因だと聞いたよ
アニメーター貧乏問題も結局はそれなりにスキル身に付いたら独立するから、アニメスタジオが乱立して仕事の取り合いになるからだっていうよね
トラックのドライバーが足りない問題もそうで、物流二法(貨物自動車運送事業法と貨物運送取扱事業法)が施行され参入が増えた結果だし
引っ越さなければ価格は据え置きにできるが…転居可能というメリットが失われる
物価は上がり続ける
人口が減るから賃貸が余って安くなる信仰があるが、そんな状態になるのは不便な土地だけだ
不便な土地からは会社も離れるので、生活するには結局人口がそれなりの場所に住むことになる
長期優良住宅制度、性能表示制度が出来てからは国が100年の価値を認めている
これは大手銀行が「住宅の売値は計算できる」と認めたようなものだ
賃貸であれ払い続けなければならないのは同じ
仕事がなくなったらローンが払えない恐怖と、仕事が無くなったら家賃が払えない恐怖は同じ
賃貸ならボロ屋に引っ越せば家賃を減らせるが、ローンは減らせない
…そう昭和ならね
上に書いたように住宅に価値がある時代になったので令和は家を売れば資産になる
これらを取得している建売はまだまだ少ない
先に述べた残価設定ローンでも、三菱UFJ銀行は
認定長期優良住宅など一定の品質が保証されている住宅で、JTIが「かeせるオプション証明書」を発行することのできる住宅に限られます
性能表示住宅も頼めばやってくれるだろう
将来売ることを考えるならば取得しておいて損はない
例え中身が同じでも「ラベル」は人の購入意欲を左右する
性能表示住宅のような高性能な住宅を手に入れられる庶民は減るだろう
今では太い大黒柱の家が建てられないのと同じで
昭和であれば「間取りが違う」「設備が違う」程度であったが今は性能が違う
賃貸でも上下左右に部屋があるほうがいいなんて言われるほど酷暑だが
99個は嘘です。ごめんなさい
他にもあるけど書くの疲れた
さらに市の住宅化中心地(マスタープランなどで調べられる)となるとほんの一握り